あべこべ【part山】
紅晴市境、北東部。
「腕、もらった!!」
「ぬうっ!?」
――ザシュッ
血飛沫が舞い、巨木のような剛腕が金棒と共に吹き飛ぶ。血溜に足を取られないよう着地を決めた瀧宮梓に対して、見上げるほどの巨躯の赤鬼は残った腕で傷口を抑えながらがくんと膝をついた。
ざわりと周囲を取り囲んでいた大鬼達がざわめく。
戦いは朧の一方的な攻勢──に見えて、その実、巨躯故の振りの大きさから速度に特化した動きを徹底していた梓には決定打が入っていなかった。
それに苛立ちを覚え始め、隙が大きいさらに大振りな一閃の構えを取ったところで、梓は反撃に移った。
結果として右腕を失うという致命的な一撃をもらった朧の敗北であった。
「……見事なり、瀧宮梓」
「そっちこそ。何度もヒヤッとさせられたわ」
「ふふ……余裕で避けていたように見えたがな」
さあ、と朧は頭を垂れた。
「我が首級を獲るがよい」
「…………」
ザン!
一閃。
バサリと、朧の炭のような黒髪が一束地面に落ちた。
「……何の真似だ」
「あんたみたいな武人をここで失うのは惜しいと思っただけよ。腕も、すぐに処理すりゃくっつくでしょ。さっさと退きなさい」
「見逃すというのか」
「今度はお互い対等でやりたいだけよ」
「何……?」
「そもそも無理があんのよ、あたしらの体格差で対等な一騎打ちなんて。ちょこまか動けるあたしの方が有利に決まってんじゃん」
「…………」
「今度やり合うときは人化してかかってきなさい。そしたら──あたしも隠し球使って本気で斬り結んであげるから」
ニイッ、と梓は屈託無く笑みを浮かべる。
それに毒気を抜かれた表情を浮かべた朧はゆっくりと立ち上がる。それを見て、周りの大鬼が慌てて切り落とされた腕を拾って傷口に押しつけた。
しゅうしゅうと煙を立てながら再生が始まる傷口の様子を見ながら、朧は檄を発する。
「拙者はこれより戦場より離脱する! 動ける者、暴れ足りぬ者は本軍へ合流せよ!」
「……朧様はいかがなさるおつもりで?」
「拙者は傷が癒えた後、このもののふと雌雄を決するまで陣に戻れぬと、九朗左衛門様には伝えよ」
「御意」
ざあっと、現れた時と同じように大鬼たちの姿が消える。本来ならばあの鬼たちも討つのも梓の仕事なのだろうが、流石にそこまでの気力は残っていない。巨体の妖相手に優位に動く訓練は積んでいるとはいえ、疲れるものは疲れるのだ。
「ほな、ウチは朧様について行って一緒に休もかなぁ」
「……伽耶」
と、背後から鈴を転がすような愛らしい声が聞こえてきた。
振り向くと、少女姿の小鬼があちこちから流血しながら歩いてきていた。
「何故貴様まで満身創痍なのだ」
「えへへ~……ちょっと我慢できなくて『味見』しようと思ったんやけどなぁ、遠くにいた銃使いのお兄やんに蜂の巣にされてもぅた」
「何をやっておるのだ……」
眉間にしわを寄せて首を振る朧。そしておもむろに膝をつき、伽耶の全身を包むほどの大きな手で頭を抑え込み、下げさせた。
「ふにゃっ」
「……申し訳ない、瀧宮梓殿。連れが粗相をしたようだ」
「あー……まあ、いいよ。二人は無事なんでしょ?」
「む、無傷やよぉ……」
「ならいいよ。こっぴどくやられたみたいだし、目ぇ瞑ってあげるから、さっさとお行き」
呆れ顔でしっしと手を振る梓。それに対して重ねて「すまぬ」と頭を下げ、朧は立ち上がった。
「それでは瀧宮梓よ――いつかまた、相見えた時は刃を重ねようぞ!」
「あんたは金棒だけどね――楽しみにしてるよ、朧」
ざあっと音を立て、伽耶を連れて霧のように消える朧。
しばらくは気配が周囲に残っていたが、すぐにそれも消えるとようやく梓は肩の力を抜いた。
「また妙なのに気にいられたな、お前」
「……兄貴」
背後から声がかかる。いつからかは分からないがいたのには気付いていた。全て片が付くまで見ているつもりのようだったから放置していたが、ようやく出てきたかと梓は溜息を吐く。
「そっちはちゃんと片付いたんでしょうね」
「ああもちろん。5、6回どついてようやく終わったわ」
「そ。それじゃあ、もみじ先輩が終わり次第、向こうの四人と合流し――」
――どおおおおおん!!
轟雷の如き爆音が空から降ってきた。
何事かと思い見上げると、赤い柳花火のようなものが夜空に炸裂していた。
「……うわ」
「ありゃあ、掃除大変だぞ」
「叔父貴経由で清掃代もぎ取れないかな」
「ダイダラボッチ討伐報酬、引くことのその現場撤収費用、で、プラマイゼロだろ」
「だよねー……白羽ちゃんの方は上手くやってっかな」
「あっちはあっちで金になりそうにないんだよなあ」
はあ、と二人の溜息が重なった。
* * *
紅晴市南東部、駅前広場。
「はあ、はあ……」
「ふうっ……!」
「……っ……っ」
瀧宮白羽、ヴァイス、ムラヴェイの三人が肩で息をしていた。
そして対する天逆毎の転生体、天真子は――首がありえない方向に折れ曲がっていながらも、チェーンソウ片手に立っていた。
「…………」
空いている方の腕がギチギチとぎこちなく動き、自身の頭を掴む。そしてそれを力ずくで元の位置にゴキンと戻し――ふう、と息を吐く。
その瞬間、彼女の背後に控える百鬼のうち一体の首が捻じ折れ、地に倒れる。
「何勝手に死んでるんですか。勝手に死ぬようなやつは『死んじゃってください』」
「あふんっ!!」
首が折れた鬼が嬌声を上げて立ち上がる。首は、当たり前のように通常の位置に戻り再生していた。
幾度となく目にしたその光景に、白羽だけでなくヴァイスとムラヴェイも背中にじわりと嫌な汗が流れるのを感じた。
「あべこべ……!」
天逆毎の異能「あべこべ」――事象の逆転により、生死すら逆転させる。さらにそれだけでなく、応用することで自身に降りかかった事象を「なかった」ことにし、どこかの誰かに「起こった」ことに仕立てあげる。
彼女が「死ね」と口にした途端、死んだはずの鬼がむくりと起き上がった時、白羽はようやく気が付いた――この女、最初から終わっている。
最初、白羽は何故この娘が天逆毎の魂を宿しながら平凡な日常生活を送っていられるのか疑問だったが、そもそも認識が間違っていた。あべこべの異能を使って――使いこなして、自分に降りかかる痛みを誰かに押し付け、自分の都合のいい者の痛みを誰かに押し付け、自分の都合のいい箱庭の中でのうのうと生きているだけだ。
それに気付いてから、白羽たちは動くことが出来なくなった。
この女を傷つけると、どこかの誰かが同じ痛みを負うことになる。
幸いにして生者を死者に仕立て上げることはできないようだが、それにしても事態はこれ以上なく最悪だ。
この戦局を乗り切るためには、天真子を生かさず殺さず、傷一つつけることなく封印する必要がある。それも、自身が封印されたという事実さえ悟らせてはいけない。
妖の封滅に一家言ある瀧宮家当主たる白羽ではあるが、相手は人間として終わっていても、人間である。対妖用の術は使えない。そして世界に破壊と破滅をもたらす魔王の眷属たるヴァイスとムラヴェイにそんな芸当はできない。
そもそも、例えそんな術が使えたとしても、彼女の目の前に立ちふさがり、相対している三人には不可能だった。
「あれ? 色々考えてます?」
ブォン! とチェーンソウが唸りを上げる。
「気付いちゃいました? まあ別に隠してるわけじゃないので別にいいんですけど……むしろ気付いてもらった方がやりやすいって言うか」
天真子は前髪に隠れた目をにこりと細め、興味が失せたと言うように踵を返した。
「理解したのなら、そこで黙って見ていてくださいね。私はチケットのためにこの街を破壊しつくさないといけないんです!」
ギュオン!
チェーンソウを大きく振り下ろす。
あべこべで、切れない距離にある、切れそうにない物体――駅舎が、真っ二つになった。
「くっ……ヴァイスさん、ムラヴェイさん!」
「「はっ」」
「作戦変更ですわ! 彼女に掠り傷一つ負わせることなく、破壊活動を妨害しますわよ!!」
号を発する。しかし、控えていた百鬼が間に割り込んできた。
「おーっとそうはさせねえぜ!」
「お嬢ちゃんたちは俺たちと遊んでてもらうぜ!」
「ほらほら殺してみろよぉ! 天真子様の力ですぐ生き返るけどな!!」
「くっ……!」
反射的に距離をとる。しかしその間にもまた一棟の建物が天真子によって両断された。
「あー、もう! うっざいですわね!!」
ザン!
群がる百鬼を一閃で斬り伏せる。
しかし出血はなく、それどころか傷一つ負っていない。
「白羽様!?」
「その力はなんでありますれば?」
「斬るべきもののみ斬る力――意識のみを斬り落としたんですわ。集中が必要ですのでこの数相手には使いたくないのですが……」
「ふむ……これは、形勢逆転のチャンスかもしれません。……白羽様、ムラヴェイ」
「何ですの?」
「はっ」
瞳を細めたヴァイスが白羽とムラヴェイに提案する。
「ほんの数分、私は戦線を離脱します。その間に白羽様はその力で鬼たちを、ムラヴェイはあの小娘を傷つけないよう防御に徹しながら足止めしてください」
「何か策があるんですわね?」
「はい、説明する時間が惜しいので、今は――」
「ムラヴェイさん、行きますわよ!」
「承知でありますれば!」
ヴァイスが全てを言う前に、白羽とムラヴェイが駆け出す。その思い切りの良さに一瞬呆けそうになったが、すぐに気を引き締め、ヴァイスはじっと白羽の動きを観察し始めた。




