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第二十話 三者面談

 翌日、千穂は黒いスーツにワイシャツで、電車の座席に座っていた。電車の中でも、みおりの小説を読んでいる。やがて目的の駅に着き、バックパックに本をしまって電車を降りた。駅から里紗の中学校は近かった。受け付けに会釈する。

「佐藤千穂と申します。三年C組の佐藤里紗の保護者で、三者面談に来ました」

 事務員はリストと照らし合わせ、首から提げるタイプの入校許可証を千穂に渡す。

「どうも」

 再び会釈して、千穂はスリッパにはき替え入校許可証を首にかけながら、三年C組の教室を目指した。やがて見慣れたポニーテールを見つけ、廊下から声をかける。

「里紗」

「お兄ちゃん」

 指定の時間より十五分早い。教室には里紗だけが座っていて、千穂は室内に入って引き戸を閉めた。

「小テストどうだった?」

「あ、うん。昨日勉強したから結構自信ある」

「そっか」

 面談用に二つ並んだ机の隣に座り、床に置いたバックパックから小さなノートとボールペンを取り出す。

「何それ。お兄ちゃん、気合い入ってるね」

 里紗は隣で、可笑しそうに笑った。

「そりゃ入るだろ。進路の話だぞ」

「そっか」

「里紗」

「ん?」

「俺は、里紗の意思を尊重したいけど……正直に話すと、美織さんに相談したんだ」 

「……そっか」

 少し視線を下げ、再び千穂の顔を見る。

「なんて言ってた?」

「今は夢がない子が多いから、いい夢だと思うって」

「やった」

「でもやっぱ、どうしたって学歴社会だから、高校は行った方がいいとも言ってた」

「……そうかなあ」

 異論ありげに視線を逸らす里紗の横顔に、千穂は真剣なまなざしを注いだ。

「俺もそう思う。夢は応援するけど、高校出てからでも遅くない。……これは、美織さんが教えてくれたんだけど」

「うん」

「演技の専門学校って、体験入学をやってるって。だから取り敢えず先生に、資料請求して貰おう。体験入学に行く時は俺も着いてくから」

 里紗は複雑な表情で大人ぶる。

「え。一人でも行けるよ」

「俺も、里紗がどんな夢を追いかけてるのか見てみたいんだ。ちゃんと応援する以上な」

 里紗もふと真剣な顔をした。

「お兄ちゃん」

「金の心配なんかしなくていいから。高校卒業して欲しい」

「……分かった」

 二人は顔を見合せて笑みを交わした。ノックの音がする。振り向くと、里紗の担任教師が入ってきた。二人は立ち上がって出迎える。

「いつも里紗がお世話になってます。よろしくお願いします」

「お忙しいところ、ご足労をおかけしまして申し訳ありません。佐藤さんのお宅はお兄さんが保護者様でしたね。どうぞおかけください」

「失礼します」

 腰を落ち着けて、千穂がノートを開いてボールペンを握った。

    *    *    *

「じゃあな、里紗」

「バイバイ」

 教室の前で里紗と別れ、帰りの電車は立って、千穂はみおりの小説を読んでいた。

『高校を卒業してすぐに、演劇部OGの助言を受けながら、私は大輔と劇団を旗揚げした。演技だけで食べていけるようになりたくて、色々と試行錯誤した。世の中のお母さんは小さい子どもを連れて行ける場所が限られていたから、読み聞かせワークショップや影絵公演は好評を博した。まだ劇団の名前すら売れていないのに地方公演を打って、劇場の椅子や硬い床で雑魚寝したのは、今では笑い話になっている。』

「雑魚寝……」

 千穂は文章を読む時に過集中するタイプで、口の中で呟いた。聞いた事のあるエピソード。タイトルも『あかつき栞』だし、何処までがフィクションなのか分からなくなる。

『そんな地方公演のさなか、ある時気がつくと、大輔が私の手を握って眠っていた。地方公演の終わる千穐楽の朝だった。寝ぼけたのだろうと手をほどいて起き、無事に千穐楽公演を終えたのだが、帰りの大道具を乗せた深夜のトラックの中で告白された。「高校の頃から、ずっと好きでした。付き合ってください」正直、戸惑った。私は「付き合ってください」という言葉から始まるような関係値の恋愛に、興味がなかったからだ。何度も冗談にして笑ったが、八度目の告白で根負けして付き合う形になったのだった。』

 吊り革から手を離してページをめくろうとしたタイミングで、電車が揺れる。反射的に目の前のポールを掴んでから、ハッとして窓の外を見た。目的地の南阿佐ヶ谷を過ぎていた。

「やべ、過ぎてる」

 足の間に置いていたバックパックを肩に引っかけ、本は手に持ったまま千穂は慌てて電車を降りた。

    *    *    *

 南阿佐ヶ谷の商店街で、千穂は買い物をしてから帰る。二百グラム入りと五百グラム入りのもやしを両手に持って値段を比べ、より買い得な五百グラム入りをかごに入れた。たんぱく質は肉も魚もバランスよくしたい。鮮魚コーナーを見回すがさんまが一尾四百円で、諦めていつもの一切れ百二十円の鮭を手に取った。長ネギの覗く猫のキャラクターのプリントされたエコバッグを提げて、千穂はアーケードをぶらりと抜けた。

 スラックスのポケットから鍵を出し、自宅の玄関ドアを開ける。ふと足元を見ると、柴犬の置物が斜めに曲がっていた。横着して革靴の足で向きを直し、家に入ったところで着メロが鳴る。スーツの内ポケットから携帯を出して開いた。

「……松ケ井?」

 休日に松ケ井から連絡があった事など初めてだ。思いつくのは、みおりの炎上の事だけだった。ショートメールを開く。

『佐藤さんお疲れ様です』

『今帰ってきました?』

 ぎくりとする。今帰ってきたからだ。

『なんで分かった?』

『たぶん近所の人』

『佐藤さんも見張ってます』

 知らない方がいい事というものもある。千穂は知らせてくれた礼を言うべきか、放っておいて欲しいと言うべきか、しばし迷って天井を見上げた。結局、こう返した。

『悪い、元々SNSに興味ないんだ』

『必要以上の事は知りたくない』

 返事はすぐにきた。

『分かりました』

『すみません』

 少しあってから、もう一通きた。

『重要な事だけ知らせます』

 千穂は靴を脱いでそろえ、キッチンの作業台にエコバッグを置いてから返した。

『了解』

 エコバッグの中身を冷蔵庫に入れ、バックパックを持って二階に上がる。自室で黒のスウェット上下に着替え、また本を取り出してあぐらをかき、畳まれた布団に寄りかかって読みふけった。まだ出会って間もないみおりの内面に触れられているような気がして、一文字一文字を噛み締めるように大切に読み進めた。

    *    *    *

 スマホの画面が薄暗がりに光っている。『如月みおり』を検索すると、七年前のネットニュースの下にSNSの投稿が大量に表れた。

『やば、今日うちの中学にみおりの彼氏来てたんだけど』

『スマホ禁止だから撮れなかったー!』

『え待ってなんで学校、出会い厨?』

『DVでロリコンとかコンプラ的に無理』

 スクロールしていた指が、文字を素早くフリック入力していく。ハッシュタグは『如月みおり』

『三者面談やってたから生徒の保護者かも、知らんけど』

 投稿ボタンを押す。反応はすぐにあった。いいねと拡散の数字が見る見るうちに増えていく。リプライもつき始めた。

『それあるかも』

『名前なんだっけ』

『佐藤じゃなかった?(すぐ消す)』

『名前が平凡過ぎて特定しづらい』

『特定班ー!』

 薄暗がりの中で、スマホを持つ人物の口角が上がった。電源ボタンを短く押すと、ロック画面に切り替わる。画像は乱雑に撮られた、小説カバー裏で笑顔を見せるみおりの『著者近影』の写真だった。

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