たまご【part山】
「へえ、そんなことがあったのね」
「左様にございます。いやはや、あれは異世界邸の長い歴史においても指折りの事件でございましたなあ」
異世界邸食事処・風鈴家。
昼時を過ぎて客もまばらになってきたその一角で、怪盗執事ウィリアムの対面で大盛のラーメンとチャーハンセットをもりもりと食べる少女がいた。
重厚さよりも機動性を重視しつつ、決して堅牢さを損なわない加護を有した白銀に輝く軽鎧。天を貫く山峰よりも高い空を駆けることでほんのりと赤く焼けた頬——豊穣世界ベーレンブルスの勇者・竜騎士カーラ。
彼女は白蟻の魔王フォルミーカによって滅亡一歩手前まで荒廃した世界の復興を急ぐため、これまでも何度か冷蔵庫を潜り、異世界邸まで物資の補給に来ていた。
「今回ベルを鳴らしても全然反応がなかったから、壊れちゃったのかと思ったわ」
「ほっほっほ、申し訳ありません。なにぶん私めもこのとおり絶対安静でございましたから」
言いながらウィリアムは未だ包帯の解けない手のひらを見せながら笑う。それを見てカーラはバツが悪そうに少しうつむいた。
「ごめんなさい、そういうつもりじゃ……」
「いえいえお気になさらず」
「私も何か手伝えたら良かったんだけど」
「いやあ、なにせ急な襲撃でしたからなあ。まあこの邸において急でないことなど——」
ちゅどおおおおおおおおおおん!!
「——ありませんがねえ」
「相変わらずのようね」
ズルズルとラーメンをすすりながらカーラが天井を見上げる。上の方の階からいつもの爆発が聞こえてきた。一時はカーラも身を寄せていたため慣れたものだ。これくらいの爆発音なら避難はいらないだろう。聞く話によると管理人が完全に人間をやめたらしいし。
「それにカーラ様はベーレンブルスの復興に傾注された方がよろしいかと」
「まあそうなんだけどね……でも貰いっぱなしっていうのも居心地が悪いというか……」
「相応の金額はしっかりと頂いておりますが?」
「そういうことじゃなくって……あ、そうだった! これ、これどうぞ!」
と、思い出したように箸を置き、カーラが足元の大きなバッグを取り出した。ウィリアムもカーラをベーレンブルスに迎えに行った時から随分と大きな荷物だなと思っていたのだが、どうやら手土産だったらしい。
「開けてみてもよろしいですかな?」
「ええ。大したものじゃないけど」
手渡されたバッグの口をウィリアムが丁寧な手つきで開く。
受け取ったとき、手のひらに堅牢な感触となかなかな重量を感じた。しかしそれは鋼のような硬さでありながら貴金属や宝石のような重さではなく、どちらかと言うと液体の入った革袋のような不安定なものだった。
「——卵、ですかな?」
「正解」
にこっとカーラがほほ笑む。
バッグの口から姿をのぞかせたのは、この世界に存在するどんな生物よりも大きな卵だった。
「ふむ……」
ウィリアムが興味深そうに殻を撫でる。大きさはざっとダチョウの二倍ほどだろうか。殻はルビーのように深い緋色で、一見すると磨かれたかのように滑らかで艶やかだが、指で直に触れると思いのほかざらざらとしている。
「失礼」
ウィリアムは懐から懐中電灯を取り出し、反対側から光を当てる。しかし殻がぶ厚すぎるのか、中身の様子は分からない。念のため聴診器で中の音を聞いてみたが、全くの無音だった。
「思うに、ドラゴンの無精卵といったところでしょうか」
「さっすがウィリアムさん。やっぱりすぐ分かったね」
カーラが嬉しそうに頷く。
「ベーレンブルス復興のためにあちこち飛び回ってたんだけど、その時私が生まれた竜の里に立ち寄ってね。里の生き残りは皆旧帝都に移ってたんだけど、その時持ち出せなかった卵がいくつかあってたらしくて。保管棚の記録を調べたら、初産で無精卵だったけど記念にとっておいたらしいんだ」
「なんと! そのような貴重な物をいただいてよろしいのですか?」
「いいんだ。どうせ私たちも無精卵なら食べるくらいしか用途がないし、そもそも生まれてから結構経っちゃってるから食べられない。殻は工芸品に使うこともあるけど、それならお世話になってる異世界邸の皆に贈りたいなって、里の皆とも話してさ」
「いやはや、なんともありがたい話です」
言いながらウィリアムはバッグの口を閉じる。
「そういうことであれば、ありがたくいただいておきます」
「うん、そうしてもらえると私も嬉しい」
「しかしそうなると、どのように加工しましょうか。これほど見事な色合いの殻を無用に傷付けるのは無粋ですからなあ。やはりノッカー様に頼みましょうか」
ほくほくとした笑みを浮かべながら、ウィリアムが卵の入ったバッグを一度自分の影の中へとしまった。そうしているうちにカーラも昼食を食べ終え、行儀正しく「ご馳走様です」と手を合わせた。
「さて、じゃあすみません、お願いしていた物資を」
「ええ、ええ。量が量ですので、一度カーラ様が使っていらした部屋に仮置きしてあります。参りましょう」
食器類を返却口に置き、二人は風鈴家を後にした。
和名でオガサワラヤモリと呼ばれる種がいる。この種は大変珍しい生態を持ち、オスがほぼ存在しない。繁殖にはメスが一匹いればよく、疑似交尾を行う報告もあるが、一匹のメスが生んだ卵から新たな個体が孵化する。その仔個体は、親子体のクローンであるということだ。
またこれとは別に、長期間単体飼育していたメスのオオトカゲが産卵し、その卵が孵化したという報告もある。しかしその仔個体は平均寿命からすると短命であったということだ。
つまり爬虫類は元来、単為生殖が可能な構造を持っているのだ。ただオガサワラヤモリの例を除き、単為生殖には何らかのリスクが伴うため、通常の環境では行われないのだ。
通常の環境ではないとは、例えば、種の存続に関わるような急激な環境の変化である。具体的には——魔王の襲撃が挙げられる。




