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第十一話 #如月みおり

 千穂は、ハイエースの助手席を開けた。みおりが、抱きついて眠る鈴をひざに乗せている。千穂が起こさないように両手を伸ばしそうっと鈴を受け取って、白いピンヒールのみおりに手の平を差し出した。

「ありがと」

 ハイエースの前方席は、若干高い位置にある。慣れていないと乗り降りがスムーズにいかない。みおりは劇団員を乗せて運転した事もあったが、そのレディファーストに有難く甘え逞しい拳を握って降りた。千穂は玄関先に置いてある柴犬の置物を顎で示して、

「その下に鍵置いてあるから。覚えておいて、美織さん」

 と言いながら自分の鍵で玄関を開け、扉を開けてみおりが入るのを待つ。ここでもレディファーストだ。ちょっと照れ笑いして、みおりはまた礼を言った。

「ありがと」

 そのまま、二階への階段を上がっていく千穂に着いていく。子ども部屋には、慌てて病院に向かったから布団が敷かれたままだった。真ん中の布団に鈴を寝かせると、うっすらと目が開いた。

「お兄ちゃん……?」

「鈴、もう大丈夫だからな」

 毛布をかけて首元まで覆い暖かくしてやる。

「お姉ちゃんがね」

「うん」

「冷たいの貼ってくれて気持ちよかった」

「よかったな。あとでお礼言おうな」

「お姉ちゃんは……?」

 その言葉に、みおりが千穂の向かい側にひざをついて覗き込む。

「居るよ」

 毛布からはみ出た小さな手を握って、微笑んだ。

「お兄ちゃんもお姉ちゃんもそばに居るから」

「お姉ちゃん、今日も絵本読んでくれる……?」

「えっ……と」

 千穂の顔を見ると、頷いた。

「うん。読んであげる。だから、もう少し眠ろうか」

「うん……」

 鈴のまぶたがゆっくり下りて、眠ったようだった。みおりは冷却シートに指をかけ、

「これ、剥がすね」

 とささやいた。

「え、さっき貼り替えたばっかじゃん」

「肌の弱い子だとね、ずっと貼ってるとかぶれちゃうの」

 剥がして、額に手を当て熱を測る。

「ほとんど平熱」

「薬出た?」

 寝る子の上で声をひそめて間近にささやき交わす。

「あ、うん。念のためってシロップ出たけど」

 ふと合っていた千穂の視線がわずかに下がって、急に距離が近いのを意識する。一瞬みおりの唇を見た視線が戻ってきて、見詰め合う形になった。

「一~二回飲めば大丈夫だと……思う……」

 もう一度視線が下がって戻ってくる。

「……貸して。捨てる」

 手の平を出され、冷却シートの事だと気づくのに二秒かかって、見詰め合ったまま手渡す。引こうとする手を下から柔らかく握られて、心拍数が跳ね上がった。見詰め合ってじわりと惹かれ合い、みおりがまぶたを閉じようとした瞬間、下から声が上がった。

「お腹空いた……」

 パッと二手に分かれ、千穂が背を向けわざとらしく咳払いを何回もした。みおりが取りつくろう。

「そ、そっか。ご飯食べてなかったもんね!」

 千穂がひざ立ちで移動して、手の中の冷却シートを部屋の隅のゴミ箱に捨てている。みおりが芝居がかって空元気を出した。

「そう言えば、お姉ちゃんも食べてないやあ。一緒に食べようか、鈴くん」

「うん」

 起き上がってみおりに抱きつく鈴を、口元を押さえて千穂が複雑な表情で見ていた。

    *    *    *

「いただきます」

 ダイニングテーブルに並ぶみおりと鈴が手を合わせて声をそろえると、向かいに座ってひじをつき顎を支えた千穂が応えた。

「召し上がれ」

 気が張っていて忘れていたが、気づくともの凄く腹が減っていた。千穂が温め直してくれた味噌汁は、キャベツやじゃがいもや人参が入って、具だくさんで食べ応えがあった。頬張って汁をすすり、高く唸る。

「んー。今年一番幸せかもー」

「大げさ」

 千穂が頬を緩める。器に山盛りの浅漬けも口に入れる。絶妙の漬かり具合でシャキシャキと口当たりもよく、過去一番美味しいと思った。

「手作りの浅漬けなんて、子どもの頃以来。なんだろ。何か隠し味入れてる?」

「よく分かるな。うちは、カレー粉をちょっとだけ入れる」

「お兄ちゃんのご飯好きー!」

 鈴が子ども用の短い箸を握り込んで声を上げる。そのまま白米をかき込もうとする鈴に、千穂が柔らかく注意した。

「鈴、箸の持ち方教えたろ?」

「うーん……難しい」

 少し不機嫌になる鈴に、横でみおりが箸先を開いたり閉じたりして見せた。

「ガオー。恐竜だぞー」

「わあ」

 鈴が途端に目を輝かせる。

「恐竜さん、やってみたい?」

「うん!」

「上のくちばしをね。人差し指と親指で掴むの」

「……こう?」 

「そう。それでね、下のくちばしを中指と薬指で掴むの」

 鈴はうなって頑張る。

「そうそう。鈴くん、上手。開いてごらん」

「ガオー!」

 賑やかな鳴き声と共に、綺麗に箸先が開いた。

「わー、鈴くんの恐竜さんは強いから、なんでも食べるぞう。鈴くん、お魚つまんでごらん」

「ガオー!」

 焼き鮭のかけらをつまみ、そのままパクリと口に入れた。

「美味しい!」

「よく出来ましたー」

 箸を置いて鈴の頭を撫でるのを、向かいで千穂は微笑ましく見ていた。

「お兄ちゃん、出来た!」

「うん。よかったな」

 食事風景を眺めながら、千穂はみおりに尋ねる。

「それもお母さんの?」

「うん。お母さんが私の教科書。あと劇団で駆け出しの頃、読み聞かせ会とか影絵公演とか、とにかく集客出来そうなイベントはなんでもやった。お母さんたちは小さい子どもを連れて行ける場所が限られてるから、子ども向けの公演はお客さんがたくさん来てくれた」

「へえ。華やかなばっかりじゃないんだな」

 みおりは焼き鮭の骨を取りながら笑う。

「自分で選んだ道だから、後悔とかはないけどね」

「テレビ出てた?」

「エキストラはいっぱいやった」

 鮭をおかずに白米を頬張り、よく咀嚼して飲み込んでから、ちょっと遠くを見る目をする。

「後悔とは少し違うんだけどね。あの時悪い人の誘いを断ってたら、違う人生だったのかなって時々考える」

「悪い人?」

「人間関係のトラブルで、私の人生終了してるんだよね。草も生えないってやつ」

 もう諦めている事なので、悲観的でなくみおりは明るく言った。自虐というやつだ。

「え。それは違うでしょ」

 だが千穂はそれを笑いにせず真っ向から否定した。

「え?」

「美織さん生きてんじゃん。人生まだ終了してない」

「……そうかなあ」

 笑わずに、正面からそんな事を言ってくれたのは千穂だけだった。思わず感動していると、もう一つ言葉が投げかけられた。

「俺さ。男の前でもう食べられないって少食アピールする女より、でっけえ口開けてもりもり美味そうに食う女の方が好きなんだよな」

 ――え? それってつまり……?

 千穂が続く言葉を出そうと口を開きかけたところで、リビングの扉が開いた。

「ただいまー!」

 千穂はみおりから目を逸らして里紗の方を向いて立ち上がる。

「おかえり」

「美織さん、ありがとう! 鈴どうだった?」

 代わりに千穂が答える。

「コロナもインフルエンザも陰性。寝不足からくる体調不良だって」

「あ、でも陰性でよかった」

「熱もほとんど下がった」

 千穂はリビングを出ていく。

「お兄ちゃん、何処行くの?」

「急いで荷物積み込んだから、配置がめちゃくちゃなんだ。直してくる」

 そして、振り返って一言残していった。

「あ、里紗。美織さんたち食べ終わったら、片づけ頼む」

「はーい」

    *    *    *

 玄関横の駐車スペースで、千穂がハイエースのバックドアから清掃用具を積み直している。みおりは近くに行って、

「何か手伝う事ある?」

 と千穂の意志を確認した。千穂は重いポリッシャーを短い気合いと共に持ち上げて積み込んでから、みおりの横にあるバケツを見て言った。

「あ、じゃあそこのバケツ取って」

「うん」

 みおりは両手にバケツを持って、千穂に渡す。重ねられたバケツの中にはヘルメットやホルスターやブランコや、こまごまとした物が入っていて結構重かった。二往復で、バケツはなくなる。

「これも?」

 三角コーンが最後に残っていて、みおりは指を差して訊いた。逆に千穂が問う。

「服汚れねえ?」

「洗えばいいから」

 事もなげに積み重なった三角コーンを抱えて、千穂に渡す。三往復して、荷物は全てなくなった。

「閉めるから離れて」

「うん」

 千穂は上に跳ね上がったバックドアを勢いよく閉めた。

「さんきゅ、助かった」

 自分の手伝いなど逆に邪魔だろうに、なんでもない事のように礼を言う千穂を、みおりは尊敬の目で眺めた。思わず口に出る。

「凄いなあ」

「あ? 何が?」

 千穂は手を打ち合わせて払ってから、ホースを掴んで水を出した。

「私、人に頼れないのが悩みなの」

「うん」

 地面についた汚れを、水で流しながら聞いている。

「でも千穂くんは、ちゃんと私に出来る仕事を振ってくれた。それって凄い事だなあって尊敬する」

 千穂がわずかに笑った。

「まさかコーンまで持ってくると思わなかったけどな」

 片手ずつ、汚れた手を洗ってみおりを見る。

「手、洗いなよ」

「うん」

 みおりはカーディガンの袖をまくるが、左手首にはベルトが太いブレスレットになった腕時計をつけたままだ。

「時計、外せば? 壊れねえ?」

「大丈夫」

 みおりは腕時計に水がかからないように、そうっと指先を浸すようにして手を洗った。

「美織さん」

「ん?」

「悪いけど鈴に約束しちゃったからさ。今日も絵本読んでやってくんねえ?」

「うん。それは大丈夫。ただ、着替えとか一回取りに行きたい」

 千穂は胸ポケットからやっぱり可愛い猫のキャラクターのハンカチを出して手を拭い、濡れた面を内側に折り返してみおりにも差し出した。

「その、もしも家まで行ってもよかったら、車で送ってくけど。ほら、防犯上、知られたくなかったら遠慮するけど」

「あ、送って欲しい」

「家どこ?」

 みおりの手からハンカチを受け取って胸ポケットにしまう。

「王子」

「じゃあ俺このまま待ってるから、リュック持ってきな」

「うん!」

    *    *    *

 みおりの1Kマンション前に、ハイエースが横づけされていた。千穂が運転席でハンドルに手首をかけて待っている。その顔を、ズームして連写するスマホがあった。マンションからみおりが出てくる。大きなキャリーバッグを引く姿や、助手席に乗り込んで二人で言葉を交わす姿も連射する。発車する前に動画に切りかえて、目の前を走り去っていくハイエースが角を曲がって見えなくなるまで録画した。スマホの画面は、SNSに変わる。出来るだけ写りの悪い千穂の写真を選んで添付し、ハッシュタグは『如月みおり』とつけた。

『ウケる。若けりゃなんでもいいんだな。新恋人、清掃員氏。』

 アカウントを切り替える。どのアカウントも、作ったばかりのアイコンが設定されていないいわゆる捨て垢だった。フリック入力で素早くハッシュタグ『如月みおり』を量産していく。

『特定班ー!』

 という投稿には、走り去るハイエースの動画が添付されていた。

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