機械の第六感【part山】
「……なんか、静かっスねえ」
TX-002は自室でメンテナンス用の端末を操作しながら欠伸をする。
厳密に言えば今日の異世界邸はいつも通り、平常運転でちゅどんを重ねている。朝っぱらから卵かけご飯にポン酢はありかなしかという議論で自身のプロトタイプTX-001とトカゲ野郎が派手に喧嘩して玄関扉をぶっ飛ばした。他にも室内で自主練していた駄ルキリーが衝撃波で屋根を刺身にし、それを白蟻たちが根こそぎ喰い尽くしていた。駄天使はまたぞろワインセラーに忍び込んで罰として神久夜の畑に埋められたようだ。
しかし皆が皆、どこか覇気が薄いというか、暴れっぷりに遠慮があるような感じがある。
原因は分かっている。
フランチェスカが突如として異世界邸を去り、その部屋に異世界へとつながる炉のような扉が残されていたことが判明してからずっとこの調子だ。
「どうせミス・フランチェスカのことっス。そのうちひょっこり帰ってくるっスよ」
とは言え、いつ帰ってくるかわからないからこそイマイチ調子が上がらないというのがある。
もしうっかりフランチェスカの炉をちゅどんさせてしまって、修復ができなかったとしたら、本当に彼女は帰ってこないかもしれない。悪い意味で天上天下唯我独尊、自分自身のことしか考えていないような異世界邸問題児たちでさえ、無意識のうちにフランチェスカの部屋周辺が間違っても吹き飛ばないようにしていた。
はっきり言って、空気が重い。
いつもニコニコ異世界邸古参組。立てば爆発、座れば破壊、歩く姿はバイオテロな彼女がいないだけでこうなるとはTX-002も想像できなかった。
彼女と親交が深かった栞那は表面上はいつも通りだが、セシルは完全に異世界邸居住区最奥の自室に閉じこもってしまった。邸を吹っ飛ばす問題児が実質二人減ってしまったわけだが、それ以上に静かになったように感じる。
「はーあ、なーんかパッとしないっス。いっそあたしも異世界邸の住人としてドカーンと管理人に迷惑を……ダメっスねえ。何すればいいか思いつかないっス」
異世界邸良心枠だと思っている節があるため、他人に迷惑をかけている自分というのが全く想像できない。
実際のところは、彼女が妹機のメンテナンスを少し怠るだけで異世界邸史屈指の大事故が発生するのだが、そんなことは当然しない。それを避けるために異世界邸に転がり込んだというのに本末転倒だ。
「……そう考えると、なんでTX-001はあんなに暴れてるんスかね? 良心の呵責とかないんスか? バグ?」
いや、TX-001も最初からああだったわけではないと思う。かつて生まれ故郷の世界で共に戦っていた時は心優しいとは言えないまでも、勇敢で義侠心のある男だった。つまり異世界邸に来て、あのトカゲ野郎と出会ってからだろうか。思う存分殴り合える相手と出会ったのはアレが初めてだと言っていた気がする。
「あれ? じゃあつまり元から根っこの部分は粗野で暴れん坊な迷惑野郎?」
なんということだ。自分はついて行くべき相手を間違えたかもしれない。
……などと徒にどうでもいい思考を巡らせている時。
コンコンコン
「ん? はいはーい、何スかー?」
ノックする音が聞こえた。
TX-002は端末を一度作業台に戻し、扉を開ける。
「やっほー、こんにちは、きかいのおねーさん!」
「こんにちは、きかいのおねえさん」
「こんにちは」
「あれ、時計のチビどもじゃないっスか。珍しいっスね、昼間に出歩くなんて」
扉の向こうにいたのはTX-002の腰ほどの背丈の小さな子供三人組。彼女たちは異世界邸の玄関ホールに聳える大きな柱時計から生まれた機械生命体である。この国でいうところの付喪神と呼ばれる存在らしいが、大変な気まぐれなうえに出歩くとしても問題児さえ寝静まる深夜のため、彼女たちを見かけたことのある住人はほとんどいない。TX-002はどういうわけか彼女たちに懐かれており、たまに顔を合わせることがあった。
「うんとね、きょうはね、きかいのおねーさんにおねがいがあってきたの!」
「お願い?」
「えっと、チョーたちのおうちをはこんでほしいの」
「おうちって……あの柱時計っスか?」
「ひなんするの」
「ひなん……え、避難?」
TX-002は首を傾げる。
彼女たちは時計から生まれたが、厳密には時計そのものではない。その時針を動かすための歯車が元となっている。そのため彼女たち自身が時計から抜け出していれば本体の時計がちゅどんに巻き込まれて消し炭になったとしても、大工が邸ごと修復すれば復活する仕組みになっている。
なので時計の移動、ましてや避難など、本来は必要ないのだが。
「なんかね、きょうはね、すっごくいやなよかんするの……」
「嫌な、予感……」
「ほんとうは、チョーたちはとけいのおしごとしなきゃだけど……」
「よくないかんじがする……」
せっかちな秒針だけならともかく、責任感が強い長針と思慮深い短針までもがぎゅっと手を握ってTX-002に頼み込む。その様子に、TX-002は一も二もなく頷く。
「分かったっス。場所は地下迷宮で良いっスか?」
「うん、よろしくね、きかいのおねーさん!」
「よろしくおねがいします、きかいのおねえさん」
「……ありがとう」
三人に手を引かれ、TX-002は部屋を後にした。
* * *
某国月面観測基地。
「ん?」
計器を確認していた観測士が一瞬、怪訝な顔を浮かべた。
「どうした?」
「いや、一瞬ノイズが。それにアレ、人型の何かが……」
「お、マジ? エイリアンか?」
休憩から戻ってきた同僚に操作機器を手渡し、該当時刻の映像を再生する。
画面には変わらず月面に無数に存在するクレーターが映し出されている。しかし観測士の言うようなノイズや人影は確認されなかった。
「見間違いじゃないのか?」
「あれ?」
「疲れてるんだろ。お前も一服してこいよ」
「……そうすっかなあ」
首を傾げつつ席を立つ観測士。確かにノイズはあった気がするし、人型の鎧のような影が見えた気がするのだが、気のせいだったのだろうか。
* * *
「1001010110100111010111110101111010111110101100001110100011110011101111111010111101001100101110111011010011101011110000111011101110010111100111011111110101」
次空の壁を乗り越えて月面に降り立ったソレは電子音を鳴らしながら周囲を見渡す。
否、「見」渡すというと語弊がある。
それの周囲360度半径5km球形の範囲内は全てソレの最低限の探知内である。
「100100011110011101111111010111010101110101110111011100111100101110101111000011101001010100010001111100001110100111000010101001110100011001011110100110111111101011110100110000111101001110101010111010010111100101110100111001001101111110111011011111100111110111111100111100001110101111000011101011111010111011101101001110111001011101000100110000111010011101001110001111010001101001111011111000011101011111010111100111100101110100111010001100101111010011110011100001110101111101011110010110100111010111110101」
ソレは探知範囲を拡大。頭上に静かに浮かぶ青い水の惑星を探知する。
「100100011110011101111111010111101001100101110101111010011101110110111111110101100001110100011110011101111111010111100111100001110100111010111100001110101111101011101110110100111011100101110101111110111111001000110111111100111101111110101111101011101011110000111011101110010111100111011111110101010111010001111100001110100111101001101111111010111000111101000110100111010111110101110111011011111100111110010111011101100111110111111100111111001111010111101011110100110111111010111110101110101111000011101001111001111010001101001――言語習得完了」
不意に、ソレの電子音が人間の言葉に近しい音を発する。人間よりも人間らしい、不気味の谷の底の底に位置するような機械音。
ソレはぐっと足を屈めて惑星――その中でも日本と呼ばれる地区をじっと見据えた。
「理に反する『炉』の所在と稼働を確認。これより対象の破壊及び周辺環境への粛清を開始。……世に法則と秩序のあらんことを」
とん、と。
ソレは月を蹴り、跳ぶ。
飛び上がり、地球へ向かって落ちる。
落下地点は紅晴市――異世界邸。