第二十五話 ウエディングフォト
ホームページのアドバイス通り、みおりは前開きのシャツワンピースを着ていった。プロの手によって長い黒髪はアップにされ、左だけいく筋か残された横髪がはらりと頬に降りかかり、大人っぽい印象だ。横髪にはウェーブがかけられたが、担当した男性メイクアップアーティストはみおりの顔はクールなイメージだと言い、敢えてふわふわした印象でなく毛先だけ緩く巻いてシャープさを損なわないようにした。生花の青ばらが飾られている。メイクはオレンジ系で統一され、派手過ぎずナチュラル過ぎもせず、みおりの美しさを引き立てていた。最後に、ファンデーションが崩れないよう小指側にパフを噛ませた拳に筆が握られ、リップグロスが乗せられる。メイク担当は業界によく居るタイプで、フェミニンなニュアンスで話しかけてきた。
「はぁい、出来上がり。とっても綺麗よ」
「うわあ……凄い。私じゃないみたい」
思わずみおりはもらした。ステージメイクをして貰った事はもちろんあったが、やはり一生に一度のウェディングの現場は、テクニックと何より気合いが違う。メイク担当は、笑って口元に手の甲を当てた。
「あらヤダ。嬉しい感想」
「本当に。結構軽い気持ちで来たんですけど、なんだか緊張してきちゃった」
一緒に鏡を覗き込み、メイク担当はみおりの肩に大きな手を置く。
「大丈夫よ。ほんとに綺麗だから。ドレスを着たら、腹が据わる花嫁さんが多いの。自信を持って、楽しんでらっしゃい。笑顔よ、笑顔」
「はい!」
みおりはとびきりの笑顔で応えて見せた。
* * *
千穂は一足先に支度が終わってスタジオに入り、オフホワイトのタキシードで白いグローブを右手に握りそわそわと落ち着かなく動き回っていた。ポケットチーフは、みおりの青ばらと揃いの色だ。ヘアメイクの部屋には里紗と鈴も一緒に入り、散々知らない人みたいだと笑われたあとだった。だが衣装も着替えてスタジオに向かう道中、最後に「お兄ちゃん、カッコいいよ!」と里紗に背中を叩かれ、それにだいぶ救われていた。撮影の邪魔にならないように、里紗と鈴は行儀よくスタジオの隅の椅子に座っている。鈴が飽きないように、『消えたお天道様と迷子のラド』の絵本も持ってきていた。
「新婦さん、いらっしゃいます」
スタッフの声がして、千穂は振り向いた。ボリュームのあるプリンセスタイプのスカートにも対応する大きな両開きの扉が開けられると、マーメイドタイプのウェディングドレスを着たみおりが立っていた。首元が総レースになったホルターネックのドレスは、肩の露出があったが上品で気負わない。同じ総レースのロンググローブを着けている。目が合って、みおりはにっこりと微笑んだが千穂は若干開いた口が塞がらない状態だった。みおりはそれを見て、可笑しそうに含み笑って歩み寄る。
「千穂くん、口開いてる」
言われて、千穂は慌てて表情を引き締めた。
「どう? 馬子にも衣装でしょ」
「美織さん、めちゃくちゃき……」
「美織さん、凄ーい! 綺麗!」
「ありがとう」
千穂が言う前に里紗の声が飛んできて、みおりはそちらに手を振る。里紗と鈴は、アトラクション気分で両手を目いっぱい振っていた。出鼻をくじかれて、千穂はまたみおりと目が合うと喉を押さえて咳払いをする。ピンヒールをはいたみおりが隣に立つと、身長差は頭一つ分で理想的な男女のバランスになるのだった。声が裏返らないように自然と唾液を飲み込んでから、間近に見詰め合い、ささやく。
「美織さん。めちゃくちゃ綺麗。俺には勿体ない」
「それは私の台詞だよ。千穂くん、昨日は笑ってごめんね。すっごく似合ってる。カッコいい」
みおりの手が伸びて、いつもは下ろしている前髪が後ろに流すようにセットされた右サイドに触れた。そこは、一部だけがコーンロウに編み上げられている。くくった後ろ髪にも細い三つ編みのエクステンションが加えられ、スタイリッシュだった。
「凄いこれ」
「コーンロウ一回やってみたかったから、夢が一つ叶った」
「よかった」
互いの装いにまず感想を言い合うのがウェディングフォトスタジオの日常らしく、一区切りついたところでスタッフが声をかけてくる。
「ご準備はよろしいですか?」
「あっ、はい。ごめんなさい」
みおりが我に返ると、スタッフは笑顔で応対した。
「いえ。ごゆっくりで大丈夫ですよ」
そしてみおりに、千穂がデザインの大半を選んだウェディングブーケが渡された。切りっぱなしの花を束ねたようなクラッチブーケで、青薔薇や白いカラーやライトブルーのかすみ草など、全体的に青と白を基調とした物だ。背景はペールブルーの壁紙が下ろされていて、二人はカメラの方に向いて並んで立った。
「緊張しなくて大丈夫ですよ」
笑顔で言うカメラマンに、確かに今レンズがこちらを向いているのを見て緊張したな、と二人は思う。
「ご希望のイメージはありますか?」
千穂がみおりを見てうながすと、
「とにかく幸せそうに撮りたいです」
と抽象的なイメージを伝えた。カメラマンが提案する。
「じゃあ、手を繋ぎましょうか」
「え」
異口同音に呟く。まともに手を繋いだ事がない事に気がついて、みおりがそろりと右手を伸ばすと、千穂にグッと握られた。その距離感を踏まえた上で、次のオーダーが飛ぶ。
「恋人繋ぎは出来ますか?」
千穂がみおりの顔を真摯なまなざしで見ながら、リードして指を絡ませた。
「美織さん、恐くない?」
「恐いのとはちょっと違うけど……なんだかドキドキしちゃう」
みおりは冗談めかして笑いにしようとしたが、千穂は笑わなかった。
「うん。俺も」
「いい雰囲気ですねー。もうちょっとくっつきましょうか」
一歩分空いていた距離を、千穂が半歩詰める。
「新郎さんいいですね。触れるくらい、くっつけますか?」
「え……こうですか?」
千穂がみおりと肩を触れ合わせる。
「新婦さん照れなくて大丈夫。一生に一度だから、勇気を出しましょう。彼に身体を預けるくらいの気持ちで」
「は、はい」
恋人繋ぎをして密着し、みおりは照れて千穂を見上げた。シャッターが何度か切れる。
「笑ってー。リラックスしましょう」
だがそう言われても、自然に笑えるものではない。カメラマンが明るく尋ねる。
「告白はどっちからですか?」
告白も何も、二人は恋人同士でさえなくみおりが黙ってしまうと、千穂がカメラマンに向かって言った。
「俺から。まずは友だちになるところから始めました」
その言葉には迷いがなく、みおりに恥をかかせまいとする意思が感じられた。みおりは千穂の横顔を見て微笑む。またシャッターが切られた。
「新婦さん、もっとくっつきましょう。新郎さんの一番好きなところは?」
「え、えっと」
隣で正面を見ながら、首をみおりの方に傾けて千穂がささやく。
「それ、聞きたい」
「え……」
思わず恥ずかしくて口元に手を持っていくと制された。
「あ、顔は隠さないでくださーい」
「えーと……誠実なところ、かな」
「そう? 俺そんなに誠実じゃないよ。でも嬉しい」
目が合って、シャッターが切られた。
「繋いだ手がよく見えるように、少しだけ持ち上げてー」
シャッターが落ちる。
「寄り添って、頭をくっつけましょうか。正面を向いて」
次第にリラックスしてきた二人は、言われた通りにする。シャッターがたくさん落ちた。
「新婦さん、笑ってー」
はじめは緊張していたが、みおりは七年前まで公演の度にビジュアル撮影をしていたのを思い出す。千穂と密着しているのも手伝って、自然と幸せそうな笑顔が浮かんだ。
「あっ! 新婦さんいい表情。綺麗ですよー」
少しずつ感覚を思い出す。自分は幸せな花嫁。意識せずとも微笑みが浮かんだが、そう役作りをする事でもっといい表情が作れた。
「新郎さんは……笑顔……うーん、違うか」
千穂は自然な表情で、カメラマンは笑顔をオーダーしようかと考えたが独り言を呟いてからこう言った。
「新郎さん、少しだけ新婦さんの方を向いて、目を閉じてみてください。新婦さんは正面を向いて笑顔でー、はい撮りまーす」
そのポーズで、たくさんの写真が撮られた。
「動いてもいいですよ。くっつけた頭を軽くぐりぐりしたりして。はいいただきまーす」
細かく動きながら、ワンカット目の撮影は終わった。ツーカット目は、具体的にイメージがあった。背景の壁紙が教会のステンドグラスに変えられ、みおりは今度は逆にカメラマンにオーダーした。
「せっかく千穂くんコーンロウにしてるし、横顔で撮りたいです」
「雰囲気はどうします?」
「カジュアルで、楽しそうな感じにしたいです」
「じゃあ、新郎さんガタイがいいし、新婦さんを持ち上げてみるのとかどうですかね」
「え。でも重い……」
「重くないよ」
その言葉通り、みおりの腰に腕を回し千穂はひょいと持ち上げる。若干みおりの方が目線が高くなって、見詰め合った。シャッターが落ちる。撮影に慣れた事もあって、ツーカット目は早々にベストショットが撮れたのだった。
* * *
二人のヘアは元に戻り、みおりのメイクだけが残った状態だ。帰りは、ハイエースで来た千穂がみおりを家まで送る手はずになっていた。助手席を開けて、高い座席に乗る手助けをする。
「ありがとう」
里紗と鈴は後部座席に乗り込んで、里紗が興奮して話し出した。
「美織さん、すっごく綺麗だった。あたしもああいうドレスが着たいかも!」
「ありがと。あれはマーメイドタイプって言ってね、大人っぽくしたい人が着るの。里紗ちゃん可愛いから、プリンセスタイプとかも似合うと思うよ。お姫様みたいなやつ」
「あっ、そういうのもあるんだ。お姫様も憧れるなあ」
鈴も元気に声を上げる。
「お兄ちゃん凄かった!」
「鈴もいつか着るんだぞ」
里紗が笑った。
「お兄ちゃんのタキシードが見られるとは思ってなかった」
「俺の事はいいから」
「あー、お兄ちゃん照れてる」
わいわいと話し合い、笑い声が絶えない。千穂はハイエースを発進させて駐車場を出て、国道三〇五号に入った。王子までは一本で三十分強だ。街の夜景が流れていく。話に一区切りついたところで、千穂が水を向けた。
「里紗、美織さんと話したいって言ってなかったっけ」
「あ、うん」
里紗が居住まいを正す。
「あのね、美織さん」
「ん? 何?」
バックミラー越しに目を合わせながら問う。
「ペンは剣よりも強し、って言葉知ってる?」
「うん、知ってるけど……」
* * *
千穂は、みおりのマンションの前にハイエースを止めた。後部座席の里紗と鈴は、身を寄せ合って眠っている。千穂は先に降りて助手席のドアを開けた。
「ありがとう」
みおりは差し出された千穂の手を握って車から降り、二人はマンションのエントランスに入る。
「送ってくれてありがとう。それから、写真も。一生の思い出にする」
千穂はわずかに首を傾けた。
「俺は、思い出だけにするつもりはねえよ。俺たち、ずっと美織さんの味方だから」
「……うん」
返事は肯定的だが、みおりの表情は複雑で何処か寂しさも感じさせる。千穂は言い募った。
「里紗の言った事も考えてやって。あいつ俺と違って読書家だからさ。一理あると思う」
「あ、うん。私……諦め癖がついてるから、里紗ちゃんの提案は目からうろこだった」
「それから美織さん、約束して。取り敢えず大阪行くまで、エゴサしねえって。わざわざアンチの言う事気にすることない。俺、美織さんにもう何も諦めて欲しくねえんだ」
千穂は小指を差し出した。
「ん」
生真面目な顔で指切りを求める千穂に、みおりはようやく薄く微笑んだ。そっと小指を絡ませる。
「んっんっん」
千穂が「指切った」のメロディで三回拳を上下させて、みおりは今度こそ笑顔になった。指をほどいて、懐かしそうにその小指を左手で包み込む。
「ふふ。指切りしたのなんか、子どもの時以来」
「お母さんと?」
「うん」
「うちは鈴が居るから、結構する」
「そっか」
「……ん」
目線の高さに千穂の手の平が上げられた。
「ん?」
「ハイタッチ、しねえの?」
みおりは嬉しそうに笑う。
「する」
みおりからは少し高めの位置の千穂の手に、手の平を重ねる。
「じゃあ美織さん、部屋入って鍵とチェーンかけて。俺見てるから」
「うん。ありがとう。おやすみなさい」
「おやすみ」
合わせた手を軽く叩き合わせて、二人はエントランスで別れる。千穂が建物を出て下から見上げていると、二階の部屋に電灯が点いて、カーテンが少しだけ開けられ手が振られた。千穂は軽く手を上げ、ハイエースに乗ってみおりのマンションをあとにする。
みおりは千穂のハイエースを見送ってからカーテンを閉めた。ローテーブルのクッションに座り、ノートパソコンを開いていつもの文章を書き溜めるウェブサイトを開く。千穂との事をつづった『運命の恋(仮)』とは別に、小説の新規作成ボタンを押す。タイトルに『如月みおり(仮)』と入れた。本文を書き始める。
『私は如月みおり。七年前までは舞台女優をやっていた。劇団陽光炉で座長をつとめ、主演を任される『キャバ嬢探偵・うらら櫻子』シリーズは好評を博し、何もかもが上手くいっていた。――あの夜までは。私が『あの』如月みおりと呼ばれるようになった事件から、現在に至るまでのいきさつを、全てお話しようと思う。』




