第七十八話 楽勝 -シュンサツ- 壱
市街地から少し離れ、軽く山道を登って五分。周りが森に囲まれた所に、明らかに人の手で作られたと分かる広場がある。
そこにポツンと建てられた洋風の建物。周辺に光源が無いのと夜の雰囲気も相まって、綺麗な外装でも不気味に見える。
ここが今回の依頼場所であるペンション。で、それを眺めて太一が一言。
「おー、いかにもって感じ」
ホラービデオの一般投稿なんかでよく出てくるような、外見は木造の一般的なペンション。
……なのだが、周囲の雰囲気を差し引いても、明らかに異様な空気がそこから発せられていた。
「先入観のせいかもしれないけど、なんか嫌な感じがするわね……息が詰まるっていうか」
「和歌の感じているものは正しいの。さっきからペンションに居座る霊がこっちへと敵意を飛ばしてきておる」
「え、こっちに気付いてるんですかっ!?」
「うむ。あそこの窓から睨んでおる」
猫又が二階にある窓へ視線を飛ばすと、和歌達も同じ方を見やる。
まだ誰もペンションの中には入っておらず、当然電気も点いてないから真っ暗。
しかし、なのに。何かが居る。居ると解る。暗い空間に何かがボヤけているのが、和歌達でも見て取れたのだ。
「電気が点いてなくて真っ暗なのに、なんか居る?」
「はっきりとは見えないけど、モヤみたいなのがある。窓の汚れ……じゃないよね」
太一と祥太郎が何かを目で捉え、違和感と不安から表情を歪める。
明らかに暗闇とは異質の何か。モヤとも霧とも違う。目で確認できる異物。怪異物。
「古々乃木せんぱーい、結界貼り終えたッスよー」
「おう、あんがとよ」
「あたしの釘を使った即席ッスけど、まぁ余裕っしょ」
さっきまで和歌達と一緒に居た筈の南が、ペンションの裏側から現れた。
右手には商売道具の一つである釘を入れた袋を持って、そして何故か左手には一升瓶を持っていた。
「南さん、いつの間に……」
「このペンションで誰も死んでねぇって聞いたからな。なら、ここに居る霊はどっか別の所から来て移動出来るって事だ。どっかに逃げちまう前にカゴに入れとかないとな」
「そういえば移動中にオーナーさんが言ってましたね。というか、何で一升瓶を持ってるんですか?」
「あぁ、これ?」
和歌に聞かれ、南は持っていた一升瓶を軽く持ち上げる。
瓶を動かすとチャポンと水が揺れる音が鳴ったのを聞くと、中身は入っているらしい。
「裏口前に置いてあったモンを持ってきた」
「持ってきたって……何です、それ?」
「粗方、日本酒だろ。な、オーナーさん?」
言って南は、太一達と一緒に様子を見ていたオーナーに目を向けた。
「日本酒を入口近くに置くと良いって聞いてね。ダメ元で試してたんだよ」
「あー、お清めとかで使う分には日本酒は良いんだけどな。霊を祓うってなると微妙だな」
「そうなのかい?」
「祓うのが目的なら、使うとしたら生米だな。日本酒ってのはどっちかってぇと霊が居るかの判別や、守護霊や産土神に一時的に力を付けさせる栄養剤代わりだったりする」
産土神というのは、その名を見ての通り神様の一種。
その人が生まれた土地、地域を護る神がそう呼ばれ、生前から死後までを守護する神とされている。他の地域へ移住しても一生を守護してくれると言われている。
よく日本酒と塩を頭から被れば除霊出来るという話があるが、正しくは日本酒や塩自体のお陰ではなく、それらを浴びて力を得た守護霊や産土神が憑き物を落としてくれているのだ。
なので言ってしまえば、日本酒を使ってもその人の守護霊や産土神に合わなければ効力は少なく、有名な除霊方法でも個人差があったりする。
「って事は、霊が居るかどうかがその日本酒を見れば解るんすよね?」
「おう、解るぞ。確かめてみっか? 太一」
「気にはなりますけど、こう暗くちゃ日本酒の色がわかんねっすよ」
「別に色だけが確かめる方法じゃねぇってな。悪霊がいたらその影響で日本酒が悪くなるってなら……」
南は話しながら日本酒の蓋を開け、飲み口を太一の顔に近付けた。
「クッサ!? え、なにこれ超クッサ!」
「てな感じだ」
飲み口から発せられるあまりの異臭に、太一は跳ねるように首をひねった。
日本酒の本来の匂いは一切残っておらず、腐った水が流れる排水口のような鼻を突く臭いだけしかない。
それだけペンションに住み憑いた霊が負の気を放っているのだ。
「酷い臭いだね、こっちまで届くよ……その日本酒は一昨日に置いたばかりなのに、ここまで酷くなるものなのか」
「ま、ここに居憑いた霊がさっきから霊気を飛ばして威圧してきてっからな。そのせいもあんじゃねぇかな」
自分の鼻にも入ってきた臭いに顔を顰めながら、南はオーナーに答えて日本酒の蓋を閉める。
南は二十歳を迎えて飲酒する趣味を持ち、駄目になった日本酒を勿体無ぇなぁと呟いて地面に置いた。
「おい、南。そろそろ仕事すんぞ。さっさと済ませて休みてぇ」
「オッス、古々乃木先輩! ちゃちゃっと終わらせて飯にしましょう!」
「あー、眠気がヤバくて忘れてたけど、言われたら腹も減ってたわ……」
供助は背中を丸めながら後頭部を掻き、気怠そうにペンションの玄関へと歩いて行く。
「猫又、お前ぇもさっさと来い」
「えー? 供助と南が居れば十分であろう? 私まで行かんでもいいんじゃないかのぉ」
「いいから仕事しろ。お前の鼻で手っ取り早く標的を見付けて早く終わらせてぇんだよ」
「しょうがないのぅ……」
依頼としてやってきた払い屋三人の内、二人がすでにやる気が感じられず。残りの一人はやる気があっても完全に私情。
そんな三人の背中を見送るオーナーは、不思議と不安は感じていなかった。やる気なく頼りない態度だというのに、その後ろ姿は余裕からの力強さがあったからだ。




