払屋 ‐ハライヤ‐ 弐
「人、じゃあないよな」
動く影を見やり、供助は目を細くさせて呟く。
四肢があり、頭部もある。後ろ姿だが、見た感じだと人間とはなんら変わりない。肩まで伸びた髪。パッと見だと女性に見える。
が、ここに妖怪が現れるという報告があり、こうして供助が払い屋として呼ばれた。
第一、こんな時間でこんな所に人が迷い込む事はまず無い。
見た目は人間でも、人の姿に似たり人に化ける妖怪は珍しく無い。十中八九、妖怪と考えるべきだろう。
「どれ、準備でもす……」
ロングティーシャツにデニムパンツ。ラフな格好をした供助。
デニムパンツの後ろポケットからある物を取り出そうとすると。
バキ。足元に落ちていた枝を踏んで音が鳴った。
「――――ア?」
「あ」
酷く、酷く酷く濁った声。喉に水が詰まり、ガラガラと吐き出すような。
目標であろうそれは、一言だけの声を上げて振り向いた。
供助も気の抜けて間抜けな声を出して、前を見る。
「ア、アア、ア……」
「あーぁ、気付かれちまった」
目が、合った。振り向いた奴と、目が合う。
ごき、ごきん、こきこき。整体師も顔負けな位、首の関節を鳴らして。
目標であろう奴は、目標である妖怪へと認識が変わる。
首を百八十度曲げ、顔だけを真後ろへと向かれたら人間とは言い難いだろう。
おまけに目尻は釣り上がり、目は瞳がなく白目。顔も鬼の形相かと思えるほど歪んでいる。
一見だけでは、ただ頭のおかしい人に見えなくもない。顔が百八十度曲がっている事に関して目を瞑れば。
しかし、供助を見付け警戒したのか。目の前の妖怪からは牽制するように妖気が放たれる。
「びっくりどっきり人間、て訳ねぇよなぁ。こんなに妖気を出してちゃあよ」
少し腰を落とし、供助は警戒態勢に入る。
威嚇みたいに妖気をこちらに放ってきたら、とても友好的な態度を取る気は起きない。
そもそも、供助はこの妖怪を祓いに来たのだ。
「あんただろ? ここいらで人に怪我をさせて歩き回ってるってのは」
「ア、ニ……ニク、ニクニ、ク」
今度は先ほどの逆。首から下だけを動かして、体もこちらへ向ける。
その動きもまた、奇妙な事。
「一応聞くけどよ、別に誰かに強要されてやってる……って訳じゃねぇよな?」
「ク、ニック、ニクニクニ」
「もしかして言葉が通じないか?」
面倒臭ぇな、と。供助は鼻を鳴らしながら息を吐く。
「ニクニ、憎イィィィィィィイッ!」
「ッ! っとぉ!」
突然。だが、予想通り。目標の妖怪は供助へと襲い掛かる。
人を襲うという情報があって警戒しないほど、供助も頭が悪くても馬鹿ではない。
妖怪と距離もあり、直進してきたのを避けるのは容易い。
「んだよ、言葉通じるじゃねぇか。話は通じねぇけど」
いかにも聞く耳持たずという様子。妖怪は聞く耳を持たないが、代わりに持つは一本の包丁。
妖怪にしては現実的な攻撃方法だと、供助は漏らす。
「憎イ憎イ憎イ憎イ憎イ憎イ憎イ憎イ憎イ憎イィィィィィィィィィイイイィ!」
妖怪は歪んだ表情をさらに歪ませ、逆手に持った包丁で近くにあった木を刻みつける。
絶叫しながら何度も何度も。がりがりと木を切り削る。
恐らく女の妖怪なんだろうが、あまりに顔が歪み過ぎていて断言は出来ない。
「あいつが憎イ! あの女が憎イ! 憎イ憎イ憎イ憎イィィィィィィ!!」
「おー、怖ぇ怖ぇ。女の恨み妬みってぇのか? 嫌だねぇ」
「みんな死んじゃえばイイ! 幸せな奴はミンナ! 死んじゃえば!」
「なるほど。女の負の感情が集まって生まれた妖怪か。そんだけ心が歪んでりゃ顔も歪むわな」
大人が見ても短い悲鳴をあげてしまいそうな妖怪の顔にも臆せず、むしろ供助は軽口を叩いてからからと笑う。
供助が払い屋のバイトを始めたのは高校一年生の一年前から。それに、物心付く前から妖怪や霊が見えていた供助にとっては、この程度で恐怖を感じる事は無い。
「説得出来るようなら別の方法もあったが、この様子じゃ無理そうだな」
供助はおもむろにデニムパンツの後ろポケットに手をやり、ある物を取り出す。
人の手の形をして、白い布で作られた物。
それは誰もが知っている、軍手。
「俺ぁ道具が使えるほど器用じゃねぇんで」
供助は両手に、その軍手を付ける。
しかし、よく見ると違う。普通の軍手とは異なる部分がある。
軍手の甲と掌の部分。手首から指先まで、まるで木の枝のように。黒く文字のような模様が描かれていた。
それは“霊印”と呼ばれるもの。お札や経文などに書かれているのも霊印、または霊字と言われている。
供助はそれを何の変哲のない普通の軍手に書く事で、霊に触れたり攻撃力を高めたりしていた。
普通ならば札や水晶、人によっては刀や棍などの道具や武器を使用するのが主流である。
しかし、供助の姿格好を見ると、道具や武器を持った様子は見当たらない。
あるとすれば、この霊印が描かれた軍手のみ。
霊視が出来、霊感が強く、霊力が高い。供助は横田が認める程、払い屋として文句無しに才能がある。
そう、払い屋の才能はピカイチ。実力もある。が、別な所に問題があった。
それは物覚えの悪さと不器用さ。経文は長いと覚えられず、お札や数珠、杖や刀などの道具はかさばると興味すら向けない。
だから供助は、簡単で簡潔な方法を取る。
「シンプルにブン殴るだけだ」
殴る。ただそれだけ。それだけだが、それだけでいい。
払い屋と言っても、要は妖怪との喧嘩だ。だったら、お経だお札だ、武器だ道具だなんて面倒臭い。
腹を殴れば止まる。顔を殴れば倒れる。分かり易くていい。それがいい。
喧嘩はシンプルがいい。シンプルでいい。だから、いい。
「憎イ、憎イ! 女が、あの女が! 憎クテ羨マシイィィィィィィイッ!」
手に持つ包丁の切っ先を供助に向け、女のカタチをした妖怪は走る。
動きは気味悪く。体中をかくかくと揺らし動かし。顔は真横に曲げて涎は垂れ流し。
それに対し、供助は落ち着いて。体をゆっくりと半身にして、腕を上げて構える。
構えに名前なんてない。誰かに教わったものでもない。戦いやすいから、それだけの理由。