第一話 七年前
恋愛もののエンタメ作品として書きましたが、誹謗中傷の手口、誹謗中傷されていること、ヒロインが誹謗中傷と闘う姿勢などは著者が今現在も体験している事実です。ノンフィクションとして書いても水掛け論になる未来しか見えなかったので、エンタメ作品として広く書籍化を目指しました。実写映画化をしていただくのが夢です。よろしくお願いいたします。
ムーディなジャズの流れる空間で、一組の男女が上質な革張りのソファに座りテーブルを囲んでいた。周囲にはいくつもそういったソファ席があって男女が歓談し、クリスタルガラスのロープカーテンやシャンデリアが頭上から下がってきらめいている。着る者を選ぶ胸元の大胆に開いた真っ赤なドレスの美しい女性が、慣れた手つきでアイスペールからトングでグラスに氷を入れ、水割りを作っていた。髪は明るい茶色で、大きく盛っている。
「櫻子さん、本当にお疲れ様でした」
軽く会釈して出来上がった水割りを受け取ったのは、年齢不詳の小柄なスーツの男性だ。こういう店に客として出入りしている以上もちろん成人なのだろうが、ティーンエイジャーと言われても納得するような甘いベビーフェイスだった。
「あたしもいただいていい?」
「もちろん」
女性は一応のマナーとして訊いただけのようで、男性は即座に快諾する。
「いやあ、しかし今回も難事件でしたね」
女性は自分のために入れた氷とウイスキーにミネラルウォーターを注いでマドラーで軽くかき混ぜながら、作り物ではない自信たっぷりの笑みを覗かせた。
「あら。三井くん『には』難しかったんでしょ?」
その響きには、キャストが客に向ける媚びや嘘がなく、二人がそれ以上の関係値なのがうかがい知れる。男性が思わずといったように笑った。
「適わないなあ」
「あたしには簡単だったわよ。容疑者になったあの人は、はじめから誰かをかばってるように見えたもの」
「えっ? 初めて会った時からですか?」
「ええ」
「マジですか?」
身を乗り出す男性に、女性は色っぽく一音ずつ区切って言った。
「マジ」
同時に、ネイルアートの施された人差し指で、ベビーフェイスの鼻の頭に触れる。男性は途端に身を引いて、耳の先まで赤くなった。親しいようだがうぶな反応で、二人は男女の関係ではないと知れる。
「か、からかわないでくださいよ、櫻子さん」
女性は甘えるように、妖艶に吐息で笑って見せた。
「だって三井くん、可愛いんだもの」
「だ、だから、からかわないでください!」
心底困惑して声を高くする男性に、営業用の色気を脱ぎ捨てて、女性はざっくばらんな態度に戻った。
「ごめぇん。櫻子さん、年下に弱いからぁ」
「もう……」
気を取り直して、男性は話を戻す。小さく咳払いなどしてから、やや不服そうに話し出した。
「最初に目星がついていたなら、なんで僕に教えてくれなかったんですか?」
「三井くん嘘がつけないでしょ。教えると犯人に筒抜けになっちゃうから」
男性が軽く頭を抱える。
「ううー……! 己の正直さが恨めしい」
「あー、自分で言ったわね? まるであたしが嘘つきみたいじゃない」
女性がすねた口調でそっぽを向くと、男性が慌てた。
「い、いえ! すみません、言葉のあやです」
水割りのグラスを握り、女性の方に身を寄せた。
「櫻子さん、乾杯しませんか?」
「何に?」
顔は背けたままだが、その口角は上がっていた。
「一件落着に。櫻子さんのおかげで、また無事に事件を解決する事が出来ました」
女性が振り向く。ゆっくりとグラスを掲げると、二つが軽く触れ合って澄んだ音を立てた。女性が美しい野生の豹のように、好戦的に微笑む。
「当たり前じゃない! あたしを誰だと思ってるの?」
取っておきの決め台詞に、男性が応えた。
「うらら櫻子さんです!」
二人は水割りに口をつけ、共犯者のような笑みを交わす。女性がよく通る声で宣言した。
「そうよ。うらら櫻子に解決出来ない事件なんかないの!」
上品に手の甲を口元に当て高らかに女性が笑うと、ジャズの音色が次第に大きくなっていった。暗転。ジャズに変わって、ポップなダンスナンバーが流れ出す。
明転すると、十人弱の出演者全員が舞台上に居た。客席から手拍子が上がる。ペンライトを振っている客も居た。カラーは櫻子のピンクと三井のグリーンで二分していて、推しのキャストに向かってアピールしている。キャッチーな振りつけをキャストがそろって踊り、続いてそれぞれの個性を表したダンスもリレーしていく。一人ずつにスポットライトが当たって礼をした。手拍子と拍手が連続する。最後にまた振りをそろえてから、かみ手、しも手、中央の順に手を差し出し全員で礼をしたあと、決めポーズで曲が終わった。暗転。
ややあって明転すると、舞台上に出演者が一列に並んでいた。女性――主演うらら櫻子役の、如月みおりが落ち着いた声で話し出した。
「本日は、劇団陽光炉五周年記念本公演『キャバ嬢探偵うらら櫻子シリーズ・片翼の天使と黒衣の花嫁』千穐楽にお越しいただき、誠にありがとうございます。お足元の悪い中、劇場いっぱいのお運びをいただきまして、劇団員一同大変嬉しく思っております」
みおりは、満席の客一人一人と目を合わせるように、視線をまんべんなく配りながら挨拶をする。特に振られるピンクのペンライトには、にっこりと微笑んで見せた。
「コロナ禍に倒れる事なくこうして公演が続けられるのは、ひとえに支えてくださる皆様のおかげです。これからも劇団陽光炉を、どうぞよろしくお願いいたします。本日は誠に」
その言葉をきっかけに、出演者全員が声をそろえ頭を下げる。
「ありがとうございました!」
キャストがハケていくがみおりは最後まで舞台上に残り、鳴りやまぬ拍手の中、再度礼をしてから両手を振りつつ袖に入った。華やかな舞台上から一変し、舞台袖は薄暗い。客席の方で、客出しのアナウンスが聞こえていた。
「みおりさん、お疲れ様でした」
男性――櫻子の相棒・三井役の品川奏太が声をかけてくる。
「関係者席で寝てる客居たの気づいてました?」
みおりは苦笑する。
「お疲れ様、奏太。あれはひどかったね。時々いびきも聞こえた」
「帽子も被ったままだったし。舞台知らない人ですかね」
並んで狭い裏の廊下を歩き、楽屋に向かう。小劇場だから、楽屋数は多くない。みおりと奏太は同室だった。
「そうじゃなきゃ、演劇界の未来は暗いよ」
二人は顔を見合わせて笑う。みおりと奏太は今年五周年になる劇団陽光炉の旗揚げメンバーだ。気心の知れた仲間だった。楽屋に入ると、一瞬二人は身構える。件のハットを被った関係者が、楽屋の壁にところ狭しと貼られた歴代の公演チラシを、もの珍しそうに眺めている背中が見えた。スタッフが、その人物に声をかける。
「鴻巣さん。如月、来ました」
みおりはその名前に聞き覚えがあり過ぎた。鴻巣幹男。先日受けた、連続ドラマのヒロイン役オーディションの審査員長席に貼られていた名前だ。テレビ業界ではちょっと名の通った、バラエティ番組にも登場する五十代の名物プロデューサーだった。鴻巣は振り返って、大げさに思えるほど愛想を振りまいてくる。
「やあやあ如月くん。凄くよかったよ!」
「鴻巣さん、来ていただいたんですね。ありがとうございます」
――始まって二分で寝てたくせに。
みおりは心の中で思いながら、にこやかに応対する。小劇団とは言え、看板女優は伊達じゃない。媚びないように気をつけながら、好印象を心がけた微笑みを浮かべた。正直、オーディションに受かったのではないかという期待もある。
「実は如月くんとじっくり話をしたいと思ってね。このあと、ディナーを一緒にどうかな?」
みおりの心臓が跳ねた。これは本当に、初めてテレビでレギュラーの仕事が決まるのかもしれない。だが千穐楽だからバラシがあった。今回出演しなかったメンバーは早々に、腰にガチ袋を提げて舞台に向かっていく。劇団員であり座長である以上、自分だけが抜けるのは気が引けた。
「すみません。これから……」
だが横から、奏太が陽気にさえぎる。
「みおりさん、バラシは任せてくださいよ。行ってきてください。鴻巣さん、うちの如月をよろしくお願いします」




