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第三十二話 迷子のラド

 目的地は牧方(ひらかた)公園駅だった。京都駅からは、近鉄京都線から京阪電車に乗り変えて約三十分。大阪とはいうが京都との県境付近に位置し、多分に京都の文化が混じり合う地域だ。駅に降り立ったみおりは、思わず腕を広げて大きく深呼吸した。

「んー、久しぶりー!」

 気のせいかもしれないが、空気さえ違う気がする。

「テーマパークってあれ?」

 駅の目の前がテーマパークで、小高い丘の上でゆっくりと回るカラフルで大きな観覧車が見える。千穂は目の上に手をかざして、もの珍しそうに眺めた。

「うん。実家のベランダの窓からも観覧車が見えてね。お母さんとも、友だちともよく行った」

 時刻は十四時前。駅前のホテルのチェックインは十五時からなので、取り敢えずフロントでキャリーバッグとバックパックを預かって貰う事にした。

「シングル二部屋で予約した、山田美織です。あとでチェックインするので、キャリーバッグとか預かっていただけますか」

「はい、山田美織様ですね。ではお荷物をお預かりします。行ってらっしゃいませ」

「ありがとうございます」

 駅前に戻り、並んでタクシー乗り場に向かって歩きながら、千穂が訊く。

「山田って本名?」

「うん」

「じゃあ美織さんって二月生まれ?」

「それよく言われる」

「如月って二月の事だもんな」

「あ、タクシーで移動するね」

 開いた自動ドアに、みおりから乗り込んだ。

「お願いします。サングロリアス枚方まで」

 車が発進して、二人はシートベルトを締める。

「二月生まれなのはお母さん。高三の時に、専門学校のオーディションを受けてね」

「うん」

「授業料が大部分免除になったの」

「へえ」

 静かに、みおりは追憶する。

「それで大阪の分校に入りたいって言ったんだけど、お母さんも芸術系の仕事で苦労を知ってるから、大反対されて。家出同然で本部校のある東京に出ちゃったから、芸名をつける時に如月を選んだの」

「生活費はバイト?」

「うん。その頃から、劇団旗揚げしてからもしばらく、新宿バードランドで働いてた」

 みおりが声の調子を変えて思いつく。

「オーディション制度のある学校も多いから、里紗ちゃん高校生になったら受けてみるといいと思う」

「うん。言っとく」

 答えてから千穂は、小さく思い出し笑いをした。

「ん?」

「いや。里紗が、マジでゴーストツアーズ凄げえ好きでさ。バードランド行くと、三回くらいは乗ってた」

「えー。そうなんだ」

「だから俺たち、もしかしたらどっかで会ってんのかもしれねえな」

「うん。そうだね。私土日はほとんどシフト入れてたから、ほんとに会ってたかも」

 みおりが、書類を入れるような薄くて白いビニールの袋をひざの上で持ち直すのを見て、千穂が指を差した。

「何、それ」

「あ、写真。ウェディングの」

「そっか。今見たら駄目?」

「もう着いちゃうから。お母さんと一緒に見よ」

 笑顔のみおりに、千穂は笑み返しながらも少し不服そうだ。

「美織さんは見たんだろ」

「うん。もの凄ーく眺めた」

「ズルい」

 そう交わしたところで、タクシーは建物の敷地内に入って玄関前に止まった。料金を支払い、礼を言って降り立つ。新しめの建物で『サングロリアス枚方』と看板があった。みおりが、ポケットから個包装のマスクを二枚出す。

「必ずマスクしなきゃならないの。これ、千穂くんの分」

 ライトブルーの方を千穂に差し出し、みおりはサーモンピンクの物をつけた。千穂が表情を引き締め、ニットジャケットの襟を確かめてからマスクをする。

「緊張してきた」

「大丈夫。お母さん、ずっと会いたがってたから。千穂くんの事、歓迎してくれると思う」

 千穂は入り口の自動ドアを開けようとマットを踏んで、「あれ」と開かない事にもらしたが、みおりは入り口横のインターフォンを指差した。

「これでね、開けて貰うの。認知症の人が外に出ちゃわない対策と、あと今何かと物騒でしょ」

「へえ」

 みおりはインターフォンを押して名乗る。いつの間にかスイッチが切り替わったように、関西弁で話し出した。

「こんにちは、二時半から面会予約しとりました、山田圭子(けいこ)の娘の山田美織です」

「あーはいはい、山田さんやね。お入りください」

 自動ドアが開き、二人は中に入る。スリッパにはき替えるとすぐに受け付けがあって、また挨拶をした。面会帳には本人氏名、面会希望者氏名、現在時刻、続柄などを記す欄があって埋めていく。並んで記入していた千穂は、高齢者施設に来るのが初めてだったのでみおりの見よう見まねで記入していたが、続柄の欄もそっとカンニングした。みおりは『長女』と書いている。職員の前で尋ねるのもおかしな気がして、千穂はボールペンの先を見詰め数秒考えてから、『長女の婚約者』と書いた。それに気がついたみおりが、千穂に笑顔を見せてから職員に訊く。

「えらい久しぶりなんやけど、部屋は変わってませんか?」

「なんぼか移動してもろたんですわ。もっと見晴らしのいい部屋をご案内したんやけどね、なんしかあの景色が落ち着くって言わはって」

「そうですか。いつもありがとうございます」

 みおりは、受け付けのベテラン職員と話す。

「ご案内します」

 二人がコートを脱いで腕にかけていると、横のドアから新人と思われる若い職員が出てきて、長い廊下を先に立って歩き出した。片側には陽のよく入る大きな窓が、片側には入居者の部屋のドアが続いていた。

「こちらです」

 職員が一つのドアの前で止まる。ノックをするが返事はない。

「山田さん、入りますよー」

 引き戸を開けると、こぢんまりとした単身者向けワンルームマンションのような部屋だった。入ってすぐ左側に小さなシンクがあるが、火器はない。右側にトイレの入り口と奥にレースカーテンで仕切られたベッドやタンスがあって、正面にはテーブルがありこちらに背を向けている車椅子の女性の細い肩が見えた。テレビは小さな音量でついているが、白髪混じりの女性は下を向いて観ていない。

「山田さん、ご面会ですよー。山田さーん!」

 反応しない女性に声が大きくなる新人職員の肩に軽く手を置いて頭を下げ制し、みおりは久しぶりに会う母に穏やかに声をかけた。

「きさらぎけいこさん」

「はい」

 呆気なく返事があって、耳が遠い訳ではないのを千穂は知る。

「お邪魔してもよろしやろか?」

 彼女も関西弁で話し出した。

「かめへんけど、未発表の新作を描いとるさかいに、よう触らんといてね」

「はい、ほなら失礼します」

 そしてみおりは新人職員に向かって、

「もう大丈夫です。ありがとうございました」

 と小声で言って礼をする。部屋には、みおりと千穂だけが入室した。数歩近づくと、ただうなだれているのだと思っていた手元は鉛筆画の上にカラフルな水彩マーカーを筆で伸ばしているのが見えて、千穂が感嘆のため息をもらした。テーブルいっぱいに、表情豊かなキャラクターたちが広げられている。千穂はその絵に、見覚えがあった。

「これって……」

 みおりの顔を見ると、その考えを肯定するように一つ笑む。うつむいて作業に冒頭する、老眼鏡をかけた圭子に頭の高さを合わせ、横から話しかけた。

「きさらぎさん、ご無沙汰してしまってすみません。新作はどれくらい進みましたか?」

「言うてまだ三作やで」

 若年性アルツハイマーだとは信じられないほど、圭子はかくしゃくとして明瞭に言葉を返す。

「どないなお話ですか?」

「迷子のラドが、まず迷子になった先で好きな女の子を見つけんねや。ラドはいつも迷子になるさかいに、その子とまた出会うまでに大冒険をするっちゅー話やで」

「二作目は?」

「ラドがその女の子に、嫁さんになって貰うまでの話やねん。お母ちゃんから貰った大切な指輪を落としたり、迷子になって結婚式に間に合わへんかったりすんねん」

「三作目は?」

「今描いてますわ。まだお話は固まってないねん。イメージ画をようさん描いて、お話を考えてるとこやね」

「これは……ラドの子どもたち?」

 男の子と女の子の間に二人、小さな子どもが並んでいるのを指差すと、下を向いたまま圭子は少し笑顔を見せた。

「そやね、一姫二太郎で、女の子と男の子。そこまでは決まっとるんやけど、肝心のラドがええ人を連れてきてくれへんよって、イメージが膨らまへんのよ」

 みおりは楽しそうに微笑んだ。

「きさらぎさん、一段落つくまで、お部屋でお待ちしていてもええですやろか? 大事なお話があるので」

「ええよ、すこし待っとってね」

 みおりは身を起こし、千穂をベッドの方にうながす。レースカーテンを開けて寝室に入

り、ベッドに並んで腰かけた。千穂と話すときは不思議とまたスイッチが切り替わるのか、みおりは標準語で話す。

「俺、挨拶しなくていいの?」

「絵を描いてる時はね、作家モードなの。いつも描き終わると、私の事娘だって認識してくれるんだけど……今はどうかな」

 みおりは少し寂しそうに笑う。

「びっくりした。あの絵本の作者だなんて」

「お母さん、絵本作家を目指してずっと苦労しててね。私が生まれて……私、子どもの頃もの凄い方向音痴だったの。いつも迷子になる私に、お母さんはまずお天道様の位置で方角を知る事を教えてくれた。そこから生まれたのが、『迷子のラド』シリーズ」

「えっ、モデル美織さん?」

「うん。だから、たまにラドと私がごっちゃになってる時もある」

「そっか」

 千穂は、真剣に手を動かす圭子の横顔を、

敬意を込めて見詰めた。みおりがふと、手の中の物を思い出す。

「千穂くん、写真見たい?」

「あっ、見たい」

 みおりはビニール袋の中から装丁された写真台紙を取り出す。

「じゃーん」

 効果音と共に広げると、左右に二枚の大判写真が現れた。千穂が思わず口元を押さえる。照れた時の仕草だった。

「凄げ……」

 左はワンカット目で、全身が入った引きの写真だった。二人が手を繋ぎ、空いている方の手にはそれぞれグローブとブーケが握られている。みおりはカメラに向かって幸せそのものの笑顔で、千穂はそっとまぶたを閉じてその額に口づけを捧げようとしている瞬間に見える。表情のコントラストが印象的な写真だった。

 右はみおりのオーダーで、横顔を撮った写真だ。千穂がみおりの腰に腕を回し持ち上げていて、みおりの方が目線が高くなっている。千穂の胸から上のアップ写真で、その分表情やヘアメイクが繊細に分かった。みおりは千穂の逞しい首にレースグローブの腕を回し、二人が見詰め合って楽しそうに笑っている。ホルターネックのドレスなので、大胆に開いた背中の曲線が美しかった。

「自分で見てもね。いい写真が撮れたと思う」

「うん。凄げえ。お母さん、喜ぶんじゃないかな」

「どうだろう。早く見せたい」

 二人は、黙々と手を動かす圭子の横顔を見守った。ベランダの窓からは、テーマパークのカラフルな観覧車と、時々噴火する火山のオブジェが吐く白い煙が見えていた。

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