第2話 あんみつ ~濃いめの抹茶アイスのせ~
今までだってそうだった。
常に周りから愛される妹は、いつも笑顔でいなければいけない。そのために私はいつも陰ながら妹を守ってきた。
犬に追いかけられていた時も。学校のガラスを割った時も。夏休みの宿題が終わらない時も。
今回だって同じ。私が耐えれば、妹が岡島の毒牙にかかることはない。
そう、妹のためなのだ!
和美はそう必死で自分に言い聞かせていた。
そうでなければ、
「かーずちゃん! ねぇ、放課後遊び行こうよ!」
このうるさい声に耐えられそうになかった。
またしても昼から登校してきた千秋は、和美の机で昼食を取り始めたところだった。
「……悪いけど、今日はちょっと」
「用事あるの? 付き合うよ! 何?」
「いや、その……いいから。一人で」
もちろん用事なんて嘘だ。和美がちょっとした罪悪感から顔をそむけたまま言うと、千秋は唇をとがらせる。そしてあのキーワードをつぶやいた。
「妹ちゃん」
和美がギっと射殺すような目で睨みつけると、千秋は心底嬉しそうな笑顔で迎え撃った。
「かずちゃん、甘いもの好きだよね? 俺すっごいおいしいトコ知ってる! 行こ、ごちそうするからー」
「あー、もー!! うるさいなァ!」
和美がイライラと怒鳴っても、千秋はより嬉しそうに笑うだけだった。
「おごらせる理由なんてないから! そういう気遣いは気持ち悪いからいらない」
「あら。じゃ、ちゃんと割り勘ってことで」
「行きたくない」
「えー。今時珍しくない? 甘味屋さんなんだよ、そこ。おすすめはちょっと苦いくらい濃~い抹茶アイスの乗ったあんみつ。黒蜜の甘さが引き立ってまたうまいんだな、コレが」
「……あのねぇ、岡島くん」
「でもオレ的最大のポイントは紅白の求肥、コレだね。んもー、ふんにゃーってやわらかくってほんのり甘くって、これぞ幸せって感じ?」
「行かないっつってんでしょ!」
「行こうよ―、行こうよ―!」
机をぐらぐらと揺らすさまは完全な駄々っ子だ。ええい、恵美、この男のどこに惚れたんだ!! 和美は心の中で絶叫した。
「ちょっと、揺らさないでよ! こぼすから……あっ!」
嫌な予感に和美が自分の弁当を持ち上げた瞬間、盛大な音とともに机がひっくり返り、千秋の牛乳パックやパンが床に散らばる。
「あー、ごめん! 濡れなかった!?」
千秋が慌てて立ち上がるが、それがまたよくなかった。
パキリ、と小さな音が下から聞こえた。正確には、千秋の足の下から。
「わ―――!! ごめんなさい、かずちゃん! 筆箱が……!」
「ええっ!?」
机の中身も出てきてしまったようで、踏みつぶされた和美のプラスチック製の簡素なペンケースはぺしゃんこになっていた。細身とはいえ図体のでかい男の体重だ、ペンも何本かダメになっていることだろう。
「ごめんね」
心底申し訳なさそうに片づける千秋を前にしては怒る気も失せる。妹に関しては憎いが、そこまでケチでも鬼でもない。
「もういいよ。安物だし……」
和美は小さいため息をもらすと、雑巾をもってきて片づけを手伝う。教室の余計な注目をこれ以上集めたくなかった。
「でも、俺のせいだから。お詫びさせて」
「ん?」
「放課後、かわりのケースとペンを買いに行こう。弁償する」
「……ん?」
「で、その後甘味屋さん行こう。 妹ちゃんのこともあることだし」
「………んん?」
「本当にごめんね」
背後から、「うわァ、千秋くんって優しい!」という声が聞こえた。しかし、和美は本当か?と思わずにはいられなかった。
300円の簡素なペンケースは、1000円ほどのかわいらしいポーチのようなペンケースになって帰ってきた。
あんみつも千秋の言う通り絶品だった。
なんでこうなる、と思いながらも、和美は千秋のペースに引き込まれてしまっていた。
「マメな男だなァ……」
和美はケータイの画面を見ながらつぶやいた。甘味屋で半ば無理やりアドレスを交換させられたのだが、さきほど家まで律義に送り届けてもらったばかり。やれやれ、と自室のベッドに寝転がるころにはもうメールが届いていた。
『今日は本当にごめんなさい。でもすっごく楽しかった。明日は本屋行こうね。』
意外だったのは、絵文字や顔文字が一切入っていないこと。勝手な和美のイメージでは、こちらの神経に触るようなもっとごちゃごちゃした文面を書く男だと思っていたのだ。しかし次の約束を取り付けようとしてくるあたり、やはりちゃっかりした男なのか。
しかし、本屋?
これまたイメージとは違う。和美は鞄にいつでも文庫本を一冊入れているが、千秋が読書している姿など見たことはない。いったい何を買うというのだろうか。これがカラオケやゲームセンターへの誘いだったら即刻断ることもできるのだが。
和美はハッと壁のコルクボードを見た。
そこには几帳面な和美の字で明日の日付と『新刊発売!』と書かれたメモ用紙がはられていた。
千秋の言う本屋とは、駅近くの3階建大型書店のことだろう。どうにか千秋をまいて、一人で行けないものか。いや、行先が同じではバレバレだ。では遠回りして別の書店に……いやだめだ、それではあのちょっとマニアックな本は取り揃えていない。
「ぐぅ―――――」
和美はまた明日もアイツに付き合うしかないのか、と枕に顔をうずめた。返信はしない。気付かなかったといえばいいのだから。
ケータイって便利。
和美はくやしまぎれにつぶやいた。
それからというもの、映画や喫茶店、雑貨屋など千秋は何度となく和美を連れ出した。相変わらず学校に来るのは昼過ぎが多かったが、昼食は一緒に食べたし放課後はどこかでブラブラするのも習慣のようになってきた。和美がいくら断ろうにも、二言目には千秋が「妹ちゃん」と囁いてくるからだ。
友人から「いつから付き合っているの?」と勘違いもいいところの質問を受けるが、それももう慣れた。和美はあくまでも、妹の恵美に近づけさせないために千秋といるのだ。これは仕方のないことなのだ。
それでも、やはり気づいてしまうことがある。
千秋の歩調が和美の歩幅に合わせてあること。
扉は必ず千秋が開けて、和美が通るのを待っていてくれること。
出かけるにしても千秋が勝手に行先を決めているのに、それが和美の好みとぴったり一致しているということ。
和美自身が、千秋といっしょにいて楽しいと思ってしまっていること。
そう、正直言って、とても楽しかったのだ。
気をつかわれているのは感じるが、押しつけがましくない。千秋は自然体で和美に優しかった。千秋は目立つため、一緒に歩いていると周囲の視線が気になることもある。しかし、イヤだな、と思った瞬間に千秋は和美に笑顔を向けて「かずちゃん」と呼んできた。
和美は甘やかすことはあっても甘やかされることは少なかった。だから千秋の態度がくすぐったくて仕方がない。だが同時に、それがひどく心地良い。
そして、周りもそんな和美に気付き始めている。クラスの友人や両親、そして妹。彼女たちはみなそろって言うのだ、「表情がやわらかくなったね」と。
和美が言われたことのなかったセリフだ。なぜなら、『仏頂面』が今までの和美の代名詞だったからだ。それが岡島千秋という存在一つで何やら変わろうとしている。
でも、これは知らないふりをしていよう。そのほうがずっと楽だから。
私が岡島といれば、恵美には近づけない。そう、こうして私は岡島から恵美を守っているんだ―――。
恵美が「岡島先輩、いつも忙しいみたいで遊んでくれないんだよねー」とこぼすたびに、跳ね上がりそうになる心臓をなんとか抑えつけてきた。他の友達と遊び歩いている恵美はまったく気づいていないらしい。
だが、自分で自分をだますことなど長くは続かない。それに自ら気付く前に、和美は愛する妹によって思い知らされることとなる。
次回で最後の予定です。
どうぞお付き合いください!
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