短編小説 『名探偵』
窓の外は、すべてを飲み込むような白銀の静寂が支配していた。
湖畔に建つ「硝子館」の二階、藤堂氏の書斎。その中心で、主人は冷たくなっていた。背中に突き立てられた短刀が、月光を反射して鈍く光っている。
私は手袋をはめ直し、背後に集まった五人を見つめた。被害者の甥である健二、秘書の佐々木、メイドの稲田、招待客の画家・加藤、そして藤堂氏の主治医である島田先生。
一時半頃に皆さんを起こし集めた。
「皆さん、落ち着いてください。電話線は切れ、この吹雪では警察もすぐには来られない。犯人は、この館の中にいる六人のうちの誰かです」
私は左腕の腕時計に目を落とし、傍らに立つ島田医師を促した。
「島田先生、医学的な見地から、改めて死亡推定時刻をお願いします」
島田先生は沈痛な面持ちで遺体から手を離し、俺の腕時計と部屋の中央に佇む巨大な振り子時計を確認して答えた。「死体の硬直と体温から見て、間違いないでしょう。
死亡推定時刻は昨夜の午前零時から零時半の間。ちょうど、私たちがホールで鳴り響く屋敷唯一である時計の鐘の音を聞いた後のことになります」
私は頷き、手帳を開いて五人に視線を走らせた。
「整理しましょう。メイドの稲田さんは十一時に就寝し一時半に起こすまで寝ていました。画家の加藤さんは十一時半から一時までリビングで島田先生の視界に入る場所でスケッチをしていた。
秘書の佐々木さんは、零時から一時時点ではすでに私や島田先生と挨拶を交わして自室へ戻っている。……つまり、私や先生、加藤さん、佐々木さんには、零時から一時にかけて互いの存在を証明できる完璧なアリバイがある」
私は一転して、顔を青白くさせている健二に鋭い視線を向けた。
「しかし健二さん、あなただけは零時ちょうどに『部屋に戻る』と言って席を立ち、今一時まで姿を消していた。……そしてこれを見てください。さっき見つけたものです。あなたの部屋のクローゼットの奥に隠されていた、このパケを」
私は透明な小袋に入った白い粉末を突きつけた。
「これは違法な薬物ですね? 叔父である藤堂氏にこれが見つかり、絶縁と警察への通報を言い渡されたのではないですか。あなたはそれを阻止するために、零時過ぎにこの書斎を訪れ、背後から叔父を刺し殺した……そうですね?」
「ふ、ふざけるな! 誰が……誰がそんな……!」
「認めなさい。この薬物が動機だ。あなたは人生を棒に振るのを恐れて、実の叔父を手にかけた」
「違う! 俺はやってない! 殺してない!」
健二は顔を真っ赤にして震え出し、突然癇癪を爆発させた。彼は狂ったように叫びながら、部屋の隅にあるアルコールランプを蹴り飛ばし、カーテンに火を放った。「こんな館、全部壊れてしまえばいいんだ! 何もかも消えちまえ!」
火の手は一瞬で広がり、古い建材と硝子の壁を赤く焼き尽くしながら、階段を飲み込んだ。私たちは命からがら、雪の降り積もる庭へと逃げ出した。
燃え盛る館は夜空を焦がし、ホールの中心で最後まで時を刻んでいた、あの巨大な振り子時計を飲み込んでいく。黄金の振り子が熱で歪み、文字盤が黒く焼け落ち、やがて轟音と共に館全体が崩落した。
私たちは、辛うじて火の手を免れた屋敷の隣にある物置小屋へと逃げ込んだ。吹き荒れる雪を避け、狭い小屋の中で肩を寄せ合う。暴れる健二を私と島田先生、加藤さんの三人で押さえ込み、夜明けを待った。健二は「嵌められた」「殺していない」と虚空に向かって喚き続けていたが、その瞳は異常に充血し、薬物の影響か、次第に支離滅裂な独り言へと変わっていった。
夜明け頃、ようやく雪をかき分けて到着した警察によって、健二は取り押さえられた。彼は殺人と薬物の所持を泣きながら否定し続けたが、その体からは薬物の陽性反応が出た。器物破損、薬物使用、そして「名探偵」である私が指摘した完璧な状況証拠による殺人容疑。彼はそのまま雪の中を連行されていった。
証拠も、凶器も、時間を証明する唯一の指標も、すべてが灰の中に消えた。
私は、降りしきる雪の中で独り立ち尽くしていた。振り返ると、生き残った面々は疲れ果て、遠ざかるパトカーの赤色灯を呆然と見つめている。そして私はリューズをひねり、細身の針を半回転させた。
カリ、カリ、カリ……。
冷たい静寂の中で、小さな金属音だけが私の指先に伝わる。
私は腕時計を袖の中に戻し、そっと溜息をついた。雪は、私の足元を静かに埋めていく。
「……本当に、犯人は健二さんだったのでしょうか」
島田先生が震えながら、隣に立つ私に問いかけた。私はその問いには答えず、ただ遠くで燃え続ける残り火を見つめる。私は犯人を捕まえられた事に口元が緩むのであった。




