第二十話 懇願 ‐オネガイ‐ 壱
「はぁ……ったく、文化祭なんてかったるいだけだろうに」
誰も居ない廊下で一人呟いて、缶ジュースのタブに指を掛ける。少し指に力を入れて飲み口を開けると、プシュッと炭酸が抜ける音がした。
供助が今居るのは購買部の横に置いてある自販機の前。喉の渇きを潤そうとワンコインで買える炭酸飲料を買い、喉を鳴らしていく。
「あ、供助君」
一気に半分程飲んだ辺りで、供助の名前が呼ばれた。
缶から口を離して振り返ると、そこには見慣れた顔が居た。
「おう、祥太郎……げふぅ」
「供助君、汚いよ」
「いいだろ別に。他に誰か居る訳でもねぇ」
供助の名を呼んだのは仲の良い友人の一人、祥太郎だった。
祥太郎がゲップを注意するも、供助は気にするなともう一口ジュースを飲む。
「休憩?」
「いんや、帰るとこ」
「文化祭の準備は? 太一君から供助君のクラス、出し物の準備が遅れてるって聞いたけど」
「らしいな。委員長が慌ただしくあっちこっち行ったり来たりしてたわ」
「他人事みたいに言って……また怒られるよ?」
「二時間前に怒鳴られたばっかなんだ、勘弁してくれ」
焦茶色の髪。垂れた数本の前髪を掻き上げ、供助は辟易する。
横田との電話が終わってすぐ戻れば問題は無かったのだが、予想外の登場人物……いや、登場動物のせいで余計な時間を食ってしまった。
そのお陰で委員長にサボっていたと思われて怒鳴られ、文化祭準備の作業中もずっと目を光らされ睨まれる始末。労力以上に精神的に堪えた。
「俺の仕事は終えたんだ、帰っても構わねぇだろ」
「太一君と一緒に裏方回りをやってるんだよね?」
「あぁ、面倒ったらありゃしねぇ。なんであんなに真剣に打ち込めるのかねぇ」
「僕達は二年生で来年は受験だから。何も考えず楽しめるのは今年で最後だからね」
「そういやそうか……受験か、面倒臭ぇな」
「供助君は進路、まだ決まってないの?」
「決まってねぇな。この頭じゃあ大学は無理だし、どこかしらに就職だろうよ」
供助は残りのジュースを飲み干し、空き缶をゴミ箱に投げ捨てる。
勿論、燃えないゴミのゴミ箱に。
「それにまだ一年以上も先の話だ。どうなるか分かんねぇよ」
「分かんないって……一年なんてあっという間だよ」
「そのあっという間の間に何が起きるか分かんねぇのが世の中だ。生きてるかもしんねぇし、死んでるかもしんねぇだろ。なぁ?」
「なぁ? って言われても共感出来ないって」
ズレた眼鏡を整えて、太一は供助にツッコむ。
「僕はそろそろ戻らないと。うちのクラスも出し物の準備で忙しいから」
「祥太郎のクラスは屋台だっけか?」
「うん。たこ焼きの屋台」
「俺のクラスも食いモンだったらまだやる気が出るってのに。演劇じゃあ腹も満たされなきゃ興味も持てねぇよ」
供助は大きく溜め息。
面白くもないものの手伝いをさせられる上に、放課後に残される。文化祭に興味が無い供助には拷問でしかない。
「最近忙しくて遊べないからさ、文化祭が終わったら遊ぼうよ。供助君の家でさ」
「あー、太一にも言われたわ、それ」
少しばかり気まずそうに、供助は頭を掻く。
供助としては自宅で遊ぶのは構わない。のだが、今の供助の家には厄介者が一匹居る。それも喋る猫、妖怪だ。
供助が霊や妖怪が見える事を、払い屋という稼業をしている事を、友人は知らない。教えていない。
当然だ。人に言って信じてもらえる事でもないし、言って良いものでもない。そういう事は誰にも言わず、知る者だけで留めておくのが一番良い。
それを供助は、幼い頃に知った。知らされた。
「まぁ、なんだ。考えとくよ」
返事は太一の時と同じく、曖昧なもの。
供助の家に猫又が居る限り、祥太郎と太一を招く事は出来ないだろう。
猫又には出掛けてもらう方法もあるが、代わりに何かしらの食べ物をねだられそうだ。
「っと、本当にそろそろ戻らないと。たこ焼きのオリジナルメニュー考えないといけないから」
「真面目だねぇ」
「供助君が不真面目なだけだよ。それじゃあね」
「おう。真面目も程々にしとけよ」
「ははは、なんだよそれ」
祥太郎は笑って、自分の教室へと戻っていった。
廊下に一人残された供助。購買部の辺りは文化祭準備に使われておらず、殆んど人は居ない。
「さて、俺は帰るか。委員長に見付かったら何言われるか分かんねぇ」
両腕を天井へ向けて背伸びし、背中の関節がパキポキ鳴る。
自分に割り振られた仕事を終わらせたとは言え、皆が残ってる中帰るとなると委員長が何か言ってくるかもしれない。
太一も一緒ならばまだ大丈夫だっただろうが、残念ながら太一は今も教室に残って文化祭の準備をしている。裏方の仕事は順調で今日の分は終えたのだが、太一は他のグループの手伝いで残った。
供助と違って太一は器用でクラスの皆に重宝されている。裏方の小道具だけでなく、衣装の裁縫や台本の修正も手伝っているときた。
普段は授業とかよくサボるのに、こういうイベントには積極的だ。




