【6】大天使、髪を断つ。 〜呪いの浄化〜
「……アンジュさま!」
ルシアンの震える声。
アンジュは雛人形を見つめたまま、夢見るように応える。
「ルシアンよ、見よ。
雛人形、きれいだな」
「……アンジュさま!
お願いです!
その雛人形から離れて下さい!」
ルシアンの必死の懇願に、アンジュは応える。
「ルシアンよ、見よ。
雛人形、きれいだな」
すると――
ルシアンはアンジュの細い肩を掴み、雛人形から強引に引き離すと、床にそっと倒した。
その様子を、イレイナの水晶玉越しに見ているロクシーとルチアーノが「……ヒッ……!」と息を呑む。
ロクシーが声を震わせて言う。
「ルシアンは……何をする気なの?」
イレイナはソファに座ったまま、淡々と答えた。
「まずね。
私の水晶玉で見えてるでしょう?
つまり、ルシアンはあのホールを恩寵で囲っていないの。
この魔術無効のセレニス州では、大天使でも恩寵は使えない。
でも、ルシアンは、たった一人の恩寵を使える大天使。
だけど、それも僅かしか使えない。
だから、恩寵を無駄にしたくないのよ。
アンジュの呪いを解く為に、セレニス州で使える恩寵を使い切るつもりよ」
イレイナの言葉に、ロクシーが真っ青になる。
「……イレイナの呪いは、そんなに酷いの?」
イレイナがロクシーを真っ直ぐに見て答える。
「ええ。
この宇宙は陰と陽の法則で成り立っている。
私やルチアーノは、もちろん陰よ。
だからこそ、ルチアーノはお気楽にリリカルな感性とやらを信じて、あの呪われた雛人形を地上に持ってこれたわけ!
でも、陽の側に立つアンジュが、陰の呪いで冒されたら?
最強の陽で断つしかない。
そう、大天使ルシアンの剣ね」
ロクシーがペタンとその場に座ると、呟く。
「最強の陽かあ……」
ぐずぐずと泣き出しているルチアーノを一瞥すると、イレイナが続けた。
「私の呪いは、大天使の剣でなら浄化されるからね。
確かに私は地球最強魔女よ?
大天使たちとも堂々と渡り合って来た。
でも、真正面から無防備に大天使の剣で切られたら?
死ぬわ。
何故なら、私は陰の存在だから。
私が大天使たちと対等に渡り合ってこられたのは、それを回避する術を知っているから。
だから――
ルシアンが大天使の剣を振るわなければならない。
方法は分からないけれど、30分以内にね」
しんと静まり返るイレイナのリビングに、ルチアーノの泣き声だけが響いた。
ルシアンは、アンジュを一目見た瞬間に分かっていた。
呪いがアンジュを侵食している場所を。
あの雛人形は、日本で作られたもの。
日本では古来より、音が同じことにより、髪と神は同列。
だから、日本の高貴な人間は、神聖な場所では髪が乱れても、髪には触れない。
それはルシアンも知識として知っていた。
だが、このアンジュの美しい金の髪を、自分が大天使の剣で切らねばならない。
どんなにアンジュを傷つけたくないと、思って来ただろう。
そして、ルシアンが大天使の剣を振るった時に、アンジュの器は壊れる可能性もある。
アンジュの本体――大天使ガブリエル――が封じられた器が。
その時、くすくすと笑う声が密やかに聞こえた。
素早くルシアンが雛人形たちを見る。
雛人形たちの口元には――
一斉に笑みが浮かんでいた。
ルシアンは、ぼんやりと自分を見上げているアンジュに視線を向ける。
アンジュは柔らかく微笑み、言った。
「ルシアンよ、見よ。
雛人形、きれいだな」
ルシアンのヘイゼルグリーンの瞳から、涙が一粒、零れて落ちる。
そうして――
「アンジュさま……!ご容赦を……!」と告げると、アンジュの金髪を根元から掴み、大天使の剣で断ち切った。
その刹那――
イレイナの水晶玉が破裂した。
アンジュの金髪が、バサリと落ちた。
ルシアンの魂すら壊れそうになったその瞬間、アンジュは、ただ、清められていた。
だが、アンジュは目を閉じ、気を失っている。
ルシアンには、アンジュが人間として“生きている”ことは分かっていた。
だが、それが分かっていてもなお、ルシアンの涙は溢れて、止まらない。
この世界で、一番傷つけたくないお方を、私は傷つけた――
そうして、どれほど泣いていただろうか。
ふいに頬に触れた指先。
ルシアンが瞳を開ける。
そこには――
目覚めたアンジュが不思議そうに、ルシアンを見上げ、ルシアンの頬に白く細い指先で触れていた。
「ルシアンよ。
なぜ、泣いておる?」
アンジュの微かな微笑み。
その真っ白な頬に、ルシアンの涙がポタポタと落ちる。
ルシアンは嗚咽しながらも、答える。
「泣いてなど、おりません!」
アンジュの柔らかな声。
「話せ。ルシアンよ」
ルシアンは一度、口を真一文字に結ぶと、震える声で答えた。
「アンジュさまの髪を、私が大天使の剣で断ちました……!」
「なぜ?」
ルシアンはまた、涙を溢れさせると、言った。
「あなた様の命には変えられず……!
申し訳ございません!」
すると、アンジュがルシアンの頬に当てていた指先で、さらりと自分の金の髪に触れた。
「……髪……?
髪がどうした?」
にこりと微笑むアンジュの髪は――
元に戻っていた。
ルシアンの目が見開かれ、ルシアンはアンジュを抱きしめて、今度こそ、号泣した。
アンジュはルシアンの腕の中で、そのまま、静かに抱きしめられていた。
ルチアーノは、イレイナの水晶玉が破裂し、アンジュは清められたと聞いて、ルシアンがアンジュを抱き上げ、ホールから去ると、雛人形を風呂敷に包み、一人しょんぼりと地獄に帰った。
そうして、地獄の炎にそのまま投げ入れた。
一瞬で炎に焼かれ、消え去った風呂敷袋を見て思う。
――俺様なんて
もう、ルシアンのズッ友でいられない。
アンジュちゃんにも合わせる顔がない。
ロクシー先生も呆れてる。
二度とみんなには会えない、と。
「ごめんな……アンジュちゃん……ルシアン……。
さようなら、ロクシー先生……」
ルチアーノの涙と呟きは――
誰にも届かず、雛人形のように消え去った。
そうしてイレイナの館では――
ロクシーが鋭い目をして言った。
「イレイナ!
アンジュちゃんの髪が戻った理由、分かってるんだよね?
話してよ!」
イレイナはホホホと笑うと、満足気に告げる。
「やっぱりあんたって頭が良いのね、ロクシー!」
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