山ン本 VS 吉祥寺 【part 紫】
異世界邸での戦いが激化している一方、麓下でも戦いは佳境に入ろうとしていた。
「──頼もう」
重々しい声と共に、山ン本九朗左衛門が吉祥寺の敷居をまたいだ。ぞろぞろと黒装束の鬼が後に続く。
「いらっしゃい」
笑みを含んだ声がいらえた。チェシャ猫のように三日月の笑みを浮かべた魔女を守るように、僧侶姿の術者達が立ちはだかる。
「大層な口を聞いた割に、守りが薄いのではないか、魔女よ」
「おや、そう? 思ったよりも来るのが遅いから、少し身構えすぎたかなぁと思っていたんだけどね」
互いに挑発を交わし合う。場の空気が否応なく高まっていく中、九朗左衛門はやおら背筋をただした。
「さて。──我が名は、山ン本九朗左衛門。先祖より続く争いのもと、我こそは魔王たると示さん。これよりそなたらを蹂躙してくれよう」
正々堂々たる宣言と共に、九朗左衛門は腰の刀を抜いて魔女に向ける。禍々しい陽気を纏う刀に目を細め、知識屋の魔女はおもむろに赤い唇を開いた。
「──紅晴の守護が一、『吉祥寺』。古より担いし役割に従い、貴方達の侵略からこの街を守護する」
ゆったりと右腕を持ち上げ、掌を九朗左衛門に向ける。ゆらり、と水気混じりの魔力を漂わせ、魔女は笑みを深めた。
「さて──」
「うむ──」
「「始めよう」か」
2人の言葉がぴたりと揃い。
──鼓膜を破らんばかりの鬨の声と共に、守護家と魔王軍の衝突が始まった。
鬼の鳴き声と術者の怒声が入り交じる。
容易に人体を切り裂く爪が振るわれ、血が飛び散る。見えない刃が鬼を切り裂き、消し飛ばされる。
混戦の中、互いに有効打を打ち込み合ってはいるが、戦いの均衡は保たれている。その事実に、九朗左衛門は眉を寄せた。
「貴様ら、気合いを入れろ! これまでの術者とは訳が違うぞ!」
『キー!』
「その掛け声、絶妙に気が抜けるからやめろ!?」
「何言ってんだ気合い入るだろ!?」
「何言ってんすか!?」
間の抜けたやり取りをしながらも、術者達は山ン本九朗左衛門軍を相手に死者も出さず善戦している。堅実に戦い、怪我を負えば素早く下がって治療を受ける。
決して突出せずに鬼の数を減らす作戦に出ている術者達に対し、九朗左衛門は呵呵と笑った。
「その意気や、よし! だがこのままでは我等としてもつまらぬ! 仕掛けさせてもらうぞ!!」
ひっさげた刀を振り上げた九朗左衛門に、術者達が警戒の姿勢を見せる。中には制止しようという動きを見せるものもいるが、九朗左衛門の配下が襲いかかることで阻止した。
「来るぞ!」
「構えろ!」
術者達がめいめいの術具を掲げる中、九朗左衛門は刀を大上段から振り下ろした。
「かあっ!!」
空間が斬られた。
そうとしか思えない暴風が吹き荒れた。
「ぎっ!」
「があっ!」
悲鳴が重なる。斬られた延長線に立っていた術者達が、血飛沫を散らせて崩れ落ちる。
「救護班!」
「3は前に出ろ!」
『はっ!!』
端的な指示が飛び交い、素早く動くが、敵もまた好機と襲いかかる。
『キー!!』
鳴き声を上げながらも、鬼達の振るう爪に術者達が傷付いていく。咄嗟に動ける術者も少なく、次第に怪我を負っても下がれない術者が増えていった。
「ふん」
こんなものかと、九朗左衛門がつまらなさそうに鼻を鳴らしたとき。
「──起動」
凜とした声が、場に響く。
文字が、溢れた。
「何?」
現在に至るまで、戦いには参加せずにいた魔女が、いつの間にか動いていた。左手に携えた冊子のようなものから文字が溢れ出し、生き物のように独りでに宙を滑っていく。
「なんだ、これは」
「私の武器だよ」
魔女がにこりと笑う。九朗左衛門は知らないその魔導書が、書き込まれた「知識」に基づき、術者達の傷を癒した。
「さあ、ここからだよ。『吉祥寺』の名を背負う術者の意地を見せてあげようじゃないか」
『応!』
術者達の声がぴたりと揃う。途端、場に満ち始めていた妖気瘴気が、全て消え失せた。
「……何をした?」
「何が?」
くすり、と笑う魔女は、九朗左衛門の問いかけの意図を理解した上で空とぼけているようだ。九朗左衛門はそれに気付き、呵呵と笑った。
「よかろう! どのような小細工だろうと、我が山ン本九朗左衛門軍は力で押し通してくれよう!」
「本当に、山ン本はそういう気質なんだなあ」
やや呆れを声に滲ませながら、魔女が懐から新たな冊子を取り出す。文字が溢れ出すよりも早く切り捨ててくれようと、九朗左衛門が先程より規模の小さい斬撃を放つが──ゆらりと滲んで、消えた。
「何……!」
「ねえ、山ン本の現大将さん」
くすくすと笑って。魔女は、シニカルな笑みを浮かべた。
「貴方達の祖先が戦いを始めた当初、人間は喰らうばかりの生き物だった。けれど、人間は何とか生き延びようと足掻くことについては天下一品でね。我等が祖先は、必死になって考えたんだ」
手元の冊子から溢れる文字を操りながら、魔女は歌うように言葉を紡ぐ。
「『人間は考える葦である』──なんて言葉もあるけれど。そうやって受け継がれてきた人間の武器を携えた私相手に、そう簡単に力押しが出来ると思わないで欲しいな」
不敵な笑みを滲ませて、魔女は更にもう一冊、冊子を取り出した。
「──我等が役割は、この街を守ること。何があってもここは通さないよ」
低く紡がれた言霊に、その場にいた鬼も術者も、全てが一瞬、その場に縫い止められた。
「かっかっか!」
九朗左衛門が大笑する。胸を反らせ大口をあけて笑う大将に、鬼達が我を取り戻した頃、九朗左衛門は魔女に向き直った。
「良いぞ。ただ蹂躙するだけの争いなど楽しくもないが、我を相手に正々堂々と挑んでくる人間というのはなかなかおらぬ。良かろう、我等も貴殿らに敬意を示し──全身全霊で磨り潰してくれよう!」
『キー!!』
「ふふ、出来るものならね。──全員、役目を間違えないように。必ずや、山ン本の侵略を食い止めなさい」
『はっ!!』
両軍の士気は留まることを知らず、互いの全力をもって衝突し続けた。
──思った通りに釣られてくれた山ン本九朗左衛門に、魔女はひっそりと笑みを深める。
「この世には、数多の武器がある」
歌うように言霊を紡ぎながら、魔女は魔導書を操り続ける。
「ある時は人を殺し、ある時は人を救う。ある時は人を貧しくし、ある時は人を豊かにする。それら全てが、代々受け継がれた「武器」となる」
魔導書に魔力を篭め、文字を操り、戦う術者達を癒し、守り、サポートする。
「直接挑んでくるがいい、魔女!」
「これが私の役割だよ」
挑発は軽やかに躱して、魔女は艶やかに微笑んだ。
「──その武器は大地のようにありふれたもので、水のように常に形を変え続ける。時には火のように全てを燃やし、その一方で木のように実りをもたらす。金にも繋がる、人が生まれながらに持つ原罪」
紡ぎ続ける呪いが、魔導書とは別に場へと馴染んでいく。言霊を介して、魔女は──『吉祥寺』次期当主は、維持し続ける。
北の守護者、吉祥寺。
中央の神を祀る四家のうち、吉祥寺が担うのは、神へと捧げる役割。
すなわち──儀式魔術を主軸として扱う家だ。
万物に意味を見出し、異界との交信をはかる術。供物を捧げて神を祀る術。儀式の為のあらゆる手法に通ずるこの家が最も特異とするのは、異界との接触──すなわち、世界への干渉。
そして。日本古来の術を重視し、魔術を異端視するこの家に於いて、異端の最たるものであるはずの『魔女』が、『吉祥寺』の次期当主に選ばれた理由がこれだ。
『魔女』が得意とするのは、──儀式魔術。
『吉祥寺』の守護の要として、これ以上の適材は存在しない。事実、現時点で既に、儀式魔術の精度だけに重点を置くのであれば、『魔女』は現当主をも凌ぐ実力を持っている。
魔術の世界に於いて、儀式魔術による世界への干渉というのは、空間魔術に通ずるものがある。それを利用し、更に空間系統の魔導書を操ることによって、『魔女』は『吉祥寺』の敷地内、そして全ての術者に守護を与えている。
致命傷を避けさせ、邪気を払い、攻撃を強化する。
奇しくも、災厄が街単位で行っているものと同系統の仕掛けを、より術者の強化に重点を置いた儀式として、『魔女』はこの場の全ての術者が捧げる供物を束ねて一つの魔術として編み上げていた。
当然ながら、この仕掛けに九朗左衛門が気付き、そして破壊を意図したならば、容易に崩されてしまうことは魔女も理解している。己の実力を正確に把握している魔女は、だからこそ堂々と姿を見せびらかし、要所で魔導書を操ることで、九朗左衛門がタネに気付かない様に誘導していた。
さらに。
言霊を操る『魔女』が、シニカルに笑う。
山ン本九朗左衛門軍の目的は、出来るだけ多くの被害を出すこと。そして、九朗左衛門は、紅晴の術者が全て、妖の殲滅を目的にしていると思い込んでいる。
だが。
「守りの四家、我等が役割は──中央の山の守護。街の守護。──故に我等は破壊者となり得ず、守護者たらん」
『吉祥寺』はあくまでも、「守り」と「儀式」が役割だ。
だからこそ、本家の儀式魔術で山ン本九朗左衛門軍を囲い込み、彼らの攻撃から術者達自身を守り続けることで、山ン本九朗左衛門軍に思う通りの被害を出させない。
意図をずらすことで真っ向勝負を逸らし、それによって本来の目的を果たす。
得意とする「罠」に嵌めた『魔女』は、それと気付かせぬよう、九朗左衛門を挑発するように不敵な笑みを浮かべた。
「──我等『吉祥寺』は落ちず、ただ妖からこの街を守るのみ」
***
『……本当に、実力は確かですね、彼女は』
『ん。当代随一』
両者の戦いを見守っていた青龍と玄武が、その様子に端的に評価する。
『これであと一つ素質が揃っていれば、玄武の主になれたでしょうに』
『ん』
青龍の嘆くような声に、こくりと玄武が頷く。
『……そうしたら彼女は魔女じゃない、でしたね』
『そう』
人間はままならない、と嘆息をついた青龍を見上げて、玄武が問いかける。
『今の主、不満?』
『……素質という意味ではこれっぽっちも不満はありませんし、能力など我等すら追いつかないほどです。ただ……』
『ん』
言葉を濁した先を正しく読み取り、玄武がまた頷いた。
『主、やる気無い』
『…………はい』
四神が今、主と仰ぐ人間の最大の欠点がそれであり、結果的に魔女と似たり寄ったりだという事実に、青龍は痛む頭を緩く抱えた。
『……まあ、その問題は後回しにするとして。玄武は、どう見ますか?』
指し示された『吉祥寺』の戦いを見て、玄武は端的に答える。
『悪くない。でも、無理』
『やはり、ですか……』
『魔王級、四体』
山ン本だけであれば最良の選択肢であっても、残る魔王級がどう動くか分からない今、状況によっては却って悪化する。その危険性を思えば、何らかの手が必要になる。
と、いう玄武の考えを受けて、青龍はすいと左手で宙を撫でる。
『だそうです。朱雀、主の意見を伺えますか』
『えぇー……主、今かなり機嫌が悪い……』
朱雀が渋る。気持ちは分かるが、と青龍が溜息をつく。
『私が聞ければ良いですが、遠距離のやりとりは主が嫌がりますので』
『ううー……分かった』
泣き声混じりの了承に苦笑し、青龍が待つことしばし。
『青龍ぅ……』
『主はなんと?』
『……「下手に戦況動くと鬱陶しい、放っておけ。死にはしない」……』
『……』
『……』
何というか、本当に。
『肝の据わった主ですねぇ……』
『我等、荷物』
四神を信頼していないことがありありと伝わってくる指示だった。
『……まあ、良いでしょう。一応待機させられているということは、我等の出番もそのうちあるでしょうし』
『ん。……?』
ふと玄武が顔を上げる。南の方角を眺め、小さく首を傾げた。
『玄武、何かあちらで問題がありましたか?』
『……不明』
何を気にしたのかも思い出せないまま、玄武は『吉祥寺』に視線を戻した。




