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第二十三話 サムシングフォー

「じゃあ美織さん、気をつけて」

「うん。千穂くんも気をつけてね」

 サングラスをかけ直して駅まで二人で歩き、別れ際にみおりは思い出す。

「あっ」

「ん?」

「そう言えば、千穂くんちの鍵、預かってるんだった」

 ジレのポケットから取り出す。

「ごめんね。私が使ってるの見られたみたいで、置き鍵の事も書かれてたから、悪用されないように回収したの。返しておくね」

「いや」

 鍵を乗せ差し出すみおりの手の平を、千穂は二回り大きな手の平で包んで握らせた。

「それは、美織さんが持ってて」

「え、でも……」

「俺、美織さんの事ただの友だちだと思ってないから。里紗も鈴も懐いてるし。いつでも来られるように、これは美織さんが持ってて」

「いいの?」

「うん。美織さんに、持ってて欲しい」

「分かった。ありがと」

 ジレのポケットに鍵をしまい直して、みおりは目線の高さに手を上げた。

「ん?」

「ハイタッチ」

「うん。なんで?」

 手の平を合わせながらも、千穂は不思議そうだ。

「私、友だちと別れる時はハイタッチするの。バイバイよりテンションが上がるから」

「そっか。じゃ、な。痴漢に遭ったら蹴り上げてやんだぞ」

「あはは。了解! じゃあね」

 合わせた手の平を軽く叩き合わせ、二人は京浜東北線と埼京線のホームに別れていった。

    *    *    *

 スマホのロック画面は、乱雑に撮られたみおりの『著者近影』だった。ロックを解除し、SNSを開く。画像添付のボタンを押すと、写真フォルダに連写された『かっつぇ』から出てくるみおりと千穂の写真が、大量に表示される。二人の顔と『かっつぇ』の看板が一緒に写った写真を選んで、貼りつけた。ハッシュタグは『如月みおり』

『赤羽のカフェ「かっつぇ」でデート、狭いから入れない』

 すぐにリプライがつき始める。

『みおりのくせにデートとか生意気』

『行けなくさせよう』

『私電凸してクレーム入れるわ』

『俺レビューで星1つける』

『みんなでやったらこんな店潰れんじゃね?』

 SNSを閉じて、レビューサイトを開く。すでに何件か、星1がついていた。

『美味くも不味くもない。』

『二度と行きたくない。』

 スマホの持ち主もレビューボタンを押す。登録名は『如月みおり』

『彼氏と行ったけど最悪だった。ジジイ掃除してたけど手も洗わないし。紅茶の店だけど専門店が聞いて呆れる。』

 星1を選んで投稿ボタンを押す。4.1だった評価は、このわずかな時間ですでに3.8まで下がっていた。

    *    *    *

 少し帰るのが遅くなったため、着替えないままパーカーの上にマゼンダピンクのエプロンをして、千穂はカウンターキッチンに立っていた。かすかに鼻歌などハミングしながらキャベツをざく切りにして大きなザルに入れ洗う。ピーマンに取りかかったところで、ソファの方から里紗の声がした。

「お兄ちゃん、今日機嫌よくない?」

「ん? いや普通だけど」

 ピーマンを縦に八等分してそれもザルに入れ、すでに味噌を溶いてあったもやしと人参と油揚げの味噌汁の鍋の火を止めてから、小皿に少量すくって味見する。

「デート上手くいった?」

「ゴホッ」

 ちょうど口に入れたところで、千穂がむせた。鍋から顔を逸らして何回か空咳をし口を拭って里紗を見ると、もこもこの部屋着を着ていつかのようにソファの背もたれに腕をかけ、にこにこと千穂を見上げていた。鈴は隣でアニメを観ている。

「違げえよ。別にデートじゃねえし」

 千穂は平静を装って、背を向け電子レンジから解凍したラム肉を取り出す。今日は、久しぶりのジンギスカンだった。

「でも、美織さんでしょ?」

「そうだけど」

 千穂が不明瞭に口ごもる。皮を剥いてあった人参を手に取り、ザルの中に直接ピーラーでそいでいく。火の通りにくい人参を時短調理する工夫だった。

「お兄ちゃんがネックレスなんかするの、何年かぶりに見たなあ」

「うるせえな。誰だってたまにはお洒落すんだろ」

 冷凍庫からスイートコーンの袋を出して、キッチンばさみで封を切る。

「そうだね。デートだもんね!」

「だからそんなんじゃねえって……!」

「あ! お兄ちゃん!」

 手を動かしながらムキになる千穂に、里紗が大きな声を出した。

「あ?」

「それ……お味噌汁のお鍋……」

「あっ」

 ジンギスカンに入れようと思っていたスイートコーンが、味噌汁にぷかぷか浮いていた。悪ノリしていた里紗が反省して苦笑する。

「ごめん、お兄ちゃん」

 家計をやりくりして安くても美味しい物をと日々苦労している千穂は、額を押さえてうつむいた。

「大丈夫、きっと味噌ラーメンみたいで美味しいよ!」

 落ち込む千穂を、里紗が一生懸命慰めた。

    *    *    *

 みおりはローテーブルで、ノートパソコンを開いていた。グレーのスウェットに黒縁眼鏡、タオル地のヘアバンドで髪を押さえている。検索窓には『ウェディングフォト』と入っていて、たくさんの候補が並んでいた。マウスを操作してスクロールすると、『美しいばら庭園』や『三千着のドレス』など、各スタジオのうたい文句が目に入る。やがて『都内最大のスタジオ数・スタジオ写真専門』と書かれた文字をクリックした。庭園や必要以上の貸衣装を揃えない分、値段も手頃そうだ。教会や海や花束をイメージしたスタジオのデザインが、いくつも並んでいて具体的に分かりやすかった。

「ここ、いいかも」

 みおりは呟いて、『自動オンライン相談』のボタンを押した。まず表示された空き状況カレンダーでは、明日の夜はスタジオが空いている。おそらく平日の仏滅だからだろう。貸衣装の色や形、ブーケのデザイン、カット数の希望などを入力していく。大まかな見積もり額が表示されて、みおりはそのページをブックマークした。伏せていたスマホを取ってフリック入力する。

『千穂くん、明日の十九時に表参道のスタジオ空いてるんだけど、どうかな?』

 末尾には笑う太陽の絵文字。

 着メロが鳴る。千穂は布団に横になって、みおりの小説を読んでいた。枕元の携帯を見て起き上がり、本をかたわらに置いてから布団の上にあぐらをかく。

『十六時には終わるから、風呂入って間に合うな』

『てゆっか』

『電話かけていい?』

 そのメッセージを受けたみおりは、すぐに千穂に電話をかけた。ワンコールで着信する。

『美織さん』

 もしもしとは言わずに名前が呼ばれるのを聞いて、みおりも返す。

「千穂くん、さっきはありがとう」

『無事に帰れた?』

 その過保護とも思える質問に、みおりは少し笑った。

「無事だよ。二駅だし」

『本気で心配してんだぞ。もう美織さん泣かせたくねえから』

 ――ああ、私。こういうシンプルな言葉が欲しかっただけなんだ。

 みおりはそう気がついて、だが自分の気持ちにブレーキをかけ声を出さずにそっと微笑む。沈黙が落ちて、やがて千穂が口を開いた。

『……美織さん?』

「うん。ありがと。私も泣くのには飽きてきたとこ」

『じゃあ笑ってろよ。美織さんが笑ってるとほっとする』

 みおりはその言葉通り、含み笑った。

「さっきね。すっごく笑える事に気がついちゃった」

『何?』

「ウェディングフォト撮るって事は、私たち、ドレスとタキシードなんだよね」

『そっか。マジか』

 千穂も具体的にイメージしていなかったらしく、事ここに至って初めて気がついた声を出す。

「ドレスの形とかブーケのデザインとかいっぱい選ばなきゃならなくて、ちょっと途中でキレそうになって適当に選んで見積もりした」

 笑いながら告白するみおりだが、千穂は不思議そうな顔をする。

『え。そういうの選ぶの、楽しくねえ?』

「え、千穂くん楽しいの?」

『俺は楽しいけどな』

「じゃあじゃあ、千穂くん選んでよ」

『マジで? 自分で選ばなくて後悔しねえ?』

「逆に嬉しいかな。選んで貰ったら」

 みおりは見積もり額の表示されたページから、マウスをクリックして『自動オンライン相談』のトップページに戻る。

「カット数はね、せっかく撮るから二枚にしようと思ってるんだ」

『二枚も撮んの?』

「うん。普通の結婚式風のと別に、ちょっとはしゃいだやつも撮りたくて。いい?」

『うん。俺はいいよ』

「千穂くん、タキシード黒と白どっち着たい?」

『え。じゃあ俺のは美織さんが選んでよ』

「そうだなあ……」

 頭の中で千穂にタキシードを着せて、みおりは笑いが止まらない。

『なんで笑うんだよ。そりゃタキシードって柄じゃねえけどさ』

「いや、なんか……千穂くん筋肉大きいから、ピッチピチにならないかなって想像したら可笑しくて」

 ツボにハマったらしくて、みおりはしばらく一人で笑う。千穂は、それを黙って聞いていた。やがて笑いを収めると、みおりは吐息する。

「あー。久しぶりに爆笑した」

『で? 爆笑の結果どっちになった?』

「うん。白の方が可愛いかも」

『いや、別に可愛かねえけど』

「ううん、絶対可愛い」

「んー」

 千穂は正直みおりより年下なのを気にしていたから眉をしかめて反論をしたくなるが、みおりが楽しそうに笑っているので折れてやる事にした。次はドレス選びだ。

「千穂くん、ドレスの形とか分かる?」

『よく分かんねえけど、美織さんスタイルがいいから、あのお姫様みたいな広がったスカートは勿体ないと思う』

「あ、それ、プリンセスタイプってやつ」

『それじゃないやつ。ちゃんと身体のラインが分かるやつある?』

 みおりは画面をスクロールした。

「マーメイドタイプってやつかな。ひざのところで一回絞るから、一番シュッとしたシルエットになる」

『じゃあそれ』

「うん。ブーケには入れたい花とかある?」

『あ。青いばら』

 はっきりと意志を持って希望され、みおりは少し不思議に思う。

「いいと思うけど、なんで?」

『小手さんに電話して訊いたんだ。なんてったっけ……なんか四つ揃えるやつ』

「サムシングフォー?」

『それそれ。小手さん結婚してるからさ。ハンカチ貸してくれるって言ってた』

 ごっこだったはずの撮影に、現実味が帯びてくる。みおりも考え出していた。

「古い物は、お母さんが昔くれた指輪がある。新しい物は、この間のわんぱくキングの時に買った白いピンヒールでいいかな」

『青い物は青ばらで、完璧じゃねえ?』

 サムシングフォー。それは、花嫁が幸せになるために身に着ける四つの品物だ。いつの間にか、二人はそれが『ごっこ』である事を忘れかけていた。幸せにしたい。幸せになりたい。その思いが積み重なっていく。他にも選ぶ物がたくさんあって、二人は夜遅くまで相談し合って明日の十九時に予約を入れた。

「じゃあ千穂くん。明日の撮影と、次の連休一泊二日でお願いします」

『分かった。休み取っておく』

 時計の針が二十四時を回る頃、おやすみを言い合ってまぶたを閉じる。だが魔法はとけてしまわずに、眠りについても二人の心は暖かく繋がったままなのだった。

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