矜持【part山】
紅晴市南東部、市境街道――
「ただいまっと」
「おー、回収ご苦労さん」
携帯端末の画面を覗きながら火のつかないジッポで手遊びしつつ、瀧宮羽黒が荷物を抱えて駆けてきた実妹を迎えた。
「本当に良かったん? 勝手に連れてきて」
「良いんだよ。どうせ連中、今頃手一杯でこいつらのことまで気が回らんだろ」
「薄情なやつら」
「『魔女』殿はともかく、その他有象無象が煙たがってるからなあ」
隠すことなく吐き捨てた梓は、回収してきた荷物――紅晴市に戦力として貸し出していた白羽、そして彼女に追従していた白蟻の魔王の眷属二体、さらに名も知らぬ紅晴市の術者の少女を見下ろす。四人とも息はあるものの、魘されたように歯をがちがちと震わせている。
「兄貴、これ本当に大丈夫なの?」
「天狗風に中てられたな。簡単に言や、極度の恐慌状態だ。大人しく安静にさせときゃそのうち目が覚める」
とは言え、恐怖の感情とは無縁なはずの魔王の眷属まで気を失っているとは、その天狗風の異常性にさしもの羽黒も笑うしかない。転生体とは言え、流石は鞍馬の大天狗だと言わざるを得ない。
「それもだけど」
と、梓が渋い表情を浮かべる。
「こっちの術者の子も連れてきちゃって良かったの? これ誘拐にならん?」
「逆に身内だけ避難させてその嬢ちゃんだけ放置する方が問題になるわ」
実際は保護したら保護したでやいのやいの言われそうだが、そこは『魔女』に多少なりとも頑張ってもらうこととする。
「……それもそうか」
とりあえず頷き、梓は停めてあった羽黒の車の後部座席に気を失っている四人を詰め込んだ。当然定員オーバーだが、この辺りは人払いの術式の範囲内なので他に誰も見ていない。
「ところでそっちはどんな感じ?」
「あー、あんま見ない方がいいな」
梓の問いかけに、羽黒は言いながらも自分の携帯を差し出す。事前の警告に、梓は画面を直視しないように注意しつつ視線を滑らせる。
「うげ」
ノイズ交じりの画面には、じゅくじゅくと朽ちていく山林が映し出されていた。そしてその中央に、辛うじて人型ととれる姿の何かがいた。
背筋の凍るような気配が、画面越しから伝わってくる。
「天逆毎の転生体二体がなんかバグって悪魔合体して出来上がった瘴り神だ。どうしろっつーんだこれ、マジで」
「どうにかなんないの?」
「こればっかりはな……もみじ、どう思う?」
と、羽黒はその瘴り神の映像を上空から撮影しているもみじに問いかける。
『どうでしょう。あの程度でしたら、まあ、食べれなくはないかと』
「いけるんだ……」
梓はドン引きしつつも、「じゃあ、さくっとやってもらったら?」と羽黒に問う。しかし羽黒は面倒くさそうな顔をしながら首を横に振った。
「いや、やっぱダメだ。もみじがあの瘴り神に手を出すってことは、この街に足を踏み入れないといけないってことだ」
それだけは何としてでも避けなければならない。
あの歩く原発の管轄地区に二度も吸血鬼が足を踏み入れたとなったら、諸々の契約やら制約やら約定やら全てぶん投げて乱入してくる。そうなったら最後、瘴り神どころの話ではない。ついうっかりのノリで軽く世界が滅びかねない。
「つーわけで、俺たちは大人しく撤退だ。もうやることやったし、宿に戻ってこいつらの安静確保だ」
「ふーん。まあ、よく分かんないけど、とりま了解」
「もみじ、悪いがお前は畔井姉弟の方に合流してくれ。何もないとは思うが、宿まで護衛頼む」
『了解しました』
バタンと梓が助手席に乗り込み扉を閉め、羽黒の端末の通話が終了する。それを確認した後、羽黒も運転席に乗り込み、エンジンをふかして走り出した。
* * *
紅晴市南西部、山林の麓――
「ん、ありゃァ……」
金髪にピアスで穴だらけのチャラい風貌の魔王級の鬼――神ン野悪十郎は、前方の道のど真ん中で仁王立ちする継裃の後ろ姿を見つけ、駆ける速度を緩める。
「九朗サン」
「貴様も来たか、悪十郎」
呼び声に応えるようにゆっくり振り返る山ン本九朗左衛門。
見れば、九朗左衛門はよほど激しい戦闘を潜り抜けてきたのか、全身煤だらけの傷だらけ、無事である部分を探す方が難しいほどの風体だった。一方悪十郎はと言えば、天真子の『あべこべ』によって反転させた無警戒の鬼門からゆるりと進軍し、傷らしい傷は負っていない。……まあ、謎に死なない呪術師のガキとやり合ったせいで精神は限りなく摩耗しているが。
「見たところ、貴様も同じようだな。悪十郎よ」
「そういう九朗サンこそ」
やれやれと悪十郎は肩を竦める。
各々の戦場で各々の流儀に沿って紅晴市に猛威を振りまいていた二鬼はの大将は、唐突に街全体を覆った精神干渉の影響をもろに受け、ごっそりと鬼気を削り取られてしまった。その上、今日この日の為に搔き集めた百鬼夜行は悉く散り散りとなってしまった。今や背後には餓鬼の一匹すら残っていない。
それでも気力を振り絞ってこの地までやって来たのは百鬼を統べる魔王――否、男としての、意地。
「一つ確認だ、悪十郎」
「なんスか、九朗サン」
「この街に宣戦布告をした時に居合わせた少女姿の妖についてだ。アレは、貴様が招いた友軍か?」
「ちげェっすよ。……そう聞くってことァ」
「ああ。我は最初、アレは貴様の友軍だと思っていた。しかし貴様に与する天真子に問えば、我の配下ではないのかと逆に問うてきた。その場では否定し、貴様の友軍ではないかと答えたが」
「オレは逆に、今の今まで真子チャンのオトモダチだと思ってたっスよ」
「……つまり、誰の何者でもない、赤の他人が堂々と紛れていたというわけか」
嘆かわしい、と首を振りつつ、九朗左衛門は腰に佩いていた大太刀を抜き放ち、目前の山林に突きつける。
「なんと、なんと情けないことか! 古より続く我らの因縁に水を差されるとは! この報復は彼奴の首一つでは足りぬぞ! この尋常ならざる瘴気の根源ごと断ち斬って――」
「……ハハ。相変わらず回りくどいなあ、九朗サンは」
悪十郎もまた、手にした釘バットをくるりと回し、肩に担ぐ。
山林の奥からは鬼の発する瘴気とは異質な、ただただ世界を蝕むだけの毒々しい気配が漂ってくる。それを構成するものの中に、九朗左衛門も悪十郎もよく見知った一人の少女のものが混じっている。
「こういう時はシンプルでいいんだよ。攫われたオレたちのお姫サマを助け出した方が、今回の魔王の座に着く――それでいいっしょ、その方がカッコいいじゃん」
「やれるのか、悪十郎。百鬼もなく、鬼気も削がれた貴様に」
「ハッ……丁度いいハンデだよ」
ニィっと、悪十郎は獰猛な笑みを浮かべる。
普段のチャラチャラとしたものではない、百鬼を統べる魔の王の笑み。それを見た九朗左衛門も、「相手にとって不足なし!」と、地獄の底から轟くような大笑いを響かせた。
「クハハハハハハハハ!! では征くぞ、悪十郎!」
「おうさ九朗サン! チョーシこいた小娘を軽くドついてやろうぜ!!」
山ン本と神ン野――二鬼の魔王が、一人の少女の為、共に駆け出した。




