時間のたたき売り
斜向かいに住む幼馴染は、親の遺産で広大な土地を持っていた。
故に米や野菜を栽培し、それを売って生計を立てた。
裏手に住む同い年の友人は、地主の一人息子でたくさんの山を持っていた。
故に木材や鉱物を採取し、それを売って生計を立てた。
しかしながら、貧しい男には売れるものが何もない。
物心ついた時には親はなく、持っているのはその身一つだけ。
「さてはて、この先どうやって生活していけばよいものやら…」
お稲荷さんの小さな社の軒下で、男は頭を抱えて苦悩した。
幼き時分は近所の好意で最低限の食にありつくことはできた。
が、大人になるとそうもいかない。
自らの力でどうにかして金を稼ぎ、生計を立てなければならないのが世の常。
――なのだが、いかんせん男には商売のネタがない。
「果たして何を売ればよいのやら…」
脂ぎった蓬髪を掻き毟って、無い知恵を絞る。
が、腹が鳴るばかりで妙案などこれっぽっちも浮かびやしない。
――俺はこのまま飢えて死ぬだろうか。
思えばもう何日も食事を口にしていない。
骨と皮だけの腹を擦り、霞んだ目を擦って祈るように目で天を仰いだ。
まさにその時だ。
お稲荷さんの天啓よろしく、男の脳裏にふと閃くことがあった。
家もなければ、寄る辺もない。
そんな無い無い尽くしの自分にも、たった一つだけ掃いて捨てるほど余っているものがあるではないか。
――そうだ。
日がな一日、暇を持て余している自分には、時間だけは嫌というほど有り余っている。
だったら、こいつを売って身を立てればいいではないか。
思い立ったが吉日。
あくる日から男は路傍に立ち、バナナのたたき売りさながらに時間を売った。
「さあさあ、寄ってらっしゃい、見ていらっしゃい。わたくし、この村名物の時間のたたき売り。毎日忙しくて天手古舞のそこの貴方、貴方に代わってわたくしめがその御用を引き受けて進ぜましょう。さすれば、あら不思議。空いた時間で今まで出来なかった、あんなことやこんなことまで出来てしまうじゃないですか。ほらほら、売り切れゴメンの大特価、早い者勝ちだよ。さぁ、買った、買った」
威勢の良い口上に乗せて、男の時間は飛ぶように売れた。
これまでの益体のない日々が、まるで嘘のよう。
あれほど長く感じていたはずの一日が、今では時間を忘れるほどに忙しく、稼いだ金を使う暇もないほどだ。
充実した毎日といえば、正しくその通りなのだろう。
もう食うに困ることもなければ、周りと比べて劣等感に苛まれることもない。
そうして男は来る日も来る日も時間をたたき売り、人生のほとんどを売り尽したのである。
年老いた男に残された時間は、もう幾ばくもない。
けれども、ほらこの通り。
時間と引き換えに手にした金を数えながら、男はにんまりとほくそ笑む。
これだけあれば、一生食うに困ることはないだろう。
あとは悠々自適に遊んで暮らせばいい。
そう思っていた矢先のこと――。
原因不明の流行病が男を襲ったのである。
「何、こんなもの、医者にかかればすぐに治るに決まっている」
幸い、薬を買う金は十分にある。
けれども男の期待とは裏腹に、病状は日に日に悪化していくばかりだった。
年老いた身体は、病に抗うだけの力を残してはいなかったのだ。
医者の余命宣告を受けた男は愕然とした。
「俺はもうすぐ死ぬのか…」
思えば他人のために働いてばかりの人生だった。
一方で、俺は自分の為にどれだけの時間を使っただろうか。
そう思うと途端に激しい後悔と焦燥の念が込み上げてきて、男はたたき売りの口上よろしく息絶え絶えに声を張った。
「おい、誰かいないか? 金ならいくらでも払う。頼むから誰か私に時間を売ってくれ」
すぐさま村の若いのが飛んできて、揉み手摺り手で男の枕もとに膝をつく。
「へい、喜んで。今日はどういった御用向きで?」
男が始めた時間のたたき売りは、今では村一番の人気商売だ。
声を上げれば、時間を売ってくれる者などいくらでもいる。
けれども、男には代わりにして欲しい御用など何ひとつなかった。
欲しいのは自分の代わりに働く人手ではなく、時間そのものだ。
それで男は初めて自分の愚かさを悟る。
他人の時間は金で買えても、自分の時間は金では買えないのだ、と。
程なく、男の時間は完売した。
それから一体どれだけの時が流れ、いくつ時代が移り変わっただろう。
威勢の良い口上に代わって、学歴や資格を宣伝文句に今尚続く時間のたたき売り。
そして街の至る所では、求人広告があなたの時間を値切るように無言で問い掛けている。
「あなたの人生の時間は、おいくらかしら?」




