第八十九話 穢神 前 -ケガレガミ ゼン- 壱
「とは言え、だ。分が悪い事を自負できん愚か者のつもりはない」
供助から発せられる威圧感……それを天愚も肌で感じ取っていた。
その空気で一筋縄ではいかないと考えて。天愚が懐から取り出したのは、真っ黒い数珠。
「俺が張っていた人除けの結界はオマケのようなものだ。真意はあの結界に気付いてなお入って来る程の力を持った者を待っていた」
言いながら数珠を手に通して握り、強く念じ始める。
「そのような結界を張っていたのだ。何も用意無しに待っている筈がないだろう?」
額には血管が浮かび、念じる妖力はどんどん膨れ上がっていく。
辺りの空気がさらに淀んでいき、悪い予感しかしない。
「古々乃木先輩、なーんか良くない気がするんスけど」
「やられたな。攻めたくても妖気が邪魔して下手に手を出せねぇ」
何も悠長に話しているのを聞いていた訳ではない。
付け入る隙があれば速攻を仕掛ける気だったが、先ほどの攻撃で相手の警戒が強よまった。
「封印明けで血しか飲めんかったが、運動もすれば食欲も増すだろう」
フンッ! という掛け声と共に、天愚が纏っていた妖気が弾かれる。
直後、工事現場の奥。カラーコーンが並べられていた場所から、良からぬ気配が強くなる。
「神もどきが神になる前の準備運動だ。上手く働いてくれよ」
天愚が不適な笑みを見せ、数珠をヂャリンと鳴らせる。
刹那、周囲に広がっていく汚れた空気と共に。天愚の背後に黒い物体が姿を現す。
「ケガレガミ、か。成る程、腐った臭いがするの」
鼻を突く嫌な臭いに顔を強張らせ、不快だとごちる猫又。
供助と南も、漂う不浄の空気に嫌悪感を示す。
「グ、グゥゥゥ、グ……」
唸り声に混ざる歯軋り音。天愚の背後に立つ黒い影は、ゆっくりとその輪郭を顕わにしていく。
全身は黒く、のっぺりとした身体、言うなれば人型の影が立体的になった形。
まあるい目。大きめの口。鼻は無し。まるで子供の落書きのような体。
ゆるい見た目に反比例して、滲み放つ邪気は咽てしまいそうなくらい濃い。
「では、死ね」
「グゥゥゥゥゥウウウッ!!」
ぎゃり。天愚が数珠を握り締めて擦ると同時。
ケガレガミの体から伸びる無数の触手が、供助達を襲う。
「そういう系かっ!」
「んげぇ、きしょ!?」
供助と南はバックステップで躱し、数秒前まで自分達が居た地面に触手が突き刺さる。
当然、ケガレガミも体から伸びる触手も真っ黒い。月明かりが無ければ対処するのはさらに面倒だっただろう。
「南、もうちょい下がるんだの!」
「ちょまっ、猫又サン!?」
既にジャンプで上空へと回避していた猫又。
南の返事を待たずして、その手の平にあったバスケットボール大の火球を投げつけた。
「あっつぁ!」
小躍りみたいな動きをしながら降り掛かる火の粉を払う南。
地上へと落とされた火球により、触手を巻き込んで炎が燃え上がった。
「炎の光では消えず、触手に燃え移っている……であれば影の類ではなく、妖力によって質量を持った肉体か」
猫又は着地し、触手の能力を分析する。
影の類であったのなら炎の明かりで掻き消す方法もあったが、受肉されているものならばそうもいかない。
射程距離の長さに手数の多さ。これは厄介だと呟く。それだけでは無い。懸念すべき点がもう一つある。
くん、と。猫又は鼻を小さく鳴らす。




