百鬼VS鬼狩り【part 紫】
「うーん……」
進軍を指揮しつつ、神ン野悪十郎は唸り声を漏らした。
「どうかいたしましたか、悪十郎様?」
側仕えである鬼が、悪十郎の様子を見とがめて尋ねる。がしがしと頭をかいて、悪十郎は肩をすくめた。
「んーや。ちぃっとばかり人間舐めてたっつーか、ここまでの抵抗が出来るとは思ってなかったからサア」
「ああ、確かにこの街の術師共は予想外に手練れが多く、また慎重ですね」
通常、百鬼夜行に遭遇した術師は、まず妖を全て殲滅しようと逸るものだ。百鬼夜行に参加する妖にとっては人間は餌でしかないのだから、それも当然と言える。
が、この街の術者達は、こちらの戦力を弁えてか、随分と慎重に戦闘と退避を繰り返している。魔王級の妖相手に消耗戦を行うだけの胆力、悪十郎軍の側近をもっても感心していた。
しかし、悪十郎はその言葉に無条件には頷かなかった。
「あー、ま、それもあるけど。それ以上に、この街ヤベエっしょ」
「は?」
「だってさー」
そこで言葉を句切った悪十郎は、含むような笑みを浮かべた。
「こんだけ大量の妖が暴れてんのに、「穢れ」ひとつ生まれないって、異常じゃね?」
「! そう、いえば……」
指摘されてようやく気付いた側近が、言葉を失う。
「オレらけっこー容赦なく妖気ばらまいて暴れてるっしょ? 被害出すにゃー鬼が生まれてくれるのは好都合だからねえ。けーど全然生まれねえ。いやー面白えわナニコレ」
低く笑う悪十郎だったが、その目に浮かぶ感情は言葉とは裏腹であった。
瘴気が一定の濃度を超すと、その澱みから鬼が生まれる。百鬼夜行において、ただでさえ多い戦力が更に増えていく悪循環である。当然、悪十郎はそのシステムを利用してこの街への被害を拡大させる気だった。
が、進軍を開始してからそこそこの時間が経ったというのに、鬼は生まれない。瘴気が全く発生していないわけではないからこそ、悪十郎が今の今まで気付けなかったが、気付いてしまえば不自然極まりない。
「街の規模で、瘴気の発生を押さえ込むような術式ってーか? なかなか粋な真似するやつがいんじゃん」
笑いながら、悪十郎は側近を振り返った。
「ちゅーことで、どうよ?」
「は……」
「このままってわけにもいかんっしょ。ただでさえうちは数で九朗サンに負けてんだ。被害の数もフツーに負けんぜ?」
このまま行けば、最も術者が多く待機していた北東から、陽気を切り払って文字通り突き進んできた山ン本九朗左右衛門が着実に被害を出し、今回の勝者になるだろう。どちらが魔王の称号に相応しいかなどは割とどうでも良い悪十郎だが、勝負に負けるのは面白くない。
「オレとしては試しにこの術式に綻びいれらんねーかなーとはおもってんだけどさ。たーぶん、この辺の術師倒しても影響はないからな」
「しかし、街規模の術式となると……ああ、なるほど」
「そ。必ずどっかに、核となる術具がある筈だよなあ」
にっと笑って、悪十郎は背後を振り返った。
「てなわけで、千里のじっちゃん、頼める?」
「お任せください、悪十郎坊ちゃま。じいの耳に届かぬものはありませんぞ」
作務衣をまとった好々爺然とした老人が深々と一礼する。一見どこにでもいそうな老人だが、両耳たぶが地に着くほど長い。
「じっちゃんの耳千里なら、術式と術具の共鳴を聞き取れるもんな。……ぼっちゃんはもうやめてほしいんだけどな」
「ほっほ、爺から見れば可愛い坊ちゃまですよ」
好々爺と笑む耳千里は一礼し、するするとその場から離れた。進軍の音を少し遠ざけ、術具を探し出して破壊する為だろう。
「あ、そうだ。千里のじっちゃんなら大丈夫だろうけど、念の為に頼むな、牛鬼」
「はっ!」
筋骨隆々とした体躯に牛の頭を持つ鬼が、悪十郎の命令に応じて耳千里の後を追う。それを満足げに見送って、悪十郎はくるりと前を向いた。
「よし、んじゃオレらは取り敢えずこの先の──」
進軍の目的を再確認しようとした悪十郎の声は、やたら耳に付く悲鳴に遮られた。
「やっぱいたし! もうやだ帰りたい!?」
「まーだ言ってんのか瑠依……」
「ンー?」
悪十郎軍の行く先を真正面から遮る位置に、人間が2人立ちはだかる。堂々と現れた人影に対して、悪十郎軍がにわかにざわめいた。
「……んー? この街の術者って感じじゃねえな。誰あんたら?」
なんかどっかで見たような気もするが、悪十郎の記憶から浮かび上がってこないということは殆ど取るに足らない相手だと認識したという事だと思う。
「通りすがりの一般人です! 帰ります!」
「通用するか!?」
元気よく敬礼して言い放った少年の頭を青年がしばき倒す。登場早々漫才を繰り広げだす2人組に、悪十郎はつい苦笑した。
「迷子とは運がないねえ」
一般人だとは思わない。このすっとぼけた少年の方はともかく、青年はそれなりに戦えるし、そもそも人間ではなさそうだ。戦闘慣れしている気配もある。
が、この街の術者のように和装ではなく現代っ子らしいジャージやスウェットである事から、街の守護を司る家の人間ではないだろう。流れの術者が偶然に百鬼夜行に居合わせ、見て見ぬ振りも出来ずに飛び込んできた、と言ったところだろうか。
実に運がない、と悪十郎は酷薄に笑う。何も知らぬ顔で逃げるのを追いかけてまで殺す気は無いけれど、自ら立ち向かうならば容赦はしない。
「迷子じゃねえよ」
しかし、青年は低く唸るような声で言い返し、獰猛な笑みを浮かべる。少年がひくっと顔を引き攣らせるもお構いなしだ。
「俺らはあんたらを止めに来た。百鬼夜行は鬼の務めっつっても、限度があるだろうがよ」
「おーや、なるほど。首輪付きか、ダッサ」
「うるせえ、野放しにされる程度の野良が」
場がにわかに殺気立つ。契約済みの妖と、喰らう事で生き続ける妖とは、根本的に相容れない。互いが互いに使い古された挑発だが、そもそもやる気に満ち溢れた鬼共にとっては十分な切欠だ。
息すら潜めて機を窺うような空気が張り詰める中、どうにも気の抜ける声が放たれた。
「あれ? なー竜胆、そういやこのひとたち、鬼なんだよな? 普段狩ってる奴らって、俺らじゃないと狩れないのに、このひとたちは術者も狩れるのって何なの? なんか違うの?」
特大の爆弾がぶち込まれ、場の空気が凍り付く。
「…………は?」
唸るような声が自分のものだと気付くのに、悪十郎は少しかかった。
「瑠依、この馬鹿……」
聞き間違えかと相手を見やれば、竜胆と呼ばれた青年が盛大に顔を引き攣らせて、少年を睨み付けている。……聞き間違いではないらしい。
「……へえ。言ってくれんじゃん、クソガキ」
「へっ? え? 何で怒ってんの?」
無自覚に鬼の矜恃という地雷をぶち抜いた少年は、それでも理解出来ないように瞬いた。悪十郎軍の怒りがいや増す。
「……瑠依。一般に「鬼」として扱われるやつらは、瘴気の淀みに侵された妖や動物のなれの果てだ。だから瘴気を落とせばただの動物や妖。……対して、百鬼夜行に参加するような「鬼」は、瘴気そのものを操る、生粋の鬼という妖なんだよ。言わば、「鬼」の生みの親だ」
そもそも根本的な有り様からして異なるというのに、自分が生み出す畜生如きと同列にされて怒らないわけがない。
「そもそも瘴気に中てられるならともかく、呑まれるような雑魚扱いされて怒らない妖なんざいねーっつの……!」
「えっ、何それ帰りたい」
だというのに、丁寧に説明されてなお、あからさまに面倒臭そうな顔をした瑠依に、悪十郎さえ堪忍袋の緒が切れる音が聞こえた。
「……クソガキ」
「え?」
振り返った少年が、悪十郎軍の表情を見て青醒めるが──もう遅い。
悪十郎は背負っていたバットケースを下ろし、中からズルリと中身を取り出す。それは細身の金属バットのようなデザインをしているが、よく見ると無数の細かい鋲がびっしりと生えている。
鬼の中では決して大柄とは言えない悪十郎が破壊と破滅をもたらすためにしつらえた、鬼の金棒である。振るえば海が割れ、山が砕ける。
「地獄の底で100回詫びてから死にな」
「嘘ヤダかえりた──」
がっし、と。
踵を返して逃げようとした瑠依という少年の襟首を、竜胆が掴み。
「瑠依、丁度良い。勉強不足が如何に命の危険に繋がるか、身を持って学んでこい」
「待って、何で竜胆さんまでガチ切れてるわけ帰りたい!? うっそでしょ、ちょっと待ってくださいマジで待って──」
大きく振りかぶって、迎え撃つ悪十郎達へとぶん投げ──
「ぎゃああああああああああ!?」
*****
耳千里は影と影を縫うようにして進んでいた。
「千里殿」
「うむ? おや、牛鬼か。坊ちゃんに頼まれましたか?」
「念の為、と」
「ふむ、随分と可愛い真似をするものよの」
耳千里は小さく笑って、自分が仕える主を思い浮かべた。ちゃらちゃらした外見に反して、策士の顔を持つ今代の神ン野は、それ故に慎重を期して作戦中の部下を気遣う。上に立つものとしての覚悟が無いと言うものもいるが、耳千里はその気性を好ましく思っていた。
「さて……この辺りでよいかな」
影の中から『耳』を済ませやすい地形を探し出した耳千里は、ずるりと影から地上へと上がる。辺りを見回して術者に気付かれていないことを確認し、耳千里は影に潜ったままの牛鬼へと語りかける。
(では、これより「耳」を使う。そこで待っておれ)
(了解)
返答を待って、耳千里はゆったりと目を閉じ、千里先まで届く「耳」を澄ます。様々な戦闘音、術の発動をより分けて、街全体に作用する術の「音」を聴く。
「音」は、数種類存在した。
「……」
ひとつは、建築物を対象とした術式。百鬼夜行による被害を食い止める為の保護術式だろう。
もうひとつは、中央の山を封じる結界。噂に聞く土地神の封印術式だ。単性に寄り合わされた術式の複雑さは、長きを生きる耳千里ですら驚く緻密さである。
そして。
「……なんだ? これは」
困惑混じりに耳千里が呟く。
──街の術者を敢えて窮地に陥らせるような術式が、存在していた。
そこに息づく命よりも、その土地を守る子飼いたる術者の家よりも。この地に生ける全ての術者の力の一部を、封印術式へと流し続けさせる。命の危機ですら全力を賭す事を許さぬまじないが、地を縫い付けるように存在していた。
「聴いた事のない術式じゃのう……術具もないとな」
当惑した耳千里だが、しかしそこで意識を切り替える。今は、この術式を気にしている場合ではない。悪十郎に命じられた術式の核を探し出さねばならない。
残る術式は──と、改めて耳を澄ませた耳千里は、ザザッと割って入ったノイズにおやと眉を寄せる。
街中の術式を無理くりに揺さぶるような、このノイズは一体──
「あんぎゃああぁあああああああああああ!?」
腐った乳製品を拭き取った古びた雑巾を引き裂くような、黒板を尖った金属でガリガリと削るような、思い付く限りの不快な音をごちゃ混ぜにして纏めてハウリングさせたような悲鳴が、耳千里の鼓膜を突き破った。
「…………」
ぐるん、と耳千里の目が上方へと回る。
(今のは一体……み、耳千里殿!?)
狼狽する牛鬼の声に答えたのは、どさっという、気絶した耳千里の倒れる音だけだった。




