第三十話 真暗 ‐マックラ‐ 壱
蒸し暑さがある九月の夜。雲で月は隠れ、心許無い外灯が僅かに公園内を照らす。
公園に居るのは一人の幼い人間と、対面し合う二匹の妖怪。
猫又は腰を少し落とし、両手に妖気を込める。友恵の母親がまた、刃物を投擲してきても友恵を守れるように。
「あしゅ……って、なに?」
猫又の言葉が少しばかり難しかったか、友恵が聞き返す。
猫又は言った。友恵の母親に憑く妖怪の正体は枕返しで、その亜種だと。
そして、友恵の問いに答えようと猫又の口が開く。
「元の種類とは大きさや色が違ったりする事だの」
「犬とか猫みたいな……?」
「そんな感じだの。尤も奴の場合は見た目ではなく、奴が持つ能力や人に与える影響に違いがあるがの」
友恵の母親と、それに取り憑く枕返し。
二方から目を離さないまま、後ろに居る友恵に猫又は答えていく。
「ギィ、ギィギィギィ! 久々ニ見付ケタ上等ノ獲物ダ。返セッ!」
「ふんっ!」
――――ギンッ。
枕返しに操られた友恵の母親が、再度投げる刃物。
だが、妖気によって伸びた猫又の爪により、友恵に届く事無く弾かれた。
「下衆の貴様に、上等な人間は勿体無いの」
「ギギギギィ!」
「あと僅かで解消するとは言え、今はまだ払い屋の相棒での。払い屋として貴様を屠ってやろう」
両手へ、さらに込められる妖気。筋が浮き、伸びる爪。猫又の敵意が殺意へと変わる。
張り付く空気。張れ膨らむ妖気。ひりつく雰囲気。
「のぅ――――“真っ暗返し”」
猫又が言った、その名。枕返しの亜種と言われた妖怪の――真名。
“枕返し”ではなく“真っ暗返し”。それがこの妖怪の真の名であり、本当の正体。
「枕返しじゃなくて、真っ暗返し……?」
「うむ。真っ暗返し、または暗転がしとも言うの」
まるで駄洒落のような名に思えるが、馬鹿にしてはならない。名前は体を表すという言葉がある通り、この妖怪の性質や能力を表している。
世に知れ渡る枕返しは、枕を返したり、寝相を変えるだけの悪戯好きで済む可愛い妖怪である。
だが、これは違う。こいつは違う。悪戯好きの妖怪ではなく、人に害を及ぼし、人を脅かす存在。
「友恵、其方の母親は嫌な夢をよく見ていたと言っておったな? それが奴の能力だの」
「嫌な夢を見せるのが……?」
「奴は人を困らせ、陥れるのが好きな妖怪での。幸せな人や家庭を狙ってに悪さを働く」
「じゃあ、私のお母さんに取り付いたのは……」
「友恵の家族が幸せな家庭に見えたのだろうの」
母親が、この家庭を幸せだと思ってくれていた。それを聞き、友恵は嬉しかった。
自分が好きなものを、自分が好きな人に、自分も好きだと思われていたのだから。
だが、その幸せな家庭を、家族を。目の前の妖怪に壊された。それを見て笑っている、笑われている。そう思うと友恵は、今までに無いほど腹が立った。
腹が立って腹が立って、悔しさで泣きそうになる。
「そして、取り憑いた人間に夢を見させるんだの。不安にさせたり、怖がらせたり、苛立たせたり、様々な嫌な夢をの。そのせいで夢を見た人間はストレスが溜まり、小さな事で怒りを顕にし、疑心暗鬼になってしまう」
「じゃあ全部、あの妖怪がお母さんをおかしくしてるんだねっ!?」
「うむ。取り憑かれた者が疲弊し心が弱くなった所を突き、真っ暗返しが乗っ取り操る。乗っ取られればどうなるかは、見ての通りだの」
友恵が悲しみ、怒り、睨む。その様子を面白おかしく、楽しそうに眺める枕返し……いや、真っ暗返し。
悲しめば悲しむ程、怒れば怒る程。妖怪が喜ぶのは友恵も解っている。
しかし、溢れ出る感情を抑えられなかった。大事な人を、大好きな人を。いい様に操られ、笑い者にされて、感情を殺すなど出来ようか。




