神久夜の家庭菜園【part 緋】
うららかな日差しがぽかぽかと暖かい残夏の午後。異世界邸の裏の畑では作物が育ち盛りを迎えていた。
日々の家庭菜園を趣味に持つ神久夜は、今日も裏口の引き戸から出たり入ったりしつつ、ぴょこんと立てた耳を嬉しそうに弾ませる。
異世界邸裏手の勝手口と併設して建てられた物置から手押し車を引っ張り出し、スコップと化成肥料とホース、それについ今しがた届いたばかりの色鮮やかな種や苗を積んで、てくてくと少し丘になっている勝手口からの道を登っていくと、程なくして見えてくる生い茂った生きのいい深緑の原生林。
ここが、神久夜自慢の家庭菜園である。
「へえ。だいぶ大きくなったもんだなあ」
着物の袖をたすきでたくし上げ、土仕事の準備を始める神久夜だったが、その後ろで束の間手伝いに来ていた貴文が素直な感嘆の声を上げたのを聞いてちょっぴりだけ胸を張る。
「当然じゃ。誰あろう私が愛情込めて育てておるからの! どうじゃこのキュウリの株! 見事なものじゃろう」
「はあ!? これキュウリだったのかよ!?」
つい、と腰に手を当てて胸を仰け反らせてみる神久夜だったが、その凹凸の無さ故にどちらかと言えば飾り帯が強調されただけだった。
そして貴文に首根っこを捕まれ半ば文字通り引きずられる形で無理矢理連行されてきていた、朝方の騒動の主犯であるアンドロイドと竜人は、その台詞と目の前の光景の余りの突飛さに突っ込まざるを得なかった。
無理もないのでもう一度説明すると、目の前に広がるのは、「深緑の原生林」。
「当然じゃろう? お主等キュウリを見たことが無いのか?」
「いやこの世界の出身じゃねえから確かにキュウリがなってるところを見るのは初めてだが……こりゃあ……世界樹ユグドラシルにも負けてねえんじゃないのか」
「いやむしろ世界樹を見たこと無いんだが、いいのかその発言? えらい世界樹のハードルダダ下がったぞ今?」
「しょうがねえだろ、他にここまでの大樹なんか見た事ねーんだよ。で、このやたら樹高の高いキュウリ、どうやって収穫するんだ?」
「む? キュウリは枝にはならんぞ? この辺のな、お、ホラこれじゃ。根本近くにニョキニョキ生えるんじゃよ。こう、茸みたくの」
「「うん、薄々察してたけど多分それキュウリじゃねえよな!?」」
勢いまで揃えて一斉に青ざめて突っ込むバカ二人。
コイツら案外気は合うんじゃないのか? と傍から見ていた貴文は思った。
「やれやれ……これだから素人は困るの。育てたこともないものを、憶測だけで語るなど笑止千万。見た目だけで何が分かるというのじゃ!」
プリプリと気を悪くしたらしい神久夜は頬を膨らませ、持ってきていた背負い籠に収穫したキュウリ(のようなもの)を手際よくひょいひょいと入れていく。
その少し後ろの方でばつが悪そうにしている二人を、更にもう少し離れながら眺めていた貴文はといえば、
「神久夜を泣かせたらコロス神久夜を泣かせたらコロス」
と安定の殺意を放っていた。
「「(ヤベえよ怖ええよなんだよコレ意味分かんねえよ!?)」」
当然だが二人は早くも半べそだった。
「……まあよい。次はトマトじゃ」
「お、おおトマトなら知ってるな。俺も好きだから夏はよく食べる」
ぜ、と言いかけた竜神は神久夜の周りに集まってきていた小さな小鳥に目を留め、思わず言葉を途切れさせた。
チチチチ、とかわいらしい声でさえずりながら、赤くまるまるとしたその小鳥達はよく懐いているのか、それぞれに体を神久夜にすり寄せて甘えている。
ナンカ、見タ目ツルントシタ赤イナマモノダケドモ。
「あ、あのう、それは……?」
「は? 知っておるのだろ? これがトマトじゃ」
チイチイとどこにあるのかよく分からない嘴からたてる小鳥の鳴き声は実に愛らしく、どう見てもヘタの部分であるところから生える二枚の羽、ていうか葉っぱにしか見えないけど多分羽と思しきモノ。
「「絶対え違げえええええええええ!?」」
「はあ、何を言うておるのじゃ。ほれ、この通り味もしっかり甘いぞ」
シャクウッ!
「ピギィッッ!!」
「「う、うわああああああああああああっ!?」」
「? 何を驚いておる、ほれ中を見てみるがよい、ちゃんとトマトじゃろうが?」
「「うわああ断面……うわああ本当にトマトだ!? いやでも、じゃあ何で動いてるんだよ!?」」
「いや、そもそもお主等はさっきから何を言うておるのじゃ?」
せっかくの趣味の場所に招いてやっているというのに失礼な発言ばかりされて、流石に少しばかり苛立ったのか、神久夜は腕を組んで可愛らしい眉根に皺をよせた。
「当たり前のように用意された食事を当たり前のように食べたことしかないこの愚鈍めらが! お主等が何の為にここ異世界邸にいるのかをよく考えぬか! これもその一環じゃバカタレめ。些細なことにもまず感謝をせよ。食物が如何にして作られ、如何にして食卓に並ぶのか、まずはそのようなところからも頭を使えと言うておるのじゃ! ここから帰って親に合わせる顔は、それで良いのかと問うておるのじゃ!」
「なッ……んだ……と!?」
「俺たちは……そんなッ……!!」
「「とんだ大馬鹿者だ……ッ!!」」
頭を抱え、目の前の出来事に残念なおつむが単純にキャパオーバーを起こしただけなのにも気づかず、真に受けてうずくまるロボとデカトカゲが二人。アホだ。アホがいる。
大変冷めた目で見つめる貴文の視線など微塵も気にせず、涙ながらに神久夜の手をとり、感涙の極みに至るその姿は、さながら犯罪。
世が世なら通報されていてしかるべきだが、そもそもこの場においては外来世界の植物がわんさか植わっている。
まあ通報されると色々やばいので、管理人権限であとで個人的に折檻するくらいに留めておいてやるからさっさとその手を離せやゴルア。
「ありがとう姐さん! 俺達……なんにも分かっちゃいなかったよ!」
「ああ全くだぜ! こんなに身近なことから……へへ。教えられちまうたあな」
「すまなかったな、兄弟。俺……」
「いいって事よ。俺もひげ剃り剤のシェービングスプレー缶を使うときは気を付けるようにするぜ」
「ああ頼むよ。姐さん、今晩……冷やしトマト食えるか?」
「勿論じゃ、任せろ。たんと甘いのを食わせてやろうぞ!」
「あああああ姐さんんんんッ!」
「ピイピイ」
「トマトってこうやって育ててたんだな! 俺大事に食べるよ!!」
「チチチチ」
「いいのじゃ。思う存分味わうのじゃぞ。私ゃそれが一番うれしい!」
「「うぃっす!!」」
……三人が思い思いに勝手なことをまくし立てながらがっしりと抱き合い、その肩や髪にトマトを止めまくりながら、目尻に涙を、口元には笑みを浮かべながら、さわやかなその場のノリな友情をしっかりと組み上げていく様子を、貴文はもう途中から鼻をほじりながら無心で眺めていた。
……神久夜があの厄介虫どもを何とかしてくれるっていうから連れてきてはみたんだが……これは……。
ひっしと抱き合ったトカゲの肩越しにチロリとこっちに目配せを送り、盛大な泣き真似をして涙まで器用に浮かべた小さな可愛らしい目でバッチーンとウインクをして舌を見せる神久夜。
……これは今晩、盛大に甘やかしてやらなくちゃだな。
肩をすくめて溜息をつきながら、貴文は柵に寄りかかって上を見上げる。空を覆い尽くす巨大樹の樹冠にエメラルドの柔らかな木漏れ日が落とされ、その中を赤くまるまると太った食べ頃のトマトが飛び回っている。
よく見ればあちこちに生えている菌糸類系キュウリも、細胞膜など知らぬ存ぜぬ動くトマトも、どうやら食っても害はないらしい。朝方に演劇用の血糊を薄めて懐に忍ばせていた神久夜を見ていたから、貴文はそう確信した。
目の前でアホ二人が盛大に涙しながらトマトの断末魔を上げまくってるしな。
これが輸出できりゃあ食料問題も一挙解決なんだろうけどなあ。
まあ生態系ってなんだっけ状態なヒエラルキーパニックに陥ること請け合いだから不可能なんだけども。
実は見かけに寄らずしたたかな自分の嫁の色々な手腕を改めて思い知らされ、さっきの泣き顔にもちょっと惚れ直した。
これはもういっちょ『活力の風』に頼んで、食後に神久夜の大好物「ふぉーりんほっぺプリン”アルティメットカスタード”」を持ってきてもらっちまおうかな。
厄介事の種が一つでも減るんなら、それくらい安いもん……。
その時、丘を少しくだった当たりでけたたましい爆音と振動が轟き笑顔で宙を見上げていた貴文の足下を激しく揺さぶり回した。
……TRRRRRRRRRRR。ピッ。
『……ああ、坊ちゃま! 良かったお出になられて。実は今しがたなのですが、ミス・フランチェスカが水素実験を失敗されまして……』
「はあ!?」
水素!? 何!? 異世界邸はちゃんと残ってるんだろうな!?
一難去ればもう一難のプレゼント。
ええそうですね知ってたよ知ってましたよ!
「あーもう何で成功しない実験を平気でできるかなあの人は!? 今すぐ行くから鎮火全力! 急げ!」
携帯を一瞬で懐にしまい、後は任せたと神久夜に身振りで合図して足に力を込め、凄まじい勢いで跳躍する。
まあよくよく考えたらあのバカ二人も別に貴文にまで従順になる訳ではない。
一気にどっとぶり返した疲れが襲い来るが、ひとまずは消火のことだけを考える。余計なことは考えない。それが長年の管理人業で思い知った精神安定の秘訣である。
ついでに『活力の風』に注文も追加だ!
「ふぉーりんほっぺプリンは2つ! 今日は二人で甘いもん食う!!」
両手に顕現させた電柱ほどもある放水竹を着地と共に地面に深々と突き刺し、貴文は一声、大きく吼えた。
「ウィリアム、瀧宮組と『活力の風』に再度連絡! 他の者は鎮火だ鎮火! おらキビキビ動けこんちくしょうがあ!!」
風がやっと、ほんの少し冷めた温度になる頃。
異世界邸の時計の針は、まだ午前14時を指したばかり。