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異世界アパート『異世界邸』の日常  作者: カオスを愛する有志一同
続・ふたたび日常
136/175

ドラゴンの母【Part夙】

「……どうしたもんか」

 異世界邸の管理人――伊藤貴文は管理人室の机の上に置かれた『それ』を眺めつつ頭を悩ませていた。

 ルビーのような深い緋色をした卵形の……というか、卵そのものである。ただの卵ではないことは色を見れば明らかだが、鋼よりも硬質で大きさもダチョウの卵の二倍はある。

 ドラゴンの卵、らしい。無精卵だが。

 この卵はカーラが手土産として持って来てウィリアムが受け取り、鍛冶師のノッカーに預けられていた。見た目や質感は『卵の形をした宝石』と言っても過言ではないため、きちんと加工すれば超一級の装飾品になっていただろう。

 だが――

「あのノッカーさんが匙を投げたものを俺に渡されても困るんだが……」

 この卵は、硬すぎたのだ。ノッカーさんが手持ちの工具でどれだけ加工を試みても傷一つつかなかったらしい。貰った当初はそうでもなかったようだが、完成品の図面を引いていた数日間でガッチガチに変化してしまったという話だ。

 それだけじゃない。無精卵だったはずなのに、時折ドクンドクンと脈動らしき音が聞こえてくる。完全に生まれてきそうな流れに頭痛を覚える貴文だった。

 ただの無精卵だった卵がどうして変わってしまったのか?

 考えられることとすれば、一つ。


 ちゅどぉおおおおおおおおん!!


異世界邸(うち)の環境だろうなぁ」

 毎日毎時毎分のように反省もせずやらかす問題児たちのせいで、この邸は魔力の流れどころか時間の流れすらややこしくトチ狂ってしまっている。幸い貴文たち大人はそこまで問題になっていないが、周囲の影響を受け易い赤子や、まして卵なんてどうなってしまうか未知数だ。

 グリメルの時は魔王だから特別だと思っていた。だが、よくよく考えればそれでもあの急成長はおかしい。こののが赤子の時は……今よりずっと平和だった。

 原因を考えても仕方がない。目下の問題は、卵が孵化するかもしれない点だ。

「――というわけで、仮にも同じドラゴンならなんかアドバイス寄越せ」

「話が見えんのだが!?」

 貴文は頭であれやこれや考えている間、体はいつものように暴れていたトカゲとポンコツをボッコボコに制圧していた。そしてポンコツはきったねえトイレにぶち込み、トカゲだけを管理人室に引きずってきたのだ。

「このドラゴンの卵が孵りそうなんだが、どうすればいい?」

「知らねえよ!? 卵なんて育てたことねえし、それどころか彼女いない歴=年齢――って悲しくなること言わせんじゃねえ!?」

「お前が勝手に口を滑らしただけだろうが」

「そもそも、俺は竜人(ドラゴニュート)だ。子供は卵じゃなくて、お前ら人間みたいに母親の腹ん中である程度育ってから生まれてくんだよ」

 こいつ胎生だったのか、と今さらどうでもいい知識に懐かしのへぇボタンがあったら押したくなる貴文だった。

「はぁ、使えねえならトイレにぶち込んどくか」

「え? ちょ、ま、俺一回ボコられたのになんで竹串構えてぎゃあああああああああああああああああッ!?」

 貴文はトカゲの意識を刈り取ると、ポンコツと同じトイレの個室に詰め込んだ。狭い個室にぎゅうぎゅう詰めとなった二人の呻き声を背に、再び管理人室へと戻って椅子の背凭れに全力で体を預ける。

「赤ちゃんなら那亜さんに預けることが正解か? でも、ドラゴンだからなぁ」

 動物も守備範囲だったら彼女の方からとっくになにか言ってきているだろう。ウィリアムもそれをわかっているから貴文にしか卵を預けられなかったのだ。


「話は聞かせてもらったぞ♪ その卵の扱いに困っているようだね、管理人君☆」


 ドバン! と勢いよく扉が開いて刺青だらけの怪しい女が現れた。

「セシル? ああ、そうか。お前ならドラゴンについていろいろ詳しそうだな」

 セシル・ラピッドは異世界邸に住む魔術師だ。魔術師はドラゴンのような幻獣と契約を交わし、使役することがある。切っても切れない関係と言っていい。そんな彼女がこのタイミングで現れたということは、貴文にとって有益な情報を持って来てくれたに違いない。

「いんや、セシルちゃんはドラゴンの生態なんて門外漢だぜ♪」

「なにしに来たんだよ!?」

 そんなことはなかった。

「伝手があるってはーなーし♪ ほら、セシルちゃんこれでも顔広い方だから☆ 裏ルートで『連盟』の協力者にちょちょいと連絡とって手配してもらうくらい簡単なのさ♡」

「手配? なにを?」

 気のせいか、また邸に厄介な問題児が増えるような悪寒を貴文は覚えた。そんな貴文の不安を見透かすような笑みを浮かべ、セシルは楽しそうに口を開く。


「ドラゴンのことは、ちゃんとしたドラゴンに聞くのが一番ってことさ♪」


        ***


 数日後の午前中。

 雲一つない青空が突如として遮られ、異世界邸に巨大な影を落とした。それだけであれば貴文は気にも留めなかっただろうが、同時に出現したとてつもない魔力の気配に慌てて邸から飛び出す。

「なんだなにが起こって……なっ!?」

 他の住人たちもぞろぞろと集まってくる中、空を見上げた貴文は絶句した。


 超巨大な竜が異世界邸上空に浮かんでいたのだ。


 いや、『竜』と呼ぶには些か語弊があるかもしれない。頭には二本の禍々しい角、爬虫類のような分厚い鱗に覆われ、巨大な尻尾と翼を生やしているが、上半身は人間の女性に近い姿形をしている。

 全体的に乳白色で神々しい。魔王とはまた別種の、そこに在るだけで平伏してしまいそうな威圧感を放っている。

「敵襲か!? くそっ、百鬼夜行が終わったばっかだってのに!?」

 異世界邸のある山は結界で覆われている。だが、破壊されるどころか奴の侵入になんの反応も示さなかった。奴はどこからどうやって入ってきたのか?

 というか、ただひっそりと平穏に暮らしているだけの異世界邸にどうしてこうも敵が襲いかかってくるのか? フォルミーカの辺りから超常的な意志に運命的ななにかを捻じ曲げられているような気がしてならない。全部連鎖的に繋がっている必然だとしても、どこか異常だ。

「落ち着きなって、管理人君♪ アレは敵じゃないぞ☆ 言ったでしょ? ドラゴンのことはドラゴンに聞くのが一番だって♡」

 竹串を構える貴文を、ニヤニヤとした笑みを浮かべるセシルが諫めた。

「ああ? じゃあ、あいつはお前が呼んだ客ってことか?」

「そゆこと♪ まあ、流石のセシルちゃんもまさかあんな『大物』を寄越してくるなんて思ってもなかったけどね☆ でもそっか、アレなら確かに最適任だぜ♡」

 正規の手続きを踏んでいるのであれば結界は素通りできる。見た目こそ凶悪だが、客だとわかれば敵意がないことも感じられた。

 とはいえ、あんな巨大な存在は邸に入らないどころじゃない。庭にだって降り立つことはできないだろう。

 そう貴文が思っていると、女型の巨竜がいきなり神々しい光に包まれた。光は段々と縮小しながら降下し、貴文の目の前まで来た時には人間大まで縮んでいた。

 光が弾ける。

 そこから、どう見ても十代半ばとしか思えない美少女が姿を現した。

「人化したのか」

 強力な幻獣は人の姿を取ることもできると聞いたことがある。輝くような銀髪をお団子ツインテールに結い、そのお団子を突き破るようにして竜の角が生えている。全てを見透かしていそうな赤紫色の瞳がざわつく住民たちをざっと見回すと、彼女はフスンと鼻息を吹いたドヤ顔で腰に手を当てた。


「妾はティアマト! 幻獣界における全ての神と竜の母なのだわ!」


「ティア……え?」

 自信に満ち溢れた声で名乗りを上げた少女だったが、その内容はぶっ飛びすぎていて貴文の理解が追いつかなかった。


 ――幻獣ティアマト。

 世界最古にして神話の太祖――メソポタミア文明はバビロニア神話における創世物語『エヌマ・エリシュ』に登場する原初の女神。『ティアマト』という名は『苦い水』を意味し、即ち〝海〟の象徴。彼女が『甘い水』の男神――アプスーと交じり合うことで他の神々が誕生。アプスーを殺されて怒り狂ったことで様々な怪物(ドラゴン)を生み出し、神々と戦争した後に英雄神の手によって敗北。


「うおあっ!? なんかいきなり頭に知識が!?」

「……説明。此方が邸の蔵書から該当情報を抽出。魔力を通して其方の脳に直接送信」

 貴文の背後から半透明の少女がぬっと現れた。

「コナタ!? いたのか!?」

「……是」

 こくりと頷く少女。幽霊に見えるが、その正体は異世界邸そのものの意識体だ。邸の中にある本の内容くらいすぐに検索できても不思議はない。でも、いきなり現れるのはビックリするからやめてほしい。マジで。

「ここが異世界邸で間違いないのだわ? 管理人とやらは誰なのだわ?」

 日本語が不慣れなのか、妙な語尾でそう問いかける銀髪ドラゴン少女――ティアマトに、貴文は一歩前に出て答える。

「俺が管理人だ」

「ほう、名はなんというのだわ?」

「伊藤貴文」

「タカフミ……うむ、覚えたのだわ。では、さっそく契約するのだわ」

 すっと右手を差し出すティアマト。唐突すぎてまだ状況についていけていない貴文は眉を顰めるが――

「契約? ああ、そういうことか。ちょっと待っててくれ」

「?」

 言うと、貴文はダッシュで一度邸の中へと戻った。それから数枚の用紙を抱えて戻ってくると、手を差し出したままだったティアマトに渡す。

 ティアマトはキョトンとした顔で用紙を見やった。

「なんなのだわ、この紙束は?」

「え? 賃貸借契約書とか諸々の必要書類だけど?」

「違うのだわ!? いや、確かに部屋は借りるつもりではいるのだわ。でも、妾が言ったのは幻獣契約の方なのだわ!?」

「……話が見えないんだが?」

 書類を地面に叩きつけるティアマトに貴文が混乱していると、後ろで笑いを堪えていたらしいセシルが説明する。

「幻獣っていう存在はその名の通り、この世界では放っておくと幻のように消えてしまうんだなー♪ だーかーらー、普通は魔術師と契約して魔力を供給してもらって消滅しないようにするのさ☆」

「それは一応知ってるが、なんで俺と幻獣契約する必要がある? いきなりすぎね?」

 置いてけぼりをくらってるのは貴文だけでなく、他の住人たちも意味がわからない様子でざわついている。全てを理解しているのはやってきたティアマトと、手配したセシルだけだ。

 ティアマトはセシルを一瞥すると、はぁと深い溜息を吐いた。

「管理人のくせになにも聞いてないのだわ? 妾はこの邸にある『卵』の面倒を見るように言われて来たのだわ。母なる竜である妾にとって、どの世界の竜であろうと我が子も同然。二つ返事でオーケーしたのだけれど、妾は基本的に幻獣界で暮らしておったから契約者などいないのだわ。この邸に長く留まることになる以上、消滅を防ぐために契約を交わさないといけないのだわ」

「その辺の説明がごっそり抜けてんだよ、俺は」

「セシルちゃんもあのおっさんから『未契約のドラゴンが行くから後はそっちでいいようにしてちょ』としか聞いてないなぁ♪」

「聞いてんじゃねえか!?」

 その連絡がいつ来たのか知らないが、セシルのことだから絶対にわざと黙っていたのだろう。だってあたふたする貴文を見て顔がニヤッニヤしているから。

「てか、普通は魔術師と契約するんだろ? だったらセシルがやればいいんじゃないか?」

「そりゃ無理ゲーだな♪ セシルちゃんはティアマトなんていう神クラスの存在を留められるほど馬鹿みたいな魔力量してないんだぞ☆ でーもー、魔王になってる今の管理人君なら余裕余裕♡(まあいくらでもやりようはあるけど面倒だし♪)」

「今小声でなんか言わなかった?」

「言ってなーい♪」

 サッと目を逸らすセシル。本当は契約できるのに貴文に押しつけている気がしてならない。たぶん、この悪寒は当たっている。

 と、ティアマトが貴文の服の裾を掴み、上目遣いで見上げてきた。

(アプスー)に先立たれた未亡人の妾では、嫌なのだわ?」

「待って言い方!?」

 こんな大勢が見ている前でなんという台詞を言うのだろう。もし今のを神久夜に聞かれでもしたら――

「……浮気の臭いがしたのじゃ」

「神久夜さんこれはそういうのとは全然違うっていうか俺の腰はそっち側に捻っても回りまゴぎゃあああああああああああああッ!?」

 貴文の残機が一つ減ることになるのは自明の理だった。

「冗談なのだわ。アプスーと契っていたのは原初の妾。今はもう何度も転生を繰り返しておるから全くの別竜なのだわ。ピッチピチの若い娘だから安心して契るといいのだわ」

 今日日『ピッチピチ』なんていう言葉は魚以外で聞いたことがない貴文。

「……不倫の臭いがしたのじゃ」

「だから違うって神久夜さんこれそういう話じゃなくて俺の首は九十度以上曲がりまアーーーーーーーーーーーッ!?」

 妻に二度殺されかけた貴文は、這々の体でティアマトの前へと戻ってくる。目の前で腰や首があり得ない方向に曲がったのに生きている貴文を見てティアマトはぎょっとしていた。

「と、とりあえず、幻獣契約ってなにをすれば……?」

「砂糖水なのだわ」

「へ?」

 また、意味のわからないことを言われた。

「『甘い水』を妾に寄越すのだわ。妾からは『苦い水』……来る途中の海で汲んできた塩水を渡すから、それを飲むだけでいいのだわ」

 なるほど、神話になぞられた儀式をすることで契約が結ばれるということらしい。お手軽だが、一つ懸念点がある。

「俺だけ生の海水きつくない? 衛生面も塩分濃度も最悪だ。知ってるか? 魔王でも腹は壊すらしいぞ? てか『甘い水』って淡水のことだろ」

「砂糖を入れた方が妾の好みなのだわ」

「ただの甘党だった!?」

 それなら貴文の塩水もスープかなにかにできるはずだ。貴文はさっそく那亜に頼んで砂糖水と、今朝の残り物の味噌汁を持って来てもらった。

 ティアマトは不服そうに自分が汲んできた塩水を呑ませたい様子だったが、どうにか説得してお互い同時に飲み干す。

「これで契約完了……でいいのか? よろしく頼むぞ」

「こちらこそ、よろしくなのだわ」

 体感としてはあまり変わった感じはしない。だが、確かに貴文とティアマトの間に魔力的な繋がりができている。無事に成功したと思っていいだろう。

 また厄介そうな新しい住人が増えたが、今回に関しては必要なことだったので文句は言わない。

 これからも大変になりそうだ。

 で、終わらせてくれないのが異世界邸である。


「貴文様、もうよろしいですか?」


 ティアマトを邸に案内しようとした時、ギャラリーとして見守っていた住人たちの中から蒼銀の髪をしたドレスアーマーの少女が歩み寄ってきた。

「ルーネ? なんか俺に用があるのか? 戦い以外で」

 戦乙女のジークルーネ。ドがつくほどのバトルマニアであり、なにかにつけて貴文や他の住人に戦いを挑む問題児の一人だ。嫌な予感しかしない。

「えへへ、もちろん貴文様とも戦いたいですけど、今はそちらの新顔と刃を交えてみたいですね。全ての神と竜の母。どれほどの実力なのでしょう? えへへ、えへへへ♪」

 殺気でも敵意でもない。純粋に『戦ってみたい』という戦意を向けられたティアマトは、影を落とした迫力ある表情でジークルーネを睨んだ。

「……この感じ、貴様は半神なのだわ? フン、戦乙女ごときがこの妾に戦いを挑む気とは片腹痛いのだわ。やめておけ、なのだわ。妾は戦いが好きではないのだわ」

「そちらの好悪は関係ありませんね! 私が大好きなんです!」

「おい、やめろってルーネ! また邸を壊す気――」

 

 ――ぴぇええええなにこの戦乙女おっかないのだわ!?


 最初に見たティアマトの本来の姿を思い出して戦慄する貴文だったが、唐突に脳裏に響いて来た叫び声に思考が停止した。

「は?」

 今の声はティアマトのものだった。彼女見るが、今も変わらず尊大な態度でふんぞり返ってジークルーネと睨み合っている。

 ――ひえ、よくよく見たらこの邸の連中おかしいのだわ!? 化物指数が、BakeMonoIndexが、BMIが高すぎるのだわ!? な、ななななんで妾こんなとこに来ちゃったのだわぁあああッ!?

 貴文にだけ聞こえているようだが、幻聴ではない。慌てふためいて狼狽しているティアマトの声がハッキリと聞こえる。

「なんだこの声……ティアマトなのか?」

「……説明。それも其方に発現した魔王の権能の一つ。魔力的に繋がった住人を眷属と看做し、その強い心の声を聞くことが可能。先程、此方が幻獣ティアマトの情報を送信した時と同じ理屈」

「え? じゃあこれあいつの本心ってこと!?」

「……是」

 こちらからの声は届いてない模様。一方通行でティアマトの心の声が聞こえるようになったということだ。

 あんなに余裕綽々としているのに、それがただの仮面だったとは驚きである。

「半神とはいえ、妾にまた神を殺させるつもりなのだわ?」

 ――やだやだやだ本当に戦いは嫌いなのだわ!? 原初の時代でもうこりごりなのだわ!? もう英雄神(マルドゥーク)に殺されるのは嫌ぁあああああああッ!?

「えへへ、そんな目で見詰めないでくださいよ。興奮しちゃうじゃないですか♠」

「フン、身の程を知れなのだわ」

 ――うわぁあああああああああ戦る気満々なのだわ!? もう帰る? 帰っちゃうのだわ? でもこの邸には我が子が……誰か、誰か助けてくれなのだわぁああああああッ!?

「ストップストップ!? ルーネ、ティアマトはたぶん長旅で疲れてるから本気を出せないはずだ。だからえーと、あーくそっ! 仕方ないから今日は俺が戦ってやるよ!」

 流石に聞いていられなくなった貴文は二人の間に割ってはいた。

「本当ですか! えへへ、ではさっそくルールなしの真剣勝負(せかい)で戦りましょう!」

 しまった、と口を滑らせたことを後悔する貴文だったがもう遅い。大鎌を構えたジークルーネが狂気的な笑みを浮かべて襲いかかってきたのだ。

 結局、貴文がジークルーネから解放されたのは正午を大きく回ってからだった。


        ***


「なるほど、これが聞いていた卵なのだわ」

 貴文を待っている間に風鈴家で昼食を済ませたのだろう、口元にパスタのミートソースをつけたティアマトが管理人室に安置されていた卵に指で触れた。

「どうだ? このまま放置してても問題なさそうか?」

「問題なく生まれるとは思うのだわ。竜の卵は鶏のように温めるのではなく、周囲の魔力を吸って成長するのだわ。でも……」

 卵をそっと撫でるティアマトが険しい顔をする。

「無精卵の場合は存在が不安定になるのだわ。この邸は様々な魔力が混ざり合っていて、だいぶ……いや、かなり変異してしまっているのだわ。もう普通の飛竜が生まれてくることはないのだわ」

「ど、どうなるって言うんだ?」

 恐る恐る訊ねる貴文。これ以上異世界邸に問題を積まないでほしいと切に願うが、きっと叶わないのだろうと覚悟も決める。

「良き魔力を浴び続ければ聖竜に、悪しき魔力を浴び続ければ邪竜になるのだわ」

 それなら少なくとも邪竜にはならないだろう。やべー奴らが多いし元魔王なんかもいるが、基本的にはいい奴らばかりなのだ。せいぜい生まれてくる竜が問題児になるくら――

 ――変態の魔力を浴びれば痴竜になるけれど、まあ、そんなことは普通ないから言わなくてもいいのだわ。

「エティスを捕らえろ!? 異世界邸の総力を持ってダンジョンの最下層に封印するんだ!?」

「急にどうしたのだわ!?」

「悪い、絶対に卵に近づけちゃダメな奴が一人いたもんだから」

 貴文の大声に一瞬「ぴえっ」と泣きそうな顔になっていたティアマトだったが(心の中ではめっちゃ泣いていた)、すぐに表情を取り繕って大事そうに卵を抱っこする。

「安心するといいのだわ、管理人。妾はこの卵の面倒を見るために来たのだわ。妾が常に肌身離さず抱いておれば、これ以上他の魔力に影響されることはないのだわ」

「そうか、それなら助かるが……気をつけてくれ。この邸は問題児ばかりだから」

「フン、妾を誰だと思っているのだわ? 原初の竜、ティアマトなのだわ」

 ――え? 普通に暮らすだけでさっきみたいに絡まれるのだわ? あの戦乙女以外にも化物指数(BMI)が高い人たちが襲ってくるのだわ?

「ちなみに、より安全を求めるのなら妾が邸の外に卵を持ち出すことも……」

「悪いが、それはできない。異世界から来た物を外に出すには中に入る時よりも大変な手続きが必要なんだ。特に、ドラゴンの卵とかいういろんな意味で危険な物なんて絶対認められないぞ」

 卵自体の危険度もある。が、それよりも各方面から悪い奴らが卵を狙ってやってくる可能性の方が怖い。なにに利用されるかわかったもんじゃない物を外に出すなど、貴文もできれば避けたかった。

「よし、方針は決まったな。当面はティアマトが卵を管理して、問題児たち(の魔力)から守ってやること」

「妾には容易いことなのだわ」

 ――化物たちが卵を狙って来るのだわ!? わ、わわわわ妾が我が子を守らねばばばばば!? でもあんな戦闘狂に絡まれるのは嫌なのだわ!? ぴえん!?

 不安すぎる。

「これがお前の部屋の鍵だ。一応、よく爆発して吹っ飛ぶところは避けているから」

「承知なのだわ」

 ――爆発して吹っ飛ぶってどういうことなのだわ!? この邸には地雷でも埋まっているのだわ!?

 表情とは裏腹に心の声が悲惨なことになってしまっているが、他の住人たちには卵についてよく言い聞かせたから大丈夫だと思いたい貴文である。

「そうなのだわ、管理人」

 と、管理人室を出る前にティアマトが思い出したように振り返った。

「この卵、そこまで危険視しているのに処分しようとは思わないのだわ?」

「……あー、その発想はなかったな。ただの無精卵なら殻を加工するつもりだったが、今はもう話が違う」

「ほう?」

「生まれてくる命に、罪はないだろ?」

 告げると、ティアマトは驚いたように目を見開いた。それからふっと柔らかい笑みを浮かべると、貴文に背を向けて扉を開いた。

「人間にしてはわかっているのだわ」

 ――ん? 人間? 管理人は人間なのだわ? いやでも契約できたし、気配も人間っぽいし……あれでも魔力が普通じゃないしやっぱり人間にしてはおかしいしそう言えば魔王だって言っていたような!? 管理人が一番化物指数(BMI)が化物なのだわ!?

 扉を閉めても心の声はバッチリ聞こえている。「誰が化物だ!?」と一昔前の自分なら言い返していただろうが、非常に残念ながら今は否定できない。

 ティアマトが管理人室を離れていく気配を認めてから、貴文は執務机と向き合った。

「さてと、卵問題はひとまず解決したし、通常業務に戻って書類整理でもするか」

 ――ぴぇ!? なんか同じ顔した犬耳少女が茂みからたくさん湧いてくるのだわ!?

「今月の修理代は……うっ、多少自分でも直せるようになったとはいえこれは……」

 ――あの白い人なんで柱を食べているのだわ!? 怖い!?

「この備品は在庫が少なくなっていたはず。あとで誘薙さんに注文して……」

 ――魔法少女がいたのだわ!? 今一瞬だけ魔法少女がいたのだわ!?

「そういえば風呂のボイラーの調子が悪かったな。後で見に行くか」

 ――ぴぇええええええええ廊下を歩いてただけなのに突然部屋が爆発したのだわ!? この煙は……うっ、毒!? 効かないけど苦しいのだわ!?

「やることが、多い……アリスが有休取ってるからなおさら多い」

 ――なんか恥ずかしい格好した羊頭の女が追いかけてくるのだわぁああああああああッ!?

「えーと次は……」

 ――だわ!? ――だわ!? ――だわ!?  ――だわ!?

  ――だわ!?   ――だわ!?    ――だわ!?  ――だわ!?

 ――だわ!?   ――だわ!?   ――だわ!?  ――だわ!?  ――だわ!?

――だわわ!?  ――だわ!?   ――だわん!? ――だわ!?

       ――だわ!?   ――だわーッ!?  ――だわわわ!? ――だわ!?


 ――だわぁあああああああああああああああああああああああああああッ!?

「うるせぇええええええええええええええええええええええええええええッ!?」


 これ以上は流石にスルーできず、貴文は頭を抱えて勢いよく天井に向かって咆えた。

「心の声でかすぎんだろあいつ!?」

 いや、わかっている。悪いのは異世界邸の問題児たちだ。ティアマトはなにも悪くない。普通の感性の持ち主なら悲鳴を上げまくるのも理解できる。

 今もまたジークルーネにバトルを迫られているようだが、流石にそろそろ助けに行った方がいいだろうか?

「てか、頭の中で四六時中こんな叫ばれてたら仕事にならんぞ。どうにかならんもんか……」

「……回答。権能が拾う心の声のボリュームは調整可能」

 執務机の下からぬぬっと半透明の少女が顔を出した。

「どわっ!? なんでそんなとこから出て来るんだよ!?」

「……回答。イトータカフミの反応が愉快」

「いい性格してるな邸の意識なのに!?」

 コナタの表情は微塵も動かないからなにを考えているのかわからない。彼女とも魔力的に繋がっているはずだが、心の声も聞いたことがなかった。ボリュームを調整できると言ったから、普段はデフォルト以下なのかもしれない。

「とりあえず、調整方法を教えてくれ。ミュートにできれば一番だけど」

「……了解」

 ――この半神、いい加減しつこいのだわ!?


 どんがらがっしゃぁあああああああああああん!!


 ティアマトのブチ切れた心の声が聞こえたと思った途端、管理人室の壁を突き破ってなにかが飛び込んできた。

「なんだ!?」

 埃や書類が宙を舞う中、ジークルーネが反対側の壁に減り込んでぐったりしている。穴の開いた廊下の方を見やると、両目を吊り上げたティアマトが卵を抱えていない方の拳を握っていた。

 殴り飛ばした? あのジークルーネを?

 いや、そこは問題ではない。心の声は情けないが、原初の竜であるティアマトならそのくらいやってのけても不思議はないのだ。


 問題は、彼女が()()()()()()()()()()()()ことである。


 難攻不落。絶対保護。魔王や瘴り神の襲撃に遭おうとも傷一つつかなかった管理人室に、穴を開けられた。それがどれほどのパワーなのか語るまでもあるまい。

 ふしゅーと呼吸と共に怒気を吐き出したティアマトが、貴文を見て深々と頭を下げた。

「邸に穴を開けて済まないのだわ、管理人」

「あ、ああ、それはいい、いやよくないんだが……とりあえず、早く逃げた方がいいぞ」

「え?」

 あの駄ルキリーが一撃でやられることはまずない。こんな力を見せてしまえばどうなるか、貴文は嫌というほど見てきたのだ。

 ボコリ、と壁に埋まっていたジークルーネが出てくる。

「イイ!! 凄くイイですよ!! その瞳!! その闘気!! そのパワー!! ああ、もっともっと戦いたい!!!!」

 目をギラギラと輝かせ、幽鬼のようにゆらりと立つジークルーネに――

「ぴ」


 ――ぴぇええええええええええええええええええええッ!?

「ぴぇええええええええええええええええええええええッ!?」


 もはや心の声と同じ悲鳴を上げながらティアマトは一目散に廊下を突っ走っていくのだった。貴文は追いかけようとするジークルーネに足を駆けて転ばせる。

 駄ルキリーの両手両足を縛りながら、管理人室の穴を見る。

「問題児どもよりは良識あるけど、これはちょっと対応を考えた方がいいかもしれないな……」

 これでドラゴンの子供まで孵ってしまったらどうなるのか、想像しただけで胃が痛くなってきた貴文だった。


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