第009話「一矢一閃と連撃」
【〇〇九 剣技】
■セルフィリア共和国、エネスギア人社会の歴史において「剣技」と言えば単に剣術の技ではなく、神話の中に登場する勇者たちが扱った剣術の特別な技の数々のことを指す特別な意味を持つ。
しかしその大半は伝承されずに途絶えてしまい、魔法至上主義のエネスギア人社会においては重宝されず、完全に途絶えたとされていた。
果たして、ユーリたちが扱う剣術は……?
【〇〇九 一矢一閃と連撃】
家を出て少し歩いただけで、深い森の入り口があった。幼いユーリは両親から森は怖いところだからひとりで行ってはいけないときつく言われていた。
しかし、ユーリは両親の目を盗んでは森の入り口あたりまでよく出かけていた。幼い頃から、ユーリは勇気が欲しいと思っていた。勇敢な剣士になること、それが幼いユーリの目標だった。
だから時々、森の入り口へ行き、数歩、怖い森の中に入っては戻るという、ユーリが独自に編み出した勇気の訓練をしていた。これはエリシアには内緒だった。エリシアに真似をされて、エリシアが勇敢になってしまったら自分が置いて行かれそうな気がしていたからだ。
そんなある日、幼いユーリが森の入り口に立つと、いつもと違う気配に気がついた。
ユーリに剣を教えるエリシアの祖父は幼いユーリに、いつもとなにか違うことに気がついたら気をつけるようにとよく言われていた。
幼いユーリにはなにを言っているのかわからなかったが、この時にユーリはそれを理解した。
恐怖はなかった。森の奥に光が見えたからだった。
「なん……だろう?」
誘われるように、ユーリは森の中に踏み入った。いつもなら引き返すあたりを越え、さらに数歩、木々が濃くなるあたりまで入った。すると木々の間から溢れる光が見える。
ユーリはその光の声を聞いた。
『勇気が欲しいのですか?』
優しい、女の人の声ははっきりと聞こえたが、姿は見えなかった。ユーリは声が自分に話しかけてきているのだとわかると、すぐに応えた。
「欲しい」
『それはどうしてですか?』
「勇気があれば……なんでもできるって父さんから聞いたから」
『あなたは……なにがしたいのですか?』
「困っている村の人たちを助けたい。寒かったり、食べるものがなかったり、病気が治らなかったり……そういうのをなくしたい」
『勇気があれば……それができるのですか?』
ユーリはあっけにとられた。そんなことまで、考えたことがなかったからだ。
「わかんない。でも、勇気があればなんでもできるんだ。きっとできる」
こんなことを聞くこの声の人は意地悪だとユーリは思った。声は続く。
『……そうですね。勇気があれば、きっとなんでもできます』
自分を肯定され、ユーリは嬉しくなった。この声の人は意地悪なんかじゃなかった。
『どんな時でも、その思いを忘れずに……勇気を求める心こそが、勇気をもたらします』
「どういうこと?」
ユーリが問いかけると、聞き慣れた声がした。
「ユーリー! どこー! 森に入っちゃいけないんだよー!」
「エリシアだ!」
ユーリは思わず振り返る。そして再び前を見ると、光はもう消えていた。
後ろからエリシアの声が続く。
「戻ってきなよー! ユーリが森に入ろうとしてること知ってるんだからねー!」
「入ってないよ! ちょっと見に来ただけだよー!」
ユーリはそう叫びながら、来た道を引き返した。
森の入り口に戻るとエリシアがいる。
「あ、やっぱりここにいた! おじいちゃんに怒られるよ」
「入ってないよ」
「入ってたじゃん!」
「もう戻ってきたから大丈夫だよ」
「そんなことばっかり言って。もうっ」
「森の中に人がいたんだ」
「知ってる人?」
「ううん、聞いたこともない声だから、たぶん知らない人」
「ユーリそれ……もしかしたら森の女神さまかもしれないよ」
「えっ、森の女神さま?」
「おじいちゃんも、ずっと昔に一度だけ森で声を聞いたことがあるんだって」
エリシアは目を輝かせていた。
「女神さまの声を聞いたら強くなれるんだって! よかったねユーリ!」
「本当? 優しい声だったよ」
すると、ぽつりと冷たいものがユーリの頬に落ちた。
「雨だ!」
エリシアが言う。
「戻ろうよユーリ!」
「うん、戻ろう」
走り出したエリシアの背中を見て、ユーリは森を振り返った。
「本当に……女神さまなのかな……?」
エリシアはそう言ったが、ユーリには信じられなかった。
「ユーリー! 早くー!」
「今行く!」
エリシアの方を見て走り出す。
もし本当に女神さまだったら……もし強くなれたら、それは嬉しい。
ユーリはそう思った。
◇ ◇ ◇
「……あの時の……夢、か」
まだ暗い中、目を開けるとエリシアが寝ているベッド二階の底が見えた。
たまに見る、幼い頃の夢は、なぜかあまり心地のよい夢ではなかった。
「森の女神さまか……」
上で寝ているであろうエリシアを起こさないように、ユーリは小声でつぶやく。そして静かに寝返りを打った。
「もし女神さまが本当にいるなら……」
グッと胸が詰まる思い出がよみがえる。
「あんなことなんて起こらなかったはずだ――」
黒い感情が膨らむ――それを押さえ込もうと、ユーリは目を閉じた。
憎しみに囚われてはいけない、と。
◇ ◇ ◇
結局、その後寝付けなかったユーリはエリシアを起こさないよう、宿舎を抜け出した。
早朝の自主訓練でもしようと思ってのことだった。
まだ薄暗さが残る中、身支度をととのえて基地内の訓練場へとユーリは向かった。
昨日はルーミアと市街区に出ていたが、ルーミアは終始物珍しそうだったのが印象に残った。途中食事に立ち寄った店では、貴族出身からしたら信じられない粗末な食事になると思ったものの、教会では簡素な食事をしていたらしく、物資不足でまともな料理の提供ができない店の事情にも理解を見せていたのは、ユーリも少し驚いた。
「悪い人じゃないのかもしれない。けど、教会騎士は教会騎士だ。油断はしないでいる方がいいかな、まだ」
決意のようにつぶやくと、ユーリは訓練場にいた。剣術訓練用の木人が設置してあり、訓練用の木剣もその脇に置いてあった。
その木剣を手にした時、ユーリは東の空の遠くに立ち上る煙を見た。
「あれは……エムール大森林の方向か」
煙の様子からして、野営のものだとユーリは思った。アルシェの部隊からのものだろうが、帝国の監視塔が近くにある中、あのように煙を上げるのは自分たちがここにいると言っているようなものだ。
「まったく、不用心だな。襲撃されて逃げ帰ることになるぞ」
同行している人間の同胞たちには気の毒なことだったが、エネスギア人は隠密行動というのが苦手なのだとユーリは思っていた。
「これじゃチェロリダ村にはたどり着けないかもしれないな」
そうつぶやいた時、ユーリは後ろに気配を感じ、素早く振り向いた。
「おはよう。関心じゃない、ひとりで早朝訓練だなんて」
そこにいたのはエリシアだった。
「なんだ、エリシアか。悪い、起こしちゃったか?」
「たまには早起きも悪くないかなって」
そう言いながらエリシアはユーリのそばまでくると、木剣を手に取った。
「わたしじゃ練習相手にもならないって?」
エリシアは微笑み、片目を閉じながらユーリに剣を向ける。ユーリも思わず笑みがこぼれる。
「これ以上の相手はいないだろ」
ユーリはそう言うと、二本の木剣を構える。
小さい頃はよくふたりで剣の訓練をしていたが、軍に入ってからは手合わせをする機会はほとんどなくなっていた。
普段は細剣を扱うエリシアは片手で突き出すように剣を構える。細剣はセルフィリア大陸ではあまり普及していない、貴族が護身に使うような武器であるため、あまり重要視されることはなかったが、エリシアはこの武器で基地内の剣術大会で優勝していた。
そんなエリシアに対し、ユーリも二剣を構える。
ふたりから笑みが消える。
やや遠い間合い――ユーリにはそう思えた。だがこの間合いは……。
「はっ!」
エリシアが翔ぶように踏み込み、鋭い突きを繰り出してくる。全身が放たれた矢のようなこの一撃は戦場でも訓練でも、必殺の威力を発揮しているものだ。
「くっ!」
左手の木剣の腹の部分でエリシアの木剣の切っ先をそらす。切っ先はまっすぐにユーリの喉元を狙っていた。エリシアの一撃を見慣れたユーリであっても、かろうじてそらすことができる鋭さだった。
切っ先をそらせたのは上手く行ったが、エリシアの巧さが出るのはその後だ。ユーリの木剣では対応できない近い間合いに着地すると、くるりと身を一回転させ、ユーリの首を目がけて木剣を薙ぐ。
左手の木剣でその薙ぎを受け止めると、ユーリは半歩下がり右手の剣を振るう。エリシアは身軽に飛び退きその一撃をかわし、再度踏み込み突きを繰り出す。
――きた、ユーリは思った。
エリシアの初撃を避けられるものは少ない。万が一避けても先ほどの横薙ぎで首が飛ぶことになる。それも回避されたら? エリシア必殺の一撃はいくつかあり、その中でもっとも恐ろしいのが今まさにエリシアが放ったものだ。
ユーリに迫る木剣の切っ先は急所である首を狙う。だがそれは接触が近づいた時に急降下し、胸から腹へ下がり、さらには腰から大腿まで下がる。エリシアの狙いは大腿だ。ここに一撃を受ければ、受けたものは脚の自由を失い。そうなればエリシアの突きを回避する術はなくなる。
「これがっ!」
「遅いよ!」
点の突きに対し、ユーリは脚を退く。だがユーリは知っている、恐ろしいのはこれからだ。
かわした切っ先が持ち上がり、ふと視界から消え、次の瞬間、ユーリとエリシアの空気が止まる。
静止した空気の中、ユーリは左側に木剣を集中させて立てる。そこにはまず、ユーリの側頭部を狙った一撃が真横からたたき込まれる。そしてほぼ瞬間と経たずに今度は首、腕、手首、首、大腿へと連続で斬撃が向かう。
もし、これを見ている人がいたなら、エリシアが腰布をなびかせてユーリの前でゆっくりくるりと一回転したように見える。だが、実際は数十回の回転を行い、そのたびに急所を狙う攻撃を位置を変えながら行っている。
エリシア必殺の回転連撃――何度となく手合わせをしてきたユーリでさえ、これをやり過ごせたのは過去二回しかない。
今回は――。
「防ぎきる!」
ユーリの木剣の動きをかいくぐろうとするエリシアの木剣が動く。瞬間の攻防の中では恐ろしく早い心理戦も繰り広げられている。
エリシアの木剣がかすかにぶれ、大きめの動きになる。
「今だ!」
この瞬間、ユーリは反撃に転ずる。一瞬の隙を突き、最短でエリシアの手首を狙う一撃を振り下ろす。
その瞬間、ユーリの右手に握られていた木剣が砕け散った。
「わっ!」
「うぐっ!?」
バンという破裂音とともに砕け散った木剣は持ち手しか残っていない。エリシアは攻撃を中断し、すぐに飛び退いたが姿勢を崩して倒れてしまった。
「エリシア! 大丈夫か!?」
ユーリがすぐに駆け寄ると、エリシアはすぐに上体を起こす。
「もう、そうやってすぐに気を抜かない」
エリシアは唖然としたユーリにスッと切っ先を向けた。
「あ、あぁ、すまない、まだ戦闘中だったな」
「そういうこと。でも、剣、壊れちゃったね」
「木剣じゃこんなものか。俺もまだ力を上手く扱えてないってことだな」
木剣の柄を見ながら、ユーリは頭をかいた。
「実戦であそこでユーリの一撃に剣が耐えられていたら、わたしの手首がなくなってた」
「なら引き分けだ。俺の首も飛んでる」
ユーリはエリシアに手を差し伸べ、体を引き起こした。
「ユーリの方が早かったかも」
「そんなことはないよ。爺ちゃんに『星が翔るがごとき剣』と言われるだけあるな、エリシアの剣は。華があるよ」
「そ、そうかな?」
ユーリに率直に褒められ、エリシアは照れる。
「でも、見て、わたしの剣」
「どうかしたか?」
エリシアが木剣を見せると、まっすぐだった木剣にはボコボコとへこみができていた。
「ユーリの剣がこれだけ重かったってこと。おじいちゃんがずっとうるさく言ってた、体重と力の移動、ユーリの方がうまくできてるってことね」
そう言ってエリシアが指さしたユーリの左手の木剣にはへこみ箇所はなく、なめらかな表面を維持していた。
「先手を取らなかったら、わたしは打ち負けているわ」
「そんなことないだろ」
「あるって。ユーリが大会に出ていたら、優勝していたよ?」
「それはどうだろうな。俺、本番に弱いし。観客も俺なんかより華のあるエリシアの方が見たいだろ」
「剣は見せ物じゃないでしょ」
「はは、そうだな。じゃあ戻るか。朝飯にしようぜ。今日はなにやるんだっけ?」
「今日は開拓地へ運ぶ木材の積み込みだってさ。教会士官様もご同行されるそうよ」
今日は雑用だった。なにもない時、自分たちは壁の補修や水路の掃除や、今日のように荷物の積み下ろしなどをやらされることが多い。
「あの教会士官、変わってるな」
「リファリーバ家と言ったらすごい名家よ? 教会士官になんてならなくても高い地位の軍籍は得られそうだけどね」
「生まれの事情があるんだろうな。死の覚悟はできてるようだけど……自ら進んで戦死するようなことはないのにな」
「うん。――それが貴族の生き方なのかな?」
「だとしたらエネスギア人らしくない潔さだね」
「そうね、ふふっ」
「でも――厳しい任務は来るかもしれないな」
「うん……。それでも――」
「生き残らないといけない、俺たちは」
力を込めて言ったユーリは木剣を地面に突き刺した。
「備品をひとつ壊しちまったな。あとでシャーラに報告しておくよ」
「ひとつくらい黙ってなさいよ。なにを言われるかわからないし」
「それもそうか。じゃ、目撃される前に逃げよう」
「ふふふっ」
ユーリの言葉に乗せられ、ふたりは逃げるように訓練場を後にした。




