【アップ✨】2026年10月11日主日公同礼拝/讃美歌とMynoteもあります☕️
初めまして、天川裕司です。
ここではシリーズでやってます『夢時代』と『思記』の原稿を投稿して居ります。
また、YouTubeドラマ用に仕上げたシナリオ等も別枠で投稿して行きます。
どうぞよろしくお願い致します。
少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。
サクッと読める幻想小説です(^^♪
お暇な時にでもぜひどうぞ♬
【アメーバブログ】
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【男山教会ホームページ】
https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/
【YouTube】(ユメノ記)
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【ノート】
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【YouTubeドラマにつきまして】
無課金でやっておりますので、これで精一杯…と言うところもあり、
お見苦しい点はすみません。 なので音声も無しです(BGMのみ)。
基本的に【ライトノベル感覚のイメージストーリー】です。
創造力・空想力・独創力を思いっきり働かせて見て頂けると嬉しいです(^^♪
出来れば心の声で聴いて頂けると幸いです♬
でもこの条件から出来るだけ面白く工夫してみようと思ってますので、
どうぞよろしくお願いします(^^♪
【本日のメッセージ】
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=XngZWT0cnjY&pp=iggCQAE%3D&ra=m
【賛美礼拝】
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【ブログ】
聖書と讃美歌を閲覧できます♬お気軽にお立ち寄りください(^^♪
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聖書
『詩篇』(第一一八篇一〜一九節)
『ペテロの第一の手紙』(第二章一〜一〇節)
讃美歌191番
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=g2Uju0V11MI&pp=ygUV6K6D576O5q2M77yR77yZ77yR55Wq
讃美歌267番
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=Kx7lz9R5x1M&pp=ygUV6K6D576O5q2M77yS77yW77yX55Wq&ra=m
2026年10月11日 礼拝説教 聖書箇所
この主のもとに来なさい。主は、人々からは見捨てられたのですが、神にとっては選ばれた、尊 い、生きた石なのです。
ペトロの手紙一 2章4節
主はわたしの砦、わたしの歌。主はわたしの救いとなってくださった。御救いを喜び歌う声が主に 従う人の天幕に響く。主の右の手は御力を示す。
詩編118編14,15節
はじめに
キリスト教会の礼拝は、神のご意志の反映を求める「信仰告白、祈り、新しい歌」。
1
「この主のもとに来なさい」・・・《主の臨在の中にある礼拝の希望》 この命令は、「このお方のもとに近づく者たちよ」とも訳される。いずれにしても、主のもと に来て、近づくとは、礼拝を覚えること。詩編40編で「主にのみ、わたしは望みをおいていた。主 は耳を傾けて、叫びを聞いてくださった」(2節)と苦しみの中で、主に望みを抱いたとき、主が 答えてくださったことが思い起こされる。わたしたちのささげる礼拝は、個人的かつ共同的なも の。主イエスの復活における「生き生きとした希望」(1章3節)こそ、わたしたちの礼拝の源。十 字架において、「主は人々から見捨てられた」。ペトロも、弟子たちも、その「人々」の一人。主 は「わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った」(ルカ22章32節)。復活の日、 弟子たちの ただ中に、主が立たれた。わたしたちのささげる礼拝のただ中に、主がおられる。聖霊の臨在を覚 えるとき、わたしたちは、礼拝の主が、生けるまことの神、キリストであることをみとめる。
2
「主は、選ばれた、尊い、生きた石」・・・《救いの岩の上に引き上げられる幸い》 さらに詩編40編は「滅びの穴、泥沼からわたしを引き上げ」「わたしの足を岩の上に立たせ」 「しっかりと歩ませ」てくださったと「新しい歌」を歌う(3,4節)。「わたしはこの岩の上にわた しの教会を建てる」(マタイ16章18節)との主イエスの約束は、救いの岩の上にご自身の教会を立 てるという約束。ペトロが一番弟子とされたのではなく、ペトロ(岩)の名をもって、主の教会 が、固く永続する岩の上に立ち続けることが約束される。決して「陰府の力もこれに対抗できな い」(同)。かえって、主イエスは「陰府の力」を打ち破って余りある、朽ちることのない体に復 活されたことによって、罪と死の支配に勝利された。今や、わたしたちは、キリストの恵みによっ て支配されて、救いの岩に立たされている。キリストは、神から召されて最も卓越した永遠の職務 (預言者・祭司・王)を得られたお方(ヘブライ5章5節)。このお方こそ、最も「尊い」お方であ り、「生きた石」。「生きた石」とは、「生きた水」(ヨハネ4章11節)、「生きたパン」(同6章 51節)、「生きた道」(ヘブライ10章20節)、「生ける希望」(ペトロ一1章3節)、「生きた言 葉」(ペトロ一1章23節)同様、生ける神、キリストの力によって与えられる救いの恵みと命を明 らかにする。ここに、堕落した全人類のただ一つの救いと、救いの岩に立つ教会の姿がある。
3
「あなたがた自身も生きた石として」・・・《キリストの従順をあかしする教会》 救いの岩の上に立つ教会自身も「生きた石」。使徒ペトロは「あなたがた自身も生きた石として 用いられ、霊的な家に造り上げられるようにしなさい」と命じる。教会建設は、制度上の教会を求 めることにまさって、「霊的」であることが大事。それは、神ご自身の命によって「造り上げられ る」こと。ここには、お互いの分け隔ても、差別も、上下関係もなく、皆、等しく、神の前に「聖 なる祭司となり、「神に喜ばれる霊的ないけにえを、イエス・キリストを通して献げ」る、献身が 求められる。礼拝の大原則は、キリストのあがないによる霊的献身。「キリストは御子であるにも かかわらわす、多くの苦しみによって従順を学ばれ」(ヘブライ5章8節)たように、わたしたち も、もろもろの苦しみ、試練の中で、従順を学ぶ。それは、キリストが従順を知らなかったのでは なく、かえって、完全な従順を十字架の死において果たされたように、主によって贖われた救いの 道を、生きた信仰によってキリストの従順をあかししていくこと。試練の中で清められる従順。
おわりに
「隅の親石」の歌は、「主はわたしの味方」「主を避けどころとしよう」との固い告白 により、従順を学ぶ道をあかしする。「主はわたしの砦」「救い」と、今日、新しい歌を歌おう。
(Mynote)
二〇二六年一〇月一一日(日曜日)、今日も兄弟姉妹共に礼拝を守れる事を神様に感謝する。
(子供メッセージ)
『スコットランド教会新カテキズム』
「私達が、生きた信仰を持って居る事はどの様にして認められますか。」
「本当の悔い改めによって認められます。」
(※『スコットランド教会新カテキズム(116)』を参照の事)
(公同礼拝)
※本日は14時から、賛美礼拝もありました♫
『詩篇』(第一一八篇一〜一九節)
『ペテロの第一の手紙』(第二章一〜一〇節)
『ペテロの第一の手紙』のこの箇所は、先週の学びの続きにある。
「だから、凡ゆる悪意、凡ゆる偽り、偽善、そねみ、一切の悪口を捨てて、今生まれたばかりの乳飲み子の様に、混じり気の無い霊の乳を慕い求めなさい。それによって生い育ち、救いに入る様になる為である。あなた方は、主が恵み深い方である事を、既に味わい知った筈である。主は、人には捨てられたが、神にとっては選ばれた尊い生ける石である。この主の身許に来て、あなた方も、それぞれ生ける石となって、霊の家に築き上げられ、聖なる祭司となって、イエス・キリストに依り、神に喜ばれる霊の生贄を、捧げなさい。聖書にこう書いてある、『見よ、私はシオンに、選ばれた尊い石、隅のかしら石を置く。それに依り頼む者は、決して、失望に終わる事が無い』。この石は、依り頼んで居るあなた方には尊いものであるが、不信仰な人々には『家造り等の捨てた石で、隅のかしら石となったもの』、又『躓きの石、妨げの岩』である。しかし、彼等が躓くのは、御言葉に従わないからであって、彼等は、実は、そうなる様に定められて居たのである。しかし、あなた方は、選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神に付ける民である。それによって、暗闇から驚くべき御光に招き入れて下さった方の御業を、あなた方が語り伝える為である。あなた方は、以前は神の民ではなかったが、今は神の民であり、以前は、憐れみを受けた事の無い者であったが、今は、憐れみを受けた者となって居る。」(『ペテロの第一の手紙』第二章一〜一〇節)
イエス様が全ての人に与える希望とは、生きた希望である。確実に、永遠に生きた希望であり、全ての人にとって救いと成る。正しい信仰に依る叫びの祈りは、必ず神様、イエス様は聴いて下さる。そしてその祈りに必ず答えて下さる。その答えの在り方は、人間の尺度によらず、神様の尺度に依る。
人間の生来、本来の悩みは、罪である。信仰に生かされる人にとっては、イエス様は救い主であり、御言葉は全ての救いに繋がる。神様がイエス様を通して全ての人に与えた罪からの救いは、全ての人にとって救いになる。しかし、信仰に生きない(歩まない)人にとってイエス様は躓きになり、神様がイエス様を通して全ての人に与えた罪からの救いは、躓きになる。これは、罪人にとって罪を拠り所にして居る為で、その罪・欲望により信仰の教えは反するものとなる為で、罪・欲望に生きようとする人にとって信仰(信仰の教え)が邪魔になるからである。そして生来、罪人に生まれた全ての人にとって、罪に生きる方が容易く、魅力に見え、楽な為、躓きを無視してその罪に生きる事は誘惑になる。だから信仰に生きる(生かされる)上でこの罪に対し、又その罪に生きる・生きようとする人の言動に注意せねば成らない。信仰が成らないのである。
信仰に依り、人にとって、全ての生活が整えられて行く。この事は人の目と心には分からない場合もあり、祈りの中で道を求め、常に神様とイエス様に依り頼む事が大事にある。
【日本キリスト改革派 男山教会】
https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/
【最寄りの教会検索用】
https://www.rcj.gr.jp/
Table Café~
榎本保郎牧師 ミニ説教19 「イエス・キリストを身近に」
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=MCyjy8BuIIw&t=19s
「権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって」
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=c1J4I7giVuM
ハーベスト・タイム・ミニストリーズ
https://www.youtube.com/@HarvestTimeMin?app=desktop
ユメノ記
https://www.youtube.com/@%E3%83%A2%E3%83%8E%E3%83%A6%E3%83%A1-v5x/videos
(お暇な時にぜひどうぞ)
少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。
サクッと読める幻想小説です(^^♪
お暇な時にでもぜひどうぞ♬




