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ジュニア冒険者 ユイと海の旅館

作者: 優湊
掲載日:2026/01/20

挿絵(By みてみん)



 わたしはユイ。

ジュニア冒険者をしている。


 今日は、少し特別な日だ。


「忘れ物ない?」


 ママが玄関で聞く。


「だいじょうぶ!」


 そう答えながら、

ほんとうは、もう一度だけカバンの中を確認した。


 着替え。ノート。エプロン。

それから、水族館のチケット。


 今日は一泊二日。

旅行みたいだけど、ちゃんとクエストもある。


 ママが選んだ、単発クエストだ。

わたしには、難易度とかランクとか、よく分からない。

でも、ママが選んだってことは、大丈夫ってこと。


 電車に乗ると、窓の外がだんだん変わっていく。


 ビルが減って、山が増えて、

 やがて、きらきらした青が見えた。

 

「海!」


 わたしが言うと、ママは小さく笑った。


「今日は魚、たくさん見るね」


「うん!」


 クエストは、夕方から。

 それまで、少し時間がある。

 だからね、近くの水族館に行こってママは言った。


―― すごく、うれしかった。

 

 水族館は、思ったより賑やかだった。

 入り口をくぐった瞬間、空気が少しひんやりする。


 暗い通路。

 壁の向こうで、水の音がしている。


 足を進めると、視界がひらけた。


 ――水槽。


 大きなガラスの向こうに、青い世界が広がっている。

 光が揺れて、影がゆらゆら動く。


「……わあ」


 声が、自然と溢れた。

 

「……すてき」


 気づいたら、そう言っていた。


 ガラスに、そっと手を当てる。

 冷たい。


 魚は、こちらを気にする様子もなく、するりと横切っていく。


 見られているのに、気にしていない。

 それが、少し不思議で、少しうらやましかった。


「楽しい?」


 ママが、隣から聞く。


「うん。……すごく」


 ママは、同じ水槽を見つめながら、静かに笑った。


「よく見えるね」


「うん。目とか、うろことか。

 それに、お魚さんだけじゃない。

 葉っぱもあるし、石もある」


 水の中に、ちゃんと“居場所”がある。住んでる。

 そう思った。


「時間はたくさんあるからね」

「ゆっくり見よう」


「うん」


 次の水槽では、クラゲが浮かんでいた。

 白くて、透き通っていて。


 動いているのか、流されているのか、分からない。


「……不思議」


「ね」


 説明の文字は、ちゃんと読めていない。

 魚の名前も、覚えられていない。


 でも、目だけは、離れなかった。


「こんなに、いろんな生き物がいるんだね」


「そうよ」


 それから、ママは少しだけ声をひそめて、


「食べたくなっちゃう?」


「ママー!」


「じょうだん」


 ふたりで、くすっと笑う。


「ねぇ、ママ」


「なあに?」


 ユイは、人があまり集まっていない水槽を見る。


「ここ、なにもいないの?」


「いるよ。ほら、砂のところ」


 目をこらす。


 ……あ。


 ほんの少しだけ、目みたいなものが動いた。


「ほんとだ! 忍者みたい」


「そうかもね」


 たくさんいる水槽は、にぎやかで、楽しそう。

 少ない水槽は、静かで、落ち着いて見えた。


―― わたしも、あんなふうに泳げたらな。

   一緒に泳ぐのも、楽しそう。


 ユイは、そのことを、

 しばらく考えながら、水槽を見つめていた。

 


 夕方、旅館に着く。

 大きすぎない。でも、きれい。


 玄関を入ると、いい匂いがした。


 だし。


「ああ、もう仕込みしてる」


 ママが言う。


 奥から、人が出てきた。


「今日はよろしくお願いします」


「こちらこそ」


 わたしは、少し後ろで頭を下げた。


「ジュニア冒険者です。ユイです」


「よろしくね」


 やさしい声。


 厨房に入ると、空気が変わった。

 あったかくて、音がいっぱい。


 包丁の音。水の音。火の音。


「ユイは、野菜洗いからね」


 ママが言う。


「うん」


 手を洗って、袖をまくる。


 キャベツ。にんじん。だいこん。


 冷たい。


 でも、だんだん楽しくなる。


「これ、あとで食べるんだよね」


「そうだよ」


 ママが言う。


「だから、ちゃんと洗おう」


 ちゃんと。


 その言葉が、すごく大事な気がした。


 わたしは、今日のお客さんでもある。

でも、今日の料理をつくる人でもある。


 両方。

それが、このクエスト。


 外が、少し暗くなってきた。

もうすぐ、夕飯の時間。


クエストは、これからだ。





 夕飯の時間が、近づいてきた。


 厨房の中は、さっきよりも忙しい。

でも、あわただしくはない。


 音が、増えただけ。


「澪、これお願い」


 ママが、ざるを渡してくる。

洗った野菜が、山になっている。


 水を切って、ボウルに入れる。

そのあいだにも、鍋の中で、何かがぐつぐつしている。


 においが、変わった。

甘くて、お腹がすくにおい。


「これは?」


「煮物」


「魚?」


「ううん、今日は野菜」


 少し、ほっとした。

魚は、まだ、見ていたい。


 火を使うところは、大人の仕事。

ママは、包丁を持つ手が早い。


 音が、一定。

とん、とん、とん。


 それを見ているだけで、ちゃんと進んでいるのが分かる。


 わたしは、盛り付けの横についた。

小皿を並べる。向きをそろえる。


 それだけで、料理が、ちょっとえらくなる。


「きれいに並んでる」


 旅館の人が言った。


「ありがとう」


 その一言で、背中が、少し伸びた。



 次は、配膳。

お盆に、料理をのせる。


 重たい。


 でも、持てる。


「ゆっくりね」


 ママが言う。


 廊下を歩く。


 畳の音。


 部屋の前で、一度止まる。


「失礼します」


 声が、少し高くなった。


 中には、知らない人。今日のお客さん。


「お待たせしました」


 言えた。


 ちゃんと。


 料理を置く。湯気が、立つ。


「わあ」


 声が、上がった。


 その声を聞いて、胸が、あったかくなった。


 つくった人の顔は、見えない。

でも、ちゃんと、届いている。


 配膳が終わって、厨房に戻る。


「どうだった?」


 ママが聞く。


「緊張した」


「それでいい」


 少しして、夕飯の時間が終わる。


 片づけ。

お皿が、戻ってくる。


「おいしかったです」


 声が、直接届いた。


「ごちそうさまでした」


 その言葉を、目の前で聞く。

それは、水族館で聞く声と、少し違った。


 食べる、って、こんな感じ。


 全部終わって、ようやく、わたしたちの番。

食堂のすみで、同じ料理を食べる。


「いただきます」


 言ってから、少し待つ。


 さっきまで、野菜を洗っていた。


 さっきまで、お盆を持っていた。


 今は、食べる人。


 おいしい。


 自分でつくったから?


 それもある。


 でも、ちゃんと仕事だったから。


 仕事のあとに、食べる。それが、旅館のごはん。


 夜、部屋に戻る。布団が、並んでいる。


「つかれた?」


 ママが聞く。


「うん。でも、楽しい」


「それが、一番」


 外は、暗い。

でも、窓の向こうで、海の音がした。


 明日は、朝ごはん。

まだ、クエストは終わっていない。




 朝は、早かった。

まだ、空が青くなりきっていない。


 目を開けると、畳のにおい。

となりで、ママがもう起きていた。


「おはよう」


「おはよう」


 小さな声で言う。


 外から、海の音がする。


 昨日より、静か。


 顔を洗って、厨房へ向かう。


 朝は、夕方よりも、少しだけ急ぐ。


 お客さんは、目を覚ます。


 朝ごはんは、一日のはじまり。


「ユイは、これお願い」


 ママが言う。ごはん茶碗を並べる。


 数を数える。


 ひとつ、ふたつ。


 湯気が立つ。


 朝の湯気は、夜より軽い。


 卵焼きのにおい。味噌汁の音。


「いい朝だね」


 旅館の人が言った。


 うなずく。


 配膳も、昨日より落ち着いてできた。

廊下を歩く足が、少し慣れている。


「おはようございます」


 ちゃんと、言えた。


 昨日の人もいる。


「昨日、おいしかったよ」


 声をかけられる。


「ありがとうございます」


 今度は、すぐ言えた。


 朝ごはんが終わる。


 片づけ。

お皿の音が、軽くなる。


 それで、分かる。


 終わり。


 厨房で、ママが深く息を吐いた。


「クエスト、完了だね」


「うん」


 スマホを見る。


 表示が変わる。


 完了。


 それだけ。

でも、ちゃんと残る。


 経験。


 朝食を、自分たちも食べる。


 同じ料理。同じ席。

昨日より、味がはっきりしている。


「また、やりたい?」


 ママが聞く。


 少し考える。


「うん。でも、次は、ちがう場所がいい」


「それもいいね」


 外に出る。

空は、すっかり明るい。


 海が、昨日より遠く見える。


 荷物を持つ。

旅館の人が、手を振る。


「ありがとうございました」


「ありがとうございました」


 言いながら、

ちょっとだけ、胸がきゅっとした。



 ここで、つくって。ここで、食べて。


 それで、終わり。


 でも、なくならない。


 電車に乗る。

窓の外が、流れていく。


 水族館の前を通る。

昨日の魚が、頭に浮かぶ。


 生きているもの。食べること。つくること。


 ぜんぶ、つながっている。


「次は、どんなクエストにする?」


 ママが聞く。


「まだ、決めない」


「そう」


 電車が、揺れる。

わたしは、少し眠くなった。


 ジュニア冒険者の旅は、まだ、つづく。


 でも、今日は、ここまで。


 目を閉じる。

次のクエストが楽しみだ。


最初の物語へ

ジュニア冒険者ユイと魚の養殖

https://ncode.syosetu.com/n1969lr/

次の物語へ

ジュニア冒険者 ユイと競能祭

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