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第三十三話 テーマパーク

 三十分ほど経って、ようやく圭子は絵筆を置いた。プラスチック製の筆洗器に筆を入れ、顔を上げる。ちょうど窓からテーマパークの火山が噴火し煙が立ち上るのが見えて、ほっとした表情を見せた。見守っていた二人は目を合わせて立ち上がり、圭子のそばに歩み寄る。

「お母さん」

 顔が巡らされ目が合ったが、何の感慨も浮かばなかった。

「……どちらさんだったやろねぇ」

 それでも千穂が、真摯に挨拶をする。

「初めまして、お義母さん。美織さんの婚約者の佐藤千穂と申します」

 今度は千穂の顔を見る。やはり表情は動かない。みおりは諦めたように悲しみの角度に眉尻を下げたが、千穂はけして諦めなかった。車椅子に座っている圭子に合わせて腰を落とす。

「ご挨拶が遅れてすみません。美織さんも俺も忙しくしていて」

 無表情に千穂を見詰める圭子に、みおりがたまらなくなって涙声で制する。

「千穂くん、もういいから……」

「待って」

 みおりを見上げてから、千穂は圭子のマーカーの色がついた手を握った。

「うちに小さい弟が居て。あなたの絵本が大好きなんです。美織さんが読んで聞かせると、本当に楽しそうにしてます。さっき、ラドのモデルは美織さんだって聞いてびっくりしました。運命だったんじゃないかなって思います」

 ラド、という言葉を聞いた時、圭子の口角がわずかに上がった。

「……ラド?」

「はい、迷子のラドです」

「お母さん、ラドやで」

 みおりも横から関西弁で声をかける。みおりの顔をジッと見て、やがて圭子は花開くようにぱあっと笑った。

「ラドやないの! よう来たねぇ、迷子にならへんかった?」

「うん、大丈夫や。ちゃんとお天道様出てやったから」

「さよかさよか」

 千穂が手を離し、みおりは泣きそうにも嬉しそうにも見える表情で、圭子を一度抱き締める。千穂と同じように腰を落とし、視線を合わせて手を握った。

「お母さん、長い事来られへんとごめんやで。約束しとったやろ。婚約者連れて来るて。千穂くんいうねん」

「佐藤千穂です。お義母さん」

 千穂が再度名乗ると、目が合ってまた圭子は大きく笑った。

「美織のええ人なん?」

「うん」

「まあ~、えらい男前さんやないの。美織をよろしくお願いします」

「はい。美織さんを幸せにしてみせます」

「あらまぁ、そんなん言うてくれる人、最近あんまし聞かへんねぇ。美織、おめでとう」

「うん」

 ようやくみおりも、心から微笑んだ。

「あんな、お母さん。私たち、結婚式挙げへんとフォトウェディングにしたんよ。これ見て」

 みおりは先ほどの写真を開いて見せる。笑っていた圭子の顎が、写真を受け取ってふと震えた。口元を押さえ、表情が歪む。涙をこらえていた。

「美織……美織。お母さん、幸せ者やね。ほんまに好き合うてなきゃ、こんなええ写真撮られへん。あんたら……幸せになるんやで」

 みおりは千穂と目を合わせて微笑んでから、圭子の背をさすった。

「うん。私、幸せになる」

    *    *    *

 タクシーの運転手に礼を言って降り、二人は駅前に戻ってきていた。時刻は十六時。冬の陽はもう傾いて、ややオレンジ色になっていた。千穂がまた目の上に手をかざして観覧車を見上げる。

「お母さん、この景色じゃないと駄目なんだな」

「うん。似たような景色の施設も探したんだけど、すぐ見破っちゃって」

「そっか」

 みおりがさり気なく千穂の手を握り、目の前のメインゲートに向かって歩き出す。

「ここ、ばら園がね、凄く綺麗なの。一緒に写真撮りたい」

「うん」

 入園券を二枚買って園内に入ると、すぐのところにローズガーデンがあった。気温の高い日が続き秋の見頃が長引いていて、色とりどりのばらが一面に咲き誇っている。みおりはばらだけを写真に収めたり、千穂を撮ったりした。

「千穂くん、一緒に撮っていい?」

「うん」

 みおりが腕を伸ばしてツーショットを撮ろうとすると、千穂がスマホを握った。

「貸して。腕が長い方がいい写真撮れるから」

「そっか。お願いします」

 スマホを手渡すと、千穂もばらをバックに構える。

「美織さん、もうちょいくっついて」

「こう?」

 美織は肩が触れるほど近づいて、笑顔でピースサインをした。

「撮るぞ」

「うん」

 十枚ほど連写して、みおりにスマホを返す。

「確認して」

「うん。よく撮れてる!」

 横から覗き込んで、千穂が画面を指差した。

「あれ。これ青ばらじゃねえ?」

「あ、ほんとだ」

 後ろを振り返ると、確かに大輪の青いばらが咲いていた。みおりは腰を折って間近に眺めたあと、それも写真に収める。その横で、千穂が静かに語った。

「青ばらの花言葉って知ってる?」

 みおりが顔を上げる。

「ううん。知らない」

「昔はさ、青いばらってなかったんだ。だから長い事青ばらの花言葉は『不可能』だった」

「そうなんだ」

「でも品種改良でこうやって咲くようになってさ。花言葉は『夢叶う』になった。だから、美織さん」

「ん?」

「綺麗事に聞こえるかもしれねえけど。不可能な事ってないと思う。前も言ったけど、俺、美織さんにもう何も諦めて欲しくねえんだ」

 みおりは微笑んで千穂を見上げた。

「……うん」

 その時、一斉にイルミネーションが点灯した。ガーデンの入り口にかけられた大きなアーチにも、鮮やかに光の虹がかかる。二人は感嘆と驚きのため息をついて、しばし辺りを見回した。

「綺麗だね」

「うん。美織さん、写真撮ってやろうか」

「あ、お願い」

 カラフルなばらと花壇にも灯ったイルミネーションをバックに、千穂は何枚もみおりを撮った。みおりが千穂に歩み寄る。

「ありがと。満足」

 また、さり気なくみおりが千穂の手を握って引いた。

「スケートリンクがあるんだけど。千穂くん滑れる?」

「うん。得意」

「私全然駄目で。一回だけ滑ったけど、派手に転んでから恐くて滑れなくなっちゃった」

「じゃあ教えてやるよ」

    *    *    *

 みおりがバランスを崩しかけて、悲鳴を上げる。千穂は向かい合わせになって、下からその両腕を取って支えた。三連休の中日、スケートリンクも混み合っていた。家族連れとカップルが多い。千穂はみおりの腕を握ったまま、足を開いて閉じ、すいと一歩分下がって手を引いた。みおりがまた悲鳴を上げる。

「待って待って」

「美織さん、腰曲げないで。真っ直ぐ立って」

「えっ、えっ、こう?」

「そう。後ろに転ぶと頭打つから、重心は少し前で」

 みおりがおっかなびっくりでなんとか言われた通りに格好をつけると、千穂がまたすいと後ろに下がって一歩分手を引いた。また悲鳴が上がったが、先ほどよりは上手に着いてくる事が出来て、千穂が頬をほころばせる。

「上手いじゃん、美織さん。そのまま立ってて」

 千穂は腕を離し、すいと三歩分下がった。

「転びそうになったら支えるから。ここまで来て、美織さん」

「ええー! 千穂くんスパルタ!」

「絶対出来っから。滑れなかったら、まず歩いて」

 みおりは慎重に足を半步出し少しだけ惰性で滑り、を繰り返す。千穂の前まで来てバランスを崩すと、すかさず千穂が抱き留めた。悲鳴のあと、抱き締められてみおりは笑う。

「な。出来んじゃん」

 そんな事を何回か繰り返し、やがて手を繋いで千穂がみおりを引いて滑れるくらいまで上達した。みおりは千穂の手に掴まってバランスを取るだけだが、千穂のアドバイスで形にはなっている。やがて出口付近に来た時、みおりは別の意味で悲鳴を上げた。

「千穂くん。楽しいけど、絶対明日筋肉痛になるやつ……」

 珍しく千穂はリラックスして、軽く声を立てて笑った。

「ん。じゃあもうやめるか。ちょっと喉渇いた」

「私も」

 千穂は慣れていて、氷からひょいとゴムマットの敷かれた地面に上がる。だが初心者には難しい事を知っていて、また向かい合ってみおりの両腕を支え、地面に上がる手助けをした。レンタルのスケート靴を返却し、手近なベンチに腰かける。

「美織さん、ここに居て。俺飲み物買ってくる。何がいい?」

「ありがと。じゃあアイスティー」

「ホットじゃなくていいの?」

「滅多に運動しないから、暑いくらい」

 みおりはコートの首元のボタンをいくつか外して、笑う。

「ん。了解」

 千穂がその場を離れると、人混みに紛れてみおりを狙うスマホがあった。ナイトモードに切り替えると、イルミネーションでぼやけていた画面が鮮明になる。視界をさえぎる人の波が切れるのを待ってズームし、手の平で火照った顔をあおぐみおりを何度も連写した。SNSに繋ぐ。例によってなるべく写りの悪い写真を選んで添付した。ハッシュタグは『如月みおり』

『現在地:枚方公園駅テーマパーク』

 千穂はいくらか離れたところでテイクアウトの出来る店を探し、列に並んでいた。

「ホットコーヒーとアイスティーください」

 オーダーしたところで、着信音が鳴ってコートのポケットから携帯を取り出す。小手からのショートメールだった。

『お疲れ。大阪どうだ?』

『今朝急に松ケ井も「大阪に行く」って休んで、大変だったよ。』

『お前ら一緒なのか? お土産よろしくー。』

「松ケ井……?」

 急激に心拍数が上がった。千穂は性善説で生きているため、松ケ井の『ロム専』だという言葉を信じていたが、彼が嘘をつかないという保証はない。弾かれたように振り返る。園内は幻想的なイルミネーションと幸せそうな行楽客であふれていたが、何処かに、確かに悪意が存在する。

「美織さん」

 千穂は、みおりを置いてきたベンチの方に向かって駆け出した。

「あ、お客さん!」

 オーダーした飲み物はそのままに、みおりの元に急ぐ。居ない。

「美織さん。美織さん!」

 辺りを見回し、目を凝らして、闇雲に身体の向きを変え周囲を探す。居ない。十メートルほど離れたところに見慣れた色を見つけ、駆け寄って拾う。みおりのパンプスの片方だった。

「美織さん!」

 かすかに、悲鳴が聞こえた気がした。素早くそちらに首を巡らせると、若干人垣が出来ているようにも見える。千穂は全速力で急いだ。人垣を無理矢理かき分けると、同じような背恰好のデニムにパーカーの人物二人が、荒い気合いを発しみおりを間に争っている。一人は根元からみおりの髪をわし掴んで引っ張り、一人は反対から手を掴んでいた。

「美織さん!」

「刃物持ってます!」

 そう叫んで手を掴んでいる方が松ケ井だと一瞬で見て取って、件の刃物にロックオンする。刃が十センチほど出された太いカッターで、もみ合ってみおりの額の辺りを前後している。迷いはなかった。それは今にもみおりの顔に傷をつけそうに見えた。気合いを発し、刃物を持つ手を両手で掴んでみおりから遠ざけようとする。相手は刃物の扱いに慣れているのか、毒する意図を持って(やいば)を引いた。千穂の手の平が切れて血が流れる。だが怯まない。アドレナリンが出ていて痛みは感じなかった。みおりが傷つく可能性がなくなったので、気合いと共に思い切り前蹴りすると、小柄な男は吹っ飛んで地面に倒れた。一緒に眼鏡も飛ぶ。だが執念とでも言おうか、カッターは離さなかった。そのため千穂は起き上がる男から若干の距離を取って機会をうかがう。男は右脇腹のところでカッターを両手で握り固め、千穂に突っ込んできた。牽制じゃない、本気の殺意だ。まるで闘牛のように身体をひねってかわしながら、千穂は硬く握った右拳で上からカッターを叩き落とそうとする。だがまた手の側面に傷が増えただけだった。素早く男は反転し、今度は下から上に刃を跳ね上げる。咄嗟に左腕を上げて胴をかばうと、ひじから手首の方に向かって前腕が切れて、コートに血がにじんだ。常軌を逸した叫びとと共に、次は千穂の顔めがけて刃が振り下ろされる。また顔の前に右腕を上げると偶然、コートの手首についたプラスチックの飾り袖タブに食い込んだ。千穂が腕を外側に振り払いながら遠心力を利用してついでに脇腹に左脚でキックを入れると、カッターが飛んでアスファルトに落ち滑る。よろけた男もついでに右ストレートを出してくるが、力もスピードも弱く千穂は左手の平でそれを掴む。今度は千穂が渾身の力で右フックをお見舞いした。男がまた吹っ飛ぶ。刃物がなくなった途端、小柄な男は力では適わないことを理解して素早く逃げようと走り出した。

「待て!」

 千穂はすぐに長いコンパスで追いかけ血まみれの手で男のパーカーのフードをわし掴む。松ケ井が後ろからタックルしてきて、首の絞まった男はうめき声をもらしてひざをついた。千穂が背にまたがるようにして押さえつける。それでも男は、どう猛なうなり声を上げて地面に拳を叩きつけ、抵抗し続けていた。ともすればまだ逃亡を図ろうとする男と格闘しながら、千穂は松ケ井を見る。

「松ケ井、美織さん守って」

「はい」

「あと警察」

「はい」

 松ケ井が、髪をぐしゃぐしゃにしたまま放心状態でへたり込んでいるみおりに駆け寄る。

「俺、佐藤さんの同僚です。味方です。怪我してないですか」

「……はい」

「今警察呼びます」

 見ていた誰かが呼んだものか、口元に血をにじませながらも凄まじい力で千穂に抵抗し続ける男の元に、警備員が二名駆けつけて一緒に押さえ込む体勢に入る。松ケ井がスマホを出し、百十番をプッシュした。

「……奏太」

 みおりがぽつりと呟いた。

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