四神の主【part 紫】
紅晴市における、百鬼夜行戦況。
──東。
『門崎』本陣より精鋭で編成された遊撃部隊四隊、中央に空から侵入し分散した妖を各個撃破中。
──西。
『嘉上』本陣、隠密行動に特化。
知覚共有特化の術師達が各地に散らばり、逐一戦況を四家に共有。
──南。
『霍見』本陣より、瘴気により生じた異界との接点を封じる為の封術師出陣。
また、『門崎』と連絡を取り合い、遊撃部隊に戦闘に長けた術師を派遣、主にサポートに特化中。
──北。
総本部を兼ねる『吉祥寺』本陣へ向かう山ン本九朗左右衛門軍と、防衛陣を敷く『吉祥寺』精鋭勢、間もなく衝突。
儀式魔術の進行状況、約八割。接敵時には問題なく機能すると予測。
──中央。
無角率いる無所属軍の侵入こそ許すも、即座に派遣された『門崎』『吉祥寺』『霍見』の精鋭軍により、各方角へと誘導。また、無角は何かに引き寄せられるように、特に力を持つ妖を率いて南西へ転進。
一時は封印の施された山へと進軍していた山ン本九朗左右衛門軍も、『魔女』の誘導により北へ転進。
──南東。
反転した『裏鬼門』より進軍した神ン野悪十郎軍、壊滅。
軍を率いる天野真と、外部戦力の瀧宮白羽、ムラヴェイ、ヴァイスによる戦闘はほぼ拮抗。
──北東。
反転し『神門』となった場から進軍した山ン本九朗左右衛門軍、うち1000体が外部戦力により分断され全滅。
応援に向かった主軍分団の長、朧と、外部戦力の切り込み隊長、瀧宮梓による一騎打ちが開始。
──南西。
無角率いる無所属軍、異世界邸に侵入。内部の住人達により大幅に数を減らすも、数体の妖が住人達と交戦中。状況はほぼ拮抗。
──北西。
「あんぎゃぁあああああああ!?」
「いい加減死に晒せクソガキ! つか何で死なねーの!?」
「…………」
──紅晴市、上空。
ダイダラボッチの打ち上げという豪快極まりない援軍も、どうやら片を付けた様子。ゆっくりと下降し、ガシャドクロがいた街境へと向かっていく。
それらを眺めていた疾は、額に掌を当て、小さく息を吐きだした。
『……主』
「主じゃねえ」
反射的にお決まりの台詞を吐きながらも、朱雀の呼びかけにそれ以上の応えはない。過ぎるほどに口が達者な疾の変調に、朱雀が何か言うより先、2人の鼓膜を声ならぬ声が揺らした。
『主。それ以上は、無理』
朱雀と同じ位幼い、少年の声。訥々とした声の珍しさに、朱雀は僅かに翼を震わせた。
『主にお願いしたのは我ら。だが、主の身を削ってほしくない』
『……主……やっぱり無理しているのですか?』
無言。それを肯定と受けとった朱雀は、1つ翼を羽ばたかせる。
『玄武。貴方は北の守護を。主の援護無しに、吉祥寺単独での防衛戦は無理だろう』
『ん』
『そして、青龍は南西に──』
「おい」
がっし、と。
真剣なやり取りを交わしていた朱雀の頭が、鷲掴みにされた。明らかに掌のサイズを上回っているはずだが、背後から伝わってくるどす黒いオーラと、尋常でない掌の圧ゆえか、頭を丸ごと掴まれているような錯覚を朱雀に与えてくる。
ギリギリと握りしめられて、朱雀は先程とは違う意味で翼を羽ばたかせた。
『あ……主!? 痛い痛い痛いです!?』
「何をてめえが勝手に仕切ってるんだ。主だなんだと勝手に祭りあげるなら、せめてそれらしい振る舞いをしろ、焼き鳥」
『焼き鳥はやめてください!?』
涙声には一切応じず、暴虐の主はうっすらと口元に笑みを浮かべて、冴え冴えとした眼差しで朱雀を射貫いている。
「前も言ったと思うが。どんなに立派な策を組んでも、馬鹿が好き勝手行動すれば、最悪の策になるんだよ。分かったら今度こそ、その鳥頭でも忘れないよう刻み込んでおけ」
『鳥頭ではありませんっ!?』
「この馬鹿でっかい図体との比率を見るに、詰まってる脳は精々鳥頭レベルだろ」
『違いますからぁっ!?』
……過ぎるほどに口の達者な彼らの主がいつも通りであると理解した玄武が、改めて疾に話しかける。
『でも、主。それ以上の干渉は、無理。それは変わらない』
「主じゃねえっての……そもそも、これ以上の干渉をする気はねえよ。こんな街の為に、んな疲れる真似するか」
『……』
守護獣を相手どっての暴言に、玄武が一瞬、押し黙る。構わず疾は続けた。
「にしたって、たかだか十地点に観測点置いた程度で限界っつうのも問題だな。数時間程度の準備じゃ限度があるか」
『……十分だと思うのですが』
そろりと会話に入ってきたのは、青龍の声。やや呆れを交えた声に、疾は鼻を鳴らした。
「はん。世界規模の組織相手取った趣味に比べれば、この程度は片手間で出来なきゃ話にならねえっての」
『……あの、主。じゃあ何故先程は、頭を抱えていたのですか……?』
びくびくしながらも、朱雀が尋ねる。胡乱な目でそれを見やった疾が、改めて嘆息した。
「……とっととあの馬鹿死なねえかな、と思ってな」
『……』
守護獣、沈黙。
が、やがて意味を理解した朱雀が、勢いよく声を上げる。
『あああああ主!? その、あの者は確かに大失言をしていますが! その、お仲間ですよね!?』
「……仲間?」
ゆらり、と。
地獄の底から湧き上がるような声に、朱雀の羽根という羽根が逆立つ。
「セキ」
『ははは、はいぃ!?』
「もう1つ、その鳥頭に刻み込んでおけ。二度と、あの、役立たずどころか足を引っ張るを通り越して周囲を道連れに自分だけが生き残る、生物としての尊厳すら失ったバグを、俺の、仲間だと、言うな」
『はいっ!!』
言いようが酷いなどと言える空気ではなかった。あかべこのように頷く朱雀にまたも鼻を鳴らし、疾は視線を街に向けたまま端末を手に取る。
「報告か?」
『一応ね。吉祥寺は山ン本さんをそろそろお出迎えだ。儀式魔術も思ったより準備が進んだし、何とかするよ』
「そら良かったな」
『あと、外部の援軍だけど……あの半妖さんが直接君に指示を仰いだみたいだから、任せきりにしているけど、大丈夫なのかな。必要なら足手纏いにならない子を』
「お前らの中で、足手纏いにならない術者なんぞいるかよ」
『……』
『……』
余りの傍若無人な発言に、電話相手である魔女は沈黙し、朱雀は少しばかり同情した。守護獣達は現四家への直接援助はしていないが、守るべき対象という認識はあるし、その中でも、朱雀は魔女を比較的高く評価している。
魔女が信頼している術者達にしても、複数世界を滅ぼす白蟻相手にある程度持ちこたえる、日本でも有数の術者達と評しても大袈裟ではないだろう。
……だというのに、朱雀の主にかかれば、事もあろうに足手纏い扱い。
正直、相手が悪すぎるだけである。朱雀の主に技量で肩を並べられる術者など、朱雀の長い生をもってしても指折りだ。
「つーか、てめえが言ってんの、門崎のくたばりぞこないだろ。アレはぶっちゃけ邪魔。その辺で残党狩りだけさせてろ」
『……あの子にもこの辺で、一皮むけて欲しいんだけどな』
「別件でやれ。街一つ天秤に掛ける価値はねえ。……どうしてもどこかに合流させたいなら、天逆毎と遊んでる白いガキくらいじゃねえの。アレにその度量があるのなら、だがな」
瀧宮家当主にハイクラスの魔王幹部2体が援護している状態とはいえ、相手が相手だ。後衛をこなせる術者が助太刀する余地はある。が、援護主体になりそうな役割分担が出来るレベルには見えない、と言う疾の的確な指摘に、魔女は嘆息で応じた。
『分かったよ……少しはうちの術者に出番が欲しいところなんだけどね』
「一応、仕事はしてるだろ。ぶん投げられた妖もそこそこ減ってきたしな」
街のあちこちに視点を移動させながら疾が言う。事実、門崎を主力に編成された遊撃部隊は、不必要に負傷者を出さず、着実に妖を一体ずつ倒していっている。消耗も最小限に抑えているので、未だ攻勢が鈍る様子も無い。まだしばらくは任せて問題無さそうだ。
『そうだね……門崎といえど、ここまで上手く倒せるとは思わなかったけど』
「良い方に向いてんのに文句言うとはお偉くなったもんだな、魔女よ。ま、援軍が山ン本の後続削ってるからな。主力に余裕があるのが大きいだろ」
『ふうん……? ま、いいか。それにしても、君が動かないのは少し意外だよ』
「何で俺がこのド深夜にあくせく働かなきゃなんねぇんだよ。守護獣まで動かして協力してやってんだ、これ以上はあんたらじゃあ支払いきれないぜ?』
くつり、と疾が笑うと、魔女の声がワントーン下がった。
『……君のそういう所は、嫌いじゃないけどね。本当に、不愉快な奴だよ』
「褒め言葉どーも」
『褒めてないって……はあ。それじゃあ、こっちは戦闘開始だ。最後までよろしく』
「精々働けよ、魔女」
『そっちこそね、災厄』
通話が切れる。疾は喉奥で転がすように笑って、朱雀の頭に頬杖を付く。
「……上手くいってよかったなぁ」
心底どうでもよさそうな、それでいてこの上なく愉快そうな呟きに、朱雀は落ち着き無く羽根を羽ばたかせた。
疾が軽く右手を振る。ふわりと舞い上がった魔力は、刹那の間に大気に溶け消えた。守護獣として土地の地脈を預かる朱雀には、その魔力が北の地脈を整えていくのがはっきり視えた。
『……本当に、大丈夫なのですか? 主』
「主じゃねえっつってんだろうが、鳥頭」
『だから、鳥頭ではありませんっ! だってだって、十地点に観測点を置いて常時戦況を確認するだけでも人間には難しいはずですのに、あまつさえっ』
「──セキ」
低い声が朱雀の言葉を遮る。ばっと言葉を止めた朱雀は、唐突に場を席巻した気配に背筋を凍らせた。
「──余計な口を叩くな。どこの誰が聞いてるかも分からない状態で、魔術の情報を迂闊に漏らす阿呆がいるか」
『……我々の会話を、仮契約している主以外に聞き取れるものはおりません』
「主じゃない。……井の中の蛙が過信するな。そもそも周波数合わせれば聞き取れるような念話に過剰な信頼を置くな、阿呆」
吐き捨てて、疾は視線を街へと落とす。細めた視線の先にある土地を冷静に分析し、疾は都度魔力を、地脈を操っていく。
──「場」を整え続ける、ために。
神ン野悪十郎が勘付いたように、耳千里が探り出そうとしたように。疾の敷いた地脈を媒介にした魔術には、監視以外にも瘴気が一定量蓄積して鬼が湧かないようにする対策が施されている。だが、それだけではなく。
──東の門崎は、木の気。
──西の嘉上は、金の気。
──南の霍見は、火の気。
──北の吉祥寺は、水の気。
各方角を司る五行を整え、外部戦力も含めた各戦地の人員と属する気のバランスを逐次把握し、彼らがより術を行使しやすいように地脈の流れを調整する。
『魔女』が嘉上の術者を総動員して集めさせ、パソコン上に表示させて確認している戦況を単独で掌握し。
以前の魔王襲撃のように、各個人が好き勝手地脈を利用して混線状態になるのを避け、戦いやすいように整え。
あまつさえ、妖側が有利な場を作りにくいよう、瘴気すら淀まぬようにするこの魔術が、朱雀が今代の主と定めた人物がたった1人で組み立て、維持している。
これで何故、疾が情報量の多さに昏倒しないのか、朱雀には理解できなかった。
『……朱雀。余り踏み込みすぎてはいけませんよ』
『青龍……』
『主には主の事情があります。仮契約しか組んでいない我々に、これ以上の深入りは許されていません。そうでしょう?』
『……その通りだ』
ぐ、と言葉を呑み込んで、朱雀は頷く。ひとまず言葉を呑み込んだ朱雀の様子を知ってか知らずか、疾が声を発した。
「それよりも。本当に、動きはないんだな?」
具体的な内容がないままに投げ掛けられた問いかけには、女性の声が答えた。
『はい。相変わらず、あてどもなく街の南側……霍見の本陣から少し離れた位置を彷徨いているだけです。術者と遭遇したときは、派手に暴れておりますが』
「……」
疾が眼を眇めて黙考する。そのまま何も言わない主に、報告した声の主──白虎が訴える。
『主。同じ風を司るものとしては──』
「言った筈だ。動くな。だが、絶対に目を離すな」
逸ろうとする白虎の言葉を遮り、疾は薄く笑った。
「ただでさえ守護側は動きが制限される分、状況は不利だ。挑発に引きずり出されてちゃあ守護獣の名が廃るぞ」
『……』
四神には見えない何かを見据えて、疾は楽しげに、傲然と笑う。その様子を見て、玄武が口を挟んだ。
『主。今後、地脈の安定化は維持が難しいはず。それはどうする?』
「計算内だが……街の全域に影響が出つつあるな。干渉は難しいが、少し誘導させるか……あの馬鹿はほんっとうに、不具合が過ぎる」
宙空を見上げてしばし考え込んだ疾は、ひとつ息をつき、端末を取り出した。画面を操作しながら、ちらりと南の方角を見て笑う。
「こちらが尻尾を掴むのが先か、数多の不安要素を利用されるのが先か。ひとつ間違えれば街が沈む化かし合いだ。せいぜい楽しませてもらうぞ」