静怒 ‐シズカナイカリ‐ 参
「あとはてめぇだけだ、糞爺」
「っひ……!」
真っ赤に染まった右手を、供助は軽く振って血糊を落とす。
児亡き爺は恐怖で体が縮こまり、真っ暗返しの惨たらしい死に様を目の前に、完全に顔が引き吊っていた。
頭部を失った真っ暗返しの体から吹き出るは、蒸気のような白い煙。それは妖怪の絶命を意味する。
「ひぃぃ、悪かった! 儂が悪かった! 許してくれぇぇ! もうこのような事はせん! じゃから頼むぅぅぅ!」
地べたを這いずり、見苦しく命乞いする児亡き爺。額に冷や汗が浮かび、体中を土まみれして、引きずる見窄らしい姿。
しかし、その姿に情けを掛ける者はこの場に誰も居ない。居るのは未だ収まらぬ怒りと、冷ややかな目を向ける者のみ。
「人喰いを探しとるんじゃろ!? 儂は人など喰った事も喰おうと思った事も無い! だから、見逃してくれぇぇ!」
必死に懇願し、頭を地面にすり付け、無様に土下座する老人の妖怪……子泣き爺。
気持ち悪い卑しい笑いも、人を馬鹿にした態度も消えて。一度は死を覚悟して最後のあがきをしていたのに、真っ暗返しの死を目の当たりにして怖気づく。
己の命が惜しく、自分だけでも助かろうとする捻じ曲がった性格。腐った性根。
「あぁ、確かに人を喰ってはいねぇかもしれねぇな」
「じ、じゃろ? なら……」
僅かに見えた希望。
子泣き爺は土下座していた頭を地面から離し、供助を見上げる。
「けどよ、人を食いモンにしてんのは変わんねぇ」
しかし、見逃してくれる希望などある筈も無く。
見下ろす供助の目は冷ややかで、哀れみなど一切持たず。まるで、街中で誰彼構わず物乞いをする老人を見るような――――蔑む目。
「てめぇによ、解るか?」
供助は聞く。抑揚無く、低いのに耳に残り、内面には激しい感情を隠した声で。
一歩、二歩、三歩。真っ暗返しの肉片を踏み付け、児亡き爺に近づく。
「帰りを待ってくれる両親の有り難みを……お帰りと言ってくれる嬉しさをよ」
「……供助?」
猫又の隣りを通る供助は、背中を丸くさせ、頭を俯かせていて表情は見えない。
だが、違う。何かが違う。今まで感じた事が無い、この空気と感覚。そのいつもと異なる雰囲気に、猫又は気付いた。
「解らねぇよなぁ。てめぇみてぇな妖怪にはよ」
供助は知っている。両親の有り難みを、温かさを。幼い頃に事故で両親を失った供助は、知っているのだ。
何の変哲の無いやり取りが。なんて事無い会話が。いつもと変わらない日常が。どれだけ大切で、大事で、大好きなのか。
痛い程、苦しい程、泣いてしまいそうな程――――知っている。
「解る筈が……ねぇよな」
それを奪い、壊し、喜ぶ輩を。供助は許す気など微塵も無い。
真っ暗返しと同様、児亡き爺の頭を鷲掴みにし。左手でゆっくりと、目の高さまで持ち上げる。
「てめぇみてぇな糞野郎を……俺ぁ最初っから見逃す気はねぇ」
「っひ、ひぃ!」
児亡き爺の脳裏に浮かぶは、真っ暗返しの最後。頭を潰され、脳みそを撒き散らし、肉片を飛び散らした光景。
自分も同じ目に遭わされると、恐怖で股間から小便を垂れ流して異臭を放つ。
「てめぇが好き勝手やったツケだ」
供助の利き腕……右手に込められる霊気。まだ真っ暗返しの返り血が残って赤黒く、白い煙が出ている右拳。
力の限り強く握り、可能な限り霊気を集中させ、出来る限りの一撃を望むその豪腕が。
「てめぇの勝手で――――逝け」
言葉を言い終わると同時に、児亡き爺の腹を貫いた。




