ジュニア冒険者 ユイと海の旅館
わたしはユイ。
ジュニア冒険者をしている。
今日は、少し特別な日だ。
「忘れ物ない?」
ママが玄関で聞く。
「だいじょうぶ!」
そう答えながら、
ほんとうは、もう一度だけカバンの中を確認した。
着替え。ノート。エプロン。
それから、水族館のチケット。
今日は一泊二日。
旅行みたいだけど、ちゃんとクエストもある。
ママが選んだ、単発クエストだ。
わたしには、難易度とかランクとか、よく分からない。
でも、ママが選んだってことは、大丈夫ってこと。
電車に乗ると、窓の外がだんだん変わっていく。
ビルが減って、山が増えて、
やがて、きらきらした青が見えた。
「海!」
わたしが言うと、ママは小さく笑った。
「今日は魚、たくさん見るね」
「うん!」
クエストは、夕方から。
それまで、少し時間がある。
だからね、近くの水族館に行こってママは言った。
―― すごく、うれしかった。
水族館は、思ったより賑やかだった。
入り口をくぐった瞬間、空気が少しひんやりする。
暗い通路。
壁の向こうで、水の音がしている。
足を進めると、視界がひらけた。
――水槽。
大きなガラスの向こうに、青い世界が広がっている。
光が揺れて、影がゆらゆら動く。
「……わあ」
声が、自然と溢れた。
「……すてき」
気づいたら、そう言っていた。
ガラスに、そっと手を当てる。
冷たい。
魚は、こちらを気にする様子もなく、するりと横切っていく。
見られているのに、気にしていない。
それが、少し不思議で、少しうらやましかった。
「楽しい?」
ママが、隣から聞く。
「うん。……すごく」
ママは、同じ水槽を見つめながら、静かに笑った。
「よく見えるね」
「うん。目とか、うろことか。
それに、お魚さんだけじゃない。
葉っぱもあるし、石もある」
水の中に、ちゃんと“居場所”がある。住んでる。
そう思った。
「時間はたくさんあるからね」
「ゆっくり見よう」
「うん」
次の水槽では、クラゲが浮かんでいた。
白くて、透き通っていて。
動いているのか、流されているのか、分からない。
「……不思議」
「ね」
説明の文字は、ちゃんと読めていない。
魚の名前も、覚えられていない。
でも、目だけは、離れなかった。
「こんなに、いろんな生き物がいるんだね」
「そうよ」
それから、ママは少しだけ声をひそめて、
「食べたくなっちゃう?」
「ママー!」
「じょうだん」
ふたりで、くすっと笑う。
「ねぇ、ママ」
「なあに?」
ユイは、人があまり集まっていない水槽を見る。
「ここ、なにもいないの?」
「いるよ。ほら、砂のところ」
目をこらす。
……あ。
ほんの少しだけ、目みたいなものが動いた。
「ほんとだ! 忍者みたい」
「そうかもね」
たくさんいる水槽は、にぎやかで、楽しそう。
少ない水槽は、静かで、落ち着いて見えた。
―― わたしも、あんなふうに泳げたらな。
一緒に泳ぐのも、楽しそう。
ユイは、そのことを、
しばらく考えながら、水槽を見つめていた。
夕方、旅館に着く。
大きすぎない。でも、きれい。
玄関を入ると、いい匂いがした。
だし。
「ああ、もう仕込みしてる」
ママが言う。
奥から、人が出てきた。
「今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ」
わたしは、少し後ろで頭を下げた。
「ジュニア冒険者です。ユイです」
「よろしくね」
やさしい声。
厨房に入ると、空気が変わった。
あったかくて、音がいっぱい。
包丁の音。水の音。火の音。
「ユイは、野菜洗いからね」
ママが言う。
「うん」
手を洗って、袖をまくる。
キャベツ。にんじん。だいこん。
冷たい。
でも、だんだん楽しくなる。
「これ、あとで食べるんだよね」
「そうだよ」
ママが言う。
「だから、ちゃんと洗おう」
ちゃんと。
その言葉が、すごく大事な気がした。
わたしは、今日のお客さんでもある。
でも、今日の料理をつくる人でもある。
両方。
それが、このクエスト。
外が、少し暗くなってきた。
もうすぐ、夕飯の時間。
クエストは、これからだ。
夕飯の時間が、近づいてきた。
厨房の中は、さっきよりも忙しい。
でも、あわただしくはない。
音が、増えただけ。
「澪、これお願い」
ママが、ざるを渡してくる。
洗った野菜が、山になっている。
水を切って、ボウルに入れる。
そのあいだにも、鍋の中で、何かがぐつぐつしている。
においが、変わった。
甘くて、お腹がすくにおい。
「これは?」
「煮物」
「魚?」
「ううん、今日は野菜」
少し、ほっとした。
魚は、まだ、見ていたい。
火を使うところは、大人の仕事。
ママは、包丁を持つ手が早い。
音が、一定。
とん、とん、とん。
それを見ているだけで、ちゃんと進んでいるのが分かる。
わたしは、盛り付けの横についた。
小皿を並べる。向きをそろえる。
それだけで、料理が、ちょっとえらくなる。
「きれいに並んでる」
旅館の人が言った。
「ありがとう」
その一言で、背中が、少し伸びた。
次は、配膳。
お盆に、料理をのせる。
重たい。
でも、持てる。
「ゆっくりね」
ママが言う。
廊下を歩く。
畳の音。
部屋の前で、一度止まる。
「失礼します」
声が、少し高くなった。
中には、知らない人。今日のお客さん。
「お待たせしました」
言えた。
ちゃんと。
料理を置く。湯気が、立つ。
「わあ」
声が、上がった。
その声を聞いて、胸が、あったかくなった。
つくった人の顔は、見えない。
でも、ちゃんと、届いている。
配膳が終わって、厨房に戻る。
「どうだった?」
ママが聞く。
「緊張した」
「それでいい」
少しして、夕飯の時間が終わる。
片づけ。
お皿が、戻ってくる。
「おいしかったです」
声が、直接届いた。
「ごちそうさまでした」
その言葉を、目の前で聞く。
それは、水族館で聞く声と、少し違った。
食べる、って、こんな感じ。
全部終わって、ようやく、わたしたちの番。
食堂のすみで、同じ料理を食べる。
「いただきます」
言ってから、少し待つ。
さっきまで、野菜を洗っていた。
さっきまで、お盆を持っていた。
今は、食べる人。
おいしい。
自分でつくったから?
それもある。
でも、ちゃんと仕事だったから。
仕事のあとに、食べる。それが、旅館のごはん。
夜、部屋に戻る。布団が、並んでいる。
「つかれた?」
ママが聞く。
「うん。でも、楽しい」
「それが、一番」
外は、暗い。
でも、窓の向こうで、海の音がした。
明日は、朝ごはん。
まだ、クエストは終わっていない。
朝は、早かった。
まだ、空が青くなりきっていない。
目を開けると、畳のにおい。
となりで、ママがもう起きていた。
「おはよう」
「おはよう」
小さな声で言う。
外から、海の音がする。
昨日より、静か。
顔を洗って、厨房へ向かう。
朝は、夕方よりも、少しだけ急ぐ。
お客さんは、目を覚ます。
朝ごはんは、一日のはじまり。
「ユイは、これお願い」
ママが言う。ごはん茶碗を並べる。
数を数える。
ひとつ、ふたつ。
湯気が立つ。
朝の湯気は、夜より軽い。
卵焼きのにおい。味噌汁の音。
「いい朝だね」
旅館の人が言った。
うなずく。
配膳も、昨日より落ち着いてできた。
廊下を歩く足が、少し慣れている。
「おはようございます」
ちゃんと、言えた。
昨日の人もいる。
「昨日、おいしかったよ」
声をかけられる。
「ありがとうございます」
今度は、すぐ言えた。
朝ごはんが終わる。
片づけ。
お皿の音が、軽くなる。
それで、分かる。
終わり。
厨房で、ママが深く息を吐いた。
「クエスト、完了だね」
「うん」
スマホを見る。
表示が変わる。
完了。
それだけ。
でも、ちゃんと残る。
経験。
朝食を、自分たちも食べる。
同じ料理。同じ席。
昨日より、味がはっきりしている。
「また、やりたい?」
ママが聞く。
少し考える。
「うん。でも、次は、ちがう場所がいい」
「それもいいね」
外に出る。
空は、すっかり明るい。
海が、昨日より遠く見える。
荷物を持つ。
旅館の人が、手を振る。
「ありがとうございました」
「ありがとうございました」
言いながら、
ちょっとだけ、胸がきゅっとした。
ここで、つくって。ここで、食べて。
それで、終わり。
でも、なくならない。
電車に乗る。
窓の外が、流れていく。
水族館の前を通る。
昨日の魚が、頭に浮かぶ。
生きているもの。食べること。つくること。
ぜんぶ、つながっている。
「次は、どんなクエストにする?」
ママが聞く。
「まだ、決めない」
「そう」
電車が、揺れる。
わたしは、少し眠くなった。
ジュニア冒険者の旅は、まだ、つづく。
でも、今日は、ここまで。
目を閉じる。
次のクエストが楽しみだ。
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ジュニア冒険者ユイと魚の養殖
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