弁当 ‐ハラノムシ‐ 弐
短く解りやすく簡潔に。今の一言ほど全てを語る一言はないだろう。
聞いての通り、猫の鳴き声。見ての通り、少年が話しかけているのは猫。黒い猫、黒猫。
そう、少年――供助が話し掛けていた相手は、猫だったのだ。
一般世間では猫はニャアと鳴く。何もおかしい事などない。ごくごく普通の事。
だから彼女はこう答え、こう鳴く。にゃあ、と。
「……ちっ」
供助は小さく舌打ちし、後頭部をがしがし掻く。
「まだ手当してから一時間も経ってねぇしな」
独り言を言いながら立ち上がり、弁当を置いたテーブルの前に移動して座り直す。
その様子を見て、黒猫は一息つく。とりあえずは大丈夫そうだと。
猫である彼女は、猫である事を伝え、少年こと供助に猫であると認識させた。このまま猫である自分は、猫のまま猫である事を通して、猫として過ごせばいい。
特に問題もなく問題も起きないと思い、猫である彼女はもう一眠りしようと瞼を閉じていく。
まだ残る眠気に身を任せ、ゆっくりと。
「ま、明日にゃ喋れる位には回復してるだろ。妖怪だから治りも早ぇだろうしな」
――が、この言葉を聞いた瞬間。
「ッ!?」
眠気が全て飛び去り、閉じかけた瞼も一気に見開く。
安心は警戒に変わり、安堵は懸念になり。
彼女は飛び跳ねるように起き上がる。
――――同時。
ぼふん、という鈍い音と共に白煙が巻き上がる。
猫は煙に包まれ、姿が隠される。
「おー」
それを見て供助は、焦りもせず慌てもせず。
体操選手がバック転したのを見たような、特別驚いた訳でもない一言だけ。
居間の半分程に白煙広がるが、供助はマイペースに割り箸の袋を開ける。
「貴様っ!」
まるで消火器や小麦粉の袋をぶち撒けたように、白煙が立ち込める居間。
その白煙が発生した場所から声が聞こえ、白煙の原因が声を放つ。
そして、霧が晴れるように消えていく白煙の中から姿を現した声の主は。
「私の正体に気付いておったのか!」
先程まで居た筈の黒猫は姿を消し、代わりに現れたのは。
肩まで伸びた黒い髪の、二十代前半と思えるの女性の容姿。黒い和服に身を包み、つり上がった目尻に大きな瞳。
これだけで十分特徴的なのだが、これらよりも更に特徴的な部分がある。それは頭にある猫耳と、胴の最後部から生えている二本の尻尾。
そして、人とは違う、縦に尖った猫目のような形の瞳。
「祓い屋の類か!? 私を殺めに来たか!?」
「まぁ落ち着けって、近所迷惑だろ」
「普通の人間かと思うたら、まさか妖怪を知る者だったとはの!」
片膝を着き、右手は腹部を抑えて。隠し抑えていた妖気が放たれ、威嚇のように供助へと向けられる。
黒い着物を着た女性は警戒しきった目で供助を睨む。
「だから、声を落とせ。近所から苦情が来るだろうが」
「貴様の都合なぞ知らん! 問いに答えろ! 貴様は私を殺めに来た祓い屋かっ!?」
供助はまだ少し残る白煙を手で扇ぎながら、横目でテレビ等の電子機器が煙で壊れていないか心配する。
高い声を上げる女性に面倒臭さを感じ、思わず溜め息を吐く。
「じゃあ逆に聞くけどよ、お前を殺しに来た奴が怪我の手当てをすると思うか?」
「……ぬぅ」
腹に当てていた右手を軽く摩り、女性は言葉を詰まらせる。
「とりあえず落ち着け。せっかく傷の手当てしたんだから安静にしてろ」
「黙れっ! 誰が手当てしてくれと頼……ぐっ」
やはりまだ傷が痛むらしく、彼女は痛みに顔を歪める。