真の変態はどちらか【part 山】
誑惑の魔王エティス、もしくはノルデンショルド地下大迷宮第10階層守護者『残虐なる螺旋』と称されるその存在はどことも知れぬ空間で胡坐をかき、芋ジャージの襟元を鬱陶しそうに掻きながら異世界邸の様子を俯瞰で眺めていた。
『んーむ……なんとも、なんともまあ……』
くあっと羊の口を大きく開けて欠伸をし、並み居る珍客たちを吟味する。
とは言え、既に彼女の興味はほぼほぼ失せていた。
『あの犬神のお子は良い線をいっているのだがな……如何せん尖りすぎておる。我が君のように棘の奥に柔らかな丸みを抱えているのであれば兎も角、棘の奥まで棘では赴きに足りぬな』
あの少年姿の犬の亡霊は同胞にくれてやるとして、次に視線を移すのは盲目となった堕天使の周りを羽を撒き散らしながら跳び回る鳥の魔物。
『確か夜雀と言ったか。視界だけでなく他の感覚まで奪うとはなかなかに特異。五感を奪われて放置ぷれいというのも吝かではないが……相手があのような貧相な見た目の小娘では燃えぬ。それ以前にやつがれにはあの羽も効果はなかろうな』
そういう意味ではなかなかに立派なモノを持っている絡新婦は合格であったが、そもそも今現在彼女のとれんどは小児であるからして、優先順位は限りなく低い。大きいならば大きい方がエティスの好みだが、今はいらない。あと彼女の背中から生えている蜘蛛の脚がどこぞの蟲の怪物を連想してしまいなんか嫌な気分になる。却下であった。
『他の雄共もなあ……茨木童子に一角、火車とはなんとも豪勢な顔ぶれではある。あの角なし含め、体つきも各々方向性は違えど芸術品の如きなれど、やはり、今ではない』
これが500年前であれば四妖まとめて掻っ攫って密室に閉じ込めて色々とオタノシミにしていたところであるが、いまいち燃えない。夜空に大輪咲かせる大花火を楽しみにいそいそと祭りに足を延ばしたのに線香花火を見せられたような気分である。それはそれで味があるが、そういう気分ではないのだ。
『これだけ珍客が雁首揃えてやってきているというのに、誰ぞ一人くらいやつがれのとれんどに刺さってはくれぬか』
異世界邸の管理人との約定により、邸に住まう小児には手を出さぬと誓っているため、ぶっちゃけここ最近は欲求不満となっていた。もちろん邸を破壊した罰として贄として差し出される供物たちはその都度美味しくいただいてはいるが、やはり気分ではないものを摘まんでもいまいち満たされない。
『いっそこのまま丁々発止渡り合っておる様を眺める方が有意義かも知れぬ。我が君さえ無事であればあの邸そのものがどうなろうとやつがれの知ったことではなし――』
と、完全に観戦モードで改めてぐるりと珍客の顔ぶれを見返していると、ふと視線が止まった。
『ふむ……』
限界まで丈を短くしたスカートに、この世界ではだいぶん前に廃れたと聞くだぼだぼのソックスを合わせるという下半身の防御力に乏しい装い。それでいて上半身はサイズの大きいセーターに連れ合いを意識したのが見て取れる無駄に長いマフラーを首に巻いてガッチガチに防備している。髪は痛々しい金色に脱色しているが生え際は黒髪が覗いているという雑さ。そしてピアスやタトゥーの類は見られず、根っこの部分にこびりついている妙な真面目さが窺える。
背中から黒い翼を生やし、無角童子に抱き着こうとして幾度も避けられている少女――烏天狗。
『ふーむ……』
ゆらりと、エティスの心に火が燈った。
* * *
異世界邸に足を踏み入れた瞬間、無角童子を奇妙な感覚を襲った。
「どうしたの? 無角様」
「…………」
息をするように烏天狗を無視し、こつこつと何度か小突くように床を蹴とばす。
無角童子の感覚によれば、那亜は間違いなくこの邸の地下にいるはずだ。しかし妖気を介した探知の術を使って調べたが、この階下に地下空間は存在しない。
「……ふん!」
何度か小突いたが戻ってくる感触は変わらず、とりあえずの打開策として無角童子はそこそこの妖気を籠めて邸の床をドカンと踏み抜いた。
「ふぎゃあっ」
その瞬間、天井が抜けて大小様々な破片が降ってきた。無角童子が床を踏み抜いた時の爆風と併せて烏天狗が木っ端のように飛んでいったが無視する。
「ふむ……これは認識を改める必要があるな。この邸、実に厄介よ」
無角童子は砕け散った床から足を引き抜く。床に空いた大穴を覗くと、無角童子の脳天と、その後ろから頭にたんこぶを作りながら抱き着こうと忍び足で迫ってくる烏天狗が見えた。
「邸全体が迷宮のようになっているのか、はたまた我が侵入することを見越して術でも用意したか。どちらにせよ、那亜の元へたどり着くには相応の手順が必要ということか」
「あふんっ」
背後から飛びついてきた烏天狗を闘牛士のような身のこなしで避ける。勢い余って床の穴に落ちた烏天狗は、そのまま天井の穴から降ってきて、また床の穴に落ちるという無限ループに陥った。
「あばばばばばばばばばばっ……あ、これ楽しくなってきたよ!」
「が、しかし。客人に対し出迎えもなしとは不敬である」
ニイッと笑みを浮かべ、無角童子はおもむろに手を伸ばして無限落下を続ける烏天狗の華奢な脚を引っ掴み、無造作に今入ってきたばかりの扉に投げつける。
「ありがとうございまふっ!!」
盛大な音を立てて砕けた異世界邸の正面玄関。そしてなぜかパッと見は無傷の烏天狗。破壊された扉の奥には異世界邸の外の風景ではなく見知らぬ廊下が繋がっていた。
「こちらに来いとでもいうつもりか。……ふん、まあよい。しばらくは付き合ってくれよう」
扉の破片と一緒になって廊下をふさぐように何かを期待する表情で横たわっていた烏天狗は無する。絶対に踏まないように大股で乗り越え、廊下の奥へと無角童子は歩を進めた。
「あぁんっ! 待ってくださいよぅ無角さ――」
と、背後から聞こえてきた烏天狗の声が不意に途切れた。
不審に思い渋々振り返ると背後には誰もいなく、破壊した扉すらなく、延々と続く真っすぐの廊下が伸びているだけだった。
「……ふん」
アレがどうなろうと無角童子の知るところではない。勝手に付きまとっている鬱陶しい小娘の声がようやく聞こえなくなり清々するくらいだ。
それに加えて。
「どこの誰だか知らんが、アレに手を出して五体満足でいられるとは到底思えん」
* * *
「アレ? ここどこ?」
烏天狗は不可解な空間に迷い込んでいた。
先ほどまでいた木造の邸ではなく、石造りの薄暗くじめっとした大きめの部屋だった。妖しい装飾が至る所に施された調度品が部屋中所狭しと配置され、その向こうには紫色のカーテンで覆われた天蓋付きベッドがドンと置かれている。さらに何やら甘ったるい香が焚かれいるらしく、頭がふらふらする。
「うえぇ……何この趣味悪い部屋! 無角様と一緒じゃない限り絶対こんな部屋住みたくないんだけど」
『この部屋の趣を理解できぬとは嘆かわしい。しかしその感性の幼稚さ、悪くない』
「んにゃっ!?」
脳内に直接響くような気味の悪い声が耳元で囁かれた。反射的に前方へ跳び、いつの間にか背後に立っていたソレとの距離を取る。
眉根を顰めながら、烏天狗はソレをじっと確認した。
『おう、おう。そのように熱い視線を送られると、やつがれ、本気になってしまうぞ』
黒毛に大きな巻き角を持つ羊頭。何故か芋臭いえんじ色のジャージを身に纏っているが、その上からでも分かる艶めかしい体つきに同性ながらも一瞬見とれてしまった。しかしこの空間を含めたその全てのアンバランスさに烏天狗の不快感はぐんぐん上昇する。
『ふむ。改めて見てみるとなお良いではないか。この世界の言葉を用いて表現するならば、地味だった中学生時代を捨てるためにぎゃるふぁっしょんで高校でびゅーした結果、その手の友人は増えたもののどうにもいまいち馴染めず、さりとて今更戻やめることも出来ず、段々身支度が雑になってきた初冬の女子――というところか』
「だ、誰が高校デビューだ! ボクはずっとこのファッションだ!」
『その一人称は素かね? であれば部屋着は丈の短いずぼんにだるだるの男物の肌着、下着は鬱陶しくてつけないたいぷであればさらに燃える』
「コイツ気持ち悪いよ助けて無角様!?」
鳥肌を掻きながらさらに距離をとる烏天狗。しかしすぐ柔らかなものに背後を阻まれた。
振り返ると、羊頭の女がそこにいた。
「ぎゃああああああああああっ!?」
『無垢なる反応。良いぞ良いぞ、やつがれの大好物である』
べろりと分厚い舌で唇の周りを舐め、うねうねと指を動かしながらじっくりと烏天狗に近寄る羊頭の女。
『さてさて、烏の少女よ』
「な、なんだよ」
『やつがれと熱い夜を過ごそうではないか。具体的には蛞蝓のようなねっとりとしたまぐわ――』
「……っ!!」
――ごとり
羊頭の女の指が烏天狗の肌に触れる直前。
ピタリと羊頭の女の動きが止まり、何か重いものが床に転げる音が部屋に響いた。
そして遅れて、どしゃりと倒れこむ人影。
「ボクに触れようとしたね?」
冷たい声が、床に転がる羊の頭部に刺さる。
「イケないんだあ。ボクの体は髪の毛一本爪の一枚から全部全部ぜぇんぶ、無角様の物なんだから。お前みたいな畜生が無角様が見てないところで無断で触っていいものじゃないんだよ」
ごつっと、烏天狗は羊の頭部を蹴り飛ばす。すると大きな角で何度か床を跳ねたものの、毬のようにはいかずにすぐに失速する。それを見て興味をなくしたのか、烏天狗は芋ジャージの裾で靴についた血糊を拭い、わざわざ羊頭女の分断された体を踏みながら歩み出す。
「あーあ、時間無駄にした。早く無角様のところに戻らないと……でもここ、どうやって出るんだろう。見た感じ、扉もないけど」
壁を壊せば元の空間に繋がるだろうかと考えながらじっと周囲を観察する。しかしこれといって術式の類の痕跡は見当たらない。ここだけで世界が完結しているかのような異空間と化していた。
「……しくったかな。もうちょっと情報聞き出してからでもよかったな」
少しばかり後悔し、再びぐるりと部屋全体を見渡す。何か手掛かりに何そうなものはないかと探索し――視界の隅にあったはずの羊の頭部が消えていることに気が付く。
「あれ」
『これはこれは驚いた』
三度、背後。
「んなっ!?」
『首を落とされたのは数十世紀ぶりよ。思わぬ快感に、やつがれ、思わず恍惚としてしまったよ』
振り返ると、羊の頭部をボールのように手遊びしながら、首のない女が立っていた。
コツコツと、ジャージの裾から伸びた羊の蹄が床を掻く。
『しかし解せぬ。うぬの魔力の練度と量を見るに、到底やつがれの首を落とせる手腕はないと思うのだが。これが我が君のように見た目と実年齢がかけ離れておるのならばともかく、うぬは見た目相応のようであるし』
「なんで生きてんの!?」
ごとり、と何かが床に落ちる。
『……ふむ、確かに効いておる。まぐれや奇跡ではないようだな』
女は床に落ちた右腕を器用に頭部を抱えたまま拾い上げ、元の位置にくっつける。
『怪奇、怪奇。なれどその力、実に魅力的。我が君がその力を見つければ、やつがれの新たな扉を開いてくれるかもしれんな』
「な、なに!?」
『うぬ、我が君の一部となる気はないか』
「ふざけんな! ボクは無角様の玩具だ!」
『で、あろうな』
ふう、と抱えられた羊の頭部が溜息を吐く。
すると唐突に女は両腕に力を籠め、抱えていた頭部をまるで粘土でも扱うかのような手つきで捏ね繰り回す。その光景に烏天狗は思わず口元を抑え、数歩引き下がる。
「ふむ、こんなもので良いか」
不可解にも先ほどよりも鮮明になった女の声が部屋に響いた。女は肉塊を首の上に乗せると、パチンと指を弾く。すると肉の塊だったものが蠢きだし、瞬く間に人間の女の頭部へと姿を変えた。
「ふむ、ここまで力を落としたのは一体いつ振りか。うぬよ許せ。あの姿のままではうっかり殺してしまうかもしれんかったのでな」
ウェーブがかった長い髪をうねらせ、浅黒い肌の女が鋭い目つきを細めてねっとりと笑う。
人間味を増し、表情が豊かになったことでより深い嫌悪感が烏天狗の精神に染み渡った。
「この弱々しい人間の姿に加え、邸より施された拘束具によりいい感じに力は拮抗すると考えるのだが、如何かな?」
「死ね!」
再び、女の頭部が不可視の力により斬り落とされる。しかし今度は零れ落ちる頭部を器用に空中で受け止め、帽子でも被るかのような気楽さで元に戻す。
「この痛み、なかなかに癖になるな。文字通り死ぬほど気持ちがよいぞ」
「キモイ!」
今度は女の腹部に強烈な痛みが奔る。生きたまま内臓を掻きまわされるようなその激痛に思わず吐血したが、女は変わらず気味の悪い笑みを浮かべ続けている。
「ふーむ、なるほどなるほど。その力の根源、少しずつ見当がついてきた。しかし重ねて奇怪よ。その力、烏天狗が元来備えるモノではないな?」
「……だったらどうしたっての。舐め腐りやがって、自分から弱体化したのを後悔させてあげるよ!」
さて次はどのように痛めつけてくれるのか――魔王エティスは、ねっとりと笑みを浮かべながら烏天狗の出方をじっくりと窺った。




