百鬼夜行、終結【part紫】
時は少し戻り、羊が貴文たちの元に戻ってきた頃。
疾がノワールの魔力と魔術を模倣することで百鬼夜行を無理矢理に終了させ、鬼が姿を消し、魔王級の鬼2体が異世界邸へ向けて山を登り始めた頃。
気怠い体に鞭打って後始末のための指示を出していた魔女が、ハッと息を呑んだ。
「次期殿、どうされましたか?」
「当主の状況は? 報告を」
血相の変わった様子を見咎めた家人に掴みかからんばかりの勢いで魔女が迫る。気圧された家人が大きくのけぞった。
「当主様は元々の手はず通り、本殿の最奥にある儀式の間で結界の維持を行なっております。何かあればすぐに連絡をいただく手筈ですが……」
「私たちのように、魔術の影響で連絡が取れない状態になっている可能性は?」
「え、あ……っ!?」
大きく息を呑み狼狽する姿を見て、魔女は着物の裾を翻して駆け出した。
「次期殿!?」
「当主の様子を確認してくるから、後始末の指揮は一旦任せるよ!」
引き止めさせる間も無く、魔女は廊下をひた走る。後始末のためなんとか動き出した術者たちを押し退け、半ば弾き飛ばすような勢いで最前線から最奥の間へと向かう。
「当主!」
立ち入り禁止の命が降っているのだろう、押しとどめようとする家人を押しやり、魔女は勢いよく襖を開けた。儀式場として整えられたそこに踏み込み、魔女は唇を噛んだ。
「……、魔女……許可する。急げ」
両の手で印を結び儀式の場を保つべく力を振り絞っていた当主が、掠れた声で命じる。躊躇う間も惜しみ、魔女は足を踏み出したが──
「っ!」
「く……遅かったか……」
弾かれたように顔を上げた魔女も、苦々しい顔でゆっくりと顔を上げた当主も、見る方角は南──中央の、封印の方角だった。
***
「!」
撤収作業の真っ只中だった疾も、その変化を捉えていた。
『主!』
「主じゃねえっつってんだろ」
しかし、同様に察知したらしい朱雀の緊迫した声に、もはやお決まりとなりつつある返しをすると興味なさげに踵を返した。
これに慌てたのは当然朱雀たちの方で、四神全てが疾の行く先を塞ぐように立ちはだかった。
「……邪魔するならそれなりの対応を取るぞ」
『主。これはある意味主が生み出した結果。引き受けたのも主』
「はっ。そうだな」
軽く口元を歪めて、疾は中央の山を仰ぐ。
疾の目には、中央の山の封印が綻び、徐々に大きくなっていくのがはっきりと見えた。
「俺がノワールの魔石で行った精神干渉魔術の結果、この街にいる全ての術者が一時的に戦闘不能状態になった。今も少なからぬ術者が動けない程に消耗させた」
百鬼夜行を終了させるための一手。狙い通りの結果だが、その傍らで起こりつつある問題は。
「──結果、封印に注ぎ込む力が、大きく削られた」
守護の家に所属する全ての術者から半ば強制的に徴収するように、封印に注がれていた力が削がれた。四家の当主が精力振り絞って維持していたようだが、ここにきて限界を迎えたらしい。
「なるほど確かに、これは俺が生み出した結果と言える。百鬼夜行による弊害を抑える目的とはいえ、封印の為の人員を大きく損ねたわけだからな」
あのまま瘴気と鬼気が渦巻いたままでも封印は危うかった上、鞍馬天狗の好きなようにさせてはそれこそ街が滅んでしまうため、仕方なく取った次善の策だ。弊害は0にはなり得ない。
『そう、主の選択の結果』
「だからこそ、引き起こした俺自身が責任を持て、と言いたいわけだ。そうだな、筋は通っている」
そういって、疾はうっすらと唇を笑みの形に持ち上げた。彼にしては珍しいほどに四神の意見を認める様子に、朱雀が声に喜色を滲ませた。
『でしたら……!』
「だからこそ、放置する」
だが、その一言に、凍りつく。
『……え?』
朱雀がようやく絞り出した一音に込められた響きにも構わず、疾は薄い笑みを浮かべたままこともなげに続ける。
「封印が綻び、その後起こる結果について、粛々と受け止める。それが俺の取る責任だ」
『どういうことですか!?』
「言葉の通りだが? ……ま、取引もあるしな。流石に負債のほとんどをあの邸に押し付けてこの街が平和安泰というのもバランスが悪い。そもそも、それを俺に求めたのはどこの誰だ?」
『……っ!』
言葉に詰まる四神たちを一瞥し、疾は改めて中央の封印へと視線を戻した。歪みは徐々に悪化している。先ほどから携帯端末が震えているが、あえて無視したまま小さく呟いた。
「さて、鬼が出るか蛇が出るか」
その言葉に呼応するように。
ゆらり、と。
空間が揺れ、紫の霧が封印のほつれから漏れ出た。
「……へえ? 『神隠し』か」
思わず楽しげな声を漏らした疾を尻目に、触れるもの全てを「神隠し」に遭わせる霧が、街の上空に薄く広がっていった。
***
「まずい……!」
上空に広がる紫の霧──異界との接点を目にした魔女は、焦燥を浮かべた。このままでは、この街は神隠しが頻発し、本物に擬態した異界の存在が闊歩する魔境となってしまう。
この事態に対応しうるのは、四神を従え地脈を掌握しているあの傲岸不遜男なのだが、先ほどから何度電話をかけても繋がらない。契約上、このタイミングで知らぬ顔をするはずがないから何か対策を講じている途中だと信じたいが、ただ待つことなどとてもできない。
仕方なく端末を懐に戻し、懐から式札を取り出して息を吹きかける。異界の異形へと対処する霍見家への出動要請を出しつつ、今からでもと綻んでしまった封印へと力を注ぐ。
「……魔女」
「何かな、当主」
「こうなった以上、我々が選ぶのは『生贄』だ」
「……」
唇をキツく噛んだまま、魔女は何も言わずに封印へとなけなしの魔力を注ぎ続ける。その姿に、目を細めた当主が息を吐き出し、「当主命令」を下す。
「吉祥寺次期当主に命ずる。神隠しを鎮め、封印を正すため、生贄として──」
世界が、揺れた。
「!?」
「くうっ!?」
魔女も、当主も、あまりに強すぎるその現象に再び膝をついた。平衡感覚を取り戻すのに、少なからぬ時間がかかってしまう。
「っ……一体、何が──」
なんとか顔を上げた魔女は、今度こそ、呆けた顔を晒した。
「──え?」
滲み出る紫の霧など、存在しなかったかのように。
封印は、強固に中央の山を封じていた。
***
「うんうん、やっぱり物語はハッピーエンドじゃなきゃねえ!」
「だにゃー!」
「……大先生も水矢ちゃんも唐突に何言ってやがるんですか、無駄に元気でいやがりますし」
唐突に元気よくハイテンションに何かを言い出した作家とイラストレーターの戯けごとに、悠希が白い目を向ける。在麻はウッキウキのワックワク顔を悠希に向け返した。
「何を言っているんだい悠希ちゃん! こーんな大掛かりな物語、ドキワクしなきゃ嘘だよウソ! 若者ならハジケないと!!」
「うーん、ハジケるは若干おっさん言葉っぽいにゃ」
「つまりおっさん言葉を使う僕よりも、悠希ちゃんは枯れてるってことだぁね!」
「うっせえんですよ!! というか、はしゃいでる暇があったら手伝いやがれってんです!」
肩を怒らせながら傷を清めるための生理食塩水ボトルを押し付け、悠希は2人を軽傷者区域へと押し出した。そして自身は最重傷者の治療をする栞那の元へと走っていく。
その背中を眺めながら、在麻は口を三日月の形に裂いた。
「物語の〝伏線〟は、ちゃあんと回収しないと、ね♪」
***
百鬼夜行の翌朝、異世界邸のある西山の麓で、魔女はにこりと笑って手を差し出した。
「それじゃあ、あとはよろしくお願いするよ」
「あいよ、任された」
その手を握り返した瀧宮羽黒は、若干の苦笑を滲ませながらもはっきりと頷いた。
何はともあれ、魔王級5体が参加する百鬼夜行という未曾有の災害は収束し、今回敗将となった山ン本九朗左衛門と神ン野悪十郎を異世界邸から引き取った魔女は、彼らを「首輪により異能を封じた上で、人と妖が共存する月波市で一定期間の生活を強制する」という処断を下していた。
「首輪」──能力を封じる魔道具の鍵を受けとった瀧宮羽黒は、若干微妙な表情のまま、これだけは言いたいと口を開いた。
「しかしなんかこれ、うちに丸投げじゃねえ?」
「人聞きが悪いなあ、適材適所じゃないか。……と言いたいけど、正直引き取って貰えるとは思っていなくて。助かるよ」
「あー、うん。他に良い方法がないっつうのも分かっちゃいるから、そう気にしなさんな」
殊勝に頭を下げられてはこう返すしかないとばかりに、羽黒は苦笑を深めた。その表情に、魔女は少し表情を緩める。無言で佇んでいる2体の鬼をちらりと見て、軽く肩をすくめた。
「今回の件はちょっと難しいんだよね。実際、魔王級の鬼が暴れたにしては街の被害が想定よりも少ない。怪我人はかなり出ている……というか怪我をしていない術者を探す方が難しいけど、死者は殆ど出なかった。……普通なら良くて半壊、全滅すらもあり得る状況だったからね。建物も割と無事だし」
「うちのもんが徹夜で修復を頑張ったって聞いたが?」
「あははっ、嫌だなあ。たかだか道路全てと鬼門から繋がる直線路の建物が全壊した程度だよ? 費用も前回の半分以下じゃないか」
「……ソーダナ」
1兆の数字で感覚が狂いきっているらしい魔女の清々しい笑顔に、羽黒はほんの少しだけ目を逸らした。その様子に少し苦笑し、魔女は話を戻す。
「まあ重要なのは死者が少ないってところだよ。仇敵として滅ぼすには受けた被害が弱い、と見なされてしまう。そもそも彼らも、役割に従って暴れただけだしね。けど、流石にこの街で監視をするのは新たなトラブルの元になるし、かといって近くの街に預けようにも預け先がね……」
「人間に害を為した妖を引き受け、あまつさえ共存しつつ再教育を施そうなんて事が出来る街は、うちしかないってこったろ。そらそーだ、うちの狐様がおかしいんだし」
「魔術師連盟に相談すれば喜んで引き受けるだろうけど私は絶対に嫌だし……何より別の災害を引き起こしかねないよね……」
「妖とはいえ、それはリスクたっけえな」
遠い目で黄昏れる魔女の言葉に、羽黒も苦笑しつつ頷く。一応妖ではあるが、人型である彼らを実験対象にしかねない組織に引き渡すというのは、寝た子を蹴起こすようなものである。
「そういや、管理者ドノから連絡は?」
連盟の単語から連想したのか、羽黒が尋ねる。今回の件は手出しせずに見守るだけに留めた──つもりがどこぞの災厄にがっつり利用された誰かさんを指す言葉に、魔女は笑みを浮かべたまま肩をすくめた。
「そのうち連絡はあると思うよ。だからこそ今のうちに連れて行って欲しいというのもあるし」
「しれっと怒りをこっちに逸らしてくれんじゃん」
「今更じゃないのかな? ……あの顛末からして、彼は彼で色々と動いている最中だと思う。うちの街としては利益と不利益半々……辛うじて利益に寄ったかなって感じだけど、彼はこう……ただただ気の毒だよね……」
「まあ大丈夫じゃね? 始末書は書き慣れてるつってたし」
「それは貴方のせいでもあるんじゃないのかな……?」
微妙に胡乱げな眼差しを向けられるも、軽薄に楽しげに笑うだけの羽黒に、魔女はほんの少しだけ彼の青年に同情した。
「そんじゃ、これにて前回の後始末は終了っつーことでいいかね」
「重ね重ね世話になった。何かあれば『知識屋』へどうぞ、力になるよ」
「そりゃあ助かる。うちは何でも屋だしな。こちらこそご贔屓に」
にっと笑って撤収しようとした羽黒を横に、今の今まで無言で控えていた神ン野がスッと手を上げた。
「アー、ちっといいか?」
「うん? 何だ?」
羽黒が応じると、神ン野が少し心配そうな表情を滲ませる。
「そンで、真子チャンはどうなンの?」
「真子チャンてーのはあれか、天逆毎の転生体か」
「……あの子は更に難しい立場なんだよね」
異世界邸の面々が無事に馬帆の企みを打ち壊し、瘴り神化から元に戻れたわけだが、そもそも人の身で魔王級の鬼と肩を並べるほどの異能を持ち合わせながら放置されていた事も、今回の事件の一因だ。
「けど、彼女は人の子だからね。親元に帰すのが道理だ」
「あそこの親御サンは一般人であるぞ」
「知っているよ、あの子が全てを「あべこべ」にして無理矢理形にしていただけだというのもね。──それが、本能に従った結果だということも」
月波に生まれて肌身に学ぶ事も出来ず、紅晴に生まれて術者の監視と教育を受ける事も出来ず。ただただ本能に委ねてその場で生き延びてしまった妖返りを、断罪して終わる問題ではない。
「だから、ひとまず全ての異能は封印させてもらったよ。本人にも事後説明で納得してもらっている。……で、高校在学中に、短期留学の形で月波学園に転入、かつ瀧宮家預かりで現当主と交流を得る中で、異能の扱いについて学んでもらう事になった」
「やっぱうちに来んだよなー……」
ぼやく羽黒ににっこりと笑顔を返し、魔女は言葉を結んだ。
「彼女には出来る限り、親御さんの元で「人」として生きてもらいたいと思っているよ」
「……そっか。そりゃー、その方がいいよなア」
納得の言葉を口にする神ン野も、無言で頷いた山ン本も、どことなく寂しげに見えた。ので、魔女はイタズラっぽく付け加える。
「勿論彼女の「趣味」を止めるつもりはないから、月波での監視が終わったらまた付き合ってあげても良いんじゃないかな?」
「結構だ! 2度とやるか!」
「いやーウン、……保留で」
顔を真っ赤にして吠える山ン本と、物凄く微妙な顔で首を横に振った神ン野にくすくすと笑いながら、魔女はひらりと手を振った。
「それじゃあね、鬼さんたち。私は君達の気性、そこまで嫌いじゃなかったよ」
「で、結局アレ、なんだったん?」
神ン野と山ン本が車に押し込まれ、そのまま去って行くかと思われたが、羽黒だけが戻ってきた。その問いかけに、魔女は眉を下げる。
「……それが、さっぱり。一応私もここに来る前にひとしきり調べてみたんだけど、痕跡すら残っていなかったんだよね」
「あいつの仕業じゃねえの?」
どこぞの協力者を指すだろう質問にも、魔女の返答は歯切れが悪い。
「うーん……微妙。一応電話で聞いてみたんだけど、「知らん、関わるな」でガチャ切りされちゃったんだよね。一応、これでも、お礼くらいは言うつもりで、電話したんだけどさ……」
「あいつ、コミュニケーション能力をどこで落としてきたんだろうな」
「そもそも持とうという気がないんじゃないかな……」
「どうどう」
遠い目で黄昏れる魔女を肩の高さに上げた手で宥めつつ、羽黒は話を戻した。
「つまり、下手に首つっこむと更に面倒なことになりかねんってこったろ。面白そうだし俺が調べたいところだが……相変わらず立入禁止だからなあ」
「そうだね……そっちも今ひとつ理由が判然としないんだけどね」
小さく溜息をつきつつ、魔女はそれ以上追求するつもりがないようだ。それを表情から読み取った羽黒も、肩をすくめる。
「そんじゃ、俺は本格的にこの街からは一旦手を引くことになるな。管理者ドノかあのクソガキによろしく伝えといてくれ。あ、クソガキにはそろそろツーリング誘うわってのもよろしく」
「彼らと会う時ってそれなりの大仕事だから、あって欲しくないんだけどなあ……ま、その時は承ったよ」
苦笑して、魔女が羽黒の手を握──ろうとして、割り込むようにナタのような刃が羽黒の手めがけて振り下ろされた。
「うおっ!!?」
「いつまでくっちゃべってんだクソ兄貴!! あたしらももう眠気が限界だっつーの!」
「いやもう〆だったし、それ以前にナチュラルに手を切り落とそうとしてくんじゃねえこの愚妹が!?」
「この程度で切りおとせるなら苦労してねーわ!」
「ああもう、あんたらよく顧客の前で兄弟喧嘩なんかおっ始めるよな!? そして実際羽黒さん撤退指示ちゃんと出してくれないと、僕ら永遠に帰れないんですよねえ!?」
「だから宿で待ってていいっつったじゃねえか!」
魔女がぽかんと突っ立っている間に、嵐のように現れて羽黒を羽交締めにして撤収する高校生くらいの二人組に、少しして我に帰った魔女は、宙ぶらりんになった手を一振りして騒々しい撤退を見送った。
「さて──」
お次は後片付けと術者たちの治療と各家の情報集めと……とやる事リストを脳内に広げつつ踵を返した魔女は、しかしそこにいたのが家人ではなく、見覚えのある白衣姿の面々であることに思わず足を止めた。
「……ええっと?」
「栞那先生から連絡を受けまして〜。徹夜で限界一杯一杯まで無茶している未成年を回収しろとのことでした!」
「当主からの許可ももぎt……いただいたようなので、あなたはこのまま病院に行きましょうねー」
「どこから突っ込めばいいのかな……?」
口では空惚けつつも、栞那の名を聞いた瞬間に眞琴はほぼ敗北を予感し、当主からの言質まで取っていると判明した時点で確信した。苦笑いを滲ませ、それでもと抵抗してみる。
「そこはこう、トリアージというか。私より優先すべき怪我人が山程いるんじゃないかなあって思うんだけど……」
「眞琴ちゃん、痛いお注射されるのと、大人しく休養するのどっちが良い?」
「流石にこの年で、昔の扱いは勘弁して欲しいな……!?」
「最悪の黒」すら相手取る「知識屋の魔女」といえど、幼児期から知られている医師相手には分が悪かった。
こうして、神無月に紅晴に訪れた百鬼夜行は、幾ばくかの犠牲を残しつつも、終息した。