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異世界アパート『異世界邸』の日常  作者: カオスを愛する有志一同
続・ふたたび日常
140/175

炉【part山】

「よし、できた……」

 異世界邸の一室。

 彼女はそう呟き、天を仰いだ。



          * * *



「ふぬぬ!」

「管理人、また魔力が過剰だよん♪ それだと……ほらまた☆」


 ちゅどん!


 異世界邸玄関ホール。

 そこに故意に開けられた大穴に魔力を注いでいた貴文の目の前で、今日何度目か分からない小爆発が起きる。爆発の煙が晴れると、そこにはどっかの世界の偉そうなおっさんの銅像が生えていた。

「あー、くそ! これムズイんだが!?」

「魔力の扱いが雑なんだよ管理人♪ 今はまだじゃららーんって感じだけど、もっとこう、しゅしゅって感じで流し込むんだよ☆」

 いつものフード付き改造白衣のセシルが謎に眼鏡をかけ、ぺちぺちと手にした指棒でおっさんの像を叩く。

「わかるか!? 今までただ殴り飛ばせればよかっただけの奴にそんな曖昧な表現で伝わるか!?」

「なんで伝わらないかなー♪ あ、フォルちゃん処理シクヨロー☆」

「仕方ないですわねー」

 と、傍らに控えていたフォルミーカが一瞬で銅像を喰い尽くす。普段なら胃がキリキリと痛む光景なのだが、今日ばかりは彼女の異常な食習慣に感謝せねばならない。

 そしてフォルミーカが銅像完食して開いた穴に、貴文が再度魔力を流し込む。

「しゅしゅっ……こうか!?」

「あ、バカ!?」


 ちゅどん!?


 穴を塞ぐように冷蔵庫が出現し、中から黒いセーラー服の少女が出てきてきょろきょろと周囲を見渡していた。

「え、え!? ここどこです!? 紫は確か自分の部屋に……!?」

「おわあああああ!? お帰りくださいお帰りください!?」

「えぇ!?」

「管理人早く閉めて!」

 少女を出てきた冷蔵庫に押し返し、慌てて蓋を閉じる。それにセシルが魔方陣を発動させて起動し、彼女が元居た時空へと送還した。

「あっぶねぇ……管理人、今のはしゅしゅって感じじゃなくて、みょみょみょーんじゃん♪」

「だから分かんねえって!」

 キレ散らかす管理人と、伊達メガネの奥から冷ややかな視線を投げつけるセシル。そしてこの茶番に付き合わされていたフォルミーカも、流石に気分が悪そうにお腹の辺りをさする。

「管理人、わたくしも好い加減お腹がいっぱいですわよ」

「マジか」

「あー、もう結構やったしね♪ 今日はここまでにしようか☆」

「え、じゃあこの穴どうすんだ」

「管理人が塞げないんだから、業者呼ぶしかないじゃない♪」

「クソが!!」

 貴文が魔王の力を手にし、最初にうっかり冷蔵庫を発生させてしまってから数週間。その力を使いこなすための練習は未だに続いていた。

 異世界邸内の状況把握と転移は、コナタの補助があれば問題なく使いこなせる。異物を世界の外に捨てる能力も、今のところ支障はない。しかし領域内の修復――正確には閉鎖世界内の創造については難航していた。一応、一般的な材料と工具で修理できる程度の破損であればやや不格好ながらも修復できるようになってきた。しかしそれ以上の規模となると貴文は途端にポンコツだった。

「いや、マジでムズイんだよなあ。あの筋肉ダルマ毎回こんなことやってんの?」

「だからあんな技術料たけーんじゃん♪ そう考えると、いくら金払ってるとは言え日に何度もこんな山奥に呼び出されて嫌な顔されないってかなり大らかだよね☆ ヤクザのくせに♡」

 セシルの答えに貴文は無意識に胃の辺りを抑えた。異世界邸から流れ出た金があのヤクザに溜まり溜まっているという現実に眩暈がする。いつか地元術者から本気でお叱りを受けそうだ。

 しかしそんなことをぼやいても目の前の穴は塞がってくれない。貴文はせりあがってくる胃液を必死で飲み込みながらポケットからケータイを取り出した。

 と、その時。


 ばつん!


 耳慣れない異音と共に、邸内の照明が全て消えた。

「なんですの?」

「停電か?」

「珍しいにゃあ♪ ……あれ、そう言えばここの電気系統ってどうなってるん?」

 玄関ホールが真っ暗となったが、三人とも慌てず各々視力を底上げして対応する。すると奥の廊下の方からパタパタとサンダルで小走りする足音が聞こえ、しばらくするとパッと再び照明が灯った。

「すみません、ブレーカーが落ちたみたいです」

 そう声をかけてきたのは、割烹着姿の少女――那亜だった。既に風鈴家は店仕舞いしたらしく、いつもは結っている髪を下ろしていた。

「この邸、ブレーカーなんてあったんだ♪」

「当たり前だ。普通に送電線から電気引っ張ってきてるぞ」

「えー、なんかつまんねー♪」

「つまらなくて結構。てか、一応一通り見てくるか」

 そう呟き、貴文は自分の座標を移動させる。

 まず向かう場所は栞那の根城――医務室だ。

「先生? 遅くにすまん、さっきブレーカー落ちたけど大丈夫だったか?」

「ブレーカー?」

 と、夜も更けてきた頃合いだというのに、大きくなってきたお腹を抱えて白衣でカルテを整理していた栞那が首を傾げる。

「いや、気付かなかったが。医務室(ここ)は普通に電気は生きてたぞ?」

「え?」

 今度は貴文が首を傾げた。自分では確認したわけではないが、もしかしたら玄関周りのブレーカーだけ落ちたのだろうか。しかし風鈴家にいた那亜が気付いてブレーカーの様子を見に行ったということは、居住区画にも影響が及んだということのはず。

「……他のとこも見ておくか」

 栞那に労いの言葉をかけた後、貴文は再び転移する。

 今度は居住区画最上階の奥の部屋――ポンコツことTX-001の妹機の部屋だ。

「おーい、いるか?」

「ふわぁああ……なんスか、こんな時間に……もう寝るとこだったんスけど」

 欠伸をしながら顔を出したのは、体の一部が機械化された少女――TX-002。彼女は特段慌てた風もなく、突然訪ねてきた貴文に不満げな表情を浮かべた。

「悪い。さっきブレーカーが落ちたから、確認してた」

「ぶれぇかぁ? ふぁー……ちょっと待つっス」

 そう言ってTX-002は目の前にモニターを表示させ、何やら操作する。そしてやはり首を傾げ、貴文に答える。

「いや、確認したっスけど、特に非常電源が作動した形跡もないっスね。妹たちも正常にスリープ中っス」

「そうなのか? 医務室の先生も何ともなかったって言ってたんだが」

「そもそもこの邸の電気周りはあたしらが転がり込んできた時点でミス・フランチェスカが魔改造してたっス。そう簡単に落ちるようなやわな造りはしてないっスよ」

「あ、そうだミス・フランチェスカ! あいつが変な研究で落としたんじゃないだろうな!?」

「あー、ありえそうっスね。よっぽどやべーことしようとしてたから、あらかじめ電気落ちたらやべー医務室とあたしの部屋だけ別系統に弄り直してたのかも」

「そんな配慮できんならそもそもやるな!」

 怒号を飛ばし、挨拶もそこそこに今度はフランチェスカの研究室となっている部屋へと転移する。

 するとそこには、先ほど玄関ホールに集まっていたセシルとフォルミーカ、那亜が集まり――フォルミーカが大ぶりな純白の長剣を振りかぶり、がんがんと扉を切りつけていた。

「何してんだ!?」

「お、やっぱ管理人も来たんだ♪」

 けたけたと笑いながらセシルが首を竦める。

「管理人が行ってから、セシルちゃんたちもブレーカー落とすような問題児って誰だろーねーって話になってさ♪ そんで真っ先にフランちゃんが思い浮かんだんだけど、そしたら那亜さんが妙な事を言ってね☆」

「妙な事?」

「はい。あの、管理人さん――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「え?」

 問われ、貴文は困惑する。あのマッドサイエンティストならば毎朝のように邸を爆破(ちゅどん)させ、マジカルナース☆ユーキちゃんがキレながら後片付けをしていたはず。

 ……と、記憶を辿ったところで違和感を覚える。そう言えば貴文が自分でフランチェスカの後始末をしたのはいつだっただろうか。

「あれ。でも、ティアマトが来た辺りはいたよな?」

「それ結構前じゃん♪ と言いつつ、セシルちゃんも最近は邸の研究と管理人の練習で忙しくて、ここ数日は白衣女子会やってないから見かけてないんだけどね☆ 最後にやったのは一週間くらい前に栞那ちゃんが自分の異変に気付いたときかな♡」

「自分の異変?」

「おっと、その話はまた今度♪ ともかく、セシルちゃんがフランちゃんを見かけたのは一週間前だよ☆」

「それで、フランチェスカさんが最後に風鈴家にいらしたのは、私の記憶では五日ほど前だったと思います」

「五日……」

 流石にそれはただ事ではない。

 五日もの間、貴文含めて誰もフランチェスカを見かけていない。

 いつも朝は住人の目覚めと共にちゅどんすることが多く、流れ作業的に処理していた。普段ならばその中にフランチェスカが混ざるはずなのだが、意識しないといないことにも気付かなかった。


 ばきん!


「開きましたわ!」

 と、貴文たちが話している間もずっと長剣を振るっていたフォルミーカが声をあげた。見ると、重厚な金庫のような扉が力ずくで捩じられたように両断されていた。

「一体どういう素材を使ったら魔王武具を弾く扉なんてできるんですの!?」

「おつかれちゃん♪ でもわざわざ扉を壊さなくても、壁を斬ればえがったんでね?」

「そういうことは先におっしゃってください!?」

「まあ壁はセシルちゃんが魔術防壁貼ってたから同じか♪」

「堅牢すぎませんこと!?」

「フランチェスカさん! 大丈夫ですか!?」

 那亜が壊した扉から中に入り、室内を確認する。

 すると中は貴文が記憶していたよりも片付いていた。かつてこの部屋を訪れたときは怪しげな実験器具やら、触れただけで発火、爆発するような薬品が床に転がっていた気がする。それらは全部片付けられていた。

 いや、片付けられていたというと少し語弊がある。それらの薬品や実験器具がどこにもなかった。

 棚もテーブルも必要最低限の物だけ。中身も空っぽで、まるでそこに誰もいなかったかのように殺風景だった。

「フランチェスカさん?」

「おーい、ミス・フランチェスカ? ……フラーン?」

 貴文も中に入り、声を上げながら物色する。

 生活感のまるでない部屋の様相に、背筋に冷たいものを感じながら進む。

 そして隣の部屋へと移動する扉に近づいた時、ようやく物音が聞こえた。と言っても、それはブゥーンという、無機質な機械音だったが。

「おい、フランチェスカ?」

 扉を開く。

 鍵は掛かっておらず――中に、ネグリジェに白衣の栗毛の女の姿はなかった。

 ただ貴文が見たことのない、巨大な炉のような装置が鎮座していた。

 機械音はそこから発せられており、時折緑色のランプが点滅しているだけだった。

「なんだ、これ?」

 調べようにも、流石に貴文も触れるのが躊躇われた。何せ明らかにフランチェスカの発明品だ。下手に触るとちゅどんするのは確実だ。

 仕方なく、貴文は周囲を探す。なにかメモ書きか何か残っていないかと見渡すと、テーブルの上にこれ見よがしに分厚いチューブファイルが一冊だけ置かれていた。

 中を開くと、貴文が見たことのない言語――おそらく、フランチェスカの母国語――でびっしりと小難しそうなことや式が書き連ねられている。そしてファイルの後ろの方に分厚い封筒が挟まっており、中を開くと模造紙サイズの大きな紙が丁寧に折られ、収まっていた。

「なんだ? 図面?」

 開くと、目の前の炉の構造と思われる設計図だった。全体の構造図だけでなく、小さな部品に至るまで細かく記されており、図面だけでファイルの厚さの半分ほどの枚数になっている。

「管理人、なにか見つけたかにゃあ♪」

「セシル……」

 背後から現れたセシルに、見つけたファイルと図面を無言で渡す。

 彼女は受け取って中身を確認するが、途端に顔をしかめる。

「うわ、何書いてんのかわっかんね♪」

「お前でも無理なのか」

「管理人がセシルちゃんをどう思ってんのか知らねーけど、流石に異世界語の設計図と論文なんて読めるわけないじゃん♪ なんにせよまずは翻訳からしないとだけど……それはどっちかっつーと三毛ちゃんの分野じゃないかね☆」

「あー。待ってろ、今叩き起こしてくる」

 言うが早いかと、貴文は転移する。

 そして自室で惰眠を貪っていた半獣の少女の首根っこを掴み、フランチェスカの研究室へと戻ってくる。

「……管理人は猫遣いが荒いにゃ」

「いいからさっさと翻訳しろ」

「にゃあ……」

「はい、三毛さん。ホットミルクいれてきましたよ」

「……ぬるめ?」

「人肌です」

「頑張るにゃあ」

 と、一度風鈴家に戻っていたらしい那亜が温めたミルクを三毛に差し出した。それを受け取り、仕方ないにゃあと鳴きながら三毛は椅子に腰かけ、端末片手にファイルと睨めっこを始める。

「うわ、専門用語ばっかりにゃ。えーと、これは『移動』……『輸送』? いや、『転移』かにゃ?」

「ねえ、フォルちゃんちょっといいかい?」

「なんですの?」

 と、その様子を興味なさげに眺めていたフォルミーカをセシルが手招きする。セシルはファイルから抜き取った図面を何枚か開いて中身を見せた。

「ここ、この線なんだけど、見覚えない?」

「これが何だというんですの? 言っておきますけども、わたくしもこちらの分野はちんぷんかんぷんですわよ?」

「大丈夫大丈夫……んで、この線がたぶん装置のキモになる中枢回路だと思うんだけどさ……なんか見えてこない?」

「えぇ? ……うーん、ここがこうなって、ここに繋がって、それで……え?」

 と、フォルミーカも何かに気付いたらしく、無言で図面を読み解く。

 いったい何が起きているのかと貴文が身構えている間に、三毛が顔を上げる。

「にゃあ。とりあえずタイトルと序章はなんとなく訳せたにゃ。本文は流石に専門知識が必要になりそうにゃから今すぐは無理にゃ」

「あ、ああ。それでいい。それで、何て書いてあるんだ?」


「『魔力の科学的な仮説定義及び代替エネルギーを活用した異世界転移理論』にゃ」


「え……?」

 三毛の言葉が一瞬貴文の耳を素通りしかける。

 内容が理解できなかったからではない。その内容を、心のどこかが受け止められなかった。

「管理人、こっちもビンゴですわ」

 しかし追い打ちをかけるように、フォルミーカが声を上げる。

「図面から読み解ける範囲ですが、この巨大な装置に組まれている回路は異世界転移に用いられる魔術の式と酷似していますわ」

「…………」

 開いた口が塞がらない。

 貴文は呆然と、部屋に鎮座する炉のような装置を見上げる。

 これが、異世界へと繋がる扉だというのか。それも魔力に一切頼らない、科学的な。


 がたっ


「にゃん!?」

 三毛が間抜けな声を上げて椅子から転げ落ちる。見ればセシルが三毛から椅子を奪い、炉の真正面に移動させて腰かけていた。

「セシ――」

「管理人、ちょっと一人にさせて」

 普段のふざけた口調は鳴りを潜め、セシルはただじっと、静かに唸り声をあげ続ける炉を見つめる。

「……ああ。先生は、呼んでこなくていいか?」

「うん。夜も遅いしね。……あー、でも、うん。セシルちゃんが自分で呼ぶからいいよ」

「分かった。フォルミーカ、那亜さん、三毛。戻ろう」

「え、ええ」

「……にゃ」

「はい。……あの、セシルさん! 私は下にいますから、何かあったら声をかけてください。その、簡単なお夜食なら作れますから」

「ん。ありがと」

 力なくセシルが手を振る。

 それを心配そうに見つめながら、那亜は貴文たちに連れられて部屋を後にした。



          * * *



「……『魔力というエネルギーを、地殻変動の際に生じる余剰エネルギー、もしくは生命維持の際に放出される余剰な熱エネルギーと仮定』……中略……『魔術師と呼ばれる職業、もしくは魔王と呼ばれる種が世界と世界を繋ぐ際の術式を分解、解析する』……中略……『異世界転移術式を科学的な方式に転換』……中略……『やはりエネルギー効率に関しては、魔術分野における異世界転移と比較すると格段に劣る。しかし莫大なエネルギーさえ確保できれば理論上は可能』……中略……『魔術における儀式的な行為を不要として、仮設計からは削除していた。しかしこれにも意味があると仮定し、こちらも方式化』……中略……『成功。やはり古来より連綿と引き継がれてきたものに無駄なものはなかったようだ。儀式方式を実装することで動作が軽量化された』……中略……『以下に転移装置の構造を示す』……」

 ぱたんとファイルを閉じ、セシルは膝の上に乗せる。三毛から借りた端末の画面も一度オフにする。

 その表情は笑みの体を取ってはいるが、どこか歪で、力が感じられない。

「はあ、すげえなーフランちゃん……本当に魔術もなしに異世界転移しちゃったぜ♪」

「セシル」

 と、声がかかる。振り返ると、白衣を羽織った栞那が立っていた。

「……お、栞那ちゃんいらはーい♪ ねえ見て見てフランちゃんの研究書☆ マジでスゲーんだぜ、魔術師目線からしても目から鱗な理論だぜ♡」

「……セシル」

「これはこっちも負けてらんねーな♪ セシルちゃんも早いとこあの魔導書の解析進めて、ついでにこの邸の謎も解明して……いやぁん、いくら時間があっても足りねぇぜ☆ もうちょっと寿命弄っちゃおうか――」

「セシル!」

 栞那が肩を掴む。

 その時になって、セシルは自分の体が震えていることに気付いた。そろそろ秋も過ぎ去り冬の気配も漂ってきた時分に、耐寒魔術もかけず薄着でずっと研究書を読みふけっていたらしい。

「……ああ、ごめんごめん♪ 栞那ちゃんも寒いでしょ☆ 待って、今暖かくなる魔術を――」

「違う。……違うんだ、セシル。お前のそれは、寒さじゃないだろう」

「…………」

 発動直前まで練り上げた魔術が停止し、魔力となって霧散した。

 だらりと腕が弛緩し、肩から力なくぶら下がる。

「……大丈夫だ。ここには、あたしらしかいない」

「……っ」

 立ち上がり、ゆっくりと振り返る。そして栞那の大きくなってきたお腹に額をそっと押し付けると、全身の魔方陣が栞那と、そこに宿る二つの命を感知した。

 周囲には誰もない。

「フランちゃん、言ってたよな……魔術に頼らず、自力で生まれた世界に帰ってみせるって……」

「ああ……」

「そんでホントにやりやがったよ、あのマッド……すげえよなあ……」

「ああ……」

「でもさあ……!」

 セシルの声に震えと、水気が混じる。


「帰る前に一言くらいあってもいいじゃんよお……!」


「……ああ」

 栞那は静かにセシルの髪を撫でた。



          * * *



 数日が経っても、フランチェスカは帰ってこなかった。

 今日も彼女のいた部屋では、炉のような巨大な装置が最低限の通電で維持され、低い唸り声をあげている。

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