第027話「熱きものが噴き出す時」
【〇二七 ギルギレイア人の温泉】
■神話の時代よりその効能が評価される温泉。
ギ族の住む村落付近には必ず鉱脈が存在し、そこには様々な希少鉱石がある。
その鉱石が溶け出した温泉には様々な効能が見られ、古くより傷や病を癒やす場として重宝されていた。
今なお現存する場所も多くあるが、ギルギレイア人が外交的な種族ではないため、この温泉を利用するものはギ族に限られてしまっている。
【〇二七 熱きものが噴き出す時】
外に出ると、もう陽が陰っていた。谷底は暗く、ところどころに群生する藻類が幻想的な光を発していて、ランタンのようだった。
「ここがそうか」
ユーリたちがついたのは、ギーファンが教えてくれた温泉だった。
「薬効成分が強いらしくて、傷でも怪我でもすぐ治るって言ってたけど……本当かしら?」
ついてきたエリシアは少し懐疑的だった。
「神話にも残るくらいだからな。じゃあ入ってくるよ」
「……うん。ゆっくりしてきて」
「あぁ。送ってくれてありがとうな」
「次にわたしも入るから」
温泉は公共の施設のようで、男女にわかれていなかった。ユーリが先に入ることになり、場所の確認ということでエリシアもついてきていた。
ユーリはエリシアとわかれ、温泉施設へと入る。
木材で囲われた簡素な施設ではあったが、脱衣場などではそれなりの広さがあり、よく手入れが行き届き清潔感がある。
衣服を脱ぎ、手足の包帯を外す。
「思っていたより大きい傷はないか」
手足には無数の擦り傷があるが、思っていたより深いものはなかった。
あの高さから地面と一緒に落下してこの程度で済んだのは、奇跡と思えた。
「エネスギア人っぽく言えば、女神様の加護ってやつか」
湯船に入る前にかけ湯で体を洗う。お湯が傷にしみるが、別の意味でもお湯が体にしみこむような感覚があった。湯船に浸かると手足の痛みが引いていき、鈍く、もやがかかっていた感覚が澄んでくるようだった。
「この温泉、本当に回復効果あるのか……すごいな……」
お湯の中で腕を伸ばし、手を開いたり閉じたりする。指先にまではっきりと感覚がある。伸ばした足も、足の指先まで、鮮明な感覚が戻っていた。
「勇者が傷を癒やしたっていうのは本当かもしれないな」
肩までお湯に浸かる。暖かさも相まって、癒やしの効能を感じることができた。
すると、ひたりという足音が聞こえた。
公共の場なので、他の人が来てもおかしくはない。殺気のような重い気配を感じることもなかったので、ユーリは特に気にもとめなかった。
それにしても――と、ふと思う。
状況はあまりよくない。上に戻るにしても、あの破滅獣の待つ場所を通らなければならないようで、おそらくは一戦交えることになることは避けられないだろう。
逃げるに徹すれば突破できる気はしているが、そうたやすく見逃してくれるのだろうか。そもそも、あの破滅獣はなにか目的があってここにいるのか。破滅獣とはどういう生態をして、なにを欲しているのか、わからないことは多い。このあと少しでも情報を仕入れて、エリシアたちとしっかり対策を立てた方がいいだろうと考えた。
ここは慎重さが重要な局面だと。場当たり的な勢いで解決できる状況ではない、ユーリは判断した。
広い湯船に、誰かが浸かってきた気配がする。湯煙で姿は見えないが、動く気配と水音がする。案外庶民的な場所なのだろうと思っていると、気配が近づいてくる。警戒心が目を覚ます。
だれだ――。そう思った瞬間、湯煙の中から声がする。
「ユーリ」
「エリシ――ア!?」
聞き慣れた声とともに、湯煙の中から現れたのはなにもまとわない全裸のエリシアだった。
直視するわけにも行かず、咄嗟に目をそらすも、エリシアはさらに近づく。
「お、おい!」
「そういうのはもういいから、こっち向いてよ」
不覚にも、エリシアの体に気を取られて顔までは見えなかった。しかし、エリシアの声は落ち着き、普段なにげない話をする時と変わらない調子だった。
「そうは言ってもな」
「見てくれないの?」
この温泉内は湯船の縁や、お湯の中にまで光源があって明るい。エリシアの方を向けば、よく見ることができる。
しかし、ユーリの理性は待ったをかける。
「とりあえず落ち着けエリシア」
「……わかった。じゃあ、ユーリはそこで正座して。足が痛くなければでいいけど」
「大丈夫、痛みは消えたよ」
言うことを聞けばエリシアも大人しく座ってくれる。とりあえずは体を直視しなくていい、そう思ったユーリは伸ばしていた足をたたみ、正座した。
すると――。
「よいしょ」
「おまっ――」
エリシアは突如、正座したユーリの足の上にまたがる形で座った。
ユーリの眼前にはエリシアの大きな胸が触れそうな距離で迫る。というか、触れている。
顔面で感じるエリシアの肌は恐ろしいほどに柔らかで、なにもひっかかるものがないほどに滑らかだった。
ユーリは咄嗟に立ち上がろうとしたが、エリシアの手が首に回されてしまったので、ジッとしているしかなかった。立ち上がったらエリシアが落ちてしまう。
「なにをして――」
「ちょっと覚悟してきたよ」
「誰か来たらどうするんだ!?」
「大丈夫、掃除中みたいな看板があったから、それを出してきた」
エリシアに抜かりはなかった。
「こっち見て」
エリシアの声は落ち着いていた。
ユーリもその声を聞き、自分だけ舞い上がっているわけにもいかないと思い、深いひと呼吸をして、エリシアの顔を見る。目の前のおっぱいは意識して視界の外に置くようにはしたものの、嫌でも目に入ってしまうぶんはしかたがないことにした。
「どうしたんだ?」
膝にはエリシアの柔らかなお尻を感じる。お湯とは別の、エリシアの体温が感じられた。かけられているエリシアの体重が、しっかりとそこに、自分の上にエリシアがいることを感じさせる力となっている。
「……ユーリの裸を見ても、気を失ったりしなくなったよ」
「そ、そうか。それはよかった……のか?」
エリシアの顔をしっかりと見る。エリシアは照れているような様子はなく、穏やかで、安らぎすら感じるような表情をしていた。長く一緒にいるが、こんなに安らぎを感じるエリシアの表情を見るのは、はじめてかもしれないと思った。
「あまり誘惑されると……困る。エリシアはわかっていたようだけど、誘惑されてなにかしてしまったら――」
「それね。嬉しく思うよ。でも、大丈夫になったの」
「……え? おぶ――」
エリシアの手が頭の後ろに回り、そのままぐいと引き寄せられ、顔面がエリシアの胸に挟まるのようにして埋められた。思考が停止する。そして耳の近くで、エリシアのささやき声がする。
「教えてもらったの。魔法」
「どういうことだ?」
「避妊の魔法」
「――は?」
「赤ちゃんができないようにする魔法、あの教会で、ティアルさんに教えてもらったの」
「そ、そんなことが……」
「あるんだって」
エリシアが手の力を弱めたので、埋まっていた胸から顔を離し、驚いた顔でエリシアを見る。すると、エリシアは優しい微笑みを浮かべていた。
「そんな……魔法が……あるのか?」
「うん。たしかなものだって。しっかり、効いてるっていう実感もあるよ」
そう言いながら、エリシアはお湯の中に手を入れ、自身のおなかをなでる。
湯船の底についていたユーリの手が震える。
「使った……のか?」
「うん。効果は何日か継続するんだって」
「なにか代償はないのか? 体とかに」
「ないよ。安全な魔法なんだって。詠唱も短いんだ」
「なんだってそんな魔法を――」
「欲望のままに振る舞うことはよくないけど、人の温もりを知ることでわかる愛情とか、優しさとか、勇気もある、って、ティアルさんが」
「勇気……」
「わたしは大丈夫になったよ。ユーリに、ここから先の勇気、ある?」
そう言いながら、エリシアのしなやかな手ががユーリの手を取る。そして、エリシアはユーリの手を自分の胸に押し当てる。
「俺の――」
「ドキドキしてるのわかる?」
「……わからないよ。エリシアの胸、大きいから」
「ふふふ」
エリシアが微笑む。
「ねぇ、お願い。ここまで一緒に来たことへの感謝と、これからも一緒にいたいっていうわたしの気持ちに……感触をちょうだい。ダメ?」
「ダメ……じゃない。エリシアの覚悟には、ちょっと前から気づいてた。でも……傷つけてしまう可能性が少しでもあるならって、それから逃げてた」
「知ってたよ。わたし、ユーリに大事にされてることも知ってる」
「でも、大丈夫で……エリシアにその気持ちがあるなら、俺は応えないといけない。俺の勇気も……エリシアに知ってほしい」
「うん、いいよ……見せて」
ユーリはエリシアの両腕を掴むと体を捻り、湯船の縁側にエリシアの体を押し当てた。
「お湯の中じゃない方が……いいような?」
エリシアはさすがに少し照れながらそう言った。
「わかった。どうするか。俺も経験豊富ってわけじゃないし……」
「ふふ、はじめて、って素直に言いなよ」
「ごめん、少し見栄張った」
「わたしも同じ。見栄張って、平気そうにしてるけど、ドキドキして死にそう」
そう言いながら、エリシアは湯船から体を出す。膝下くらいがお湯に浸かる程度で、背を床につけている。
「痛くないか? 背中」
「平気」
エリシアの体は何度か見ているが、今日は格別に距離が近く感じられる。実際に、物理的な距離はかなり近い。
まずはどうするのか。キスをしようか。あるいは体に触れた方がいいか……ユーリが瞬間的にそんな思考を巡らせていると。
「ユーリ?」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
「違う。なにか……」
「ん?」
エリシアが表情が不意に鋭くなる。
ユーリはエリシアに夢中になっていたので反応が遅れたが、気がついた。
地面が揺れている。
「地震!?」
「まさか破滅獣か!?」
ユーリがそう口にした瞬間、揺れが大きくなった。そして、どーーーんという轟音が起こり、ユーリの背後でお湯が吹き上がった。
「なにこれ!?」
「エリシア危ない!」
ユーリは咄嗟にエリシアに覆い被さる。するとユーリの背中には――。
「あぢぢぢぢーっ!?」
「え? ちょっとユーリ!」
ユーリはエリシアを横抱きにし、高温のお湯が降り注ぐ中、すさまじい早さで脱衣場の小屋まで退避した。
「お湯が噴き出した……わたし知ってる、間欠泉、っていうやつかな」
「俺も聞いたことがある……。背中を少しやけどした……大丈夫だったか?」
「うん。おかげさまで。でも……」
「なんか……途切れちゃったな」
「うん……でも、もう平気。いつでも、再開できそうだもの。今度は、もっと落ち着ける場所で、ちゃんとしよう?」
「そうだな。そうしよう」
「うん。ありがとうね。勇気見せてもらったよ」
「エリシア――」
エリシアはスッと、ユーリの唇にキスをする。そしてくるっと背を向けた。
「あれだけ走れればもう大丈夫だね。戻ろ」
「あ、あぁ」
そう言って着替えをはじめたエリシアを、ユーリは後ろから抱きしめたくなった。
しかし、今はその時ではない。今まで耐えられた、今回も、ユーリはそう思い、エリシアに気づかれないように、ひとり笑みを浮かべた。




