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第二十七話 品川奏太の場合

 ぐっすりと眠っていたみおりは、軽くうめいて目を覚ました。カーテンは閉められているが、高くなった陽が部屋を仄明るく照らし出している。いつも枕元に置いているスマホを手探ったが見つからず、仕方なく起き上がった。ローテーブルを見ると、パソコンの横に伏せられたスマホが、着信ありのランプを点滅させている。腕を上げうーんと伸びをしてから、みおりはベッドを出てスマホを手に取った。時計のデジタル表示は十三時過ぎ。ちょうどよかった。ショートメールを開いて千穂のメッセージを読む。

『美織さん、一冊目読み終わった』

『凄げえ面白かった』

『何処までほんとの事か分かんねえけど』

『別れられてマジでよかったって言いたくなった、お疲れ様』

『二冊目読み始める』

 みおりはそれを見て微笑む。いったんスマホを伏せて、シャワーを浴びにバスルームに行く。身支度を整えてから、キッチンに立った。執筆のために一秒でも多く時間を使いたくて棚の中のシリアルの箱を掴むが、千穂の「ちゃんと飯食って」の真剣な言葉が頭に浮かび、思い直して棚の扉を閉める。スマホを取りに行って検索窓に『スープ』『レシピ』と入れスクロールする。そのまま冷蔵庫を覗いて食材を確認し、みおりは玉ねぎを切り始めた。

    *    *    *

「いただきます」

 みおりは一人、手を合わせる。千穂を思い出して、

「召し上がれ」

 と自分自身に言ってみた。メニューは、冷凍のほうれん草とウインナーのバターソテー、玉ねぎとわかめのコンソメスープ、バナナと苺ジャムとバニラアイスを添えたパンケーキだった。簡単な物ばかりだが、いつものみおりの自炊レベルからすれば革新的だ。ブラックペッパーが効いたコンソメスープをスプーンで口に運び、高い声が出た。

「んー。幸せ」

 確かにカップ麺やデリバリーも美味しかったが、満足感と幸福度が違うな、と思いながらみおりは千穂に返信した。

『読んでくれたんだ。嬉しい。何処までほんとかは想像に任せるけど、お疲れ様って言って貰えるとほっとする。』

『ちゃんとご飯食べてるよ!』

 写真が見られないのは分かっていたが、記録用といつか千穂に見せたいという思いで一枚撮った。久しぶりにテレビをつけて、ゆっくり食事を摂る。午後の情報バラエティ番組では、芸能と母親を両立する女性タレントたちが集まって、子育ての大変さを語っていた。

 ――子育てって凄く大変そう。私につとまるのかなあ。

 そんな事をぼんやりと考えながら、パンケーキをフォークで口に運ぶ。

 ――でも千穂くんだったら、鈴くんのお世話で慣れてるから……。

 自然とそう考えて、ハッとして首を小さく横に振る。そのあとは努めて千穂の事は考えないようにしながら、黙々とパンケーキにナイフを入れた。

    *    *    *

 千穂はマンション横の水場にバケツの水を捨てた。ヘルメットを外してバケツの中に入れ、マンション前に止められたワンボックスカーの後部に乗せる。車の周りには作業を終えた清掃員たちが集まって、それぞれ片づけをおこなっていた。腰のホルスターを外してボストンバッグにしまっていると、責任者の五十代男性がやってきて声をかけてくる。

「佐藤、来週の祝日って出られるか?」

 千穂は小手たちの会社に籍を置き、休日にこちらの現場で単発の仕事を貰っていた。日曜祝日は休みの事が多いため、確認が入る。

「あ、すみません。来週の月曜は用事があって」

「そうか」

「すみません」

「いや、また頼む」

 千穂は頷いて片づけの続きをする。不意に、今日が初日だと言っていた新人作業員が話しかけてきた。

「大阪行くんですよね」

「えっ?」

「何しに行くんですか?」

 不躾としか言いようのない質問だった。千穂が反問する。

「なんで知ってんの?」

 不信感をにじませると、途端に彼はにこやかになった。

「あ、いや。たまたまさっき、電話してるのが聞こえちゃって。観光かな、いいなあって。彼女さんとかと行くんですか?」

 不自然なくらい饒舌に、言葉が重ねられる。初めて口を利くというのに。

「一人だよ。彼女居ねえし」

「あっ……そうなんですか」

 ややぶっきらぼうに答えると、まるでそれだけが訊きたかったかのように、新人はそのあと近づいてさえこなかった。嘘をついた。曲がった事が大嫌いな自分が嘘をついてしまった事に居心地の悪さを感じたが、みおりを守るためだと千穂は心の中で唱えていた。

    *    *    *

 みおりは二十四時までには寝ようと心に決めて、パソコンの時計を確認しながらキーボードを打っていた。内容が内容だけに、不確かな事は書けない。時おり時系列の前後が間違っていたりして、書き直したり正確な会話を思い出したり、少しずつじりじりと執筆を進めていった。二十二時前に、スマホが震えた。確認すると、小関からのラインだった。

『如月先生、その後どうですか?』

 みおりは頭の中で文章をまとめてから、返信する。

『恋愛シリーズの前にノンフィクションを一冊挟みたいので、今度ご相談のお時間いただけますか?』

『分かりました。では、金曜日の十四時からズームで。』

『よろしくお願いします。』

 みおりはついでに、千穂とのショートメールも確認する。

『ちゃんとご飯食べてるよ!』

 と昼に送ったメッセージを最後に、タイムラインは途切れていた。スマホを伏せ、みおりはまたキーボードを叩き始めた。

 千穂は携帯の画面の、

『ちゃんとご飯食べてるよ!』

 というみおりのメッセージを見ながら、ソファに座って髪をタオルドライしていた。睡眠さえ取らずに書く事に集中するのはプロとしての高いモチベーションの気がして、それに水を差すのはどうかと考える。時刻は二十三時過ぎ。里紗がリビングに入ってきた。

「お兄ちゃん、あれから美織さんと話した?」

「うん」

「書くって言ってた?」

 主語がないが、里紗の提案の話だと知れる。

「今、書いてるみたいだな」

「やった」

 里紗は明るく笑った。

「きっと上手くいくよ。あたしも応援してるって伝えておいて」

「分かった」

 それだけを言いに来たのか、里紗は機嫌よくきびすを返す。

「じゃあ寝るね。おやすみなさーい」

「おやすみ」

 里紗が出ていって三十秒後、タイムラインが更新される。

『ちゃんと寝るよ! 千穂くんおやすみなさい』

 末尾には、笑う太陽の絵文字。千穂はすぐに返信した。

『おやすみ、美織さん』

 送信しようとして、ふと遊び心が働いた。千穂も真似て、末尾に笑う太陽の絵文字をつける。送信すると、すぐに太陽の絵文字だけが三つ、送られてきた。千穂はそれを数秒眺めてから、携帯を閉じダイニングテーブルの上のリモコンで電灯を消して、二階への階段を上がっていった。部屋に入って布団を敷き、松ケ井が貸してくれたビニール袋の中から『あかつき栞の華麗なる恋愛~藤澤(ふじさわ)琢磨(たくま)の場合~』を出して、横になってパラパラとページをめくった。

    *    *    *

 薄暗い路地を歩きながら、スマホの画面の検索窓に『如月みおり』と入れる。七年前のネットニュースの下に、SNSの投稿が連なった。ハッシュタグは『如月みおり』

『彼氏、来週の日月と大阪行くらしい』

『みおりって大阪出身だよな』

『まさか結婚の挨拶?』

『迷惑しかかけないのに』

『図々しい、親の顔が見たい』

 スマホの画面がラインに切り替わる。文章を打ち始めた。

『みおりさん、来週の連休二日間、陽光炉のイベントあるんですけど。よかったら観に来ませんか? 関係者席用意します。』

 返信が届いた。

『ごめん、来週の日月は用事あって。』

『旅行にでも行くんですか?』

『うん。大阪に、久しぶりにお母さんの顔見に行くんだ。』

『そうですか。また何かあったら連絡します。気をつけて。』

『ありがとう、奏太。おやすみ』

 末尾には笑う太陽の絵文字。スマホを持つ人物は、暗闇でらんらんと目を光らせている。奏太だった。

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