影響 ‐ムシバミ‐ 参
「霊感が無い俺達にも妖怪が見えてる理由は解りました。あんな危険な化け物が見えるなら逃げる事も出来るし、逆に安全な気もするけど」
「いや、彼奴……不巫怨口女の視覚認識化は一般人には危険なんだの」
「危険、なんすか?」
「普段見ないモノ、見える筈がないモノを無理やり見せている……見させられている。霊感の無い者にはそれが脳へ酷い負担となる」
「さっきから妙に疲れている気がするのは……それが理由っすか」
「疲れるだけならばまだ良い。長く霊や妖を見ていると、そのままチャンネルが戻らなくなり、霊感が無いのに霊や妖が見えてしまうようなってしまう。抵抗力が無い者が霊や妖に“見えている”と気付かれれば、格好の餌食となってしまうの」
「妖怪が見えっぱなしになると、どうなるんすか……?」
「取り憑かれ身体を乗っ取られたり、憑き殺されたり、周りを巻き込み不幸にしたり……百害あって一利無しの場合が殆どだの」
中には人に福を運んだり、幸せを与える妖怪もいる。だが、それは希少で滅多に遭遇しない。割合で言えば存在する妖怪全体の一、二割程度。
残りの四割が人に害を及ぼす妖怪や幽霊で、あとの四割が人畜無害で特に悪さをしないモノ。
日本には八百万の神と言い、様々な神様が存在すると昔から言われている。それと同様に、妖怪も多種多様に存在し、数も人間に負けないくらい多い。
「けど、そうか……慣れてない人間が妖怪を見ちまうと、ここまで疲れるもんなのか……」
「む? 太一?」
「今になって疲れ、が、ドッと……来た、わ……」
「……ッ!? 供助ッ!」
太一は近くにあった机に寄り掛かり、そのまま床に膝をついた。
その様子に猫又はある事に気付いて供助を呼び、また供助もすぐに察した。
「くそっ、太一と委員長には影響が無ぇもんだと油断していた……!」
供助が太一のもとに駆け寄り、しゃがんで顔を見ると血色が青くなり始めていた。
この症状は知っている。小一時間の間で幾度となく見てきたから。言うまでもなく、不巫怨口女による影響……生気吸収による体力低下。
「田辺君は大丈夫なの……?」
「まだ意識がはっきりしているし、激しく動いたりしなけりゃ大丈夫だ。今のところは、な」
「良かった……田辺君も気絶しちゃうのかと思った」
「委員長は何ともないのか?」
「う、うん。私は特に何も……疲れたり、意識が遠くなったりもしないけど」
「どういう事だ? 理由はなんだ……?」
和歌の顔色に変化は無い。頬に赤みもあって血色も良いし、疲労の色も全く見えない。
太一も不巫怨口女による影響を受けていないと思っていたが、影響が無かった訳ではなくて、影響の進行が遅延していただけだった。
しかし、対して和歌は未だ不巫怨口女による影響は今も無い。となると、二人の影響緩和の理由は別という事になる。
「供助、その事は後だの。今は不巫怨口女をどうにかするのが先だの」
「あぁ、そうだな。面倒臭ぇ事に原因をどうにかしねぇと、この最悪の状況は変わんねぇ」
いつもの口癖を言いながら、供助は頭をぶっきらに掻き毟る。
だが、面倒臭いと発言したのに反し、顔付きは険しく目付きは鋭く。
「しかも、何が一番面倒臭ぇかってぇと……奴は生気を吸うだけ吸い取ったら、人間を喰い殺す」
「……え?」
供助が言った言葉に、隣に居た和歌の表情は一瞬固まった。
意味を理解するのに、僅かではあるが時間が掛かって。
「ちょっと待ってよ、喰い殺されるってどう言う事?」
「そのまんまの意味だ」
「……クラスの友達や先生、皆が食べられちゃうの? 殺されて、死んじゃうって事!?」
「そうだ」
「じゃあ、ここで話なんてしている暇なんか無いじゃない!」
「さっき言っただろ、今すぐ喰われるって訳じゃねぇ。生気を吸い取り切ってからだ。倒れている生徒の様子を見る限り、まだ時間はある」
供助の袖を掴み、和歌は強く問い質す。
自分は文化祭の準備をしていた。学校に泊まって、文化祭を明日に備えて、万全で試みれるように。
明日はきっと賑やかになって、皆と笑って、劇の本番がある二日目に向けて最終確認と練習をして。忙しい一日が来ると、楽しいイベントが始まると思っていた……のに。
突然現れ、襲う、死という言葉。恐ろしい言葉。背中が急に冷たくなって、友人の死を想像して恐怖が胸を駆ける。
「だったら今のうちに警察や救急車を呼んで、ここから運び出さないと……!」
「止めとけ。無駄だ」
「なんでよっ!? 皆があの化物に食べられちゃうんでしょ!? ならっ!」
「救急車を呼んだって救急員も気絶している奴等に仲間入りなんのがオチだ。それに警察じゃあ対処出来ねぇよ。何より後始末が面倒になる」
「じゃあどうするのよっ!? このままじゃ皆が……!」
眼鏡越しに目には涙を浮かべ、必死に訴える和歌。
不巫怨口女を目の当たりにしたからこそ解る。霊感が無いからこそ、知ってしまう。その異常性を、異様さを。
だから、理解ってしまった。供助の言葉に虚偽は無く、真実であると。
あの化け物が人を喰うと聞いて、するりと納得してしまったのだ。あの化け物なら、それぐらいして当然だろう、と。
「俺がなんとかする」
「なんとかするって……さっき危ない目に遭ったじゃない、怪我だってしてっ! 無理よっ! それにあんなに大きなのにどうやって……」
「無理でも何でもやらなきゃなれねぇんだよ。じゃなきゃあ、学校に居る奴等が皆、死んじまう」
「でも、あんな化け物を一人で相手したら、古々乃木君が死んじゃうかもしれないのよっ!?」
「気ィ失っている生徒の中には、祥太郎だっていんだ……誰かが死ぬなんてぇのはもう、絶対にゴメンだ」
「あ……」
供助の言葉を聞いて、和歌は昔の記憶が浮かび上がった。
大きな二つの棺の前で泣きじゃくる、一人の少年の後ろ姿を。
「それに、一人じゃねぇよ」
「えっ?」
言って供助が立ち上がり、その隣には。
「一人と一匹、だの」
黒髪に黒い着物。黒猫が化けた妖怪。
口端を僅かに吊り上げた、猫又が居た。
「太一、ちょっとだけ我慢してくれ」
ズボンの後ろポケット。供助は白い布地に、適当に書き殴った黒い模様が描かれた手袋を取り出す。
供助の商売道具である、軍手。
「供助、その……軍手……」
「あん?」
「それ、お前の、だったのか……」
息を細かくして、辛そうな太一がポケットから出したのは。
供助と商売道具とよく似た軍手。と言うよりも、それはまさに――――。
「これ、俺の軍手じゃねぇか」
「昇降口で、拾って、さ……文化祭の準備で、使って、たんだ」
「はっ……なるほど、そういう訳か」
太一が不巫怨口女の影響を受け難くなっていた理由は、これだった。
軍手には供助が霊力を込められて書かれた霊印がある。つまり、微力ではあるが妖力に対して抵抗力が生まれる事になる。
落として失くしたと思っていた軍手が、偶然にも友人を守っていたのだ。
「それはお前が持ってろ、お守りだ。安くてきったねぇ軍手だけどな」
供助は一笑して、前髪を掻き上げる。なんとなく嬉しかった。偶然でも自分の霊能力が友人を守っていたのが。
だが、驚異はまだ存在していて、危険な状況も以前続いている。
一人の友人を守っていた。なら次は、もう一人の祥太郎を助けなければ。
「委員長、太一を見ててやってくれ」
「ちょ、古々乃木君……!」
「最初っから俺は、この状況をどうにかする為に来たんだ」
「……え?」
「あのバケモンをどうにかしてくる」
軍手を両手に付けて、二、三度拳を握って慣らす。
使い慣れた道具。よく馴染んで、自分に合う。
「太一、最初廊下であった時に聞いてきたよな? なんで俺がここにいんのか」
「供、助……?」
数歩。供助は歩んで、太一に話し掛ける。顔は見えない。背中を向けて、教室のドアへと向かって。
そして、和歌はその背中に見覚えがあって、また重なった。さっき、廊下で自分を助けてくれた時と同じ。
「これが俺の仕事で――――専門家だからだ」
幼い頃、肝試しの帰りに守ってくれた少年。
あの思い出の背中を和歌は思い返していた。




