第018話「柔らかなささやきの誘い」
【〇一八 堅パン】
■日持ちするように水分が完全に抜けるまで焼いたパン。
密度が高いために栄養価はあるものの、堅いために食べにくく、支給される兵士たちからの評判はあまりよくない。
甘みが強いのだが、ほとんどの場合、一緒に干し肉やチーズなどが食べられる。
お湯が沸かせる状況ならお湯にひたして食べると食べやすいのだが、ユーリたちは火は使わなかった。
通常、ひとつのかたまりで三日分を目安に消費するらしい。
【〇一八 柔らかなささやきの誘い】
エムール大森林を進むユーリたちは、慎重にならざるを得なかった。ユボリ族の哨戒部隊に、跳刃鼬との遭遇など、思っていたよりも脅威が多く、そういう判断となった。
先頭を行くエリシアは慎重に進みつつ、小さく切った魚の燻製をかじっていた。時折とまり様子をうかがい、また歩いてはとまる、その繰り返しになる。
エリシアに続くルーミアも周囲を警戒しているようだった。
「ルーミア中尉」
ユーリはそんなルーミアの近くまで行き、声をかける。
「なに?」
「天気が崩れる。もうすぐ雨が降り出すけど……この木の密度なら、雨具は必要ないと思います」
「雨が降るの?」
「さっき木の間から見えた空が真っ黒だったから、おそらく」
「……なるほど」
ユーリの言葉通り、ほどなくして雨が降り出した。大森林の下にまでは雨が激しく降ることはなかったが、空気が重くなる。そして、暗い。
先頭のエリシアはひときわ大きな木の下で足をとめる。
「どうしたの?」
「今日はここまでにします。思いのほか暗くなってきたし、跳刃鼬との戦闘もあって疲れているので、少し早めに休みましょう」
「わかりました」
「どのくらい休む?」
たずねるユーリに、エリシアは荷物を降ろしながら応える。
「明るくなるまでかな。もうすぐ日も暮れるし、そうなると真っ暗で進めない。灯りを使って動くのはちょっと危険よね」
「わかった。周囲に罠を仕掛けてくる」
するとユーリは荷物を降ろし、中からいくつかの道具を取り出しはじめた。
「お願い」
「罠? 動物でも捕まえるの?」
ルーミアは不思議そうな顔をする。ルーミアの発想に、ユーリは思わず笑う。
「違う違う。敵が近くに来た時に音がなる罠を仕掛けるんだ。かかってくれれば敵が来たことがわかるし、かからなくても敵は警戒して進行が遅くなるから、気づけるだけの時間が稼げるって感じです」
「なるほど。すごいのね」
「じゃあ行ってくる」
「気をつけて」
エリシアの言葉に片手をあげ、道具を持ったユーリは森に消えていった。
「いつもこうなの?」
「そうですね」
「強いのに?」
「それは……たまたま勝てたから強く見えるだけで、自分たちより強い相手なんてたくさんいますから」
「そうは思えないけど」
「さっきの跳刃鼬だって、倒せなかった。あれは間違いなく、わたしたちより強い。だから、できればこの先では会いたくないです。ユボリ族だって、今までは勝てているけど、だからと言って次も勝てるとは限らない。避けられる戦いは、避けた方がいい、というのが、わたしたちの考えです」
「謙虚なのね」
「臆病なんです」
エリシアは苦笑して、荷物の中から小さいランタンを取り出す。小さいナイフと着火石も取り出し、着火石をナイフで切りつけランタンに火を灯す。
調整されたかすかな灯りを足下に置く。光源としての効果はほとんどないようだったが、ルーミアにはその光に安心感を覚えた。
「ユーリが戻ったら食事にしましょう」
「うん。用意する」
ルーミアも自身の荷物から堅パンと干し肉、チーズを取り出す。いずれも携行用の厚い紙に包まれている。
ルーミアはパンの紙を取ると、上を見上げた。大きい木のおかげで、雨は落ちてきていない。
すると、いつの間にか濃くなっていた闇の中からユーリが戻ってくる。
「おかえり。早かったね」
「暗くなるのが早かったから急いだよ。灯りがないところでの作業はしんどいからな」
エリシアに応じたユーリはふたりの様子を見て食事の用意をする。
エリシアのランタンを囲むように、それぞれ食べるものを持った三人が座る。地面は低い草が生えており、土肌ではなかった。
「さぁ、食べましょう」
「俺はどうも行軍食が好きになれなくて。中尉は慣れているものなのか?」
「教会の食事も質素だから。でも……開拓地で振る舞われたスープを思い出すと、ちょっと」
「ふふ、そうね」
そんな言葉を交わしつつ、各々、ナイフでパンを切って食べていく。堅パンは日持ちするように堅く焼いてあるため、食感はいいとは言えない。コク深いチーズと塩味の効いた干し肉を食べながら、パンも食べていく。
「チェロリダ村まではあとどのくらいなの?」
「ルーミア中尉――」
「疲れたわけじゃないからね?」
「す、すみません」
エリシアは言おうと思ったことを先に言われてしまったらしい。
「たぶん、このペースで行けばあと一日と少しくらいかなと。もう一泊くらいする必要がありそう」
「なるほど。進むのも慎重だものね」
「ルーミア中尉、水はまだあるか?」
ユーリはそう言って水筒を揺らす。音からして、ユーリの水筒にはまだ多くの水が残っているようだった。
「大丈夫。水は節約してるよ」
ルーミアも水筒を揺らす。ユーリ同様にまだたっぷりと残っている音がした。
「ユーリが採ってくれた木の実とか食べてるから、あまり喉は渇かなかったかな」
「森の行軍はそれができるからまだ快適さがあるわね。歩くのは大変だけど」
パンを三分の一ほど食べたところで、エリシアは紙で包み直す。そして荷物の中にしまう。
「さて、ここで隊長から、災害獣と戦った勇敢なみんなに特別報酬があります」
「お、なんだなんだ?」
「そんなのあるの?」
「これです」
エリシアが取り出したのは三つのリンゴだった。少々小粒ではあるが、真っ赤になっている。ウィスパニア地方でも栽培が開始されたばかりで、ユーリたちの基地ではめずらしいが人気のある果物だった。
「おぉ、すごい」
「めずらしい。ここにきてはじめて見る」
「シャーラが回してくれたのよ。すぐに食べてもいいけど、このあと見張りを交代しながら眠るから、眠気覚ましにかじるといいわ」
エリシアはそう言いながらルーミアとユーリにリンゴを手渡す。
「ありがとう、そうするよ。さすが隊長、気が利く」
「ありがとう。大事に食べる」
「うん。それじゃふたりとも先に休んで。わたしが見張ってる。体を冷やさないように」
「わかった。隊長に任せるよ。異常を感じたらすぐ起こしてくれ」
「お願いする」
「任せて」
三人は荷物からマントを取り出し、体に巻く。ルーミアは帽子をとり、すぐそばに置く。
「この魔導杖のここには触らないようにして欲しい」
と、ルーミアは魔導杖のランタンにような部分を指さしてふたりに言う。
「ちょっと仕掛けがあって、知らないで触ると危ないから。普段は安全装置をつけておくのだけど、いつ襲撃があるかもわからないから、解除したままにしておく」
「わかった」
「わかりました。でも、仕掛けのある魔導杖なんてすごい。もしかして地下迷宮で見つけたものなんですか?」
エリシアがたずねると、ルーミアは首をかしげた。
「どうだろう? お母様の遺品なんだけど、お母様はお屋敷に来るまでは冒険者をしていたって言ってたから、もしかしたらそうかもしれない」
「それだとしたら、相当な貴重品だ」
「そうかもしれないけど……大事に飾っておくよりは、最期の時までわたしの魔導杖として使いたいって思うかな」
ルーミアの応えは武人のような言葉だった。
やはり、この人物は覚悟ができているのだと、ユーリは改めて思う。
そんなルーミアはパタッと横になる。
「交代の時には遠慮なく起こして。教会騎士も、夜の見張りはできるのだから」
「はい。では遠慮なく」
エリシアがそう応じる傍ら、ユーリはあぐらをかく。
「ユーリも。寝ておいて」
「わかってるよ。なにかあった時は頼む」
「もちろん」
ユーリもエリシアに任せ、目を閉じる。意識して呼吸を整えると、体の力も抜け、緊張も和らいでいく。熟睡はできないが、疲労を回復させるには十分な休息を得られる時間になる。
静かな森に、雨音が遠く聞こえる。
◇ ◇ ◇
ユーリが体を起こすと、エリシアはすぐに気がついた。
「交代だ」
時間で一、二時間程度経った頃、ユーリはエリシアに交代を告げる。
「もういいの?」
「エリシアも休んだ方がいい」
ユーリは荷物の中から砥石を取りだしながら、ランタンのそばに腰を下ろす。
「わかった」
するとエリシアはその場にパタリと横になる。
ユーリは座ったまま、支給品の剣を抜く。見ると、大きな刃こぼれが数カ所に起きていた。細かい傷も多い。
「贅沢は言えないけど……あまり使えないんだよな、この支給品」
鎧を切り裂いたり、堅い体毛に突き立てたりと、無茶な使い方をしているのは承知しているが、せめてもう少し耐久度があれば……ユーリはいつもそう考えていた。
砥石を当てながら、寝ているルーミアを起こさないように、静かに剣を研ぐ。
シャッ……シャッ……という音が雨音に混じる。静かで、周囲の気配も感じられる。異常はない。なにかが起こる気配も、今のところ感じられない。
ただ静かで、少し寒い、そんな夜の時間が流れる。その時ふと。
「ねぇ」
エリシアの小さな声が聞こえた。小さい声でも、周囲があまりにも静かなので、よく聞こえた。
「寝ないのか?」
「寝てるよ」
「起きてるだろ」
「寝てるの」
「……なんだ?」
ユーリは剣を研ぐ手を、意識して止めなかった。シャッ、シャッという砥石の往復する音がする中、エリシアが言う。
「この前は……気絶しちゃってごめん」
思わず砥石の手が止まる。
「あ、あぁ、あの……あの時のことか。もう随分前に感じるな。別に気にしてないよ」
「なんか中途半端になっちゃって……。ちょっと自分が情けなく思える」
はぁというため息が聞こえた。
「それに……ユーリがその……少しでも、期待、みたいなのをしてくれていたら……悪かったかな、って」
「そ、そうだな」
ユーリは咄嗟に、はいでもいいえでもない答えを選んだ。
「わたしは……本気だったんだ」
小さい声だが、しっかりと聞こえる。
「いつ死んでもいいように、って。当然、目的は遂げたいし、そう簡単に死ぬつもりもないよ。けど、いざって時に、後悔はしたくない」
「そう……だな」
「だから、気持ちも伝えたいし、しておきたいことも、しておこうと思って」
「……そうか」
「うん……」
少しの沈黙の後、ユーリは再び砥石を当てはじめた。
「ユーリは、そういうことないの? 死ぬまでにしておきたいことと、言っておきたいこととか」
「エリシア――」
「えっ」
エリシアは不意に名前を呼ばれ、ハッと目を見開いた。驚いた。
ユーリは手を止め、寝ているエリシアを見る。
「おまえに会えたこと、こうして一緒に目的を目指して戦えていること、大変なこともあるけど、俺は嬉しく思ってる」
「な、なによ……そんな」
「日々の中に、しっかり生きてるっていう実感がある。たぶん、ひとりじゃそんな実感はなかった。だから、感謝してる、いつも、何度も」
「ユーリ……」
「これが俺の言っておきたいことかな。……この前の夜のことは……まぁなんていうか、いい思い出のひとつになったと言うか、そりゃ……ちょっとは残念だって思ったかな、正直に言うと」
「そ、そうなの?」
「あぁ。でも――」
「でも?」
「や、柔らかかった」
「なっ」
思いがけない言葉に、エリシアの顔がぼんっと赤くなる。
「や、柔らかかったって……?」
「エリシアの全体が。俺の上に被さったまま寝たろう? だから、全身を感じたっていうか、うん、とにかく柔らかかった。あの屈強なエリシアからは想像できない感触だった」
「ふふ、なによそれ」
エリシアは思わず笑う。
「こんな柔らかい人が、あんな剣術を使ったり、銃を撃ったり、想像できないなって」
「ユーリはその……さわりまくったの?」
「まくってはいないよ。ただ、さすがに一晩中だったから、エリシアがちょっと動くといろいろ当たったりこすれたりして……」
「そ、そう……なんか……ごめんなさい……」
その時のことを思い出すと、お互い恥ずかしくなってしまう。
「あやまることじゃないだろ」
「うん……」
ユーリにも、あの時はぎりぎりだったという自覚がある。もう少し自分が自分に正直だったら、エリシアを起こしていたかもしれない。エリシアの言うように、さわりまくっていたかもしれない。
そうしたら、エリシアは拒まなかったかもしれない。もしかして、それはエリシアが望んだことだったかもしれない。思いは受け入れたい。しかし、行動を伴うことは……ユーリには思いとどまるだけの理由がある。
そんなことを思いながら、無心で剣の研ぎを再開する。砥石もそこまでいいものではない。魔法社会のエネスギア人にしたら、剣の手入れやそれに使う道具は、あまり重要視されていない。
ユーリが何度か砥石を往復させていると、ふとエリシアが寝ていた場所から消えていることに気づいた。
「ん?」
どこかへ行ったのか――音もなく? そう思った瞬間。
「ユーリ」
背後から、マント越しにエリシアに抱きつかれる。
「お、おい。寝ないのか」
「そんなに疲れてない」
「嘘をつけ」
「本当だよ」
「疲れていなくても、休んでいた方がいい」
「それなら……少しこうさせて」
エリシアは強めに体を押し当てる。マントと服を越えて、エリシアの大きな柔らかさが背中に伝う。そんな中、ユーリの肩にエリシアの顎が乗る。耳のすぐそばに、エリシアの口元が来る。
「少しだけ……勇気が出せるようになったかも」
ささやく声が、鮮やかな彩りを持ってユーリの耳をくすぐる。
揺らぐ平常心の中、ユーリは言葉を選ぶが、エリシアの方が早い。
「ユーリからしてくれない理由ね……わたし知ってるよ」
心臓を掴まれたようだった。振り返ろうとするも、背中を押さえられていて振り返れない。エリシアの体は柔らかく、そして強い。
「ユーリはね、わたしを大事にしてくれてる……もしも、そういうことをして……できちゃったらわたしは戦えなくなるから……そうでしょう?」
耳から入るエリシアのささやき声はユーリの心臓に到達する。
ユーリはそのまま心臓を握りつぶされる前に、声を絞り出す。
「それは……たしかに、思ってる」
「ありがとう。そういうところも、好き――」
エリシアの唇が頬に触れる。
ただそれだけの行為、そうなのだが、エリシアの情熱が余すことなく伝わる。
なにか応えねばならない、そう思った。
「エリシア」
肩越しにエリシアの方を向くと、至近距離に顔がある。
エリシアがゆっくりと動く。唇が近づく気配に、ユーリは息を止める。
その瞬間。
「っ!?」
ふたりは気配を感じ、同時にその方向を見た。
そこにはこちらに向け、ぱっちりと目を開いてまばたきすらしていないルーミアがいた。
「あ、どうぞ。遠慮なく続けて」
冷静に応じるルーミアの前に、エリシアの顔が爆発する。
「ちょ――いつから!?」
すぐにユーリと離れるエリシアだったが、動揺は明らかだった。
「エリシアがユーリにおっぱいを押しつけた辺りからかな」
「言い方が……」
「続けていいよ。見学させてもらうけど」
「だ、大丈夫です!」
「エリシア声が大きいぞ」
「もう、ユーリは他人事なんだからっ!」
「そんなことないって」
「だから続けていいって」
「続けません!」
エリシアはぷいっと体ごと後ろを向ける。すると、ルーミアは起き上がって座る。
「……悪いことをしたと思う。せっかくのところ」
「そ、それはないかと」
エリシアが振り返りながら言うと、ルーミアは少し寒そうにマントを巻き直す。
「エリシア、こっち」
「え?」
ユーリは自分のすぐとなりの地面を叩き、エリシアを誘う。
「ユーリ?」
「思ったより冷えるから、集まろう。みんなでくっつけば、いくらか暖かいだろ?」
「……もう」
エリシアは呆れたように微笑むが、嬉しかった。
「ルーミア中尉も、よかったら」
「いいの?」
ユーリに声をかけられたルーミアはエリシアの顔を見てたずねる。
「わ、わたしに許可を得なくても……」
「悪いかなと思って」
「だ、大丈夫ですっ。ユーリだって、別にやましい気持ちがあるわけじゃないですし」
「そうなの? やましい気持ちから言ってるのかと思ったけど?」
「違います!」
ユーリが即答すると、ルーミアもおずおずとユーリに近づく。
ユーリの左右に、エリシアとルーミアがくっついて座る。
「なるほど……あったかい」
ルーミアはそう納得していた。
「ふたりとももう少し寝て。俺が起きてる」
「わたしはもう寝られなそう」
「わたしも、すごいもの見ちゃって眠れないかも」
「そ、そんなにすごいものじゃないでしょう中尉!?」
エリシアが慌てると、ルーミアは顔を伏せる。笑っているのかもしれないとユーリは思った。
「とにかく体を休めて。ルーミア中尉は魔法も使ったんだし、もっと休んだ方がいい」
「あのくらい平気。でも、こうあったかいと……気持ちがやすらぐ」
「そうね」
そう言うエリシアとルーミアは、ユーリに体重をかける。
「エリシア、さっきのあれ、どこで覚えたの?」
「な、なにがです?」
「あの、ささやくやつ。なんだかすごく魅力的だった」
「覚えたもなにもありません。こ、こういう場では静かに話すのが基本ですから」
「なるほど……ちょっといいなって思った。忘れないように覚えておく。使えそう」
「なにに使うんですか?」
「秘密」
「……もうっ」
エリシアが頬を膨らませると、ルーミアはまた顔を伏せた。
これは本当に寝ないのかも……ユーリはそう思ったものの、ふたりとも元気がありそうで安心もしていた。




