異世界邸と不思議なダンジョン【part山】
その日リックはいつも通り、異世界邸と呼ばれる巨大な屋敷の形をしたナニカの内部の地図を作るための準備をしていた。
「さーて今日もお仕事だよーっと」
長年愛用して生地が薄くなりツギハギだらけになっているが捨てる気が起きない自分の身長と同じくらいの大きさのリュックに必要な道具を詰め込み、上着のすぐに取り出せる位置のポケットに手帳と鉛筆を数本突っ込んで部屋を出る。
すると同じ階だがかなり離れているはずの部屋の方角から凄まじい爆音が轟いてきて、リックの目の前にまで何かの破片が飛んできた。
「まーたあのネーチャンか。こりねーなー」
つい今朝も何やら有毒ガスを発生させて一騒動起こしたばかりだというのに。
「ま、いいや。いつものこといつものことーっと」
念のため背負ったリュックからガスマスクを取り出して慣れた手つきで装着し、ふさふさの毛が隙間なく生えた素足で廊下を歩きだす。
地図作成の依頼主はここの管理人を自称する人間のような生き物だった。この異世界邸は外見こそ全く変わり映えのしない古びた建造物のような形をしているが、その内部構造はしっちゃかめっちゃかだ。明らかに外見以上の床面積……というか、異世界邸が存在する山全体から見てもおかしい広さを有している。
しかも質の悪いことに、この屋敷はどうやら成長しているらしい。
昨日はそこにあったはずの壁が消え去り、新しいクソ長い廊下と無数の部屋が発生していたなんて日常茶飯事だ。
そんな異常な空間に集まってきていつの間に暮らし始めている連中は、総じて何らかの方面に異常な者が多いのだが、中には全くの非力と言っていい者も住んでいる。すげえ美味くて安心できる料理を作ってくれる「風鈴家」店主の那亜や、今もそこら辺の野郎なんかじゃ腕力では太刀打ちできないがすっかり衰えてきてしまったドワーフの老婆・ノッカーなんかがいい例だ。
そんな連中がこの屋敷で暮らしていくには危険すぎると、一応は管理人である伊藤貴文はリック――この世界に飛ばされる前は数々の遺跡を踏破した名の売れた冒険家であったホビットに、屋敷全体の地図の作成を依頼したのだった。
元々好奇心の塊のような種族であるホビットの中でも、とりわけジッとしているのができない性分だったリックはこの依頼を即承諾。日々変化していく屋敷の内部構造を把握して地図に書き落とす作業は、かつて踏破してきた遺跡では味わえなかった高揚感を与えてくれた。
そんなリックではあったが、その扉を見つけられたのは偶然といっても差し支えなかった。
「……なんだ、こりゃ?」
今朝方屋敷の一部がぶっ飛んだ後、一時間もしないうちに復旧されるといういつも通りの出来事があったため、念のため地形が変わっていないかまずはホールに向かおうと階段を下りた時だった。
体重の軽いリックが乗ってもギシギシと軋む階段の下から三段目の所が、他よりも若干軋む音が軽かった……気がした。このようなことは今まで訪れた遺跡でもよくあることだった。どうせ何かの仕掛けが隠されているのだろう。
「えーと、下から三段目っと……ここかな」
勘を頼りにさっき軋んだポイントをもう一度踏んでみる。するとやはり下に何かがあるらしく、他の段とは微妙に違う感触が返ってきた。
場所が分かればこっちのものだ。リックは慎重にポイントの周辺を撫でて危険がないことを確認すると、一度手前にずらしてからゆっくりと段を横にスライドさせた。
「へっへっへ、ビンゴ!」
音もなくスゥーッと動いた階段の下には小さなハンドルが隠されていた。
「しかし昨日はなかったよな? 一度『完成』したフロアに新しい構造ができるとは珍しい……」
リックのこれまでの経験上、ホールや管理人室周辺といった古くから存在するフロアはほぼ変化はしない。これをリックは「フロアの完成」と勝手に呼んでいるが、逆に新しくできたばかりのフロアの周辺は成長が激しく、うっかりするとリックでさえ自分の所在が分からなくなることもある。
階段に隠されていたハンドルを調べながら、罠などの危険がないか調べる。このテのハンドルは下手に触ると落とし穴や吊り天井と直結してしまうことが多いが、どうやら軽くひねった感じでは近くから変な駆動音も聞こえてこないし、大丈夫そうだ。
「よし、んじゃ早速」
キュ……キュキュキュ……
掠れた金属音がハンドルから発せられ、それに合わせるようにゴ、ゴゴゴ……と隣の壁から鈍い音が聞こえてくる。
「ふーん……」
音がした壁に手を当て、さらにハンドルを回す。
すると壁から微かな振動が手のひらを通して伝わってくる。どうやら壁の一部が少しずつ奥へ奥へと後退していっているらしい。
仕組みが分かれば後は簡単だ。壁から手を放してハンドルを両手で握り、一気に回す。
「そりゃ!」
キュルキュルと音を立てて回るハンドルと連動するように、階段の壁がゴッゴッゴと後ろに下がっていく。そしてハンドルがもう回らなくなる頃には二メートルほど壁が後退し、人間一人が余裕で通れるほどの通路がぽっかりと口を開けていた。
「こんなもんいつの間に出来たんだよ……」
ひょいと中をのぞいてみると、異世界邸全体の廊下とほぼ変わらないデザインの通路が五メートルほど伸びていて、その先は階段になっているらしく下へと続いていて今いる位置からでは確認できなかった。
「こりゃ一旦部屋に戻って明かりとか色々用意した方がいいな。ああ、それと管理人に報告もしないとな」
とりあえず誰か迷い込んで怪我でもしたらヤバい。今のところは壁の通路を元に戻してから部屋に戻り、携帯食料と明かりになる物を取ってこよう。
そう思って再びハンドルに手をかけたところで、
「あ~、リッ君だ~。やっほ~」
「…………」
ある意味一番会いたくない奴に見つかってしまった。
やたらとスタイルのいい体を何故かスケスケのネグリジェ一枚身に着けただけで、あとは衣類らしい衣類と言えば肩にかけているだけのすすけた白衣だけ。しかも足元は何故かビーチサンダルと、かなりヤバい格好の美女――フランチェスカ。ブラウンの巻き毛を指先で弄る仕草は可愛らしいが、はっきり言って格好が恰好だけにピクリとも来ない。これはホビットと人間の価値観の違いではないと思う。
「なんだか久しぶりにリッ君に会った気がする~。同じ階に住んでるのに変なの~」
「そりゃまあ、アンタは日がな一日研究室にこもってるし、オイラは仕事で三日に一回くらいしか部屋に帰らんからな」
「あ~、異世界邸の地図作ってるんだっけ~? 完成したら私にも見せてね~」
「……手前のフロアの地図ならもう完成して、管理人に頼めばコピーをくれるよ。あ、いや……今日書き直さないといけないけど」
さすがにこの隠し通路は提出済みの地図には載っていない。通路自体は誰も利用しないとは思うが、未完成の地図が出回るのはプロとして黙っていられない。
「あ~、この通路~? 変なの~、こんな所にあったら誰も使えないじゃ~ん」
「いやこれたぶん隠し通路だから……しかも最近発生した。誰かが使う目的でここに存在してるわけじゃねえよ」
「ふ~ん? 非効率的ね~、やっぱりヘ~ン」
「…………」
まあ、この女に遺跡のロマンを理解してもらおうとは思わないが……。
「ところでアンタはなんでここに? さっきまた爆発起こしただろ」
「うん、ちょっと水素爆発しちゃって~」
「何してんだ!? え、火事とか起きなかったのか!? ていうか避難とか必要なんじゃねえのソレ!? 放射線とか!」
「あはは~、大丈夫よ~。たぶんリッ君勘違いしてると思うんだけど、水素爆発と核爆発は別物よ~。ちょっとド~ンって爆発して水ができるだけだから~」
「あ、そうなのか」
「それでちょっと隣二部屋くらい奇麗に消し飛んだけど~」
「大丈夫じゃねえ!? え、ていうかなんで爆心地にいたアンタが無傷なんだ!?」
「私その時隣の居住スペースでテレビ見てたから~」
「ふざけんな!?」
「でも安心して~。私の研究室はセシルちゃんがかけてくれた魔法でほとんど無傷だから~。研究機材も書類も薬品も大丈夫~!」
「何を安心すんだよ!? つーかそんな便利な魔法あるなら周りの部屋にも掛けとけよ! あと科学者が魔法とかに頼っていいのか!?」
「使えるものは何でも活用するのが科学者だと思うな~。私は理解できないけど向こうの分野の方々ではしっかりと理論立てされて完成されたものなんだから、私がとやかく言うことじゃないしね~。あとセシルちゃん私以上に忙しそうだから頼んでも時間割けないと思うな~。それに準備にも時間がかかるしお金もすっごい高いんだから~」
「いくらだよ」
「一部屋二億円くらいかな~? ちゃんとは覚えてないけど~」
「たけえ!?」
「私の時は『友達割引だよん♪』って言ってくれたから本当はもっと高いんじゃないかな~?」
「それをポンと出せるアンタもどうなんだ……」
「実はいろいろ爆発させてるだけじゃないのよ私~。フフ~」
そう言って笑うフランチェスカ。
これは無駄に詮索すると色々とヤバいと判断し、リックは溜息交じりにハンドルに手を伸ばした。思わぬ闖入者に手が止まってしまったが、さっさとこの通路を元に戻してしまおう。
……と、思っていたのに。
「うわ~、暗~い、狭~い」
「ってオイ!?」
するりとリックの脇をすり抜け、無防備に隠し通路に入っていくフランチェスカ。
「ん~、本当に真っ暗ね~。こういう時は~……」
「バカ! まだ中はしっかり調べてねえんだ! 戻ってこ――」
「えいっ」
白衣のポケットをゴソゴソと漁っていたフランチェスカが、明らかにポケットに入っていたにしては不自然なサイズのボールを取り出し、ぽいっと隠し通路の奥の下り階段に向かって投げる。それを確認するとリックの言いつけ通り大人しく隠し通路から出てきた。
「おい、今何投げた」
「フフ~、見ててね~」
問い詰めるもフランチェスカは笑うだけで答えない。一体何を放り込んだのか確認するために恐る恐る通路の入り口を覗き込――もうとした瞬間、パンッ! と風船が割れるような音が奥の階段の方から聞こえてきた。
「な……なっ!?」
その破裂音に反射的に首をひっこめたリックだったが、もう一度恐る恐る通路を覗き込み、絶句した。
階段の奥の方から、真昼間から照明を全てつけたような明るい光が発せられていた。
「フフ~、私の開発した新しい蛍光塗料よ~。とにかくエネルギー保有率と吸収率を極限まで高めて~、一時間日光に当てれば三日は本が読めるくらいの光を発し続けるの~。もちろんまた光に当てれば再利用可能よ~」
「す、すげえけど……」
「これでリッ君の探索も楽になればいいんだけど~」
「…………」
リックは大きく溜息を吐く。
この女は基本的に自分のペースで行動するが、今回ばかりははっきりと言ってやらねばならない。
「あのな、フランチェスカ」
「な~に?」
「このテの隠し通路で、オイラの目の前で勝手な行動をするな」
「…………」
きょとんと首を傾げるフランチェスカ。まさか叱責をもらうとは予想すらしていなかったという表情だ。
「いいか、アンタは非効率と言ったが、このテの通路は元々何か重要なものを隠すためにあるんだ。オイラがこれまで渡り歩いてきた遺跡でもそうだった。この屋敷でその常識が通じるかは知らないけど、何かを隠すってことはそれが持ち主にとって重要ってことなんだ。そして万が一通路が見つかった時のために、侵入者を撃退するための罠もセットで仕掛けておくのが普通だ。今回はたまたま罠がなかったからいいものの、もし発動してたらアンタ今頃死んでたぞ」
「…………」
「アンタがどんな爆発を起こそうが何度屋敷を吹っ飛ばそうが研究の成果を見せようが、正直オイラには関係ない。だからオイラも特に文句は言わない。でもこの通路はオイラの領分だ。オイラの領分でアンタみたいな素人に死なれたら寝覚めが悪いんだよ。分かってくれ」
「……ごめんなさい」
と。
フランチェスカは意外にもすんなりと謝罪の言葉を口にし、頭を下げた。
「い、意外と素直なんだな……」
「そうかな~?」フランチェスカは苦笑を浮かべる。「自分に落ち度があったら謝るのは当然よ~。それにリッ君の領分の話もよく分かるしね~。きちんとお互いの分野で住み分けできてるからこそ、私とセシルちゃんとカンナちゃんは友達でいられるんだし~。だから、ごめんね?」
「まあ、分かればいいんだ」
そういやこの迷惑科学者、あの不良女医と守銭奴魔術師とつるんでいるのを見かけるなと思い出す。お互いの研究ジャンル的に絶対馬が合わないはずの三人が何故一緒にいられるのか疑問に思っていたが、そういうバランスの元で成立していたのかと、リックは若干引いた。
「んじゃま、せっかく明かりをもらったことだし、ちょっとだけ様子見してくるか」
「あ、私もついて行ってい~い? 塗料の様子を確認しておきたいから~」
「……いいけど、オイラの指示には従えよ?」
「は~い」
フランチェスカの無駄に良い返事を聞き、ため息交じりに隠し通路の入り口をくぐる。フランチェスカが投げ込んだ塗料は階段の入り口付近から少し下ったあたりでベッタリと壁という壁に付着していた。
「すげえ、本当に光ってる」
乾くと透明になるよう着色しているらしく、生乾きの部分は白ペンキのようになっているがその他の部分は壁その物が発行している風に見えた。
「でもなんで爆発させて塗料を飛び散らせたんだよ。刷毛か何かで塗ればムラもなかっただろうに」
「触っちゃダメ」
そっと塗料に手を伸ばしたら物凄い速度でフランチェスカに腕をつかまれた。いきなりのその行動にギョッとして振り返ると、いつになく真剣な表情のフランチェスカがいた。口調も普段ののんびりとしたものから、キッパリと鋭いものとなっていた。
「触っちゃ、ダメ」
「な、なんで」
「この塗料、乾燥していない状態で触ると火傷みたいに皮膚が爛れるの」
「いっ……!?」
「だから刷毛で塗る最中に誤って皮膚に触れたら危険だから、爆破で飛び散らせないといけないの……よ~」
後半、自分のキャラを思い出したかのように口調が緩やかになった。
「な、何だってそんな危険な物質を……!? アンタなら無害なものにすることもできるだろ!?」
「ん~、出来るんだけど~、そうするとエネルギー保有率が若干落ちちゃうのよね~。それに~……」
フランチェスカが浮かべたにっこりとした笑みに、リックはゾッと血の気が引いた。
「私の発明品って絶対兵器転用されちゃうから~、それならいっそ開発段階から兵器にもなるようにしちゃおうと思って~」
「…………」
「あ、でも大丈夫~。この塗料は空気に触れさせればどんなに遅くても五分で乾くから~。ほら~」
「あ、うん……」
リックが振り向くと、さっきまで生乾きで色が残っていた塗料が完全に乾いて無色透明になっていた。
「それじゃ~行きましょ~」
「お、おう……って何でだよ。塗料の状況確認できたんだからアンタは帰れよ」
「奥がどうなってるか見たいんだも~ん。案内ヨロシク~」
「古い意味でのレディーファーストするぞ」
「きゃ~怖~い」
とは言うものの本当にこいつに先頭を歩かせると何が起きるか分からない。
リックは大人しく前を歩いて先導する。が、すぐに足を止めることとなった。別に階段入り口付近の塗料の光が届かないくらい奥に進んだわけではない。
ただ通路が階段の途中でプツリと途切れていたのだ。
代わりに岩盤が剥き出しになっていて、足元には人一人がやっと通れそうな穴が開いていた。何だこりゃと不審に思い、フランチェスカからペンライトを借りて危険がないことを確認した後穴に上半身を突っ込んで中の様子を探ると、今度は横に伸びた巨大な洞窟のようなトンネルが確認できた。
「何なんだよこれ……屋敷が成長して出来た構造って感じでもなさそうだけど。何? この屋敷、ついにダンジョンも作り始めたのか?」
「どちらかというとこのトンネルに合わせてこの通路が出来たって感じじゃな~い?」
「だとしたら何なんだよこの穴……」
フランチェスカから借りたペンライトでは流石に頼りにならなそうだ。
そう判断したリックは興味深げにトンネルを覗こうとしたフランチェスカの首根っこをつかんで元来た道をさっさと戻る。
あのトンネルの調査には結構ガチの装備が必要になりそうだな……。
隠し通路の入り口まで戻ったところで後ろを振り返り、明日からの予定を全て立て直すことを決意した。
「あ~、リッ君笑ってる~」
「そうか?」
「うん! とっても楽しそう~」
確かに、楽しみではある。
こんな意味不明な屋敷に突如出現した謎のトンネル――それは、冒険者時代の血を沸き起こすには十分なものだった。




