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第十三話 モデル

 まだ明るい時間、一階のダイニングテーブルで、ノートパソコンにみおりが文章を打っている。飾らない普段着にラウンド眼鏡だ。

『千穂「俺は美織さん、すっぴんでも綺麗だと思うけど。おやすみ」』

 そうワードの原稿用紙に打ち込んで保存し、モニターを閉じた。ベルトが太いブレスレットになった腕時計を見ると、十六時。千穂は今日、少し遅くなると言っていた。子ども部屋では、里紗が勉強をし、鈴が昼寝をしている。何冊か持ってきた新しい絵本に鈴は目を輝かせ、いつも途中でぐっすり眠ってしまうのだった。

 パソコンの横に伏せていたスマホを手に取って、溜まっているプッシュ通知をスワイプしていく。ほとんどがアプリのお知らせなどで、気にせずどんどんと消していったが、一件のメール通知で人差し指が止まった。『オーディション速報メルマガ』とタイトルがついている。女優をやっていた頃からチェックしているメールマガジンだ。もう芸能界に戻れるとは思っていないから受ける気はないが、解除の仕方を調べずになんとなく登録したままだった。タップして開く。『男性モデル募集』の文字が目に入る。

「男性か……」

 呟いていったん閉じたが、少し考えて、もう一度開いて詳細を読んでいく。

『身長百八十センチ以上』

『年齢三十歳以下』

『プロテインのウェブ広告』

 そこまで読んで、みおりは腑に落ちた顔をした。

「そっか」

 そのメールに重要マークをつけてから、通知の整理に戻る。ラインが一通きていた。送信者表示は『かなた』七年前はみおりが座長をつとめていた劇団陽光炉の現在の座長、品川奏太だ。みおりが炎上後も、数ヶ月おきに連絡をくれて近況を話し合ったりする、数少ない貴重な友だった。タップして開く。

『みおりさん、元気? また炎上してたから、心配になって連絡してみた。』

 その淡白にも思える素朴なラインに、みおりは微笑んでから返信する。

『元気だよ。奏太は? 劇団順調?』

 公演中でもない限り、すぐに既読がついて返信がくるのは昔と変わらない。

『うん。櫻子さんの後輩の花村ありすシリーズ、好評だよ。』

『櫻子さんは自分探しの旅に出た事になってるから。みおりさんがよかったら、戻ってきて貰っても僕は歓迎だけど。』

「えっ」

 社交辞令でも嬉しい言葉だ。その一方、七年経って初めての打診に、どう反応していいものかと戸惑ってもいた。

『あはは。どうしたの急に。私が戻っても、炎上商法って叩かれるだけだから。』

 それは率直な感想だった。人の噂も七十五日とは言うが、デジタルタトゥーは一生消えず新たなアンチが誕生し続ける現実に、みおりは正直疲れていた。だが奏太からの返事は熱心だ。

『みおりさん、一人で頑張り過ぎだよ。劇団員が仲間になるから。僕も。』

 みおりはスマホを見詰め、ふうっとため息をつく。どうやら奏太は本気のようだ。『ありがとう。』のあとに『考えてみようかな。』といったん打ち込んで、諦めたように一度まぶたを閉じて『考えてみようかな。』の一文を消した。

『ありがとう。嘘でも嬉しい。』

 スタンプを選び、『ありがとうございます』の文字が入ったペンギンのイラストを送る。今は千穂の事を考えるのに忙しくて、奏太の言葉を現実的に受け止める余裕がなかった。

『嘘じゃないよ。僕は本気だから。』

 すぐにタイムラインは更新されるが、みおりはもう一度『ありがとうございます』の同じスタンプと、『ぺこり』とペンギンがお辞儀するスタンプを送って会話の終わりを示して見せた。奏太にこの『ぺこり』のスタンプを送るともう返信がこないことを長年の経験で知っていて、みおりはラインの画面を閉じてまた通知の整理に戻る。次に指が止まったのは、『ポスター用写真、ご確認ください』とタイトルのついたメールの通知だった。

    *    *    *

「えっ、これカッコよくない?」

 みおりのはしゃいだ声に、里紗の爆笑が重なる。

「ほんとだ! お兄ちゃんじゃないみたい!」

 みおり、里紗、鈴の三人はみおりのノートパソコンのモニターを覗き込んでいた。

「あー、でも筋肉のキレはこっちの方がいいって言うかも」

 キャアキャアと女性陣の声が響くリビングに、大きなボストンバッグを肩にかけた千穂が入ってくる。

「ただい……」

「お兄ちゃん!」

 返事もせずに里紗が飛びついて、スカジャンの腕を引いた。

「見て見て」

「なんだよ」

 かろうじてダイニングテーブルの足元にボストンバッグを下ろすと、みおりが出迎えた。

「おかえりなさい、千穂くん」

「ただいま」

 みおりがノートパソコンのモニターを千穂の方に向けると、左耳からブルートゥースイヤホンを外す。

「わんぱくキングのポスター用写真の候補、選んでたんだ。千穂くんの意見も聞かせて」

 画面には、黒いノースリーブ一枚で筋肉を強調するポーズを取る千穂が、たくさん写っていた。鍛えている以上千穂も多少知識があるのか、よくあるボディビルダーが取るようなポーズだ。里紗が指を差す。

「あたしはこれが傑作だと思う」

 胸の厚みを横から見せるサイドチェストで、表情は若干歯を食いしばっている写真を可笑しそうに笑う里紗に、千穂が憮然として言い返す。

「傑作ってなんだよ。笑い取りにいってる訳じゃねえし」

「だってー。お兄ちゃんスカしてて面白いんだもん」

「里紗ちゃんと言ってたんだけどね」

 みおりがタッチパッドに触れて、一枚の写真を大きく出した。

「お兄ちゃん!」

 と鈴がモニターを指差す。

「うん、そう」

 みおりがその頭を撫でた。

「これが一番よく写ってるんじゃないかなあって。千穂くんはどう思う?」

 フロントダブルバイセップス、いわゆる両腕を上げ力こぶを作るポーズでクールな表情をした千穂だ。千穂はパソコンを覗き込んで、曖昧に頷いた。

「うん。美織さんがいいならそれでいいと思うけど」

「千穂くんの意見を聞かせて?」

「いや、うーん」

 千穂は口元を覆う。恥じ入った時の仕草だった。

「正直、自分がどんな風に見えてるかとか、あんま気にした事ねえから。自分じゃよく分かんねえ」

「そう? じゃあこの写真に決めてもいい?」

「うん」

 里紗が口を出す。

「この写真は、実物よりイケてると思う」

「どういう意味だよ」

 ふざけて軽く拳を振り上げると、里紗はキャーッとリビングの入り口まで退避した。ドアを開け、閉める扉のかげから顔を出すようにして言い置く。

「じゃああたし、ご飯まで勉強するから」

「おう」

「頑張って」

 見送ると、鈴もソファに座ってアニメを観始めた。千穂は手に持っていたカナル型の丸っぽくて白いイヤホンを、充電ケースに戻す。左の一つきりだ。それを見てみおりがハッとする。

「あ、そうか。イヤホンあの時……」

「気にしないで。片方壊れたらもう片方が壊れるまで使うから、いつもの事」

 そう言って繋ぎの袖をまくり、キッチンで丁寧に爪の間までブラシで洗う。みおりはそれを見ながら、何気なく呟いた。

「千穂くん、もっと自分に自信持ってもいいんじゃないかなあ」

「自信って言われても。人に見られる職業じゃねえし」

 タオルで手を拭き、千穂は背中を見せ冷蔵庫の中身を確認する。みおりはダイニングテーブルに着いて千穂を見上げて言った。

「ね、バンドやってたって言ったよね。その時は人に見られる職業でしょ?」

「ああ……うん」

「金髪にしてるのもその時の名残りかなって」 

 冷凍庫から肉の塊を出し、皿に移して電子レンジで解凍し始める。

「半分当たりかな」

「半分?」

「確かにバンドやってた時は、金髪にしてた。今は、気合い入れる時だけ金髪にする」

 野菜室から大根を一本取り出して、しっぽから必要な分だけカットした。

「前回の気合いはなんだったのか訊いてもいい?」

 もうだいぶ伸びて、毛先だけ残った金髪を見ながら言う。千穂は大根の青首の方についている葉っぱも切り落とし、捨てずに作業台に置いた。

「七月に、鈴が誕生日でさ。七五三とかやってやる金ねえから、一番いい服着てわんぱくキング行って、写真撮った」

「そっか。……あのね」

「ん?」

「千穂くんさえよかったら、またウェブ広告のモデル募集してるんだけど。プロテインのだから、千穂くん受かる確率は高いと思う」

 千穂は少し考える。

「んー。人前に出るのは苦手な方なんだけどな」

「えっ、でも歌ってたんでしょ?」

「歌ってねえよ。俺はドラムス」

「あっ……そうなんだ」

 少し驚くが、なんとなく千穂らしいとも納得する。再び冷蔵庫から食材を取り出し始める千穂のところに行って、尋ねた。

「何か手伝える事ある?」

「あ、じゃあその鍋にお湯わかしておいて。着替えてくる」

「うん」

 二階に向かう千穂を見送ってから、みおりは作業台に伏せてあった鍋に水を入れ火を点けた。

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