自己討論【part山】
光の指さない暗がりの中、
「…………」
私は、半円状に置かれた十の椅子と真正面に置かれた少し高い位置の大きな机に取り囲まれていた。まるでこれから裁判にでも掛けられるかのような配置だが、私は特段焦ることもなくじっと始まりを待っていた。
『えー、それでは』
と、正面やや上方から声がした。
見上げると、私と全く同じ顔の少女――わたしが机の隣に立ってこちらを見下ろしていた。
『定刻前ですが、他任務で不在の者を除きほぼ全人格が揃ったようなので始めさせていただくのです。異論がなければ定例通り、“偽り子”――メイジー・ツヴァイが議長を務めさせて頂くのです』
わたしが私を含めた他の八人格を見渡す。そして異論がないことを確認した後、静かに正面の座席に腰を下ろした。 空席は三つ。一つは常に空いているためいつも通りだが、他二つは現在別任務のために貸し出し中の人格だ。
コン、と木槌で軽く叩く。
『本日の議題は、今現在の異世界邸におけるわたしたちの最も正しい行動について、なのです。そのために、まずは“観察者”――アリス・ユニに現況の説明を改めてお願いするのです』
「了解なのです、わたし」
名指しされ、私は一歩前に出る。
「まず大前提として、私たちは世界魔術師連盟に属するあの方のため、この異世界邸に潜んでいたセシル・ラピッドと連盟を繋ぐ橋渡しの任務を影に――」
[そーゆーまどろっこしいのは今はイイんだよ!]
「…………」
大声で割って入ってきた粗野な声の方を向く。
案の定というかなんというか、“簒奪者”――五条桃が尊大に背もたれにふんぞり返りながらカチカチと歯軋りをしていた。
[重要なんはどんだけツエーのが外にウジャウジャしてるかだろ? あ?]
(……俺に完全に同意するわけじゃないけどぉ)
と、俺の隣に座っていた“泥棒猫”――マイア・フィーアが爪に鑢をかけながら気だるげに呟く。
(いくらこの精神世界が外界と時間がぴったり合わないからって、あんまり悠長にもしてられないと思うなぁ)
「……失礼したのです。では手早く説明させていただくのです」
性格は真反対の癖に妙に結託することの多いこの二人格に楯突くとろくなことがない。それにあながち間違ったことを言っているわけでもないし、物言いはともかく、大人しく従うこととする。
「この異世界邸の位置する紅晴市に前代未聞の規模の百鬼夜行が襲撃してきているのです。その中の一派が異世界邸へと侵攻しているようなのですが、どうにもそのリーダー格は那亜さんに用があるようなのです」
〔……ねえねえ? ナアサンって誰だっけ?〕
{…………ぐう}
<鬼子母神。付喪神。忘れるな。寝るな>
{ふがっ……ね、寝てないヨ?}
<虚偽不可。謝罪要求>
{ぬぬぬ……ごめんネ}
興味なさげに口を半開きにして舟をこいでいた“護り人”――孫八仙の椅子を蹴飛ばしながら、“不落城”――アウロラ・ヌフが“残党兵”――マリーナ・シュウを睨む。
この辺りはもうまるっと無視して、私は続けて説明を行う。
「那亜さんは非戦闘員と共にノルデンショルド地下大迷宮最下層目指して避難を開始しているのです。その時間稼ぎとして、怪盗ウィリアム、狂科学者フランチェスカ及び魔術師セシルが件のリーダー格――無角童子を相手に足止めをしているのです」
≪はーい、しつもーん!≫
甘ったるい猫撫で声が響く。
見ると、“情報屋”――ティンク・ヘックスがブンブンと手を振っていた。
『ウチ、質問をどうぞなのです』
≪ありがとー。んとねー、そのムカクドージ? ってつよそうなの?≫
「まあ。一瞬しか目にできませんでしたけれども、かなり」
≪そーなんだー。ちなみにさー、そのさんにんはどんなかんじー?≫
「足止めしてる三人のことなのです?」
≪うん、そ。ねえ、アリスちゃん。観察者たるアリスちゃんからみて、そのさんにんはちゃんとあしどめできそう?≫
「無理です」
【無理であるな】
[無理だ]
{無理ネ}
私の他に、三つの声が重なる。
見渡すと、戦闘職の俺と当方だけでなく、“魔術師”――ドロシー・トレイスまでもが首を横に振っていた。
[今足止めしてる三人はツエーよ? だが相手の鬼野郎はもっとヤベーくらいツエー]
{一番問題なのは、三人合わせても無角童子よりは弱いけど、比べ物になるくらいには強いってところネ}
【あの三人であれば、無角童子相手でも那亜が迷宮最深部まで逃げられるまでの時は稼げよう。しかしあまりにも時を稼ぎすぎると彼の鬼は痺れを切らし、未だ見せぬ底の一端を三人に対し見せることとなろう】
「そうなった場合、あの三人は確実に――死ぬのです。今あの三人に死なれるのは私たちにとっても不利益なのです」
…………。
しばしの沈黙。
それを最初に破ったのは、ボクだった。
<であれば。むしろ。対応可能>
それを皮切りに、続々と言葉が交わされていく。
〔そっスね。相手さんはナアサンしか見てなかったっぽいし、いいタイミングでサクッと三人を回収して、時間稼ぎを引き継げばいいんスね〕
(でもどうやってやるのぉ? さすがにワタクシたちの存在を邸の皆に気取られるのは良くないと思うしぃ)
【良くないどころか我らが最も避けるべき事態である。三人の回収は我がやろう。迷宮の魔王を装って最奥部まで転移させれば問題なかろう】
≪じゃあじっさいのあしどめはー……≫
[俺だな!]
{当方ネ!}
『あなたたち二人は加減を知らないので却下なのです。議長命令なのです』
「…………」
議会が盛り上がっているところ申し訳ないが、私は一つ溜息を吐き、定例となっているあの提案を念のために投げかけてみる。視線は空席の三つのうち、最奥で腐りによって雁字搦めになっている一脚へ向けられた。
「今回の事態全ての収束のために、“大団円”を叩き起こすというのは可能なのです?」
…………。
沈黙と共に視線は空席の一つ──鎖で縛られているボロ椅子に向けられる。
しかし即座に全人格――議長役のわたしでさえ、首を横に振った。
『駄目なのです』
【許可できぬ】
(この程度のことで呼んじゃダァメ)
[あいつにくれてやれるほどの敵はいねーよ]
≪じきしょーそーってやつだね!≫
〔そっスね、まだそんな段階ではないかと〕
{そもそも大人しく出てきてくれるとは思えないネ}
<不許可。全人格。合意>
……まあ、分かっていた。
あくまで念のための提案だ。
「確かに、魔王級四体程度で叩き起こしたら、こっちが逆に殺されるのです」
ふうと一つ溜息を吐き、私はわたしに対し提案をする。
「では一時、第一人格を我に譲り渡すのです。その後の足止めですが――」
* * *
「かはっ……!」
ウィリアムの痩せた体がコロッセオの反対側の壁まで吹き飛ばされ、蜘蛛の巣上のひび割れを一帯に作り上げる。事前にフランチェスカからもらっていた謎の薬品を飲んでいなかったら血溜まりすら残っていなかったであろう衝撃に、呼吸が一瞬途切れる。
意識をギリギリのところで保ちながら視線は無角童子から離さない。
「ふっ……」
ずるりと影に潜り込み、瞬時に無角童子まで接近する。しかしすぐには飛び出さず、じっと機を窺う。
「フランちゃん!」
「おっけ~」
セシルが無角童子の周囲に無数の魔法陣を展開する。それに合わせてフランが顔面目掛けてミサイルを撃ち放った。
「小癪な!」
苛立つように声を荒げ、無角童子が腕を振る。その衝撃でミサイルと魔法陣の全てが弾け飛び、周囲の砂埃と瓦礫を巻き込みながら爆風が吹き抜ける。
「そこっ」
一瞬の硬直を狙い、ウィリアムが影から飛び出してナイフを首元目掛けて突きつける。異世界の毒蟲から抽出した劇毒を刃に塗ってある。ただの妖であれば掠り傷一つで悶え苦しみ死に至る。いかに魔王に匹敵する鬼と言えど、無事ではすむまい。
しかし。
「見えているぞ!」
「ぬぅっ!?」
無角童子の屈強な腕が伸び、ナイフが無角童子の皮膚に触れる前にウィリアムの首を逆に掴む。またぞろ投げ飛ばされるか――そう思って魔力を全身に巡らせて衝撃に備える。
しかし無角童子はウィリアムを片腕で持ち上げたまま地を蹴り駆け出す。
「ぐっ!?」
「ひゃあっ!?」
駆け出した先にいたフランチェスカが悲鳴を上げる。
元々戦闘訓練など受けていないフランチェスカが対応できるわけもなく、棒きれのように振るわれたウィリアムの体を受け止めることもできずに地面に転がされる。
「フランちゃん! ウィリアムさん!」
セシルが防護の魔法陣を二人の周囲に展開させる。しかし無角童子の視線は既にセシルへと向いており、彼女を取り囲むように赤黒い鬼火が燃え広がった。
パキィ!
魔法陣がひび割れる。
術式そのものではなく、陣を発動させるためにセシルが繋いでいた「道」が灼き断たれた。
「しまっ……!」
無論、陣そのものは生きている。しかし手綱を握るものを失った魔法陣は暴走し――純粋な力の塊となって周囲を巻き込みながら破裂する。
どおおおおおおおおおおんっ!!
「……ちっ」
巻き起こった爆発を片手で防ぎながら、無角童子は舌打ちをする。
腕を大きく薙ぎ、砂埃を消し去る。
すると無角童子から離れた所に両肩で息をしながらもフランチェスカを肩で支えるウィリアムが立っていた。
「…………」
いい加減にしつこい。
地上にあれほどの戦力を放出しているのだから地下には出涸らししか残っていないだろうと無角童子は高をくくっていたのだが、その認識を改める必要がある。
このようなところで時間を潰している場合ではない。
一刻も早く、那亜を追わねばならない。
「……仕方あるまい」
このようなところで使う予定はなかったのだが、力の一端を早々に開放する必要がある。
無角童子は無言で腰に差していた大太刀を鞘ごと引き抜き、構える。目の前の邪魔者は確かに鬱陶しいが、刃を解き放つほどではない。それにこの刃は、那亜のためにとっておかなければならない。
「――去ね」
大太刀を片手に突撃の姿勢をとる。三人がそれを迎え撃つよう身構え――姿が、消えた。
「……何?」
瞬きはしていないが、「瞬きの間に」という言葉でしか言い表せないほど、唐突に消えた。前兆も痕跡も何もない、不可解な消失。
無角童子は警戒を緩めないまま周囲を見渡す。
「……っ!」
一体いつからそこにいたのか。
ローブを目深に被った小柄な女がコロッセオの隅に立っていた。
「また新手か……否、貴様、先ほど逃げた連中の中に交じっていたな」
交代の足止め要因であることはすぐに察することが出来た。おそらくは先ほどの三人を消した――転移させたのもあの女なのだろう。しかしその魔術の腕はともかく、三人で足掻くのに精いっぱいだったのを単身で請け持とうとは嘗められたものである。
「だが好機。貴様をさっさと磨り潰して、さっさと那亜を追わせてもらうぞ」
「ふん。そう簡単に行くと思うか?」
フードの下で女が嘲笑を浮かべた。
それに無角童子は違和感を覚える。先ほど大勢で避難していった時にちらりと見えただけだが、纏う空気が大分異なるような。
「任務開始。遊戯――五分」
「っ!?」
再び空気が変わる。
女は両手に小太刀ほどの大きさの針を構えてこちらに突撃してくる。
決して目で追えぬ速さというわけではない。しかし無角童子は反応が遅れ――この日初めて、傷らしい傷を左腕に負った。
「ちぃっ!」
全身に鬼火を纏い、女に無理やり距離を取らせる。幸いにも大人しく離れてはくれたが、針に何やら塗っていたのか左手の感覚に違和感がある。
「はあっ!」
体内の毒物を焼き殺すように再び鬼火を纏う。それで違和感は綺麗に消えたが、いちいちこんなことをしていたら時間を無駄に――
「油断大敵」
「なっ!?」
肩の上に女が腰掛けていた。そして時すでに遅く、針は深々と右肩に突き刺さっていた。
「何だ貴様! 何者だ!」
「回答不能」
女を焼き殺すつもりで不要なほどの規模の鬼火を発生させるも、次の瞬間には女は鬼火の範囲外で悠々と無角童子の出方を窺っている。
「さっきの三人と言い、貴様と言い、我の邪魔をするな! 喰い殺すぞ!」
「……ふっ」
女が笑う。
まるで感情のこもっていない――地を這う虫でも見ているかのような笑みだった。
「不可――力不足」
「……っ!!」
プツリと無角童子の中で糸が切れた。
「誰が……誰が力不足か!!」
左手に鞘を握り、左足を後ろに出しながら柄を握りしめる。
居合の構え。
「貴様如きに抜くのは口惜しいが――塵も残さず消し飛べ!!」
鬼火を纏った両の腕から、大太刀が解き放たれる。
そして次の瞬間
―― ……
無音。
世界が焼き尽くされ、音まで消え去ったかのような衝撃がコロッセオの内部で炸裂した。コロッセオの壁や客席は一切の痕跡も残さず消滅し、その向こう側にどこともわからない不安定な空間がただただ続いているのが見える。
「那亜よ……待っていろ」
鬼火を纏う大太刀を鞘に押し込め、無角童子は大きく床を踏み抜く。
迷宮の階層は単純に上下で繋がっているわけではない。しかし無角童子が力任せに押し広げた道は、理屈を押しのけて次の階層へと彼を導く。
「待っていろ。この力、今こそ……!」
地面に空いた大穴に向かって無角童子が飛び込んでいった。
「…………」
猛威が過ぎ去ったことを見届け、女が隠密を解く。
「想定外。脅威度修正。任務失敗――二分」
頬の切り傷から血が滴り落ちる。それを指で拭い、治癒魔術で跡が残らないよう完全に塞ぎながら指を舐る。
「しかし――依然“大団円”不要。私へ肉体返還。先鋒との合流要請」
一瞬、女の体がぐらりと揺れる。しかし倒れることはなく、しっかりとした足取りで体勢を立て直し、目深に被っていたフードを下ろした。
「……これを見て、未だにあの子を出さなくていいって、我が人格ながら訳が分からないのです」
記録に残る限り、「魔帝」と称される個体を除けば間違いなく最強角の一体である迷宮の魔王グリメルの迷宮を完全に破壊した力を見ながらも悠長なことを口にする己の人格の一つに、女――アリスは深い溜息を吐き、足元につま先で簡易的な陣を描く。
「結局、彼が何で那亜さんを狙うのかは分からず仕舞いでしたが、まあ、那亜さんの心の準備が整うくらいの時間は稼げたと思うのです。後はよろしくなのです」
一人呟き、アリスは魔法陣を発動させ、先に最下層まで避難していた住民たちの元へと転移した。