呼名 前 ‐ヨビカタ ゼン‐ 参
「ま、色々あったが生徒と教師は全員無事。明日から予定通り文化祭が始まるのか……面倒臭ぇな」
「そう言うなよ。お前が守ってくれたからこそなんだぜ?」
「どうせなら俺ぁ、明日はカレンダー通りに休みの方が有り難ぇんだけどな。明日の事なんて気にしねぇで思いっ切り寝てぇ」
不巫怨口女に吸われた生気は生徒や教師の元に戻り、怪我を負った者は無し。これなら文化祭は行われるだろうと、増援と共に到着した責任者が言っていた。
今宵の出来事を知る生徒は和歌と太一、祥太郎のみ。他の生徒は目を覚ましたら、いつもと同じ朝を迎えて、いつもと変わらぬ日常を送るだろう。
多くの人の命を救ったという功績も、労いも、感謝も。多くの者に知られず、言われず、思われない。それが払い屋の仕事でもある。
危機の根源である数百年前から存在した妖はこの世から去った。一夜だけの異常は眠る生徒達の夢と共に消え去って、いつもの平穏が戻るだろう。
「むむっ? 今、文化祭と言ったかの!?」
「げ、しまった」
「供助、そんな事は一言も聞いておらんのだがの!?」
「そらそうだ、言ってねぇからな」
「文化祭といえば出店! 出店といえばフランクフルト! 焼きそば! ドネルケバブ! 私も連れてけぇい!」
「そうなる事が分かってたから言わなかったんだっつの。ってかドネルケバブってなんだよ」
学校を襲っていた異常が解決したかと思えば、代わりに新たに小さな面倒事が生まれてしまった。
予想通りに文化祭と聞いてや否や、食べ物目的で喧しくゴネ始める猫又に、供助は額を押さえて頭痛に耐える。
「委員長、あとの事は俺がやるからさ。供助と一緒に帰って家で休んでくれよ」
「そんな、私も残るわよ。クラスの委員長なんだから私が残らないと」
「明後日には演劇の本番があるんだから無理しないで、学校の寝袋じゃなく帰ってちゃんと寝た方がいいって。今日の出来事のせいで疲れが溜まって、演劇を失敗させる訳にはいかないだろ?」
「でも……」
「大丈夫大丈夫。あとの事って言っても数時間だけだし、寝てる生徒達は朝まで起きないだろうけどさ。だからさ、ついでに供助を家まで見送ってくれ。家が近い委員長が適任だろ」
太一は和歌の背中をポンっと軽く叩いて、小さく顎を突き出して供助を差した。
「こんくらいの怪我なんざ大丈夫だっつの。小学生じゃねぇんだ、一人で帰れる」
「成績が小学生並みの奴が何言ってんだよ。こんな夜中じゃ道中で倒れたら誰も見付けてくれないんだ、誰かが付いていった方がいいだろ」
「要らねぇって。怪我だって見た目だけのモンだ」
「俺達はお前がどんな目に遭って、どんな化物と戦ったのか知ってるからこそ心配してるんだ……今回は大人しく聞いてくれよ」
「……ったく、わあったよ」
太一の頼みに、供助は渋々といった態度で承諾する。
これまでの供助は『階段から落ちた』なんて嘘を吐いて誤魔化す怪我だが、今の太一達は供助の怪我の理由を知っている。
前者なら笑って済ませてしまえるが、後者ならば心配はその比ではなくなる。怪我に至る過程の重さに差が段違いなのだから。
「ならさっさと帰るか。いい加減に寝てぇ。行くぞ、猫又」
供助は首元に手を当てて大きく欠伸。不巫怨口女と戦っていた時の気迫や覇気はどこへやら。
いつもの怠惰感を丸出しの態度に戻り、怠そうに歩き出す。
「ちょ、古々乃木君、猫又さんは足を怪我してるのに……」
「問題無い。こうすればいいんだからの」
猫又は軽い足取りで軽く勢いを付け、供助の背中から肩、そして頭の上へと登る。
「うわっ……てめ、またかよ! 降りろ!」
「嫌だの。怪我人を歩かせようとした罰だの」
「俺だって怪我人だっつの」
「ほれほれ、私も早う帰って寝たい。ダッシュダッシュ、ダンダンダダンだの」
「この糞猫が……」
体調が良ければ力尽くで引っぺがす所だが、いかんせん大仕事を終えた直後。
眠気と疲れもあってもう面倒臭いと、供助は頭の上から猫又を降ろすのを諦める。
「じゃあな、太一、祥太郎」
「おう。寄り道せずに帰れよ。委員長も」
「うん。ゆっくり休んでね、供助君。鈴木さんも気を付けて」
供助は背を向けざまに手を小さく振り、丸める背中。
重く感じる足を引き摺って、平和に戻った学び舎をあとにした。




