同業 ‐ショウバイガタキ‐ 肆
「初めは何とも無かったが、男が霊力を纏ったのと同時に空気が変わったの。思わず距離を取ってしまう程に」
「正直、七篠って男の霊力自体はそう多い訳じゃねぇ。見た感じ、俺の三分の二程度だ。けど、あのロープがヤバ過ぎる」
「私も恐ろしく異様な気配を感じたの。あれ程の力を持った物となると……神器の類かも知れんの」
神器とは昔から受け伝えられた宝器と言われており、その力は神の名が付くに相応しい代物。日本では八咫鏡、八尺瓊勾玉、草薙の剣などが有名である。
言い伝えや昔話に出てくる有名な物だけでなく、書物や文献で記し残されていない神器は多く存在すると言われている。
未だ発見されていない物や、見付かっていても神器だと認識されていない場合もあるだろう。
もしかしたら七篠言平が持っていた物も、まだ知らぬ神器の一つかもしれない。
「それと、あれはロープではなく“注連縄”だの」
「しめなわ? なんだそりゃ?」
「神社の鳥居などに掛けられている紐を見た事無いかの?」
「あー、あれか。二本の紐をグルグル巻きにして、紙が付いているヤツか」
「うむ、それだの。注連縄は神道における神祭具とされておっての。厄を払ったり神域を作ったりと、まぁ色々とあるが言っても理解出来んだろうしの」
「出来ねぇだろうな、俺の頭じゃあ」
頭が悪い上に暗記も苦手な供助に、興味が無い話をしても右耳から左耳へと通り抜けて終わってしまう。
それを解っていた猫又は詳しく話さず、軽い説明だけで済ませた。
「ま、答えが解らねぇ問題を話しても意味は無ぇ。俺達があの男とまた出会わねぇように祈る、それしかねぇだろ」
供助は猫又の手から名刺を取り返し、それをポケットに突っ込んだ。
「会わないように祈る、と言って名刺は取っておくとは矛盾してるの。まさか、依頼でもするつもりかの?」
「ばーか。言ったろ、ウチにはそんな金は無ぇ。燃費の悪ぃ猫を食わせてやるのに手ぇ一杯だ」
「ぬ……馬鹿に馬鹿と言われるとはの」
「一応商売敵だしな、横田さんに知らせる為に取っておくんだよ。もしかしたら、あの注連縄とやらについて何か解るかもしれねぇしな」
供助がズボンにから手を抜き出すと、名刺の代わりに携帯電話が握られていた。
「もう八時前じゃねぇか。時間潰しにゃなったが潰し過ぎたな」
供助もいつもの様子に戻り、背中が丸まって怠そうに携帯電話の画面を見る。
すると、新着メールのマークが表示されているのに気付く。
「……猫又、今日は終わりだ」
「む? まだ友恵の両親を見ておらぬだろう」
「どうやら、さっきの商売敵に邪魔されちまったらしい」
供助は溜め息を漏らして、猫又に言う。
「友恵からメールが来てた。母親は帰宅。父親の方は飲み会で今夜は泊まりとの事だ」
「なんと……」
「つまり、ここに居る必要は無くなって、待ち呆けしてたのも無駄になった訳だ」
最近の子供は小学生でも携帯電話を持っているのが当たり前らしく、友恵も例外ではなかった。
友恵とは公園から移動中に連絡先を交換していて、とりあえず今日は友恵の両親を霊視し、後日また会って払う予定を立てる手筈だった。
しかし、それは一人の男に狂わされてしまった。
「さっさと家に帰るぞ」
「ちょ、ちょっと待つんだの、供助。せめて母親の方だけでも霊視して……」
「どうやってだよ? 友恵に頼んで外に出てきてもらうか? それとも正面から呼び鈴を押してか?」
帰ろうと一歩足を踏み出した所で猫又に止められ、供助は首だけを向けて話す。
「何より俺ぁ疲れた。横田さんからの依頼が今夜あんだ、帰って少しでも寝る」
「しかしの、供助。友恵はあんなに困っておったのだ。せめて……」
「無理、帰る。俺はそこまでお人好しじゃねぇ。第一、面倒臭ぇ」
「面倒臭い……? 今、面倒臭いと言ったかの……!?」
供助は大きな欠伸。開いた口は隠しもせず、目には薄らと涙。背中を丸めて気怠そうに、少し重く感じる足を動かして自宅を目指す。
その発言。その態度。その性格。その、最低さに。
猫又の中で切れた。ブチンと、音を立てて。
「少女が泣いて! 自身よりも両親を助けたいという気持ちを! 優しさを! 面倒臭いと言うのかッ!」
「あん? 言っちゃあ悪ぃのかよ?」
「何が商売敵……何が払い屋だの! 祓い屋とは違うとよう言えたものだの!」
暗く夜が訪れた住宅街の真ん中で、猫又は叫んだ。
周りに家があろうと、誰かに聞かれようと、関係無く。
腹の中に溜まっていたモノが、感情が。抑えきれず吐き出された。
「幼子から金銭を見返りに求め、その癖やる気は見せず、挙げ句の果てに面倒臭いと言いおって!」
「依頼として友恵から頼まれたんだ、報酬を求めて何がいけねぇ?」
「ふんっ! 義理も、人情も、道徳も無い! 結局は供助も同じであろう! 先程の七篠という男と! 祓い屋と!」
「違ぇよ、俺は払い屋だ。祓い屋じゃねぇ」
「変わらん! 友恵の助けの声も無関心だった供助は、見返りが無ければ動かぬ貴様はッ! いや、むしろ報酬を与えれば相応に働く分、祓い屋の方がまだ上等だの……ッ!」
猫又は嫌悪感を露わにし、供助へ投げる。言葉を、感情を、怒りを。
気に入っていた……猫又は、気に入っていたのだ。
だらしなく気ままな最近の生活を。口が悪くても、なんだかんだで応えてくれる同居人を。それなりに気が合っていた相棒を……気に入っていたのだ。
だから、怒りが収まらなかった。だからこそ、悲しかった。
認め始めていた相手がここまで薄情無情だった事に。それを見抜けなかった、自分に。
「私は貴様と、このままやっていけるとは思えん」
奥歯を噛み締め、軽蔑の視線を向けて放った猫又の言葉は。
「……友恵の依頼を解決したら、貴様との手組みも解消だの」
手組みの解消……つまり、解散。互いに一人の人間と、一匹の妖怪に戻るという事。
供助は足を止め、猫背のまま、ゆっくりと、背中越しに猫又を見て。特に特別な感情も、反発も反抗する様子も。何かという何かも無く。
無感情な表情と、半開きの目。そして平坦で抑揚の無い声で、一言だけ返した。
「あぁ、そうかい」
星は雲に隠された曇った夜空。月も薄い雲に覆われ姿が見えず。
ぼんやりと、濁った白い光だけを放っていた。




