第031話「邂逅と導き」
【〇三一 戦場の理不尽】
■多くの理不尽が、戦場で幾多の命を奪ってきた。ユーリも、エリシアも、何度もそれは経験してきた。
そしてそれを目の当たりにするたびに、いつかは自分も、そう思ってきた。
実際、実戦に出てしまえば兵士の、特に人間の命は軽く扱われる。
しかし、本人や友人たち、ともに戦うものたちにとってはひとりの命はあまりにも重く、代替などがあろうはずもない。
だが、戦いとはそういったもののやり取りをする行為なのである。
悲しみを胸に、再び立ち上がることはできるのか――。
【〇三一 邂逅と導き】
「置いて……俺を……」
「しゃべらないで」
エリシアが感じるユーリは重い。体の力が抜け、全体重がかかっていた。
となりを走るルーミアはいつの間にかユーリの剣ふたつを拾っており、抱えながら走っていた。
ギルギレイアの村の門まで迫ると、見張り台に立つ門番は負傷しているユーリを担ぐエリシアに気づき、撤退してきたことを理解した。
「門を開けろー!」
その声はエリシアにも聞こえた。
「ルーミア先に」
「わかった」
ルーミアが人ひとり分開いた門から中に入ると、次いでエリシアも入る。すると、再び門が閉ざされる。
ギルギレイアの若い人たちが三人を囲うように集まる。
「やられたんですか!?」
エリシアたちの見送りをしたギルギレイア人は負傷したユーリを見て叫ぶように言う。
「止血を促すような薬があればわけてください。お願いします」
「すぐに用意させます! おい、止血剤を!」
その指示で数人のギルギレイア人が素早く動いた。
エリシアはユーリを近くにあった小屋まで運び、その壁にもたれかけさせ、降ろした。
腰裏にある雑嚢から包帯を取り出し、出血している傷口を直接押さえる。
「ぐっ……がふっ!」
胸の傷口は三カ所。いずれも大きく、背中から貫通している。エリシアが見た限り、一番の深手は片方の肺を貫いた一撃だ。ユーリは咳き込み、血の泡を吐き出す。呼吸も乱れ、苦しそうだった。
エリシアは無言で傷を抑える。しかし出血は止まらない。ユーリを担いできたあとには、点々と血痕が残っている。
それを振り返って見たルーミアは、状況の悪さを実感する。
傷を癒やす魔法があれば――ルーミアはそう思ったが、かつて女神たちの中にはその魔法を使えるものがいたという伝承が残るのみで、今のこの世に傷を癒やす魔法というものは存在しない。
「あっ……あ……」
「黙って」
「足の……感覚がない……た、立て、ない……」
「ジッとしてて、今血を止める」
「げ……逃げ……ろ……エリシア……頼む」
傷口を強く押さえても、溢れる血が止まらない。エリシアの手はユーリの血で真っ赤に染まっていた。エリシアの頬に涙が流れる。
「こんなところで終わらせない……!」
「逃げ……て……静かに……静かに……暮らせ……エリシア……」
ユーリの震える手がエリシアの頬に触れる。エリシアは思わず、血で濡れた手でその手を握り返した。
「そんなこと言わないで!」
悲鳴のような声だった。
「まだ一緒に戦う! ユーリはこんなところで終わらない! 必ず助けるから!」
ドンという地面を揺らす轟音が響いた。ルーミアが振り返ると、あの鋼鉄の門が揺れていた。
あいつが来ている。あの門を打ち破ろうとしているのだ。
「俺を置いて……行け……ギーファン、さんたちと……逃げろ……」
「ユーリも連れてく」
エリシアはユーリを担ごうとした。腕を肩に回し、担ぎ上げようとする。その時、ユーリの消え入りそうな声が耳元でした。
「もっと……おまえの気持ちに応えてやればよかった……すまない……エリシア……」
「っ!」
エリシアの動きが止まる。
ユーリの体からはすべての力が抜け落ちていた。
「ユーリ……?」
呼びかけてみるが、返事はない。エリシアは経験があった。かつて自分の部隊にいた仲間たちが、最期を迎えた時はこうだった。みんな、力が抜け、息をしなくなる。
これは、死だ。
「……エリシア」
ルーミアが弱々しい声をかける。
エリシアは再び、ユーリを降ろして壁に寄りかからせた。
そして、ユーリの手を組ませ、腿の上に剣を乗せる。
「……いつかはこんな日が来るって、覚悟はあった」
ぼそりとエリシアが漏らす。
「戦いの中にいる限り……こんなことになるのはわかっていた。でも、それは遠いいつかで……いつも今日じゃないって……」
ルーミアが見るエリシアの背中は、震えていた。
「……エリシア」
そこにギルギレイア人が来る。
「ヴァイツ隊ちょ――」
手には薬のようなものを持っていたが、立ち尽くすエリシアを見て、彼は状況を理解した。
「ヴァイツ隊長、門が破られます。みんな避難します。あなたも……どうか!」
「……わかりました。先に行って」
エリシアのその声は、なにかを咥えたように絞り出していた。
ギルギレイア人は頷き、ルーミアを見る。ルーミアは頷いた。
「ヴァイツ隊長、必ず……!」
ギルギレイア人が去る。門の辺りから、逃げてくるギルギレイア人たちがいる。
「……エリシア」
「ルーミアも行って」
「エリシアは?」
「ユーリのそばにいる」
「それは……それは許されない」
「ここにいさせて!」
「エリシア=ヴァイツ!」
ルーミアは叫ぶエリシアの肩を掴み、強引にこちらを向かせた。
「ここにいたらあなたまで死ぬ。それでいいの?」
「もう……生きることなんてできない……」
「わたしもあなたたちに会うまでそう思っていた。でも、基地の居住区で生きる人たち、開拓地の人たち、この村の人たち、みんな精一杯生きてることを知った。エリシア、生きることを放棄したら、もうその人たちに会えなくなる」
「会えなくたっていい!」
「そうじゃない! ユーリが生きたことも忘れられる! 消えていった大勢の中のひとりになって、誰の心にも残らなくなる!」
「それがなにに――」
「生きてユーリの勇気を伝えなさいエリシア。あなたにはその力がある。諦めないで。自分が生きることを諦めないで。わたしだって……生きようと思ってる。生きて、なにか見つけようと思ってる……ここで終わりじゃない。わたしも、あなたも……お願いエリシア……あなたまで……死のうとしないで」
「……ルーミア!」
エリシアは、表情こそ変えないルーミアの目から、大粒の涙がこぼれるのを見た。それを見たエリシアは、自身の涙を袖で拭う。そして、ユーリの血で染まった手袋を脱いだ。
「エリシア――」
「悲しむのはあとにする。今は……この村の人の避難を支援する」
「――うん」
ルーミアは力強く頷き、ぎゅっと魔導杖を抱く。
「勝てない相手だから、時間稼ぎをして……頃合いを見てわたしたちも撤退する。それでいい?」
「そうしましょう」
その瞬間、どーんという音と振動が起こる。門の方を見ると、分厚い鋼鉄の門がひしゃげ、吹き飛んでいた。そこから、ゾーン・グール・グレイブが姿を見せた。体の再生は済んでいるようだったが、従来の黄土色の本体と違い、再生した部分は青紫色になっていた。
「なにか身を守る魔法はある?」
「あるよ。あの触手と槍のようなものなら防げると思う」
「今までみたいには守ってあげられるほどの余裕はないから、お願い。危ないと思ったら、先に撤退して」
「わかった。でも、その時は一緒」
「……そうね。そうする。ありがとうルーミア」
「無茶はしないで。仇を討とうなんて思わないでね」
「……わかってる。行きましょう、そして、生きましょう」
「うん」
エリシアは目を閉じたユーリを見る。
「行ってくる。わたしを見守ってね、ユーリ――」
エリシアは走り、ゾーン・グール・グレイブへと向かう。ルーミアも、その後を追った。
◇ ◇ ◇
――行くなエリシア! ルーミアも! やられるだけだ!
必死にそう叫ぼうとしても、声は出ず、指の一本も動かない。視界は真っ暗で、なにも見えない。体の感覚はない。それでもなんとか、エリシアたちの姿を見ようと、感じたこともない重みを持つまぶたをこじ開ける。
するとそこには、真っ白な空間が広がっていた。瞬間、体に感覚が戻る。
「なんだ……ここ……」
今までの痛み、息苦しさが嘘のように消え、ユーリはこの空間に安らぎすら感じた。しかし、安らいでいる余裕はなかった。エリシアを、ルーミアを止めないといけない。
「エリシア! 戻れ! ルーミアも行くな!」
なにもない空間には、自分の声が響くだけだった。
「なんなんだここは……!?」
不意に感じた気配に振り向く。
「ユーリ=ファルシオン」
そこには森の教会で会った、ティアル司祭によく似た女性が立っている。
「ティアル司祭……?」
ティアル司祭によく似た女性は耳の長い、エネスギア人だった。このエネスギア人の女性は首を振る。
「あなたの前に姿を見せた時は、そのような名を名乗りました」
その声を聞き、ユーリは過去に故郷で聞いた声を鮮明に思い出した。
「あの時の……声の人……」
「わたしはラ=ティエリスタ=ティリス。マールセルフィリア教で言うところの、九天女神のひとり」
「め、女神様!?」
突然の告白にユーリは驚いた。
ティリスは悲しそうな顔をする。
「あなたの魂が肉体を離れる瞬間、その魂をわたしの領域へと呼び込みました」
「魂が肉体を離れるって……それは……」
「そうです。あなたは……あなたの命は途絶えました」
「そんな……! エリシアとルーミアはまだ戦ってるんです! 俺もいかないとふたりともやられる! どうか戻してください!」
「あなたはまだ戦うのですか?」
「戦います!」
「それは愛するものを、友を、人々の生活を守るためですか?」
「そうです! だからお願いします!」
ティリスは首を振る。
「そんな……」
「あなたはこれを真の戦いとは思っていない」
「……え」
ティリスの目が鋭さを持ってユーリを刺す。その視線は慈愛を説く女神の視線ではなく、屈強な、幾多の死線を乗り越えてきた、戦士、あるいは勇者の視線だった。
その視線を受けたユーリは思わず後ずさる。
「あなたは……あなたが真に望む戦いはエネスギア人との戦い……あなたの復讐」
ユーリは全身に汗を感じた。
「あなたは復讐したいと思っている。両親を殺したエネスギア人を見つけ、自身の中にある恨みと感情のままに殺したいと思っている。そのための戦いこそが、あなたが望む真の戦い」
「それは……」
「この感情があなたの感覚を濁らせる。判断に、未来に影を落とす元凶となる。しかし、この憎悪があなたの勇気の源泉にもなっている」
「俺の勇気は……」
ユーリは自分の心の奥に押し込めていた、どす黒い衝動をティリスに見透かされ、それを言葉にされた。言い返す余地はない。
「幼い日、あなたが勇気を願ったその日から、わたしはあなたを見ていました。勇気を願う人は多い。しかし、その中の多くの人が願うだけで終えてしまう。でもユーリ、あなたは自身を律し、鍛え、剣術を学んだ。心に憎悪が生まれてからも、あなたは自身を律し、鍛え、剣術を学んだ。目的は黒いものになっても、勇気を求める気持ちを忘れなかった。だからわたしはあなたを見続けていました」
「ど、どうして……」
ティリスの視線が優しさを取り戻す。
「今、世界は窮地に立たされています。破滅獣の復活は、邪神ゾディアを蘇らせんとする野望の一端によるもの……この破滅獣の復活はいずれ、邪神ゾディアをこの地に顕現させることへの布石。かつて九天女神は八勇者を従え、それを阻止してきました。しかし長い年月が流れ、女神の……わたしの力もつきかけている……八勇者を蘇らせ、破滅獣を討伐する加護を与える力は、もうわたしにはない」
ティリスの言葉は切実で、悲しさが伝わった。
「あなたの勇気が最後の望みでした。かつての八勇者に比する勇者になってくれると、わたしは考えていました」
「俺が……?」
「しかし、心に憎悪を抱く限り、あなたは真の勇者としての力を得ることはありません」
突き放した言葉だった。ユーリはなぜか、目の前の女神に見捨てられたような気持ちになった。そして、それは完全な死を意味していると知った。
「でも……この気持ちは簡単には捨てられません。ここで、口約束で復讐をやめると言っても、俺の心からその気持ちはすぐには消えません」
「それを理解できているのもまた、勇気あるものの証です。ユーリ=ファルシオン、今ここであなたに勇者の力と女神の加護を与えることはできません。ですが、わたしはあなたに賭けます。あなたと、あなたの愛するものが、友が、人々が、あなたの心の闇を払うことを願い……わたしは、最後の召喚を行います」
「そ、それは……どういう? 最後ということは……ティリス様は……?」
「わたしに残った力の限りを使い、人の想いからあなたの命を創造する、想造召喚を行います。すべての創造は、想像の中に――」
「っ!! そ、そんな、力の限りなんてことをしたらティリス様が……!」
「安心してください。わたしは消えてしまうわけではなりません。ただ、しばらくは、あるいは永久に近い時間、女神の力を使うことができなくなる。ですが、それを賭けるだけの価値があなたの勇気を願う気持ちにはあると判断しました」
ユーリはぎゅっと拳を握った。
「この命が戻るなら……俺は勇者に相応しい人間になります。心の闇とも向き合う。みんなが闇を払うのを待つだけじゃなくて、自分でも、振り払えるようにします!」
「まだ知らない優しさ、ぬくもりもあるでしょう。それらが、あなたを勇者へと導く光になる……ユーリ……どうか、真の勇者へ」
そう言い、ティリスは手を掲げる。
「命の力――ここに顕現せよ!」
瞬間、どんという衝撃波が体を揺らす。次いでまぶしい光が視界を覆った。
「ティリス様……俺は……!」
「頼みました。あなたの潜在能力が解放されるでしょう。その力で、守るべきものを守り、愛を知るのです。決して、黒い心に支配されぬように――信じています。いきなさい」
ティリス様の声がじょじょに小さくなる。
行きなさいなのか、生きなさいなのか――ユーリは両方の意味だと思った。
俺は行く、エリシアやルーミア、みんなのために――生きる、本当の勇気と強さを手に入れるまで……!
次の瞬間、意識が途切れた。




