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第十二話 五臓六腑に染み渡る

「ごめんな、美織さん。子ども部屋しか空いてなくて」

 部屋の奥にキャリーバッグを広げ、中身を整理して化粧品のボトルなどを取り出しているみおりの背中に、黒いスウェット上下に着替えた千穂が申し訳なさそうに言う。

「ううん。昔大人数で雑魚寝とかざらだったから、それに比べたら天国みたい」

 思わず劇団時代のエピソードを話してしまうと、千穂がやや驚いた。

「え。雑魚寝とか……美織さんの人生謎過ぎる」

 昔話を誰かにするのも久しぶりで、みおりは化粧水のボトルを目線の高さに上げ中身の残りを確認しながら、リラックスして答えた。

「まだ売れてないのに張り切って地方公演とかしてね。その時の話」

 急いで思いつく小物をまとめて入れてきた巾着袋の中身を確認していたが、急に静かになったので、何気なく振り向くと千穂が思い詰めた表情で床の一点を見詰めていた。

「千穂くん?」

「……あのさ、美織さん」

 一つきりの里紗の机の椅子を引き、またがるようにして背もたれに手首をかけ、千穂が座る。真剣な声に、思わずみおりも荷物を離してひざを千穂の方に向け、正座で居住まいを正した。

「どうしたの?」

「これ里紗には内緒にして欲しいんだけど」

「え、うん」

「実はさ……」

 表情から緊張感が伝わってくる。

「何?」

「里紗、前に進路の紙に『声優』って書いてきてさ」

「へえ! いい夢じゃない」

「うん……中学卒業したら、一年制の専門学校に行くって言ってて」

 まるで悪い事を告白するような口調に、みおりは微笑んで見せた。

「えっとね。今の時代、夢がない子の方が多いから、いい事だと思う」

 千穂の表情が少し明るくなった。みおりは言葉を選びながら言う。

「ひょっとしたら里紗ちゃんなりに、千穂くんに負担かけないようにって考えてるのかもしれないけど……今の日本って、綺麗事言ってるけどやっぱり学歴で人を判断してる部分はあって」

「うん」

「私の意見だけど、高校は行っておいた方がいいと思う」

「やっぱそうだよな。でも、頭ごなしに否定するのも違う気がして……」

「優しいね、千穂くん」

「美織さんから、甘い世界じゃねえって言い聞かしてやってくんねえ?」

 みおりは一度目を伏せて考えた。

「うーん……子どもってね。子どもだけど、子どもなりに一生懸命考えてて。大人たちが、自分の知らないところで自分の将来について話し合ってるのとか、一番嫌がると思うんだ」

「……そっか」

「高校の事は、千穂くんから言った方がいいと思う。その上で、実践的な体験入学やってるから、一度勧めてみたらどうかな?」

「今度、三者面談あんだ」

「そうなんだ。先生に相談したら資料請求してくれるから、その時でもいいかも」

 千穂は背もたれに寄りかかった腕に顔を伏せ、大きく深呼吸をするようにしてため息をついた。

「っべぇ……どうしたらいいのか、凄げえ悩んでたんだ。マジ美織さん頼りになる」

 みおりは明るく笑う。

「あはは。たまたま私の得意分野だったからね。こんなのでよかったら、いつでも頼って」

「ちなみにさ」

 顔を上げて、千穂が身を乗り出した。

「アニメより吹き替えがしたいって話も聞いたんだけど、なんかアドバイスある?」

「そっかー。声優さんってね、実は声のお仕事だけじゃ食べていけない事が多くて。ほら、最近アイドル声優さんとか流行りでしょ」

「そうなんだ?」

 千穂がピンときていない相槌を打つ。

「そう。歌を歌ったり舞台に立ったりして、ようやく食べていけるみたい。だから、食わず嫌いしないでお仕事しようっていうのがアドバイスかな。里紗ちゃんの夢、叶うといいね」

「ん。ありがとう」

 千穂がようやく頬を緩めたところで、子ども部屋のドアが開いた。

「あっ」

 里紗がしまったといった声を上げるが、スッと千穂が立ち上がる。

「じゃあ俺、飯作ってくる」

「うん」

 ドアが閉まるのを見送って、みおりは足を崩してキャリーバッグの方を向き、巾着袋の中身の整理に戻った。もこもこの部屋着に着替えた里紗が隣に来て座り、気まずそうに謝る。

「ごめん。お邪魔しちゃった」

「んー? なんの事?」

 みおりは笑ってノールックでしらばっくれる。

「あたし、美織さん応援してるから!」

「なんの事だろう?」

 わざとらしく言うと里紗も笑って、女子二人は楽しそうにひじをぶつけ合って笑い声を立てた。

    *    *    *

 カウンターキッチンに立って包丁やザルを、マゼンダピンクのエプロンをした千穂が手早く洗っている。階段を下りてきたみおりが、リビングに入ってキッチンを覗き込み、また声をかけた。

「何か手伝う事ある?」

「あ、じゃあそこにある取り皿と箸、テーブルに持っていって」

「うん」

 みおりはダイニングテーブルに四人分の食器を並べる。 真ん中には鍋敷きが置かれていて、少し遅れて千穂が土鍋を持ってきた。まだぐつぐついっている鍋を、鍋敷きの上に乗せる。

「わー! きのこのお鍋だー!」

 里紗が歓声を上げてソファから駆け寄ってくる。同じくソファでアニメを観ている鈴に、エプロンを外しながら千穂が声をかけた。

「鈴、ご飯」

「うん」

 鈴はソファから下りて食卓に着き、千穂がダイニングテーブルに乗ったリモコンでテレビを消す。四人そろって、手を合わせた。

「いただきます」

「召し上がれ」

 千穂が律儀に応える。鈴には千穂が取り分けてやり、それぞれがおたまで取り分けた。通常の具材の他にきのこが何種類か、それに肉や鮭が入った味噌味の寄せ鍋だった。出汁を飲んでみおりが明るい声を上げる。

「美味しい!」

「あたしもきのこのお鍋大好きなんだ。舞茸が一番好き」

「私はえのきが好きかな」

「えのきも美味しいよねー」

 みおりが、細いえのきを上手に箸でつまんで持ち上げて見せた。

「美味しいのもあるけど、なんかこの儚さが好き。凄く幸薄そうじゃない?」

 里紗が噴き出した。

「幸薄そうって」

 女性陣で盛り上がっていると、千穂が出汁に浮くえのきを選んですくい、みおりの取り皿に入れてやった。

「わー。ありがとう千穂くん!」

「これくらいしかお礼出来ねえから」

「私料理ほとんどしないから、美味しくて幸せだよ。ありがとう」

 「美味しい」のイントネーションで、「んーふー!」とうなって箸が進むみおりを好もしそうに見る千穂の雰囲気を上目遣いで盗み見て、里紗は食べながら嬉しそうに微笑んだ。

「ぼくね、恐竜さん出来るよ! ガオー!」

 鈴が言って上手に箸を開くと、飾り包丁の入れられた椎茸をつまんで口に入れた。

「美味しい!」

「何それ。恐竜さん?」

 里紗が訊いてみおりが答える。

「お箸の練習」

「里紗、今度の三者面談だけど」

「うん」

 わいわいと取り留めないの話をしながら、本当の家族のように四人は夕食を摂るのだった。

    *    *    *

 千穂がソファに座って、黒いスウェットパンツに黒いノースリーブで髪をタオルドライしている。リビングのドアが開く音に振り返ると、グレーのスウェット上下を着たみおりが入ってきてドアを閉めた。手には絵本とノートパソコンを持っている。

「鈴、寝た?」

「うん。必ず半分辺りで寝ちゃうの。だから鈴くんは、お話がどうやって終わるのか知らないんだよね」

 みおりはダイニングテーブルにパソコンを置き、可笑しそうに微笑んだ。

「あれ。それって」

「うん。鈴くんが、わんぱくキングで持ってきた絵本。『消えたお天道様と迷子のラド』っていって、私も小さい頃お母さんに読んで貰ったから、大好きなんだ 」

「鈴もそれ好きなんだけど、他の絵本より少し高めだから、買ってやれなくて」

「あー。絵本って高いもんね。特にこれ、有名な作家さんだし。……そうだ」

 みおりは、千穂の前に行って絵本を差し出す。

「はい」

「あ?」

 不思議そうに見上げる千穂を見下ろして、みおりが言った。

「これ、鈴くんにプレゼント」

「え、いや。貰えねえよ。美織さんも好きなんだろ」

「好きだから」

「……え?」

 主語のない告白に、思わず千穂の心臓が跳ねる。

「好きだから、あげるの。受け取って」

 半ば強引に差し出すと、戸惑いながらも千穂が手に取った。

「じゃ、遠慮なく。ありがとう」

 嬉しそうにみおりが笑顔を見せた。

「どういたしまして」

「里紗は?」

 みおりは千穂の隣に腰かけた。

「お風呂上がってから、ずっと勉強してる。明日数学の小テストなんだって」

「え。何その情報。俺も知らねえ」

「私一人っ子だから、ほんとの気持ちは分からないんだけど」

 そう断ってから、みおりはソファの上でひざを抱えた。

「男と女って違うから、やっぱり兄妹でも話しやすい事とか話しにくい事とか、あるんじゃないかなあ」

「そっか」

 そしてみおりを眺めて、千穂が言う。

「てゆっか」

「ん?」

「そのカッコ、里紗にそっくり。あいついっつもソファに足上げんだ」

 みおりが慌てて足を下ろした。

「あ、ごめん。お行儀悪い?」

「それが分かってんならいいんだよ。よそでやんなければ。俺はそういう教育方針」

「なんか……千穂くんがお父さんの教科書になりそう」

 微笑むみおりに、千穂が尋ねる。

「え、父親居ねえの?」

「うん。うちは生まれた時から母子家庭」

「へえ」

 それだけ言ってまたタオルドライを始める千穂に、みおりは再びソファの上でひざを抱えて正面を見た。

「私も、母子家庭って言うと謎に謝られる現象通過してきてるから」

「うん」

「謝られないとほっとする。悪い事じゃないんだって」

「少し……分かる」

「千穂くん、優しいね」

「あ? 何が?」

「「分かる」って言い切っちゃわないところが。人間は一人一人違うから、本当に「分かる」事はないんだよなあって思う」

「そっか。無意識だった」

「……もう寝る?」

「うん。明日も早いし」

「私は一仕事してから寝る」

 みおりは立ち上がってダイニングテーブルに着き、ノートパソコンを開いた。

「うちワイファイないけど仕事出来るか?」

 千穂も立ち上がる。

「うん。オフラインで書き溜めればいいから。おやすみなさい」

「おやすみ」

 メイクをしたままラウンドフレームの眼鏡をかけて見送っているみおりに一度背を向けるが振り返り、千穂は一言残していった。

「あとでメイク落とすのめんどくねえ? 俺は美織さん、すっぴんでも綺麗だと思うけど。おやすみ」

 リビングに、扉が開閉する小さな音が響いた。

「……え?」

 人間はひどく驚いた時にも、思考停止してしまうものらしい。しばし固まってからその言葉がじわじわと五臓六腑に染み渡り、みおりは両手の平で頬を覆って恥じ入った。

「み、見られてる……?」

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