第五十七話 影響 ‐ムシバミ‐ 壱
もぐ、もぐ、もぐ。もぐもぐ。
ごっくん。
「いやはや、なんて言えばいいのか……困ったのう」
ペロリーメイトを平らげ、頬に付いていた食べカスを親指で掬い取り、ぺろりと舐める。
視線をやや上に向け、返答に迷う猫又。
「どうしたものか。のう、供助?」
「……」
ちらりと供助を見やるが、供助は視線を落として床を見つめたまま。猫又に返事も無く、目も合わせない。
供助は迷っていた。どうすればいいか、どう話せばいいかと。今まで自分が妖怪や霊が見える事、それ等を相手とする払い屋の仕事をしている事を、ずっと周りに黙って生きてきた。
人の常識から逸した存在に、非現実的な仕事。理解してもらうのは難しい。そして、過去にそれを理由で疎外された。だからこそ、怖さを知る。
周りから誰も居なくなる怖さを。一人ぼっちの寂しさを。怪奇な目で見られる辛さを。
しかし、迷いはほんの数秒で消え去った。
「太一、委員長。二人の質問には同じ答えで返せる」
「え?」
「同じ答え?」
「さっき現れたバケモンと、そこのコイツはな」
ゆっくりと顔を上げ、正面の太一の目を真っ直ぐ見て。
左手の親指で猫又を指し、供助は話した。隠さず、正直に。
「――――妖怪だ」
少しの、間。
ぽかんと、太一と和歌は返って来た答えを受け入れ把握するのに、口を開けて固まった。
「ちょ、供助……言ってしまっていいのかの?」
「しょうがねぇだろ、こんな状況だ。それに俺ぁ、上手く誤魔化せれる様な頭も舌も持ってねぇ」
深く息を吐き出し、供助は仕方なしと頭をぶっきらにかく。
「ちょっと古々乃木君、何言ってるの……?」
「そうだぜ、供助。こんな時に冗談――」
「冗談じゃねぇよ。事実だ」
ふざけた様子は一切見せず。いつもの気怠そうな感じも、面倒臭さそうな態度も無く。
至って真面目に、極めて真剣に。供助は二人に返した。
「さっきの廊下で見たバケモン……俺等と同じ人間に見えたか?」
普段の倦怠感を丸出しの供助はどこにも見えず。今までに見た事が無い、鋭い眼差しで怖さすら感じる雰囲気を纏う供助。
供助が言っている事に虚偽は無いと知り、太一と和歌は話を無言で聞いていた。ただ、非常識な状況を理解し、受け入れるのは余りに……現実とは掛け離れた話だった。
「アレを目の当たりにして、ヤベェ奴ってのは直感で解っただろ?」
「……なんて言うか、凄く不安になったって言うか、うまく言えないけどとにかく怖かった……」
「確かになんつーか、ただただ怖くて……逃げるのも忘れて固まっちまってた」
太一と和歌はあの悍しい妖怪……不巫怨口女の姿を思い返し、身震いする。
鱗がある蛇みたいな体に、無数に生えた手足。廊下をでさえ狭いと感じさせる巨大な体躯。
現実離れし、人間離れし、一般常識の枠から外れた存在。
「今のこの状況……他の生徒や先公が倒れちまってんのも、アイツの仕業だ」
「皆が気を失ったのはあれが原因なのか!? なんなんだ、あれはっ!?」
「名前は不巫怨口女。かなり昔の妖怪だ」
「ふふおん、こうじょ?」
「奴は人間の生気を吸い取る妖怪らしい。それで周りは気を失っちまってる」
「生気って、体力みたいなものか?」
「そんなところだ」
供助は首元を触り、痛みが引いたのを確認する。
不巫怨口女による無数の手の跡はまだ残っているが、呼吸も整いダメージも無くなった。
「って、ちょっと待てよ。あの妖怪が原因で周りが倒れちまったのは解った。けど、なんで俺と委員長だけは気絶しないで無事なんだ?」
「……それは俺も不思議に思っていた。普通の人間じゃあまず意識を保つのは難しいってのに、なんでお前等だけ大丈夫だったのか……」
「もしかしたら、なんか理由があるのか? 共通点があるとか?」
「さぁな。その点に関しては俺もさっぱりだ」
「じゃあ、供助はなんで平気なんだ? 普通の人間じゃ気絶するんだろ?」
「……普通じゃねぇ、って事だろうな」
供助は鼻で軽く笑い、肩を竦すくませ、自虐するように笑って見せた。
普通じゃないと、周りと、皆と。目の前の友人二人と。遠く昔、一人ぼっちだった幼い頃を思い出して……供助は言った。




