騙しの風【part 紫】
「それ」に気づいたのは、果たしてどちらが早かったのか。
******
──異世界邸、迷宮十階層。
「あ、れ……?」
「悠希、どうしたの?」
ふとこぼれ落ちた声に、こののが不思議そうな顔を向ける。悠希は硬直した首をギクシャクとこののへと捻り、ゆっくりと言葉を押し出した。
「ねえ、このの」
「なーに?」
「管理人、なんですけど……確か、やべー奴が「5人」いる、と言ってましたよね」
「? ……そうだっけ?」
それがどうかしたか、という顔で頷いたこののを見て、悠希は勢いよく振り返った。
「先生!」
貴文を待ちがてら、セシルやフランとこれからの後片付けについて話し合っていた栞那が、胡乱げに振り返る。
「なんだ不良娘」
「あのクソ親父、街にいるヤベー奴は何人っつってましたか!?」
「あん? 3人だが、それが…………何?」
「あれ?」
栞那とこののが気付く。フランやセシルも表情を変える中、悠希は抑えた声で叫んだ。
「街に3人、さっきの鬼が1人で……あと1人……どこで何してやがるんですか……!?」
──紅晴市、上空。
「っ!!」
『あっついです! 今度はなんですか主!?』
疾が弾かれたように顔を上げた直後、朱雀が悲鳴をあげる。視線を落とした疾は、それ──朱雀の背に刻まれた魔術文字に、僅かに息を呑んだ。
素早く取り出した端末を操作し、自身が打ち込んだ見覚えのない言葉を、読む。
「……ははっ」
笑いが、こぼれ落ちた。
「──ハク」
『はっ』
「南にいた、魔王級の妖の監視は、どうした」
『何のこと……? ──!!』
「はははっ!」
愕然と言葉を失う神獣に、疾は今度こそ笑った。
心底愉しそうに──湧き立つ心のままに。
『あ、主……?』
恐る恐る問いかける朱雀に、未だ笑いながらも疾は南東を指さした。釣られて視線を向けた朱雀が、悲鳴をあげる。
『ななっなんですかあれはぁ!?』
立ち上る禍々しい妖気が、南東の駅前広場一帯を染めていた。
*****
街中に優れた術者たちが脅威に対して備えている中、それに気づけたのは、たったの2人だった。
*****
「天邪鬼」
声が、響く。
「元は行方不明の神様を探すよう言われて、見つけたくせに嘘をついた天探女だとかー、仏様に踏んづけられてる小鬼だとか言われてるけども。それがいつの間にかミックスされて、人の心を読み取っていたずらする小鬼になったてゆーんだからちょーウケるっしょ。なんか一気に小物になった感じじゃん?」
静まり返った場に、ただただ楽しそうな声だけが、響く。
「でもー最近だと、素直じゃないとかへそ曲がりとか、ツンデレもここに入るかも? あはっ、すっかり悪者から遠ざかっててイミフ〜」
ねー、と同意を求めるように尋ねが投げかけられるが、答えはない。
「全部、ぜーんぶ──「あべこべ」じゃん?」
声が、にんまりと笑う。
「で、天狗って曖昧すぎじゃね? 風を操る妖、あるいは神様って言われてるだけとかさあ。どういう力を持つとか、こういう特性があるとかぜーんぜんないしー。昔からいる割にはスッゲー中途半端っしょ? 元々は悪いことを知らせるお星様だった説もあるけども」
ひゅう、っと風の音が鳴る。
「しかもー、神様説あるくせに、外法へと導く悪い奴扱いなんかもされたりしてー。ほんと、「あべこべ」感あるとゆーか」
その共通点を考えるとー、と、声が語り続ける。
「やっぱ、天邪鬼も天狗も、天逆毎が祖先様なだけあるわ〜。あはっ、その天逆毎攫った天狗、まじ不敬〜」
からりとした笑い声が上がる。
「ま、神様成分引き剥がされたわるーい妖成分な天狗としては、ありよりのありってね〜」
力なく四肢を垂らす二つの人影を旋風の中に閉じ込めて、馬帆はゴスロリドレスの裾を叩いた。
「にしても、この街の人間マジでやるじゃーん。ウチ殺す気で風使ったのに、生きてるんですけど〜。すごいすごい、褒めちゃうぜー、なーんて☆」
誰からも返事がないのに、馬帆は陽気に語り続ける。
南東の駅前広場は、先ほどまで戦っていた人間たちがぐったりと地面に伏せ、意識を失っていた。白い少女に付き従っていた2体の魔人は、まとめて早贄のように銅像に打ち付けられて気を失っている。
天真子すら打ち破った強者たちをたった1人で伸した馬帆は、しかし僅かにも畏怖を抱かせぬ軽々しい気配を漂わせたまま、ぶらりとブーツを履く足を振った。
「元々はさー、真子っちからこっそりあべこべ引っこ抜けないかなーって思ってただけなわけー。やっぱさー、真子っちずるいわ〜。人間として転生したくせに神様としても妖としても力を持つ真子っちと、妖として転生したのに神様成分切り離されちゃったウチ、何が違うわけ〜。普通逆っしょー?」
メイクの施された顔に、うっすらと「鬼」の笑みを浮かべて。
「だからー、マジ無駄遣いな真子っちの異能、ウチが妖として活用しちゃえ♪ とゆーわけ。けどさー、無角っちを付け回してた鴉天狗ちゃん見ちゃったら──天逆毎の転生体を人妖揃えちゃったらさあ、そりゃー作戦変更しちゃうわけでー」
例えばー、と。綺麗にネイルを施した指先を、ついと空に向けて。
「──天邪鬼成分濃いめの真子っちとー、天狗成分濃いめの鴉天狗ちゃん。混ぜ合わせたら、いー感じに、天逆毎ふっかーつ! しちゃったりしてー。あっは、ちょー楽しくね??」
そう、狂気の計画を口にした。
「とゆーわけで、やってみよー♪」
*****
南東の駅前広場から吹き上がった妖気と瘴気が、街全体へと広がり、鬼気を、殺気をいや増していく。
『主っ! このままではまずいです! 封印が……』
「うるせえ、んなもん見りゃ分かる」
朱雀の切羽詰まった訴えをぴしゃりと黙らせ、疾はポケットに突っ込んでおいた魔石を取り出す。
「さて──」
一瞬だけ目を閉じた疾は、現状の紅晴市内の戦況を把握して皮肉げな笑みを浮かべた。
「ま、おおよそ予想通りだ」
山ン本は魔女にまんまと足止めされ、神ン野は見事に不具合にはまり殺意だけを募らせ、天真子は狂ったように経験の浅い才能とぶつかり合い、戦況が拮抗していた。
しかし、戦慣れした外部戦力が山ン本の精鋭を退け、天真子を封じ込めるという戦果を見せた。これにより拮抗が崩れ、整えられたはずの地脈に僅かな狂いが生じた。
「少しはマシにするために馬鹿のジャミングで引っ掻き回したんだが、ま、足りねえわな」
今回特に大きな障壁となる天真子が封じられる前にと、戦況に影響が出にくい──というか、いっそしっちゃかめっちゃかにすることでバランスもへったくれもない状態にしてみたのだが、それでも魔王級が封じられるという「変化」は、追い風だ。
山ン本や神ン野の鬼気がいや増した。危機感を覚えた術者たちが、守護という役割から、僅かながら逸れた。
そうして崩れた均衡を、鞍馬天狗の「風」が突いた。
「……天狗風」
つぶやくような声。右手に魔石を握りしめたまま、疾は薄く笑う。
「にわかに吹き下ろす突風。天狗が、操る風」
『主? ……!!』
守護獣たちの疑問も狼狽も無視して、疾は楽しげに種明かしを続ける。
「天逆毎の系譜である天狗が持ち合わせる「騙し」の力を風に乗せ、認識をずらす。これがただただ「騙す」だけならば、今集まっている戦力全ては騙しおおせないが──「認識されない」というのであれば、話は別だ」
──その背に、秒単位で膨れ上がる魔法陣を背負いながら。
「魔王も、人間も、妖も、誰もが目の前にある脅威と生命の危機を無視できない。理解不能な事象があれば、それを解析しようとする。不測の事態が起これば、なんとかしようと対処する。そんな当たり前の行動を逆手にとって──自身を、忘れさせた」
開戦から一度たりとも目立った戦績を上げなかった鞍馬天狗を、空から真っ直ぐに見下ろす。
「全く動かないわけではなく、他の鬼たちに紛れ、魔王級としてはなんらおかしくない程度の被害を出していく。当たり前の行動に、当然対応は変化がない。代わり映えのしないものを見つめ続けることほど、難しいことはない」
四神と呼ばれる聖獣白虎ですら、疾に都度声かけをされていなければ、失念しそうになるほどに。
そして。その動きのなさに警戒していた疾ですら、刻一刻と変化した戦況と、どこぞの大迷惑な不足の事態に対処するために、鞍馬天狗から意識を逸らさざるを得なかった。
その隙をすかさずついて、「天狗風」を紅晴中に──グリメルの迷宮最深部にすら吹き抜けさせるその技量は、正しく魔王級。
「いいじゃねえか。そうこなきゃな」
疾は、笑う。同時に、空一面に光を放っていた魔法陣が一際強く光り、余韻すら残さずに消え失せた。
「セキ、いや、全員。そこ、動くなよ」
『あ、主、一体──』
意を決したように問いかけてきた朱雀には答えず。
トンっ、と。
その背から、飛び降りた。
『あああああ主ぃいいいいいい!?』
朱雀の悲鳴を背負いながら、疾は握りしめた魔石を瘴気に向けて投擲した。
ぞわり、と。
魔石が瘴気と妖気を吸い込んでいく。紅晴の街を覆い尽くそうとしていた禍々しい気配が、たった一つの魔石に飲み込まれた。
「はっ、相変わらずだなぁ!」
その規格外ぶりに笑いながら、疾は一瞬だけ構築した障壁を蹴って加速し、魔石をキャッチする。先程組み上げた膨大な魔法陣を刻んだ魔石を、起動した。
魔石が形を変える。長い長い漆黒の柄に、弧を描く黒銀の刃。まるで死神の大鎌のようなそれを大きく振りかぶり、疾は凄絶に笑った。
「魔法士最強の扱う大魔法、とくとご覧あれ、ってな!」
眼下の街並みを切り裂くように、刃が振り下ろされる。
次の瞬間、紅晴の街にいた全ての鬼が、術者が、膝をついた。
苦鳴も悲鳴も疑問の声もあがらず、ただ、脱力したように項垂れてうずくまる術者。
声ひとつ漏らさず、その場に倒れ伏し、ピクリとも動かなくなった鬼。
そして。
「ぐっ……」
「うっ……」
魔王級たる「鬼」たちも、例外なく動きを止めた。
「っ……これは……彼の……ああ、なるほどね」
同じく膝をついた魔女は、そう呟いて僅かに苦笑した。
***
「──!」
モニター越しにそれをみた漆黒の青年は、思わず椅子を蹴って立つ。
「……あの野郎……!」
地を這うような声で、怨念じみた声を上げた。
***
「吸い込んだ分合わせてギリギリ、か。ま、そんなもんだろうな」
未だ自由落下の最中にいる疾は、己が生み出した結果に満足げに笑う。
闇属性の最高級魔石で、闇属性魔法──精神干渉魔法を用い、街で高まりに高まった戦意殺意を根こそぎ刈り取った結果、全域で戦闘が強制終了された。
事前に仕掛けていた地脈からの意識誘導と合わさり、前回の白蟻の魔王によりばら撒かれた瘴気の影響はこれで完全に打ち消されたのだ。気絶した鬼たちが目覚める頃には、百鬼夜行は何事もなかったように解散するだろう。それに対応した術者たちも、同じく。
「終わりよければすべてよし、ってな」
諺を口にして、疾はくつくつと笑う。約一名、全くよろしくない終わりを迎えそうだが、尊い犠牲というやつである。手出しするなと言っている相手に、対価の釣りだからとホイホイ貴重な人工魔石を渡す方が悪い。お手伝いしますと言っているようなものだと疾は捉えさせていただいた。異論は聞かない。
「さて、後の始末は──」
地脈を介して街中の戦果を確認した疾が、眼下の光景へと改めて意識を向けたその時、かまいたちが襲いかかってきた。自由落下速度と合わさって視認することすら難しい凶刃が、疾を切り刻まんとする。
疾はそちらをチラリとも見ることなく、一言。
「ハク」
竜巻が、疾を取り囲む。
かまいたちを阻む文字通りの防壁に包み込まれた疾は、そのままふわりと落下速度を落とし、着陸した。
「おー。やるねえ♪」
楽しそうな声が出迎える。
瘴気の出どころ、南東の駅前広場に直接降り立った疾は、それに愉しげに応じた。
「そっちこそな。おかげさまで、退屈だ退屈だとばかり思ってた百鬼夜行の防衛戦なんつーものが、予想以上に楽しめたぜ?」
「あっは♪ いやーしょーねんこそ最高だったわー」
カツ、とブーツの靴底を鳴らして、馬帆が立ち上がる。
「めんどくさーい術式操って指示出してって、見てるだけで頭痛くなりそーだったし。そっこーうちのこと忘れるかと思ったのにさー? ずーっとどーぶつ使ってウチを監視してんの! どうやってバックれるかの騙し合い、ちょー楽しかった☆」
「そりゃ何よりだ。こっちとしては最後まで技能戦と行きたかったところだがな」
「それも楽しそーだなー♪ でもま、そうもいかないっしょ?」
「まーな」
互いに肩をすくめあう。ここから先の直接の刃の交わし合いなどより、先ほどまでの心理戦の方がよほど心躍るものだったという、魔王らしからぬ──守護者らしからぬ感想を共に抱く。
が、流石の疾もこのまま天逆毎の復活儀式を見逃すわけにはいかないし、馬帆もここまできて妨害させる気はない。交渉決裂は見え切った未来、ならば残る手はただひとつ。
言葉にしないやりとりで結論に至った2人が、各々身構えかけたその時──
バチッ。
空間が、ブレた。
「げ」
「ほえ?」
疾の呻き声と馬帆の疑問の声が重なり。
──ヒュオッ。
風の音を最後に、馬帆と傍にあった二つの竜巻──捕らえられた鴉天狗と天真子がかき消えた。
「……マジか」
流石に疾も唖然とした声を漏らす。確かに場所的にも下地は揃っていたし、そもそも戦意を持ち合わせていなかった結果、1人元気いっぱいであろうことは想像の範疇ではあるのだが、いやでもいくらなんでも。
「あの儀式ごと魔王級の位置座標をバグらせるって……人のこと言うより自分の方がよっぽど人間辞めてるだろ」
頭を掻きむしりながらぼやいた疾は、まあいいかと意識を切り替えた。
未だ地脈と繋がってる疾は、馬帆がうっかり飛ばされた先が既にわかっている。そしてその場所は、紅晴の街中の防衛を任された疾の領分ではない。
となれば、疾の仕事はここで終わりだ。後片付けなど知ったこっちゃないので、これ以上厄介ごとに巻き込まれる前に去るに限る。
「ま……あとは頑張れ」
西山に向けてそう呟き、疾は撤収作業に入った。




