第三十七話 草も生えない。
小劇場の入り口には、とりどりの色でデザインされた『読み聞かせワークショップ』の公演チラシが貼られている。みおりは舞台上で椅子に腰かけ『消えたお天道様と迷子のラド』の絵本を、見事に声色を使い分けながら朗読していた。前列には小さな子どもたちと保護者、後列には応援グッズを持ったみおりの古参ファンも居る。子どもたちは目を輝かせ、その迫真の演技に聞き入っていた。白くて長い髭のおじいさんが、ラドに向かって空を指差しているページを開いている。
「その時、雲の隙間から光が一筋降り注ぎました。「あっ、お天道様だ!」ラドがとても嬉しそうに声を上げると、一緒におうちを探してくれていたおじいさんは、お空からの光の帯を指差して言いました。「あれはね、『天使の階段』っていうんだよ」「天使?」ラドは首を傾げます。「そう。天使が、地上に降りてくる印なんだ。いい事があるかもしれないね」」
ページをめくると、青空とお天道様の下、ラドとおじいさんが手を取り合って踊っていた。
「その言葉通り、雲はどんどんと晴れていきます。やがて真っ青な青空が広がり、ついに一週間ぶりにお天道様が顔を出しました。「うわあい、お天道様だ! お天道様だ!」ラドは嬉しくて嬉しくて、おじいさんと手を繋いでダンスを踊ります。ひとしきり踊ったあと、おじいさんに頭を下げてお礼を言いました。「ありがとう、おじいさん。もう大丈夫。お天道様の方を目指して行けば、お天道様のお山に帰れるんだ」「気をつけてお帰り」おじいさんは最後に一つ、ラドの頭を撫でて笑ってくれました」
またページをめくる。絵本を読むみおりは、淡く微笑んでいて美しかった。
「お天道様の方を目指していくと、懐かしい景色が見えてきます。迷子のラドを心配したお母さんは、おうちのドアを開けて待っていてくれました。ラドの大好物の、カブのシチューの香りがします。「お母さん、ただいま!」おうちに向かって駆けながら、ラドは大きな声で叫びました。するとお母さんが出てきて、にっこりと微笑みます。「おかえり、ラド」「お母さん、あのね」ラドは大冒険を話して聞かせようとしましたが、お腹がぐううと鳴りました。「お話は、ご飯を食べながらにしましょうね」「うん。お母さん!」一週間ぶりにお母さんに抱き締めて貰い、ラドはおうちに入ります。お天道様が出ている限り、もうラドが迷子になることはないのでした」
ページには、曲線で構成されたカラフルな家の丸いドアが開き、お母さんとラドが抱き締め合っているイラストが描かれている。空には、お天道様が大きく輝きにこにこと笑っていた。
「めでたしめでたし」
そう言ってみおりが絵本を閉じ、立ち上がって一礼すると、拍手がささやかに上がる。みおりは劇場出口に立ち、保護者に手を引かれた子どもたちが嬉しそうに手を振るのに、笑顔で応えて手を振り返し見送った。
* * *
帰りに電化製品店に寄って、ブルートゥースのイヤホンを選ぶ。メジャーブランドのハイクラス品を購入し紙袋で提げて、みおりはオートロックのマンションに帰ってきた。コンシェルジュが笑顔で出迎えてくれる。
「おかえりなさいませ、山田様」
「ただいま帰りました」
笑顔を返してエレベーターに乗り込み、十六階のボタンを押す。部屋に入ると、ブラウンのリュックを下ろした。3LDKの部屋は綺麗に整頓されている。窓からは、遠くの方に新宿のビル群が望めた。
みおりはキッチンに向かい、シンプルなエプロンをして手を洗う。鍋に湯をわかし、安全装置つきのスライサーで大根と人参を千切りにして味噌汁を作った。グリルでほっけを焼いている間に大根おろしをたっぷりすって、茄子を薄く切って焼き茄子を作り生姜を添える。そして冷蔵庫からカラフルな野菜のイラストが描かれた浅漬け器を取り出し、重石を外して中身を小鉢に山盛りに盛りつけた。十三時からのイベントで昼は食べていなかったから、遅めの昼食だ。ダイニングテーブルに着き、
「いただきます」
と手を合わせ、
「召し上がれ」
と自分で応える。浅漬けを頬張り、いい塩梅の漬かり具合に自画自賛してうなる。
「んー、美味しい」
食べ終わると、シンクに溜める事はせずにすぐに洗い物を片づけた。そして、ローテーブルでノートパソコンを開く。小関からのメールが届いていた。
『如月先生、『草も生えない。』の重版がまた決定しました。おめでとうございます。あと先日お伝えしていた新連載の件ですが。恋愛から人間関係まで、幅広く読者から人生相談を募る形にしてはという企画案が出ております。こちら、ご一考くださいまして来週中までにご返信ください。恋愛コラムの締め切りは明日になります。よろしくお願いいたします。 小関』
「人生相談か……」
みおりは独り言を言ってから、もう一通届いていたメールを開く。自費出版の大手からだった。
『如月様 作品のデータを拝見しました。素晴らしいクオリティで、きさらぎけいこ先生の『迷子のラド』シリーズの続編となれば読者の期待も高く、ぜひ弊社で出版させていただきたいと思います。お時間のある時に、ご予約の上作品をお持ちになって弊社までお越しください。 自費出版のフェアリーブックス』
その内容に一つ微笑んでから、いつもの執筆をするサイトを開く。『如月みおりの場合』というタイトルをクリックすると、数字とエピソードタイトルが並んでいた。下にスクロールして『(二十四)告ハラと言われないために』を開いた。文章は途中だった。続きを書き始める。
『「好きです、付き合ってください」この言葉を言った事のある人は、今はもう少ないのではないかと思うが、そこから恋愛が始まると思っている人は今でも存在するのではないかと想像する。だって、「好きです、付き合ってください」だ。いかにも直球の好意で、恋愛に対して誠実そうな香りがぷんぷんする。その反面、『告ハラ』という言葉が散見されるのも事実だ。『告白ハラスメント』の略語で、明け透けに翻訳すれば「はァ? お前が俺(私)に告白するだなんて、ハラスメントもはなはだしい!」という激しい嫌悪がうかがえる。あなたは告白する時、相手とどれくらいの距離感ですか? すれ違えば挨拶を交わすような仲? ランチを一緒に摂る間柄? はたまた柱のかげからジッと見詰めているだけの関係性? 私は、「好きです、付き合ってください」と伝えなくては恋愛が始まらないような人とは、付き合う気にはならない。お互いに憎からず思っていれば、想いは伝播し恋は自然と走り出す。『告ハラ』などという状況とは無縁なのだ。これは、如月みおりの場合。』
書き終えて、画面を上からスクロールし誤字脱字のチェックをおこなってから保存ボタンを押す。『草も生えない。』のヒットを受けて始まったこの恋愛コラムは、『これは、如月みおりの場合。』というお決まりの文句で締める週刊誌での人気連載となっていた。ワードの原稿用紙に貼りつけ圧縮し、小関に送る。千穂とのいきさつを書き溜めていた『運命の恋(仮)』は、仮タイトルのままひっそりとサイト上に眠っていた。
その時、横に伏せてあったスマホが震えた。画面を見て微笑み、みおりはいくつか操作をして通話ボタンを押す。『発信中』という表示を確認してから、耳に当てた。ワンコールで着信し、開口一番名前が呼ばれる。
『美織さん』
「千穂くん、久しぶり」
『ん。今大丈夫? 締め切りじゃねえ?』
「うん。締め切りのやつは全部書き上げたとこ」
『じゃあ今日さ、かっつぇ行かねえ?』
「うん。いいね」
みおりは少し考えて続ける。
「わんぱくキングでもいいかも。里紗ちゃんと鈴くんも一緒に」
千穂の声が子どもっぽくすねる。
『えー。それは今度で、今日は二人がいい』
みおりがくすくすと笑った。
『美織さん、左見て』
「左?」
言われた通りに左を見るとそこは大きな窓で、千穂がゴンドラに乗って携帯を耳に当て、軽く手を上げているのだった。横で松ケ井がスクイジーを動かしているのも見える。みおりは驚いたあと、窓に歩み寄って千穂とガラスをへだてて見詰め合った。
「お誕生日おめでとう。千穂くん」
『ん。さんきゅ。風呂入ってからうんとお洒落して行く』
みおりは微笑む。
「服じゃなくて千穂くんが好きなんだから、お洒落じゃなくてもいいよ」
『そっか。じゃ、あとでな』
千穂が目線の高さに手を上げ、みおりもそこに手の平を合わせた。ガラス越しにハイタッチして微笑み合う二人を、松ケ井が密かにスマホで撮影する。今までのように写りの悪い物でなく、幸せを四角く切り取ったような絵になる写真だった。ロム専だったSNSに繋いで添付し、松ケ井は初めての投稿をする。ハッシュタグは『如月みおり』親しみを込めて、
『末永く爆発して欲しい。』
とフリック入力する。改行して、もう一文つけ加えた。
『草も生えない。』
投稿ボタンを押すと、見る見るうちにいいねと拡散数が爆発的に伸びていく。今や、ハッシュタグ『如月みおり』にリプライをつければ恋愛が成就するとまでまことしやかにささやかれているのは、みおりと千穂にはあずかり知らぬ事なのだった。
了




