第八話 即席の舞台
翌日、みおりは約束の十五分前には南阿佐ヶ谷駅に着いていた。服装は昨日渋谷で選んで貰った、デニム調のワイドパンツに深いロイヤルブルーのショート丈カーディガン。中には首元にパール風の飾りビーズがついたグレージュのカットソーを合わせたから、派手になり過ぎずカジュアルにもなり過ぎず、みおりの希望をぴたりと叶えていた。念のため、ラウンドフレームの眼鏡をかけている。バッグはブラウンの小ぶりなリュックだった。駅を出てショートメールを送る。南阿佐ヶ谷の駅前にはロータリーがないから、車で待機していられるスペースはなかった。
『今、駅前』
返信はすぐにきた。
『一分で行く』
という事は、すでに何処かで待っていたのだろう。待ち合わせ時間の感覚が同じでなんだか嬉しくなる。びっくりするほど早く金髪の運転手が乗ったシルバーのスポーツカーが来て、思わずみおりは笑顔を見せた。だがスポーツカーは止まらず前を通過していき、気づかなかったのだろうかと見送ってスマホに視線を落とすと、タイミングよくメッセージが表示された。
『美織さん、後ろ』
「後ろ?」
クラクションが短く二度鳴らされる。笑顔のまま振り返ると、そこには屋根に三脚や梯子のくくられた年季の入ったハイエースが止まっていて、運転席で千穂が軽く手を上げていた。
* * *
最後部には赤い三角コーンやらバケツやらがところ狭しと積まれていて、ちょっとした揺れでガタガタと音を立てている。後部座席には子どもが二人乗っていたから、必然的にみおりは助手席に座る事になった。子どもたちに自己紹介をしたり千穂と挨拶をしたはずだが、正直内容を覚えていない。みおりだって叩き上げの劇団員だから、大道具の乗ったトラックで移動した事など数知れず、慣れているつもりだった。だが七年ぶりの『初デート』でまさかこの状態のハイエースに乗る事になるとは想定外で、動揺したのは事実だ。
気づいたらわんぱくキングに着いていて、先払いのコース選択をレジで尋ねられ、かろうじて心に決めていた一番高い三千八百円の『わんぱくキングコース』を三人分支払う。千穂はしきりに遠慮したが、それはもう決めていた。
「鈴、苺パフェ食べるか?」
子どもたち二人、千穂とみおりが隣同士で四人がけのテーブル席に着く。だが千穂は向かいの鈴の世話に忙しい。
「あとで。一番高いお肉が食べたい!」
「待ってろ。取ってくる」
「お兄ちゃん、ついでにイクラとカニのお寿司取ってきて!」
「へいへい」
子どもたちは普段食べられない最上級コースのメニューばかりを選んで、言葉も交わさずに夢中で食べている。みおりなど蚊帳の外だ。闇雲に生肉を網に乗せていく二人に、みおりはいつの間にか焦げないように目を光らせる焼肉奉行になっていた。
「鈴ちゃん、喉詰まらないようによく噛んでね」
どんどん肉を頬張る鈴に気を遣って言ったつもりだが、両手に生肉と寿司のプレートを持ってきた千穂に訂正される。
「鈴、よく女に間違えられっけど弟だから。本人も気にし始めてるから、呼ぶんならくん付けにしてやって」
「あ、ごごめんね、鈴くん」
だが当の本人は新しくきた高級肉に歓声を上げ夢中だ。焦げそうな肉をトングで、制服にポニーテールの里紗の取り皿にまとめて入れてやると、千穂が口を出した。
「里紗、ちゃんとお礼言って」
「あ、ごめんなさい。あんまり美味しくて。ありがとうございます、美織さん!」
素直に満面の笑みで礼を言う里紗に、みおりもようやく楽しむ気持ちが生まれてきた。
「どういたしまして。お礼を言うのはこちらだから。食べて食べて」
微笑み返して、トングで網に茄子やピーマンや人参も並べていく。
「でも野菜も食べないとね。野菜と一緒にお肉食べると、意外と美味しいんだから」
「えー。ぼく、人参食べれない」
「茄子は?」
「なすびは食べれる」
「じゃあ茄子を食べよう」
里紗が口をもぐもぐさせながら、手で覆って言う。
「鈴、この間からピーマン食べられるようになったんです」
「えー、凄い! 私は小五までピーマン苦手だったよ。凄い、えらい鈴くん」
綺麗なお姉さんに褒められて、鈴は照れ笑いを浮かべて満更でもなさそうだ。それを横で頬杖をついて見ていた千穂は、何かに気づいてみおりのうなじに手を伸ばした。
「ん?」
「ジッとして。なんかついてる」
透明なシールには、黒字で『Mサイズ』と書いてあった。
「ありがとう」
「いや。せっかくお洒落して来てくれたのに、こんなんでごめん」
千穂はシールを手の中で丸めてジャケットのポケットにさり気なく入れる。黒いノースリーブの上にカーキのジャケット、細身のブラックデニムにゴツいブーツ、言われて初めて千穂もお洒落をしているのに気づく。だが変なプライドが働いて、笑って見せた。
「ううん。普段着だから気にしないで。それに私、一人っ子だからこういうの新鮮」
「それにしちゃ子どもの扱い上手いな」
「テーマパークでバイトしてた事あるから」
リラックスして肉を焼くみおりの横顔を、興味深そうに千穂が見ている。
「へえ。アトラクション係?」
「うん」
「凄げえな。あれって演技力とか要るだろ」
「演技の専門学校出てるから」
里紗が二人の会話に気づいて、顔を上げた。
「どこのテーマパーク?」
「あ、うん。新宿バードランド」
その単語に、里紗が食いついた。
「えっほんと? 昔よく行ったよ、バードランド。どのアトラクション?」
「ゴーストツアーズだよ」
「えーっ凄い! あたしあれ大好きだった! 何回もリピートした! 鈴、鈴、ゴーストツアーズのお姉さんだよ!」
話を振られた鈴はきょとんとしている。クールだった千穂が笑った。
「里紗、鈴はバードランド行った事ない」
「あ……そっか」
│兄妹は顔を見合せて和やかに笑う。千穂のそんな笑顔を初めて見たみおりは、思わず見とれていた。視線に気づいて、真顔に戻り千穂が問う。
「何?」
「あ……ううん」
みおりは誤魔化して、千穂の前の取り皿にも焼肉を山盛りに入れた。
「千穂くんも食べて。ほとんど食べてないでしょ」
「うん。美織さんも」
豪快に肉を二~三枚まとめて頬張る千穂の男らしさに、やっぱりみおりは見とれていた。烏龍茶で流し込んで、里紗に訊く。
「里紗、あと何分?」
「えっとね、あと十五分」
タイムキーパーはいつも里紗なのか、伏せていたスマホを見てスッと答える。
「やべ。もう締める時間じゃん」
また取り皿の肉をまとめて頬張り、何やら千穂は慌てている。
「締めー!」
鈴も楽しそうに声を上げた。みおりは家族を見回して尋ねる。
「えーと……締めって?」
* * *
真っ赤な苺が、宝石のように輝いていた。それを長いスプーンですくって、里紗が口に入れる。
「んー……! 美味しい」
「いつもはプリンで締めるもんな。美織さんのおかげ」
テーブルには、人数分四つの小ぶりな苺パフェが乗っている。こちらも一口ごとにうなりながらパクつく千穂を見て、自分も食べながらみおりは笑った。
「千穂くんも甘い物とか食べるんだ」
「んー。食べるよ。あればな」
「もの凄く意外」
可笑しそうにくすくすともらすと、千穂は憮然とした顔をした。
「何食べてそうに見える訳?」
「なんかこう……岩塩の塊とかかじってそうだよね」
関西のノリで極端な事を言うと、里紗が爆笑した。
「何それ、ウケる! 野生の山羊とかがかじるやつでしょ」
「そうそう」
女子二人が盛り上がる。
「美織さんって、面白いんだ。ただの綺麗なお姉さんだと思ってた」
その里紗の賛辞に、みおりは素直に礼を言った。
「ふふ、ありがと。私は「綺麗」より「面白い」って言われた方が嬉しいかな」
その時、鈴が席を立って千穂が声を高くする。
「おい鈴!」
目で追うと、入口横の遊具などがあるキッズスペースの方に走っていった。千穂は鈴の分のパフェを掴んで引き寄せ、
「だから一つ要るかって訊いたのに。苺しか食ってねえ」
とボヤいた。里紗がぺろりと自分の分を平らげて、容器のフットに手をかける。
「あ、じゃああたしが食べる」
里紗の方に寄ったパフェを、千穂が再び掴んで引き寄せた。
「いや、俺が食べるよ」
「お兄ちゃんまだ残ってるじゃん」
「じゃあ半分こな」
「えー、全部食べたい」
取り合いを始める兄妹を微笑ましく眺めて、みおりは自分の分を千穂に向かって差し出した。
「あの、よかったら。ほとんど口つけてないし、私ダイエットしてるから」
「え。いや。それは貰えねえよ。あっ」
ここぞとばかりに里紗がパフェグラスを自陣に引き入れ、食べ始める。
「はい。千穂くん」
にこにこと差し出され、千穂は恐縮しながらもしっかりと受け取った。
「じゃあ……いただきます」
パタパタと足音をさせて、鈴が戻ってくる。両手には絵本が握り締められていた。
「お姉ちゃん、読んで!」
「えっ、私?」
不意の事にびっくりしたが、鈴の頭を撫でて里紗が笑う。
「鈴、頭いーい。演技派のお姉さんに読んで貰おう」
絵本を受け取ると、昔からある『消えたお天道様と迷子のラド』という名作絵本だった。みおりも母に読んで貰った記憶のある物で、当時の情景が脳裏をかすめる。優しくて表現豊かな母の声。懐かしい、今となっては少し悲しい記憶だった。子どもは大人の顔色をよく見ている。笑みの消えたみおりを見て、残念そうに鈴が呟いた。
「……駄目?」
「あ、ううん。駄目じゃないよ」
みおりが我に返ると、鈴は嬉しそうに隣にやってくる。
「椅子、下げて」
「え、椅子?」
「おひざに乗るの!」
「鈴、それは甘え過ぎ」
千穂の言葉にしょんぼりしてしまった鈴を見て、元々子どもの好きなみおりは奮い立った。
「いいよ。おいで」
「美織さん」
千穂の制止をスルーして、椅子を下げ鈴の小さな身体を抱き上げてひざに座らせる。申し訳なさそうに千穂が謝った。
「すみません」
「ううん。私も朗読なんて久しぶりにするから楽しい。じゃあ鈴くん、始めるよー?」
「やったー!」
「よかったね、鈴」
家族が見守る中、みおりの迫真の読み聞かせが始まった。見事に声色を使い分けている。
「「あのっ」小さなラドは、ふとっちょのお肉屋さんのご主人に、精一杯の勇気を振り絞って声をかけました。「なんだい?」痩せっぽちのラドをじろりとした目で見て、ご主人は答えます。「ぼく、ぼく、迷子になっちゃって。お天道様のお山には、どうやったら帰れますか」「さあてねえ。お天道様を見て歩けば、着くんじゃないのかい?」そんな事はラドも分かっています。でももう一週間も、お天道様は雲に隠れたままなのでした……」
腐っても女優だ。『元』がつくが。何の変哲もなかった団らんが、途端にステージに変わる。想像以上に活き活きと演じるみおりに驚いたが、千穂も里紗も口を出す余地すらなくて、目を見張ったまま見守った。
「……その時迷子のラドは、こぼれそうな涙をこらえていました。「誰も見ていなくても、いつだってお空のお天道様は見ていてくれる。ぼくは、雨上がりには笑っていられる子どもにならなくっちゃ」小さなラドは、小さな拳を握りしめて、お空を……わっ」
半分ほど読んだところで、ひざの上の鈴の身体がずり落ちそうになってみおりは慌てて抱き留める。顔を見ると、気持ちよさそうに眠っていた。みおりは自信なさげに頬をかく。
「あれ……つまんなかったかな」
「ううん」
向かいの里紗が、満面の笑みで言った。
「鈴、お話が面白いと寝てくれるの。最近持ってる絵本に飽きちゃって睡眠時間足りてなかったから凄く助かります、美織さん。そのまま寝かしつけちゃおう」
「もう終わりー?」
「え?」
気づくと、小さな子どもが三人みおりの周りに集まって、一緒に絵本を覗き込んでいた。
「あ、うん。ごめんね。今日はもう終わり」
子どもなりに違いが分かるのか、まばらに拍手が起きる。
「面白かった!」
「ありがとう」
保護者がやってきてそれぞれの手を握り、会釈をして席に戻っていった。子どもたちに手を振り返して、即席の朗読舞台は幕を閉じた。里紗がスマホを見て声をかける。
「お兄ちゃん、時間」
「そっか。美織さん」
「ん?」
「申し訳ないついでに、もう一つ頼まれてくれる?」




