第四話 マッチングアプリ
『お話出来て楽しかったです。明日も早いので。おやすみなさい。』
二十時過ぎから話し始めた四十歳『部長』は、丁寧にそう断ってメッセージを締めくくった。
――まだ十時なのに。おじさんは体力がないな。部長って名前も、本当に部長なのか見栄を張ってるんだか分からないし。
そんな感想を持って、みおりは寝返りを打つ。眼鏡とヘアバンドは外し、スウェットのままベッドに横になってスマホをいじっていた。部屋着とパジャマを兼ねているので、ありていに言えばこのまま寝ても構わない。
――ピコン。
メッセージが着信する。本命の二十二歳『桃太郎』とは、十八時からずっとやり取りをしていた。演技研究部に所属しているという自己紹介に、思わず嬉しくて過去に舞台女優をやっていた事を明かす。そこから、今まで観た舞台の感想や、演技論などの話で大いに盛り上がった。
『て言うか』
『俺たち相性よくない?』
『名前だって桃太郎とももこだし』
部長とは違って、桃太郎はZ世代らしい短文でマシンガントークをする。みおりも精一杯、おばさんだと思われないように句読点を省いたりして若い子ぶった。
「桃太郎……」
桃太郎のアイコンを指でなぞる。みおりは、若い頃のキアヌ・リーブスがタイプだった。そのアイコンの顔は、若々しく肌が綺麗でシュッとして、雰囲気が似ていなくもない。少し迷ってから――口角が上がった。自分の顔は鏡がなければ自分で見えない。演技の話などをして、みおりはすっかり七年前の気分になっていた。フリック入力で大胆な言葉を紡ぐ。
『運命かもね』
――ピコン。
返信はすぐにきた。
『そう思う?』
『ももこさんって日曜休み?』
『明日ランチしない?』
『隠れ家的ダイニングバー知ってるよ』
『吉祥寺の』
「吉祥寺か……ちょうどいいかも」
ごろりと反対向きに寝返りを打つ。そこそこ売れた恋愛小説で貯金はあったが、けして多い訳じゃない。銀座や六本木などに誘われたら躊躇しただろうが、吉祥寺なら年上としておごるくらいの見栄は張れるだろう。
『いいね』
『まずはお友だちとして』
――ピコン。
思わず予防線を張ってしまうと、すぐにツッコミが入った。
『え?』
『ももこさんアプリ初めて?』
『お友だちじゃなくて』
『恋人を作るのがマッチングアプリだよ』
しまった、と思った。大昔の恋愛リアリティーショーでは「お友だちからお願いします」が決まり文句だったのを思い出してしまった。おばさんだと思われないように、無理をして合わせる。
『冗談冗談』
――ピコン。
『あーね』
『草も生えない』
ぎくりとした。みおりはその『草』というネットスラングが苦手だった。今も昔も言葉を扱う職業で、それは正しい日本語ではないからだ。だが何か思考する前に、すぐに待ち合わせ場所と時間が送られてきた。
「JR吉祥寺駅の東口。十二時半、か」
深夜まで盛り上がるのも悪くないと思っていたが、Z世代と文字で会話するのはおばさんがバレて危険な事に気がついた。風呂をキャンセルして明日入ろうと思っていたが、今日入ってしまう事にする。
『ごめんお風呂入ってくる』
『明日吉祥寺でね』
『おやすみなさい桃太郎くん』
――ピコン。
『うん明日ね』
『ももこさんリクエスト』
『アイコンのワンピース着て来て』
「えっ」
慌ててアイコンを確認すると、明るいオレンジ色に黄色で模様の入った派手な長袖ワンピースだ。この日以来、タンスの肥やしになっている。
「き、着られるかな」
デザイン的にも、体型的にも。いつもは一度寝転がったら眠ってしまうだけだが、パッと起き上がってクローゼットを漁る。色が派手なのですぐに見つかった。わざわざスウェットを脱いで七年ぶりに身に着けてみる。当時は毎日筋トレしていたから引き締まっていたが、少しお腹が出始めていた。全身鏡でチェックする。
「ギリ着られる!」
五分ほど待たせてしまった。
『分かった、着ていくね。』
急いで送信してから、またしまったと思う。若作りして句読点を省いていたのに、Z世代には鬼門のマルハラをしてしまった。すぐに謝罪を送る。
『ごめんマルハラしちゃった』
だが五分の間に席を外したのか、桃太郎からはそれきり返事はこなかった。みおりはワンピースを脱いで洗濯機に入れて回し、バスルームに入ってシャワーの蛇口をひねった。
* * *
鼻歌など歌いながら、オレンジ色のマニキュアを施した指で、真っ赤なリップを塗っていく。翌日、みおりは久しぶりにフルメイクで派手な色のひざ上丈ワンピースを着て、電車に揺られていた。眼鏡ではなくコンタクトだ。自慢の黒髪にはトリートメントをしたし、パックもして肌の調子がいい。何より、『恋人候補に会いに行く』というシチュエーションが、内面からみおりを輝かせていた。最寄り駅の王子からは、東京メトロ南北線からJR中央線に乗り換える。
――ちょっと張り切っちゃったかな。
左手首に巻かれた、ベルト部分が太いブレスレットになった腕時計を見る。十二時過ぎ。三十分前に着いてしまった。待つのは苦にならない性格だったが待ち合わせをするのなんか数年ぶりで、電車内は暖かいが思ったより秋は深くなっていて、肌寒いのが失敗だった。みんなセーターか、一枚上着を羽織っている。でも十分も待てば来るだろう。そんな風に胸をわくわくとさせて、大人しく待つ事にした。十二時半になって電車が到着する度に人波に目を凝らしていたが、キアヌ似の桃太郎は来ない。四十五分まで待って、メッセージを送ってみた。
『今どこ?』
十五分経ってから、返事が来る。
『ごめん! 寝てた』
『今から用意するから』
『十五時頃になるけど』
『待っててくれる?』
寒かったが、年上の余裕を見せる。
『大丈夫』
『気をつけて来てね』
それならと、みおりはカフェに入る事にした。ホットティーで身体を暖めつつ、初デートに思いを馳せる。SNSは一応残っていたが、あの日の一件以来更新のないアカウントは、もう誰も観ていなかった。それでも外出や外食自体が久しぶりで、思わず透明なティーカップに入ったお洒落な紅茶を写真に撮る。
――ピコン。
『予定通り』
『十五時頃着くよ』
それに、
『分かった』
と返事をして、念のため十四時五十分にカフェを出る。冷たい秋の風に吹かれながら、待ち合わせ場所に立った。手をすり合わせ、息を吹きかけて暖める。十五時十五分、また連絡を取った。今度はすぐに返事がくる。
『ごめん!』
『反対方面乗ってた』
『三十分頃になる』
『さっき乗り換えた』
どうやら桃太郎は、おっちょこちょいらしい。だがそんなところも若さに思えて、みおりは許した。
『いいよ』
あと十五分なら、そのまま待っていよう。十五時四十五分。流石に不安になってくる。
『桃太郎くん。今どこ?』
禁じ手のマルハラをしている事にも気づけないほど、嫌な予感がし始めていた。だが、またすぐに返事がくる。
『あと一駅』
『待たせてごめんね』
『ももこさん優しい』
それを見て安堵し、待つ事にする。身体は冷え切っていたが、心は暖かかった。十六時を過ぎた。迷っているのだろうかと握っていたスマホに目を落としたタイミングで、後ろから声がかかった。
「ももこさん!」
弾かれたように振り返る。やっと会えた喜びに、満面の笑みだった。
――バシャバシャバシャッ。
だがそこには若い男女のグループ五~六人ほどがスマホを構えていて、一斉にシャッターが切られた。フラッシュをたいている者も居て、みおりは眩しさに目をかばう。
「ウケる!」
「ほんとに如月みおりだ」
「めっちゃ若作り」
「年下漁ってるんだ」
「草も生えない!」
みおりは手の甲を顔の前にかざして懇願する。
「ちょっ……やめて、撮らないで」
若者たちは逃げるみおりを追いかけてまで、写真や動画を撮りまくった。心底楽しそうに笑いながら。ようやく彼らの気が済んで解放された時には、何処だか分からない路地に入り込んでいた。
のろのろと、スマホで地図を出す。人間はひどく傷つくと心を守るために、一時的に思考を停止するというような記事を何処かで読んだ。今まさに、そんな状況だった。なんとか普段使わない地図アプリを駆使して駅に戻った時には、十七時を回っていた。カタカタと震えながら、来た道を忠実に逆戻りしていく。日曜日の十七時半、電車は満員に近いほど混み合っていた。




