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苦手な方はご注意ください。

愛だの恋だの気持ち悪い

作者: 田山 白

貴方は私に言った。

この見た目が損なわれようと、愛すると。

年老いても、変わらず愛すると。

中身が壊れようとも、それでも愛すると。


「ああそうだよ。俺は君を愛し続ける。変わろうと、変わらまいと」


その優しい笑顔を見た瞬間、ぱきん、と何かが音を立てて折れた。

いや、元から壊れていたものが、限界を迎えたというのが正しいのか。


貴方が私を鎖で繋いだから、貴方が羨ましいと言ってくれた草原を端から端まで駆けるような活発さはもうないの。

光も入りづらい鉄格子のついた高い窓しかない部屋にいるから、健康的だった肌は白く不健康になった。

貴方が手ずから用意したもの以外食べてはダメと言われたから、体は痩せてしまって体力がなくなった。貴方が好きだと言ってくれた笑顔も、作る気力はもうないの。

侍女さえ来ないこの檻では、貴方が尊敬すると言ってくれた分け隔てない人への優しさも発揮することができないわね。

鏡も与えられず、自分を鑑みることもできない真っ白い部屋の中。

朽ちていく。中も外も腐っていく。


良識的で優しかった貴方が歪んだきっかけは、なんだったかしら?

貴方の両親が不慮の事故で亡くなって、私には弱みを見せていいと伝えた時? 私が他所に目を向けすぎだと、初めて貴方が口に出した時? 王宮で少しの隙をついて近寄ってくる令息を、振り払う私を見かけた時? タイミング悪く結婚だけが伸びて、それを残念だけどしょうがないことねと私が言った時? それとも、それとも……。


ああいいわ。もう、考えてもしょうがないことだもの。

この部屋にいるのは捕らえられ憔悴した私と、羽をむしられどこにも行けない私に満足して恍惚とする貴方。

それが全てなのだから。


優しかった婚約者。私のすることを優しく見守ってくれた貴方。それが、こんなに歪んでしまうとは。

今はもう、貴方と過ごした幼少期の大切な記憶さえ、遡って憎いものとなっている。

ああでも、そう、そうなのね。

変わろうと、変わらまいと、貴方は私を愛すのね。

私は声を出して笑ってしまった。


「それなら、それは私でなくてもいいはずですわ」


貴方は、私という人間を愛していたわけではない。

所有できる“何か”を愛していただけ。そういうことじゃない?

彼が違うと言ったのか、言葉を発せなかったのか。わからない。耳鳴りもするし、視界が滲んでいたから。


「それならばビスクドールでも愛せばいいのですよ」


彼によって閉じ込められた、私の巣。


危ないものは、何一つ残されていない部屋だった。

鏡も、刃物も、重たい家具も。

私が傷つく可能性のあるものは、すべて排除された箱庭。


――それでも、人間は死ねる。

死ぬ気になれば死ねる。とても単純な道理だ。

躊躇いなく、自分の歯で舌を噛み切り、私は死んだ。私は解放を選んだ。


最後に一つ、笑顔を残す。


さようなら。

もう二度と会いませんように。


呆然とした表情が、絶望に変わるところまでは見届けられなかったけれど。

どうにも胸がすく。


こういうの、なんて言うのだったかしら。

ああ、そうだ。


ざまあみろ。


その一言が舌を噛み切ってしまったせいで、もう言えないことだけが、心残りだわ。


 ***


アナベル・エヴァレット。

それが今世の私の名前であり、同世代では飛び抜けた美貌の伯爵令嬢だ。頭の出来も良く、運動神経も悪くない。何をしてもそこまで努力を重ねずとも、平均以上はできる。

家族にも恵まれ、子煩悩ながらも領地経営にはしっかりと身を乗り出す、誠実な親。

前世の徳を積んだ、というよりは前世の不遇を今世で帳尻合わせられた、という感覚が強い。神様からのギフトだろうか。


前世の記憶は、生まれた時からぼんやりと私の中にあった。夢で何度か見る、婚約者の彼との記憶。前世の私が苦しんだ過去。

小説や頭に浮かんだ夢物語を混同させて見ているというには生々しい、記憶としての夢。


家族に前世の記憶らしきものがあると伝えなかったのは、子供の夢だと信じてもらえないだろうという思いからではない。

ただ単に、おぞましかったからだ。

目先の欲に盲目になり、全てが狂ってしまった婚約者の彼も。そんな彼を愛しているからと止められなかった挙句に、最期の最期で目を覚まし、反旗を翻すように自死を選んだ私も。

等しく愚かだ。

愛だの恋だの気持ち悪い。そんなものがあるから、人は狂うのだと、私は思う。

今世は絶対に、そんなものとは疎遠なところに身を置きたい。



十四歳の頃に、両親から私の婚約についての話をされた。貴族子女であれば、早くはない話だ。

けれど私は婚約と言われ、身の毛がよだつ思いがした。婚約者の恋に溺れた狂った瞳を思い出したからだ。


「家のことは気にしなくていいから、アナベルが望む、理想的な婚約者を探そうね」


などと両親はニコニコと言っている。

理想といえば、一番は私に興味を持たないこと。

愛のない政略結婚がいい。もしくは歳の離れた男の後妻とか、外に愛人がいる男がいい。

距離感があり、適度に思いやりを持つ程度の、ドライな関係を築ける相手が望ましい。


しかしそんなことを言ったら、夫婦仲も良く家族思いの両親は卒倒してしまうだろう。

私は言葉を一生懸命探して、なんとか絞り出す。

婚約はすぐに考えられないこと。来年通う学園で、良い人がいれば縁を結びたい。お見合いから人柄を計るのはなかなか難しそうだから、今は嫌だと。

そう、辿々しく説明した。

お見合いなんてしたら、娘思いの両親は文句のつけどころのない令息を連れてきて、円満で愛のある家庭へ結婚の一歩を踏みそうで、それをなんとか阻止したかったのだ。


両親は、それだとめぼしい男が他に婚約を結んでしまうかもしれないとやや難色を示したが、シスコンの気がある兄弟が力になってくれ、なんとか説得ができた。

学園の男など、全員売約済みだと良い。

切に願いながら、やがて私は憂鬱な気持ちで学園へ入学する。


そこで、最悪な出会いを――いや、再会を果たすとも知らず。





違う身体。違う顔。違う名前。違う人生。

もう、私は“彼の婚約者”ではない。


――私は、別の生を歩いている。


だというのに。


「……イライザ?」


呼ばれた名に、背筋が凍る。


振り返った先に立っていたのは、記憶の底に沈めたはずの男だった。

いや、そもそも今世とは違う名前で呼ばれたにも関わらず、振り返ったのが最初から間違いだ。一瞬でミスを悟ったが、もうどうにもならない。


愕然とした顔でこちらを、男は捉えてしまっていた。

男が息を呑み、こちらに駆けてくる。逃げたい。しかし足が凍りついたように動かなかった。


「イライザ……っ! 会いたかった!」


感極まったように、私の手を握る男。周りからどよめきが起こる。そのうちのどこからか、「ルーヴェン様のあんな顔、初めて見た……」と呆然とした声を漏らしたのが聞こえた。


ルーヴェン……その名に覚えがあった。

たしかセシル・ヴァン・ルーヴェン侯爵令息。私と同じよう、まだ婚約者がいないながら、その立場と見目の良さから学園人気が高いと、幼馴染が教えてくれた名だ。老若男女、一貫して冷たく誰にも心を開かない人間嫌いだと聞いていた。

幼馴染の話を聞いた時、人間嫌いというなら、婚約しても結婚しても放っておいてくれるかしら、と一瞬思ったものだが、人気が高い令息というのが面倒だ。他者から嫉妬されるのは面倒臭い。

情報をくれる幼馴染の言葉に、そうなんだと穏やかに返しながらそんなことを思っていたが、まさかこんな繋がり方、する?


「い、イライザでは、ありません……。私の名前は、アナベル・エヴァレットと申します。人違い……」

「ちがう、……違う。俺が言いたいのはそういうことじゃない。俺が間違えるはずがない。君は、わかるだろう?」


今世では私の婚約者ではない、ただ、同じ貴族学園に通う一人の男。

それでも、その目だけは変わっていなかった。まっすぐに見つめる目の色も、容姿も、あの時とは違うのに、私を見つめる目だけが、強い。

私たちの並ならぬ雰囲気に、周りは注目しながらも、安易に近づいてきてはいない。だから、大きな声ではない私たちの会話は聞こえてはいないだろう。


「君は、イライザだ」


断定するように、彼が言う。

その目がじわりと濡れる。悲しみ、歓喜。どちらも含まれるその涙に――かっと、頭に血が上った。

私は瞬間的に、彼に掴まれていた腕を振り払う。


「イライザが私? おかしなことを言うわね。そんな人間、どこにもいませんのに」

「イラ、」

「貴方が動機を作って、私が殺した。だから、貴方のイライザは死んでいます。とうに」


――あの部屋で。

貴方の目の前で。


ありったけの憎悪が、この身に溢れる。我慢できない、抑圧できない。

何故またこの男に出会ってしまった? また、私に地獄に歩めと言っているのか。

強く睨みつければ、ルーヴェンは途端、悲しそうに目を伏せた。


「ごめん……ごめんね……」


ルーヴェンは震える声で言った。


「それでも君が好きなんだ……」


魂の奥底から絞り出すような声。

もはや理性でも欲望でもない、執着。


この男が前世で言っていたことは、確かに嘘偽りなかったのだ。

容貌が変わろうと。名前や立場、年齢が変わろうと。イライザとしての穏やかな気質がなくなろうと。あの男に返す情さえなくなろうと。

どんなに形が変わろうと、「私」に執着している。見つけ出し、また愛を乞う。

涙を堪えたその瞳だけが、きらきらと輝いて光る。

それが、とても――


「きもちわる……」


思わず漏れた声に乗った、堪えきれない嫌悪は、彼にしか聞こえなかったろう。


 ***


氷が凍てつくような対応で周囲を威圧するが、私にだけは蕩けるような甘い笑みを見せるルーヴェン。

誰にでも人当たりよく等しく手を差し伸べる淑女として有名だが、ルーヴェンに対してだけはとりつく島もないほど冷たく接する私。

反発する磁石のような私にめげず、しつこく私に絡むルーヴェンの姿は、すぐに学園で話題になった。


顔のいい男女、しかも互いに婚約者のいない二人の追いかけっこは、外野にはいい話題となった。

冷たくされるルーヴェンに同情する声、ルーヴェンにだけ冷たい私に苦笑いしながらも同情する声、どちらも同じくらいある。つまり、どちらが悪いともいいとも言われず、生温い好奇の目線が常に私にまとわり付いていた。


「純愛と狂愛の差って難しいわね」

「なんだ? 絆されてるのか?」

「まさか。私が差別したいって話じゃなく、周りの見え方として指摘してるの」


うんざりしながら息を吐く。

目の前に座る幼馴染――ジュリアン・フェルディナントは、興味深そうにそんな私を観察していた。

領地が近い幼馴染として、彼とは長い時を一緒にいた。彼に対しても私は一線を超えるような付き合いはしていない。当たり障りなく、無難なものだ。

だからこそ、それがたとえ負の方向であっても、ルーヴェンに対する私の態度は、ジュリアンには奇異なこととして目に映るのだろう。


頬杖をついて私を見つめるジュリアンを無視して、ノートへペンを走らせる。心が乱れても、数式はするすると解けていく。思考と学習が分断されているように。

便利な脳だ。これが本当に神様からのギフトだというなら、この頭脳を返上してでも、ルーヴェンとの因果を断ってほしかった。


「突っぱねたらいいだろう?」

「してるわ。態度でも、距離感でも。それでもあっちがめげないの。呪いの人形のような男よ。捨てても捨てても追ってくるの」


分かるでしょう、と伏目がちに言う。

晴れだろうと雨だろうと雪だろうと、私は等しくルーヴェンに冷たくしている。しかし、ルーヴェンは私を追ってくる。

双方向が頑なな態度に、学園内でルーヴェンに私が落ちるかどうかの賭けが行われているらしい。

他人の恋愛騒ぎほど、無責任で楽しい見せ物はないのだろう。


重く息をつくと、遠くから私の名前を呼ぶ声が聞こえる。低いが、私にだけねっとりと絡むような熱を宿した声。誰かなんて言うまでもない。

品悪く舌打ちした私に、ジュリアンが人が悪そうな笑みを浮かべた。


「俺が追い払ってやろうか?」


面白がったような顔。

しかし私はそこでようやく、ジュリアンの機嫌が悪いことに気づく。


――ジュリアンから、遠回しに婚約の打診をされたことがある。しかし私は、素知らぬふりをしてそれを断っていた。

ジュリアンとの仲が悪いからではない。ただ、結婚したらジュリアンは私を愛し、私の愛も当然求めるだろう。

正常で、健全なことだ。

だからこそ、私はジュリアンとは結婚できない。


愛を求めるのであれば、私は一番向かないからだ。

今世では、ただの一度も人に対して恋愛感情を持ったことがない。強烈な前世と共に、それは燃え尽き、失われている。


しかし、振り払ったからこそ、ジュリアンの目もまた、最近変容している。執着するような目に。

今までは、それでも私がジュリアン以上に距離を許す男を作らなかったからこそ逃がしていただろう思いが、どろりとその瞳に溢れ始めている。


その瞳から逃げるように、数式に目を向けた。


「結構よ。私が引導を渡さなきゃ、結局解決しない問題だわ」


一足す一は二。そんな当たり前の結果に、人の感情もなればいいのに。

等しく面倒臭い。ルーヴェンに対するような冷たい言動が、時折ジュリアンにも向いてしまうのを自覚する。

揃いも揃って、私に愛や執着を向けてくるからだ。対応も、似たように雑になる。



ジュリアンの目が鬱陶しく、また終わらない追いかけっこをするのも疲れが溜まる。

逃げてばかりだったルーヴェンに、一度きちんと会話をしようと、静かな場所で彼を呼び出した。


図書室の陰で、読書をする私の下へ、当然のようにルーヴェンが現れる。

椅子を引いて真正面に座り、私の手元にある本の背表紙を見て「植物学か」と、どこか嬉しそうに笑う。

イライザは、草花が好きな女だった。


息を吸って、彼を見る。

ルーヴェンとしての、彼。

そして、私はアナベルだ。


「いくらイライザと同じところを探しても、今の私は彼女じゃないわ」


真正面から告げる。

彼は反論しなかった。ただ、苦しそうに息を吐く。


「彼女の代わりにされても迷惑よ。私じゃなくて、違う女性を追いかけた方がよほど健全で、正しい道だと思わない?」


言葉は冷たいが、内容は忠告に近い。

私なりの、最後の善意だ。

けれど彼は、小さく笑った。


「健全か……」


自嘲するような声音で、彼はどこか遠くを見つめた。


「愛する君が目の前で死んだ時点で、俺の健全性なんてとっくに損なわれてる」


それ以上、言葉を飾ろうともしない。

正しさで取り繕う気もないような声だった。


「愛だ恋だにずっと捕らわれて、おかしくなりそうだ。君が近くにいる、それだけで嬉しくて、苦しくて、束縛したくて、近くにいて欲しくて……」


彼は一度言葉を切り、視線を落とした。


「俺を見ない君に、凶暴な感情が生まれ続ける」


あまりにも率直で、吐き気すら覚える。

詰めていた息を、私はそっと吐いて彼を見た。


この男は、いつから前世の記憶を思い出したのだろう。

あるいは、私のように最初から持っていた記憶なのだろうか。

最低でも、再会してから記憶を得たというわけではなさそうだった。アナベルとしての私を初めて捉えた彼は、長年執着を抱えた者が持つ、狂気的な目をしていたから。

苦しいだろう。愛した女が目の前で死んだのは。ましてや自分が原因で。

彼女を奪われない強固な鳥籠を作ったつもりで、彼女自身が彼女を奪った。


置いて行った私の苦しみを彼は味わうことはないが、置いて行かれた彼の苦しみを私が味わうこともない。

ちり、と頭のどこかで、ルーヴェンに同情するかのような熱が過ぎる。

けれど、それはアナベルである私には、無視できるほどの微かな熱だ。


「……ゾンビみたいね」

「全くだね」


思わず零れた私の言葉に、彼は苦笑した。

否定もしないで、そこから彼は、もはや歌うように軽やかに口を開く。

私は私で、どこか壊れているが、彼の方がより深く、根幹が壊れている。


「イライザは死んだ。俺はもうイライザの婚約者じゃない。もちろん、アナベルの婚約者でもない」


ルーヴェンがはっきりと線を引く。その言葉に、確かに迷いはないのに。

続く言葉に、眉根が寄った。


「けど、俺はセシルとして、今世ではアナベルが好きなんだ。……どうしようもないだろう?」


名前を呼ばれる。

それだけで、胸の奥がざらついた。


彼は、自分自身を嘲るように続ける。戯曲を奏でるかのように。


「イライザと君はここが違う、あそこが違うと思いながらも、結局違っても同じでも、俺は君に恋をしている。本当に、何かの呪いのようだ」


視線が合う。逃げない目。


窓の外だけが平和に、燦々とした日差しをゆっくりと私たちに届ける。

小鳥の鳴き声までが聞こえる。白々しいほど、世界だけは平和だった。


「俺も君への想いを捨てたいよ。苦しいばかりだ、こんなもの」


――その言葉に、私は初めて、少しだけ考えた。


考えて、きっとこれは言ってはいけないだろうなと思いながら、彼を壊すつもりで口を開く。


「イライザは、貴方のことが好きだったわよ。最期まで。愛しくて、恋しくて、でもだから信じてくれない貴方が憎くて、悲しくて。ぐちゃぐちゃになったまま、怒りを抱いて死んだ」


彼の顔が歪む。

それでも、窓の外は突然雨雲が湧くわけでもないし、小鳥は穏やかに鳴き続ける。

イライザが死んだ後も、おそらく世界は続いていたのだろう。


「でも、好きだったわよ。一生分。だから、あの生で燃え尽きてしまって……きっと今生の私は、恋心がなくなったんだと思う」


嘘偽りなく、前世の私と、今世の私の話をする。

ルーヴェンには、何より耐え難い話だろう。最後まで愛されていた上で、私を選んだイライザの気持ちも。

そして、だからこそ愛をもう持ち得ない私も。

何より残酷なのは、そうなったのは前世の彼の行動ゆえなのだから。


沈黙が落ちる。


「……ひどい話だ」

「ええ。ひどい話よ」


だからこそ、もう取り戻せない。


しばらくして、彼がぽつりと言った。


「イライザは、誰にでも優しすぎた。それが残酷だとさえ思ってた。君は、アナベルは逆だ。厳しくて、他人を近寄らせない残酷さがある」


一拍、彼は置いて、それから私をまっすぐに見据えた。


「けれど、だからこそ優しい」


その言葉は、慰めでも救いでもなかった。

ただの、理解しようとした痕跡だ。


「君が好きだよ、アナベル」


愛の告白というより、まるで罪の告白だった。

彼は、そっと私の手を取る。縋るようでいて、縛らない距離。


私は、その手を振り払わなかった。

ただし、受け入れたわけでもない。


「……貴方の愛が壊れる方が早いかしら。それとも、私が愛を取り戻す方が早いかしら?」

「わからないけど。もしも……君が愛を取り戻したなら、相手は絶対俺にしてくれ」

「いやよ、また殺されるわ」

「……次は、殺さない」


泣き笑いの中で、彼が優しく言う。

私も、それを比較的穏やかに見返せた。


生理的嫌悪。不快感。怒りや悲しみ。苦しみに憎しみ。

彼を見ると色んな感情が噴き出る。そのため、総合的に言えばやはり「気持ち悪い」。

しかし一方で幸せになって欲しいと彼を見て思う気持ちは、イライザだった時の名残りだろうか。


私じゃない誰かと、手軽に幸せになって、愛し方も間違わず、歩んでくれればいいのに。

そして私はルーヴェンではない誰かと愛のない結婚をして、家庭を持って、愛と恋以外の全てを手に入れる。

それが一番綺麗な今世の在り方な気がした。


ルーヴェンが縋るように、私の手を握る力を強くする。

その手が震えていたから、振り払うことができない。

それが、今世での私たちの距離感の全てを示していた。


 ***


露骨に私が嫌がって逃げたり、ルーヴェンはやはりしつこく追ったり、あるいは時々は私がルーヴェンを受け入れて会話をしたりするようになっていく。

それが、日常へと変わっていく。


ルーヴェンに私のことを諦めて欲しい気持ちは変わらないが、もはや開き直ったルーヴェンを追い払うのは無理な気がしていた。

そうであるならば、ある程度ルーヴェンを許容しつつ、利用した方が賢い。


男避けに使おうと、課題のわからないところを補う勉強相手として使おうと、ルーヴェンは文句を言わなかった。

それどころか、嬉しそうにさえしている。


ルーヴェンについに絆されたのかと学園では時折揶揄われたけれど、複雑な胸の内を、まさか面白がるだけの周りに教えるわけはない。

曖昧に笑い、どうでしょうとはぐらかす。


やはり、同年代の男というのは情熱がありすぎる者や、精神年齢が幼い者が多い。

ルーヴェンを隠れ蓑として扱いながら、どこか適当な後妻としての役割を与えてくれそうな家を探さなければ。

日々を、そんな風に当たり障りなく過ごしている。


比例して、ジュリアンの機嫌はどんどん悪くなっていった。

最近は隠しもしなくなってきて、私とルーヴェンが話していようものなら、あからさまに間に入る。

追い払おうとする場面も増えていた。

ルーヴェンとの時間が邪魔された、などと怒ることは勿論ないが、我が物顔で私の腕を掴んで物理的に引き離すなどの行為には、顔を顰めてしまう。

執着めいていて、厄介だな。


さて、どうこの局面を躱すかな、なんて面倒ながらも考え始めた頃だった。





「セシル・ヴァン・ルーヴェン! 学力テストで不正をしたことをここに告発する!」


手を掲げ、誇らしげにルーヴェンを断罪するジュリアン。

相対するルーヴェンは、眉をぴくりと動かしたきり、動かない。

焦りもしなければ、怒りさえもしない。ただ冷めた目で、得意げなジュリアンを見返すばかりだ。

と、その間に挟まれた私。

地獄である。


学力テストの結果が掲示された廊下には、当然ながら人が多い。

その中での突発的な断罪劇。

そう、……お粗末な劇である。


私が今世で「一番安心できる存在」だと、思い込んでいる男。ジュリアン。

――彼もまた、私を欲していたのだろう。私が思っているより、強烈に。

私がどうしようなどと悠長に思っている間に、焦れたジュリアンの方が動いたのだ。


ジュリアンは芝居かかった声で、大きく喚く。

証拠は揃っていること、状況も、動機も明らかだと。

微動だにしないルーヴェンと、私。

ため息が漏れそうになる。

それに焦れたように、ジュリアンが私を引き寄せようと手を伸ばす。

彼は、勝利を確信したように笑顔だ。


「やっと解放されるな。もうあんな男に付き纏われなくて済む」


ジュリアンが伸ばす手を、私は振り払った。

ジュリアンは、目を見開く。


「私、貴方が私の所有者顔するの、大嫌いだったわ」


ジュリアンは、私を「守る対象」だと思っていた。

同時に、「自分のもの」だとも。


前世を過ごしたが故に、所有物扱いがとにかく嫌いなのだ。

ついでに言えば、頭の悪い冤罪を吹っ掛ける場面を見るのも。

私のありもしない浮気をいつまでも疑った、前世の婚約者の鬱陶しい追求を思い出すから。


ため息をつく。

まさかテストの不正をでっちあげるとは。

……まあ、それが無難で一番冤罪をふっかけやすかったのだろう。

しかし、これは紛れもない冤罪だ。


ルーヴェンとは一緒に勉強会をしたことがある私が断言できる。

頭脳は嘘をつかない。

ルーヴェンは確かに、学年十番前後の知能の持ち主だ。

そんな男が、今更不正を疑われるなど……。

計画がお粗末すぎる。

そして、……もう何もかも面倒くさい。


「……別に、貴方とルーヴェン様、どちらが勝者になろうと私は興味ないし、どちらにも手を貸さない。

ただ、私を理由に面倒なことを起こさないでくださる?」


言えば、ジュリアンの目が更に見開かれる。

そんなことを言われるとは思ってもみなかった、という顔。


その間抜けな顔を振り返ることもせず、もちろんルーヴェンを庇うなんてこともせず、私はただ不快な気持ちを抑えることなく、その場を後にした。

周囲の人間さえ驚いていたようではあったが、知ったことか。

去る直前、ルーヴェンの感情の薄い、しかし圧のこもった声が、僅かに聞こえた気がした。





結果として、返り討ちにあった冤罪は暴かれ、幼馴染は多くの信用を失った。らしい。

それは、私が興味なく身を翻した後の出来事として、親切な野次馬が教えてくれたことだ。


私に悪魔の証明をしろと浮気を疑った男が、自身に掛けられた冤罪は返り討ちにしたのかと思うと、やや不快感はあったが。

別段、幼馴染に対する同情は生まれなかった。


愛も恋も、束縛も冤罪も大嫌い。

信用も信頼もしない者の、ただの言い訳になる言葉が気持ち悪い。

どうせなら、共倒れすればよかったのに、と鼻を鳴らした。


 ***


あの一件があろうとも、ルーヴェンは変わらず私の後をついて回った。

それどころか、私が愛のない後妻を目指す計画を家族に告白してしまった。


――自分やジュリアンの醜い争いに巻き込まれたせいで、アナベルは愛にほとほと冷めてしまい、いっそ愛のない結婚を目指してしまっている。

これは自分のせいでもあるから、是非彼女に愛のある結婚を目指すよう説得させて欲しい。

けれど彼女の意思を無視するのではなく、きちんと振り向かせてから正式に婚約を結びたい。

今は候補として、隣に立たせて欲しい。――


そう、真剣な顔で私の家族に向き直って頭を下げた美丈夫。

しかも侯爵令息。

主に母が黄色い声を上げ、ルーヴェンは私の婚約者候補としての立場を、ちゃっかり得た。

転んでもタダでは起きないというか、あからさまにジュリアンをダシにした辺り、狡猾さが伺える。

そういえば、前世でも異様に根回しが上手い人間であったことを、遠い目で思い出した。

しかも、「候補」というところに、私がギリギリ本気の抵抗をしないラインを狙っていることが分かる。

流石に、前世から加算すると三十を超えている男だ。


重い息を、紅茶を飲み込むことでなんとか堪えた。

いつもと同じ淹れ方、同じ茶葉のはずが、いつもより苦い。


「男運がなさすぎるのよね。ろくでもない男ばかりに寄ってくるわ」


対面に座るルーヴェンも、同じように出された紅茶を啜る。

しかし、その目は険しいままだ。


私に向けられている、のではなく。

私の奥に控える男――ジュリアンに向けられている。


「ねえ、なんでそいつ、まだ君の隣にいるんだい?」

「知らない。迷惑をかけたお詫びにって、勝手に犬に成り下がったらしいわ」

「わん」


しれっとした顔でふざけた返事をするのは、ジュリアンである。


ジュリアンは侯爵令息に喧嘩を売ったということで、学園側にも実家にもこってり絞られたらしいが、冤罪をジュリアン自身が仕掛けたという最後の証拠までは辿り着けさせなかった。


そのため、不正だと勘違いして、つい正義感から間違った断罪をしてしまった。

ついでに言えば、それは私に対する恋心が目を曇らせてしまったからだ――と弁明したらしい。

学園側からは厳重注意。

侯爵家は苦い顔をしたものの、陥れようとしたという決定的な証拠が掴めなかったため、謝罪を受け入れた。

彼の実家は、そこまで私に対する愛が深いのなら仕方がないと言い、今度こそ私の愛を得ろと激励したらしい。

……短絡的な馬鹿の実家も、やはり短絡的ということかしら。

結論に、もはや乾いた笑いしか漏れなかった。


ジュリアンは、あの騒動から「従順で、か弱く、守ってあげなければいけない幼馴染」という幻想を捨てた。

私に押し付けていた偶像が打ち砕かれ、興味を失うと思いきや、以前より熱のこもった目で私を見つめてくる。


私がジュリアンを蔑む目で見ると、頬を紅潮させる始末だ。

ルーヴェンとは違った方向で気持ち悪い。

……しかも、一部ではジュリアンと似たような、気持ち悪い目で私を「アナベル様」と呼び、恍惚の表情で見てくる輩が、男女共に湧いて出ていることが、本当に解せない。


あの騒動の結果として、呪いの人形が二体になっただけ。

どう考えても、私が一番損をしている。


「君は優しすぎる。だからつけ込まれるんだ」

「優しいっていうか……振り払うのもだるいだけっていうか……」

「そういう流されやすいところ、よくないと思うよ」


貴方が言う?

という目をチラリと向ける。声にはしない。無駄なので。


因縁の男は、相変わらず私のそばにいる。

触れない。閉じ込めない。

ただ、逃げ道を作らない目で見ている。


幼馴染は、因縁の男の登場で、逆に思いを拗らせた。


日を増すごとに、そんな二人ともの目が濁っていく。




事件の後、私は問われた。


――彼と、どうするつもりなのか。


その「彼」と、周りが言うのがルーヴェンなのか、それともジュリアンなのか。

私には分からない。興味もない。

そして、どちらであろうと大差はない。私なんかに執着し、愛を乞うという点では同類なのだから。


ただ、学園内では私とジュリアン、ルーヴェンを面白おかしく三角関係にして、私がどちらに落ちるのか、楽しそうに話題にしている。

賭けは今日も、面白おかしく形を変えて行われていた。暇人ばかりだ。


真正面から聞いてくる声だけに、私はため息を隠さず返す。


「溺愛? 執着? なんでもいいです。結婚も、できればしたいと考えてますよ。一人は寂しいでしょう?」


それは本当だ。

寄り添う相手は欲しい。

恋慕はいらない。

信頼と信用が噛み合った、会話ができる理解者が欲しい。


「まあでも――番犬がわりに使ってる、そこの男たちを越えることが絶対条件になりますが」


できれば、愛のない穏やかな結婚をしたい。

理想を見つけ次第、この忠犬ぶった男たちを最後に振り払って捨ててやる。


死ぬ気があれば死ねるのだし、死ぬ気でやれば逃げ切れるだろう。

最後に笑うのは私だ。

その時は、今度こそ声に出して言ってやるのだ。


――ざまぁみろ、と。



end.



ルーヴェンとの真の地獄愛ルートか、

ジュリアン犬化のアナベル女王ルートか、

逃げ切り勝ちの愛のない結婚での無双ルートか、

ダークホースが現れての愛を取り戻すルートか。

どんなルート行ってもアナベルは逞しく生きていくんだと思います。

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― 新着の感想 ―
お話もキャラも関係もめっちゃ大好きです! ここで終わってるのがいいと思うんですが もっとこの三人が見たいぐらい大好きです。 アナベル様ー!!!!!(信者)
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